第3話
話を終えたころにはすっかり夕方になってしまった上に、雨も降りだし道が悪いことが予想されたので、レナード殿下の御一行はジャスティーナ城に一晩泊まっていくことになった。
急遽開かれることになった晩餐会の準備のため、使用人たちは大忙しだった。婚約者とはいえ、私もやるべきことは沢山あるのだろうに、ベッドから出ようとするとみんなに叱られてしまうので、渋々おとなしくしていた。
晩餐会までの時間、エルドレッド殿下とレナード殿下はエディ様を交えて「復讐」の打ち合わせをなさっているようだった。本当ならば私も参加したいところだったが、エディ様に休むよう言われてしまったのでこれにもやむなく従った次第だ。
ようやく起き上がる許可が出たのは、晩餐会の準備のために着替えをする頃で、右肩の怪我に配慮して、普段よりはいくらかゆったりとしたドレスを着せてもらった。深い葡萄色の、品の良いドレスだ。
肩までの長さになってしまった銀髪の扱いについては、随分とナタリーを悩ませてしまったが、公の場というわけでもないので、片側の上半分だけを緩く編んで、淡い青の宝石が散りばめられた髪留めで留めてもらった。何を隠そう、エルドレッド殿下の瞳と同じ色の宝石だ。
全ての準備が整った頃に、いつかエルドレッド殿下と二人きりで晩餐会を開いた広間に向かった。エスコートは当然エルドレッド殿下で、今日も今日とて椅子を引くところまでエルドレッド殿下がなさった。
「相変わらず仲睦まじいな、二人とも」
私とエルドレッド殿下の向かいに座ったレナード殿下は、眩しいものを見るように仰った。そんな風に言われると、何だか恥ずかしくなってしまって軽く俯いてしまう。傍から見てエルドレッド殿下とお似合いと思われていたら、そんなに嬉しいことはない。
軽く俯いたまま頬の熱を感じていると、不意に隣からじっと見つめられているような気がして顔を上げた。その予想は当たったようで、エルドレッド殿下がどこか寂し気な目で私を見つめている。
揺れる淡い青の瞳に含まれた感情を読み取ろうと、私もまたじっと彼の目を見つめ返したが、使用人たちに運ばれてきた料理によって晩餐会が始まってしまい、殿下の戸惑いの理由を探ることはできなかった。
晩餐会は急に開催が決定したというのに、運ばれてくる料理はどれも素晴らしいものばかりだった。まるで何日も前から準備していたかのような完璧さだ。
優雅で、温かな晩餐会の時間が過ぎていく。私とエルドレッド殿下、レナード殿下の三人でテーブルを囲むのは何だか不思議な感覚だったが、ちょっとした会話もすぐに弾むのでとても楽しい。
「セレスティア嬢は相変わらず酒は好まないんだな」
私の目の前に置かれたワイングラスの中身は水だ。エルドレッド殿下とレナード殿下は葡萄酒を召し上がっている。
「ええ。特に今は駄目ですわ。エディ様に見つかったら叱られてしまいますもの」
「それもそうだな。傷口に障るといけない」
レナード殿下のお言葉に頷きながら、ナプキンの端で口元を拭いて、そっと水を呷る。冷たいわけでもない生温い水だったが、体には良さそうだ。
「……相変わらず、ってことは、二人は前にも酒を飲むような機会が?」
エルドレッド殿下は何でもないことのように訪ねてきたが、その瞳に浮かんだ寂しさは隠しきれていなかった。だが、それは本当に些細なもので、レナード殿下には伝わっていないらしい。
「ああ、随分前のある伯爵家の夜会でな。……そこでセレスティア嬢に出会ったんだ。あの夜に俺とセレスティア嬢が会っていなければ、お前とセレスティア嬢の婚約もなかったはずだぞ」
「それは……とても重要な夜会ですね」
エルドレッド殿下は微笑んでいらしたが、晴れやかなものとは言い難い表情だった。
「こんなに可愛い婚約者を見つけ出してきたんだから、俺にもっと感謝の意を示してくれてもいいんだぞ」
