第5話
それから、数か月後。
ジャスティーナ城には、再び夏が訪れようとしていた。向日葵の迷路が鮮やかな黄色に色づき始め、青々とした芝生とのコントラストが美しい。
今日のために造られた鮮やかな花のアーチは、どれも贅の凝らされたもので、庭師のこだわりが窺える出来栄えになっている。
「セレスティア様、こちらです!」
普段のメイド服とは違い、落ち着いた色合いのワンピースを身に纏ったナタリーに連れられるようにして、私は芝生の上を歩いていた。
「ふふ、ナタリーったらはしゃぎすぎだわ。まだ随分時間に余裕があるのに」
「何を仰っているんです! 一秒でも長くセレスティア様の晴れ姿を皆様にお見せしなければ気が済みませんよ!!」
「確かに、ナタリーたちがとても頑張ってくれたものね」
くすくすと笑いながら、ナタリーの後ろをついていけば、用意された会場で談笑する親しい人たちの姿が見えた。
そう、何を隠そう、今日は私とエルドレッド殿下の結婚式なのだ。
今日のために庭に花のアーチを作ってもらい、エルドレッド殿下が所有している領地内の教会から神父を呼び寄せて、開放的な会場で結婚式をするのだ。
仮にも王族の結婚式と思えばものすごく小規模なものだったが、マレット侯爵家の皆や、レナード殿下もお呼びしているので、とても温かい式になると考えている。
庭で式をする都合上、私のドレスは一般的な花嫁衣裳よりいくらか身軽なものになっていた。裾を引きずってはいるのだが、とても軽いので躓く心配はない。
色とりどりの花で構成されたブーケを手に、私はみんなの元へと姿を現した。
「セレスティア!」
真っ先に私に声をかけてくれたのは、お母様だ。落ち着いた深い青のドレスを纏ったお母様は今日も品がよい。
「まあ、まあ、とっても素敵ね。神に祝福された花嫁とはこのことよ。ねえ、あなた」
お母様は私の姿を頭の先から足先まで眺めながら、隣に並ぶお父様に同意を求めるように投げかける。
「……うむ、そうだな」
結婚式の日取りが決まってからというもの、お父様はどこかぎこちなかった。なんだかんだ言って、娘の私が正式に殿下の花嫁になることを寂しく思ってくださっているのかもしれない。
「もう、あなた、もっと素直に褒めてあげたらどうです? 娘の晴れ姿なのよ」
「……うむ、綺麗だ」
「母上、姉上だって父上に褒められるより、義兄上に褒められた方が嬉しいに決まっています。無理をさせることはないでしょう」
ここ数か月でぐんと背が伸びたロニーは、一層生意気な口を叩くようになっていた。見た目はお父様に随分と似てきたように思う。
「姉上、後で義兄上とチェスをしてもいいですか?」
「もう、ロニー、今日は結婚式なのよ! 殿下にそんな暇あるわけないでしょう」
お母様に窘められ、あからさまに不服そうな顔を見せるあたりは、まだ幼さを帯びている。そのやり取りを見守りながらくすくすと笑えば、ロニーは渋々と言った様子で了承したようだった。
「仕方ない。今日ばかりは姉上に譲って差し上げますよ。ですが次に会ったときはきっと時間を作ってくださいね」
「ええ、殿下にもそうお伝えしておくわ」
マレット侯爵家で殿下とともにチェスをしてからというもの、ロニーはすっかりチェスに夢中なようだった。少しずつ腕前を上げているようだが、まだ殿下に勝つには至っていない。
殿下には、マレット侯爵家と殿下の繋がりについてもお話してある。お話をした当初はそれはもう驚いていた殿下だったが、それ以来、殿下もロニーのことを一層弟のようにかわいがるようになっていた。
「賑やかですね、セレスティア様」
横から姿を現したのは、普段とは違い黒い礼服姿のエディ様だ。流石というべきか、こういうきちんとした格好をしても様になる。エディ様の理知的な深緑の眼差しを一層際立たせている気がする。これは夜会に出たりしたらご令嬢たちが放っておかないだろうな、などと感心してしまった。
エディ様は、セドリック殿下のお屋敷が燃えたあの事件をきっかけに、表向きは消息不明ということになっている。そのため、ほとぼりが冷めるまでは大手を振って出歩けるような立場にはないのだが、このジャスティーナ城では不自由ない生活を送っていた。
エディ様は私の家族に丁寧なあいさつをすると、にこりと穏やかな笑みを見せる。取り繕っているわけではない、穏やかな表情だ。
