第17話
こんなところで、セドリック殿下の部下に出会ってしまうなんて。私たちも運が悪い。
「エディ先生、大変だぜ。セドリック様のお部屋の周りでボヤ騒ぎが――」
ああ、この声は確か、私を馬車から引きずり出したあの大柄な男の声だ。足を切りつけたはずなのに、随分自由に動き回っているらしい。
エディ様にしがみ付いたまま、恐る恐る男の顔を確認しようとしたが、エディ様の腕によって遮られてしまう。
さっと血の気が引くのが分かった。恐らく、エディ様も同じ気持ちだっただろう。
「っ……」
「エディ先生、そいつ……今日攫ってきた娘じゃ……?」
エディ様はぎゅっと私を抱きしめたまま、どこか気だるげな冷淡な声音で返事をする。
「はい、そうですよ。もう死んでいますが」
「死んで……? ああ、処理係は先生の仕事だもんな」
足音で、男がエディ様に近付くのが分かった。死体だと偽れば、確かにまだ見逃してもらえる可能性はあるかもしれない。しかし、男が私に触れたら終わりだ。いくら息を潜めようとも、血の通った温もりまでは誤魔化せない。
「置いて来ればよかっただろ」
「この後、目を取り出さなければなりませんのでね」
「目……? また物騒なこと考えてんな」
呆れたように笑った男だったが、やがて不自然な沈黙が生まれる。エディ様と彼の間に言い知れぬ緊張感が漂った。
「……おい、先生。そいつ、本当に死んでるのか?」
「……確かに息の根を止めたはずですが」
エディ様の演技は素晴らしいものだ。彼に触れている部分から伝わる鼓動は今までにないほどに早まっているのに、表面上は動揺など一切悟らせないのだから。
だが、疑われているこの状況はどう考えても私たちに不利で、目前に迫った脱出劇の成功が遠ざかっていく気配を感じた。
「……そうか? じゃあ、貸してみろよ。遺体を運ぶのは先生の仕事に相応しくないだろう」
「……折角の親切ですが、お断りいたします。私は自分の仕事は最後まで自分でやり遂げたい主義なので」
エディ様もきっと分かっている。これが苦しい言い訳に過ぎないということくらい。
それでも、みすみす私を男に手渡せば、まず間違いなく私の命はないだろう。もしかするとエディ様の命も危ないかもしれない。
相手は一人だが、エディ様は武闘派ではない。足手まといにしかならない私を庇いながら、この大柄な男に立ち向かうのは現実的ではないだろう。
それに、そんな状況になったらきっとエディ様は私を真っ先に逃がそうとするはずだ。自分の命など少しも顧みないで。
それは、第六王子エルドレッド殿下に忠誠を誓った臣下としては、誇り高い行動なのかもしれないが、そんな悲しい選択をさせたくない。エディ様はきっと、臣下である以前に殿下のご友人でもあるはずなのだから。もちろん、私にとってもそうだ。
なんとか、打開策はないのだろうか。私もエディ様も、エルドレッド殿下の元へ帰れるような策が。
「……あんた、そういえばその嬢ちゃんを捕まえるときも、嬢ちゃんのこと抱きしめてなかったか?」
まずい、本格的に疑われている。あの森の中で、真っ先に私たちの元へ辿り着いた男だから、エディ様が私を庇うように抱きしめていた場面を僅かにでも目撃していたのかもしれない。
「まさか……裏切ってねえよな、エディ先生」
「……何の話でしょう」
「とぼけるなよ。……早く、その嬢ちゃんをこっちに渡せ」
僅かに威圧感の増した声で男は要求した。エディ様が私を抱きかかえる腕に力がこもる。
間を置かずに、男の手が私のドレスに触れる気配があった。思わずぎゅっと目をつぶって息を殺す。
駄目だ、触れられたら、もう。
「っ……」
男の手が私に触れるか否かという瞬間、エディ様はついに、私を抱きかかえたままに走り出した。
「っ待て!!」
男の荒々しい声が追いかけてくる。足を怪我しているというのに、素早さはそこらの騎士に劣っておらず、あっという間に回り込まれてしまう。
エディ様は咄嗟に私を地面に降ろすと、外套から短刀と呼ぶに相応しいようなナイフを取り出して男に応戦した。いつの間にか剣を抜いていたらしい男が、エディ様目掛けてその銀色を振り下ろす。