「……それはもう、義兄上には感謝していますよ。あなたとセレスティアのお陰で、知らない感情を沢山知ることが出来ましたから」
エルドレッド殿下はどこか弱々しく微笑んで、瞳に浮かんだ寂しさを誤魔化すようにワイングラスの中身を呷った。
「エルドレッド殿下――」
いかがなさいましたか、と伺おうとしたときに、メインディッシュが運ばれてきてしまう。先ほどから妙に間が悪い。
エルドレッド殿下はと言えば既に新しい話題に移っておられて、彼が見せる寂しさの理由は聞けず仕舞いだ。晩餐会が終わった後にでも、きっと聞いてみよう。そう決意して、ひとまずはこの晩餐会を楽しむことに決めたのだった。
晩餐会の後は、談話室でエルドレッド殿下とレナード殿下がチェスをなさる様子を眺めていた。私の体調を気遣って、ナタリーが暖炉に火を入れてくれたのでとても温かい。薪が燃える音や優しい炎の灯りに癒される。
「流石はエルドレッド、相変わらずの強さだな」
「オリヴィアに散々付き合わされた結果です。それに、近頃、セレスティアの弟君という弟子が出来てしまったので、尚更腕を磨かなければ」
優しい暖炉の火に照らされるエルドレッド殿下の白銀の髪がとても綺麗だ。チェスの駒一つを移動させるにも優美な所作で、いつまで見ていても飽きないような気がしてしまう。
「そうか、お前はマレット侯爵家の屋敷に行ったんだったな。……セレスティア嬢の家族なら、きっと優しい人たちなんだろう」
レナード殿下の琥珀色の瞳がこちらに向けられたのを見て、思わず笑みを深める。
「ふふ、ありがとうございます、レナード殿下。勿体ないお言葉ですわ」
「お言葉通り、とても温かい家族でした。……僕のことも、歓迎してくれたんです。こんな僕を受け入れて、とても優しくしてくれた」
エルドレッド殿下はふっと頬を緩めたかと思うと、淡い青の瞳で私を一瞥した。柔らかい表情だったが、どことなく愁いを帯びているようにも見えて、やはり引っかかる。
「エルドレッド殿下――」
「――僕も、少しは寛容にならなくちゃな」
寂し気な表情で笑ったかと思うと、エルドレッド殿下は不意に席を立ち、私とレナード殿下を見下ろした。
「……少し、席を外します。流石に密室にするわけにはいきませんが、僕は書斎にいますので……好きなだけ、お話を」
「エルドレッド殿下?」
一体突然どうしてしまったのだろう。思わず席を立つも、殿下がそのまま私たちに背を向けて談話室から姿を消してしまう。ぱちぱちと暖炉の火が燃える音だけが、いやに明瞭に響き渡っていた。
「……一体、どうなさったのでしょう。何か失礼をしてしまったのでしょうか……」
思わず自分の言動を振り返るも、殿下のお気に障るような言葉があったようには思えない。殿下のご様子は晩餐会から少し違和感があったこともあって、余計に不安だった。
「……思い込みの激しい義弟で困る。まあ……今となっては全くの勘違いというわけでもないんだがな」
レナード殿下はどこか困ったように苦笑して、私を見上げた。
「エルドレッドの言葉に甘えて、少し話そう、セレスティア嬢。俺も、あなたと話しがしたかった」
王族に、それもエルドレッド殿下の義兄君にそう願われてしまっては、断る選択肢はない。私は再び革張りの椅子に腰を下ろし、暖炉の火を見つめるようにしてレナード殿下と並んだ。
「……二人きりでちゃんと話すのは、とても久しぶりな気がするな。建国祭の時は、何かと忙しかったから」
「そうですわね。それこそ、私とエルドレッド殿下との婚約の話を進めている時以来ではないでしょうか」
時間にすればほんの数か月前の話だというのに、随分遠い昔のことを語っているような気持ちになってしまう。それだけ、濃い数か月間だったということだろう。今まで知らなかった感情を、想いを、数えきれないほど知った。