「とてもお綺麗です、セレスティア様。あの腹黒王子には勿体ないくらいの美しさだ」
ここ数か月というもの、エディ様はエルドレッド殿下とレナード殿下の「復讐」の手伝いに追われているため、ますますエルドレッド殿下への評価が辛辣になっている気がする。
「復讐」はおおむね順調だ。既にセドリック殿下の悪事は明るみになり、全ての暗殺事件の証拠は揃っていないものの、小さな屋敷で監獄と同等の監視下で生活しているそうだ。当然、悪事はおろかもう表舞台に出てくることすら許されない。
王太子殿下の進退については、まだ依然としてもめている最中だ。エルドレッド殿下とレナード殿下の予想通り、セドリック殿下の悪事に心を痛めた王太子殿下は、心を壊すまでは行かずとも、積極的に王位につく気を失くしてしまったようだ。
叶うことならば、亡くなった兄弟の冥福を祈り、慎ましやかに暮らしたいと本人は訴えているそうだが、婚約者のナイセル公爵令嬢を始め、王太子派の人間がそれを引き留めていると言った状況だった。
そんな「復讐」に付き合わされているエディ様だ。このところは落ち着きを見せているものの、一時は休む暇もないほどにエルドレッド殿下やレナード殿下と何やら話し合っていたから、疲労は溜まっているのかもしれない。
もっとも、決して三人の仲が悪くなっているわけではない。むしろ、以前にも増して心を開いているからこその、辛辣な物言いである気はしていた。
「またエルドレッド殿下にいじめられたのですか、エディ様」
「最近はレナード殿下も俺を虐めてきます。ひどいですね、あの王子たち」
「誰がひどいって? エディ」
噂をすれば影と言わんばかりに会話に入ってきたのは、赤髪を片側だけ上げ、礼服に身を包んだレナード殿下だ。
以前にも増して凛々しい面持ちをなさるようになったレナード殿下は、近頃は名君として名高い先代の王のようだと、あちこちから称賛の声を浴びている。当然彼の元へ届く縁談の数も物凄い量だと聞くが、まだ正式な婚約者は選んでいないらしい。
「ふふ、レナード殿下。あまりエディ様を虐めないで差し上げてくださいませね。エディ様は私の大切なお友だちなのです」
「……虐めてなどいない」
どこか拗ねたようにレナード殿下は視線を逸らしたが、エディ様は目を潤ませるような勢いで私を見つめてきた。
「セレスティア様……私に優しくしてくださるのはセレスティア様だけです」
目を潤ませてるのは恐らくエディ様お得意の演技によるものだろう。思わず苦笑してエディ様を見上げていると、レナード殿下が半ば呆れたようにエディ様を見ているのが分かった。
「エディ、お前そんなにセレスティア嬢に近付いて、エルドレッドに見つかったら何を言われるか……」
「問題ありませんよ。目の保養です、目の保養。普段あなた方にこき使われているこの目にも栄養を与えないと――」
「――お前には眩しすぎて目が潰れるんじゃないかな、エディ」
どことなく冷ややかな声に話しかけられ、大袈裟なほどにエディ様が肩を震わせる。間もなくして、横から伸びてきた腕にエディ様との距離を引き離された。
もちろん、他でもないエルドレッド殿下のご登場だ。白に近い銀髪に淡い青の瞳という普段の儚げな色彩に加え、淡いグレーの礼装を纏っておられるので、いよいよ非現実じみた美しさを放っておられる。
「駄目だよ、セレスティア。エディはすぐに調子に乗るんだから、適当にあしらわないと」
そう言いながら私に向き直ったエルドレッド殿下のお姿に、言葉を失ってしまった。正面から見ると、それこそあまりの美しさに目が潰れそうだ。淡い色彩を纏い、陽だまりの下にいるせいか、普段の物憂げな雰囲気もいくらか薄れており、何だか知らない人を見ているような気分になって目のやり場に困ってしまった。
衣装合わせで一度その姿を見ているはずなのだが、やはり本番となると纏う雰囲気も空気感も違う。何か話さなければと思うのに、頬ばかりが熱くなって上手く言葉が出て来ない。
「……本当に綺麗だ、セレスティア。本当なら僕が独り占めしたいくらい」
エルドレッド殿下は軽く屈みこみ、私の耳元で囁くように告げると、すぐに顔を離した。きっと私にしか聞こえていなかっただろう。ますます私の頬が熱くなる様子を見て楽しむように、殿下は淡い青の瞳を細めた。