「懐かしいな。あれはあれでとても楽しい時間だった」
「ふふ、私は結構緊張しておりましたのよ。今はこうしてエルドレッド殿下のお傍にいることを許していただけましたが……あの頃は、きっと殿下は私の顔を見るのもお嫌だろうと思っていましたから」
「結局思い違いだったな?」
レナード殿下に揶揄うように笑われて、私もつられるようにくすくすと笑った。
「ええ、そうですね。幸せなことに」
私を見つめるレナード殿下の表情は、いつになく柔らかなもので、普段の威圧的な印象とは程遠い。それは暖炉の火のせいもあるのかもしれないが、この数か月間で打ち解けたことも大きいのだろうと思った。
「……レナード殿下はご婚約者様をお選びにならないのですか? 夜会のたびに、ご令嬢方の熱い視線を独り占めなさっていると専らの噂ですのに」
義弟であるエルドレッド殿下に私という婚約者が出来たのに、レナード殿下にそう言う相手がいないというのは、国王陛下も思うところがあるだろう。私の知らないところで意外に話は進んでいたりするのかもしれない。
レナード殿下は不意に私から視線を逸らすと、暖炉の火を見つめてぽつりと呟いた。
「……実は縁談はいくつか来ているんだ。どれも相応しい家柄のご令嬢ばかりだし、ありがたいことに俺を好ましく思ってくれている方々ばかりらしい」
「まあ、そうだったのですか」
レナード殿下のような、精悍な顔つきの男性を好きな女性は多いだろう。騎士のように頼もしくて、紳士的なレナード殿下を、不快だと思う人の方が少ないはずだ。
なんだかんだ言ってレナード殿下とエルドレッド殿下は仲がいいご兄弟であるし、いつか、私とエルドレッド殿下、そしてレナード殿下とそのご婚約者様でお茶会なんてできたら素敵だわ、とお相手も決まっていない傍から楽し気な未来を思い描いてしまう。
だが、レナード殿下の口から出たのは、前向きとは言い難い言葉だった。
「迷っているんだ」
暖炉の火を見つめたまま、レナード殿下はどこか苦し気に琥珀色の瞳を揺らす。
「こんな想いを抱いたまま、婚約者を迎えることになってもいいのか、と」
いつになく真剣な声音に、思わず息を呑んだ。痛みに耐えるようなレナード殿下の横顔には、とても切実な思いが秘められている気がする。
「……レナード殿下には、想い人がいらっしゃるのですか?」
レナード殿下は言葉でこそ答えなかったが、代わりにぎこちなく一度だけ頷いて見せた。
知らなかった。レナード殿下にも、想い人がいらっしゃったなんて。よく考えてみれば、あれだけご令嬢たちに言い寄られているレナード殿下なのだから、今まで浮いた話一つなかったのが不思議なくらいなのだけれども。
「これでも王族だから、俺個人の感情一つで縁談を断るのは間違っていると分かっている。でも、このままでは、俺の婚約者になってくれる相手に、とても……とても不誠実なんじゃないかと思ってしまってならないんだ」
その言葉からして、お相手はレナード殿下のお力を以てしても、そうそう手に入れられないようなご令嬢なのだろう。政治的な関係か、あるいは身分の差が邪魔しているのか分からないが、そう穏やかな恋路ではないことは確かだった。
「……きっと、想いが叶わなくとも、それだけ真摯にレナード殿下に思われていたら、その方もきっと幸せですわ。……なんて、申し訳ありません。ありきたりなお言葉しかかけられなくて……」
私だって、恋愛経験が豊富なわけでもないのだ。こういった時にどのようなお言葉をかけてよいのか分からない。せめて、エルドレッド殿下がいてくださったら少しは違うのに、ともどかしく思った。
「いや、いいんだ。気を遣わせてしまってすまない」
レナード殿下は彼らしからぬ弱々しい笑みで私を一瞥したかと思うと、再び暖炉の方へ視線を戻した。その横顔はやっぱり切なげで、レナード殿下がいかにその方を深く想っていらっしゃるのかが窺える。
ぱちぱちと燃える火の音。優しい静寂が、談話室を包み込んでいた。
「なあ、セレスティア嬢」
間もなくして、レナード殿下が口を開く。私は返事の代わりに、彼の横顔をじっと見つめた。
「もしも……もしも俺が王になると言ったら……そうしたら、君はついて来てくれるだろうか」
ついていく、という妙に曖昧な表現に、軽く小首をかしげながら考えを巡らせる。
それは、私がレナード殿下の味方に付くかどうかを尋ねておられるのだろうか。
もしもそうならば、迷うことなく答えは「はい」だ。エルドレッド殿下だって、レナード殿下が王になることを望んでおられる。「復讐」のことだってあるのだから、既に私はレナード殿下とエルドレッド殿下と一蓮托生の関係であるつもりでいた。
ただ、今までの会話からして、レナード殿下の問いに込められた意味はそれだけではないような気がした。
そう、考えすぎでなければ、彼は私を――。
不意に、レナード殿下の琥珀色の瞳と目が合う。いつになく熱のこもったその眼差しに、一言では表現しがたい、切なさにも似た複雑な感情が去来した。
レナード殿下と出会ったときのこと、このお城でのお茶会のこと、建国祭での彼の姿、様々な記憶が蘇る。
レナード殿下が慈しむように見守る存在に、エルドレッド殿下だけでなく私も加わったのはいつからだっただろう。
出会い方が違えば、私は彼に惹かれるようなこともあったのだろうか。考えてみるけれど、上手く想像できない。エルドレッド殿下に出会ったときからきっと、私がエルドレッド殿下以外の人を好きにあるという道は閉ざされていて、それくらいに、私の心はエルドレッド殿下で染め上がっているのだと知る。私にとってのエルドレッド殿下は、それくらいに愛しい人だ。
だから、答えは迷うまでもなく決まっていた。私は何でもないことのように微笑んで、レナード殿下の瞳を見つめる。
「ええ、応援いたしますわ。エルドレッド殿下と共に」
ずるい答え方かもしれない。でも、はっきりと想いを告げられたわけでもないのだ。こう答えるしかなかった。
そのままにこにこと微笑めば、やがて、レナード殿下は毒気が抜かれたようにふっと笑いだした。
「ああ……そうだよな、君はそういうところは鈍い人だった」
レナード殿下はひとしきり笑い終えると、どことなくすっきりとした表情でもう一度私を見つめる。
「でも……何だかこれで吹っ切れた気がする。君はよほどエルドレッドが好きなんだな」
「ええ、それはもう」
いつもと似たような会話を交わし、ふっと笑みを深める。レナード殿下のお顔は、その言葉通り先ほどよりも清々しいものだった。
「……そろそろエルドレッドの元へ行ってやるといい。あんまり俺と二人きりだと、あいつのことだからまた不機嫌になるぞ」
「そうですわね……何だか妙に寂し気なお顔をなさっておられましたし」
「大方、俺たちのことを誤解しているんだろう。ちゃんと言ってやれ、セレスティア嬢。あなたが愛しているのはエルドレッドなのだと」
励ますような、妙に重みのあるその言葉に、私は深く頷いた。レナード殿下が、眩しいものを見るように僅かに目を細める。
「……セレスティア嬢の幸せを祈っている」
僅かな切なさを滲ませたその声に、私もそっと小さな微笑みを返し、ドレスを摘まんで礼をした。
「はい、ありがとうございます。レナード殿下」
そのまま私は、談話室を後にした。背中にレナード殿下の視線を受けている気配がしたが、ただただ真っ直ぐに、エルドレッド殿下の書斎を目指したのだった。
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