「あ……の、エルも、とても素敵です。直視できないくらい……」
やっとのことで絞り出した言葉は、何だか妙に震えていた。これから夫となる人の魅力に当てられて、こんなにも戸惑ってしまうなんて。
「セレスティアは僕の礼装姿がお気に入りだもんね。でも困るな、ちゃんと見てくれないと寂しいよ」
揶揄うように笑うエルドレッド殿下の言葉に、ますます頬は熱くなるばかりだ。今頃真っ赤になっているのではないだろうか。
「エルドレッド、あまりセレスティア嬢をからかうな。のぼせて式の最中に倒れたらどうする」
レナード殿下に溜息交じりにいさめられ、エルドレッド殿下は苦笑を零した。
「嫌ですね、義兄上。これでも僕も必死に戸惑いを誤魔化しているっていうのに」
そういうなり、エルドレッド殿下はふいと視線を逸らしてしまった。言葉通り、耳の端が僅かに赤い。
それを見てますます私も恥ずかしくなってしまうのだから、どうしようもない。そっと頬に手を当てれば物凄い熱を帯びており、初夏に式を挙げるのは失敗だったかしら、なんて考えが頭を過るほどだった。
「エルドレッド殿下、セレスティア様! そろそろお時間ですよ!」
少し離れたところからナタリーが私たちに向かって呼びかける。見れば既に神父が、今日限りの祭壇の前で私たちを待っているところだった。
ナタリーの声をきっかけに、皆用意された席についていく。結婚式らしく華やかな色彩を待った彼らが散っていくのは、花弁が舞うような華やかさだった。
祭壇の奥には向日葵の迷路が見え、鮮やかな黄色を見るだけで、自然とオリヴィア姫のことを思い出してしまう。
オリヴィア姫も、この式を見守ってくださっているかしら。
向日葵の迷路と、その上に広がる青い青い空を見上げる。天国があるのならきっと、エイリーン妃と一緒にエルドレッド殿下のことを見守ってくださっているに違いない。
……オリヴィア姫、今年も綺麗に向日葵が咲きましたよ。
軽く目をつぶってオリヴィア姫を思えば、ざあ、と初夏の風が吹き抜けていった。偶然かもしれないが、まるでオリヴィア姫が応えてくれたような気がして嬉しくなる。
「……晴れてよかった。暖かくて、とても優しい気持ちになる」
祭壇の前へ私をエスコートしながら、不意に殿下はそんなことを仰った。
「ええ、本当に。忘れられない一日になりそうです」
軽く殿下を見上げれば、彼はふっと柔らかな微笑みを見せた。
「……陽だまりは、セレスティアみたいだから好きだ」
「え?」
唐突な告白に目を丸くすれば、殿下は一層幸せそうに笑みを深めた。
「君はこの城を……僕を照らしてくれる陽だまりのような人だから。暖かくて、優しくて、ずっとそばにいたくなる」
「ふふ……神父様を前にして花嫁を口説き始めるなんて、神様も照れてしまいますわよ」
何だか気恥ずかしくてからかうような言葉を返せば、殿下は軽く私を引き寄せて悪戯っぽく笑う。
「いいじゃないか。これから、この陽だまりは僕のものです、って神様に誓うんだから」
「結婚の誓いってそういうものでしたかしら……?」
思わずくすくすと笑えば、エルドレッド殿下はふっと笑いながら私の頬を撫でる。
「少なくとも、僕にとってはそういうことだよ。覚悟してね、セレスティア」
「覚悟も何も、要らないと言われたってついて参りますわ、エル」
お互いに視線を絡ませ合い、どちらからともなく笑い出す。私たちにとっては誓いの言葉よりもよっぽど誓いらしい言葉だった。
再び、ざあ、と初夏の風が吹き抜ける。私たちを祝福するかのように、花々が鮮やかな色彩を舞い上がらせた。
祭壇の前で、彼と手を取り合って向かい合う。
すれ違いばかりの私たちだったけれど、これからはきっともう大丈夫だ。彼は私の愛を、私は彼の愛を、信じて、手を取り合って進んでいける。
お互いに、誰の身代わりでもない、唯一の存在として寄り添っていけるはずだ。
私の初恋の終着点はここではない。むしろ、今日からまた新たな幸福が幕を上げるのだ。
その予感に胸を震わせながら、誓いの言葉を胸に、そっと愛しい初恋の人に口付けるのだった。
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