この状況はどう考えたって不利だ。エディ様は辛うじてナイフで剣を受け止めたものの、完全に圧されている。はらはらとしながらエディ様を見守っていると、エディ様は彼らしくもない大声で叫んだ。
「っ……お逃げください、セレスティア様!! 早くっ!!」
「おお、おお、お姫様の騎士ごっこか? 先生。威勢のいいこった」
にやりと笑った男がエディ様のナイフを薙ぎ払うようにして、エディ様のバランスを崩す。赤子の手をひねるような調子だった。
分かっている、こうなってしまっては、私は逃げる他ないのだと。ここにいてはエディ様は私のために命を賭けて無謀な戦いに挑むだけだ。守られることしか出来ない私には、せめてエディ様の足手まといにならないよう、逃げ出す他にないのだと。
恐怖に竦む体を奮い立たせて、何とか立ち上がろうとしたその瞬間、男の持っていた剣が私に向かって振り下ろされようとしていることに気が付いた。
今は何も応戦できるものを持っていない。咄嗟によけきれるほどの身体能力もない。
三日月を背に振り下ろされようとしている剣の銀色が、いやに美しく輝いていた。
「セレスティア様っ!!」
エディ様が血相を変えて、私を押し倒すようにして庇う姿勢を見せる。ぎゅっと私を抱きしめるその手は、僅かに震えていた。エディ様だって、当然怖いのだ。
その事実に思わず涙目になりながら、これから訪れる衝撃に備えてぎゅっと目をつぶった。
「二人で仲良くあの世へ行くんだな!!」
耳障りな男の声と共に、今にも剣が振り下ろされるかと思ったその瞬間――。
「ぐっ……!?」
声にならぬ男の叫びが何の前触れもなく響いたかと思うと、ぽたぽたと温かい何かが舞った。やがてすぐ傍で、どさり、と重いものが落ちる音がする。僅かに土埃が舞ったようだ。
いつまで経っても痛みも衝撃も訪れず、恐る恐る目を開いて状況を確認すれば、衝撃的な光景が広がっていた。
私とエディ様のすぐ傍には、私たちを殺そうとしていた男がうつぶせで倒れ込んでいた。その背中には大きな切り傷があり、とめどなく血が溢れ出している。不快な血の臭いが鼻をついて、思わず顔をしかめてしまった。
そして、その男の背後で剣に付着した血を振り払う青年が一人。
身にまとった黒い外套とは対照的な白に近い銀の髪、儚げなほど淡い青の美しい瞳。
紛れもない、彼は――。
「エルドレッド殿下!!」
「エルドレッド殿下!!」
優雅な仕草で剣をしまい込む青年ことエルドレッド殿下を見上げ、私とエディ様は声を合わせて彼の名を叫んだ。
「……間に合ってよかった、二人とも」
殿下のその表情は、血の海の前で見せるにはおよそ相応しくない優し気な笑みだったが、どうしようもなく安心してしまう。
殿下は靴が血で汚れることも厭わずに私たちの前に歩み寄ると、そっと手を差し伸べてくれた。私もエディ様も思わず涙目で殿下を見上げてしまう。
「っ殿下!!」
私とエディ様でほとんど同時にエルドレッド殿下に抱きついてしまう。二人分の重みに、殿下は一瞬体勢を崩しかけたが、そっと私たちの背中に腕を回してくれた。そのまま再会を噛みしめるように、殿下はぎゅっと私たちを抱き締めてくださる。
「セレスティア……エディ……」
ひどく安心したような声音で私たちの名を呼ぶ殿下に、目に溜まっていた涙がぽろぽろと零れだす。エディ様も似たような反応で、殿下は私たちを慰めるように背中をぽんぽんと撫でてくださっていた。
「セレスティア……良かった。無事……とは言えないかもしれないが、戻ってきてくれたんだね」
殿下は肩のあたりでばっさりと切られてしまった私の髪を見て、一瞬痛ましいものを見るような表情になったが、すぐに穏やかな微笑みを取り戻した。
「殿下……私……私……っ」
言いたいことは山ほどあったはずなのに、いざ殿下を前にすると上手く言葉が出て来ない。代わりにぽろぽろと涙を流せば、殿下は慈しむような微笑みを見せて、ただ私の頭を撫でてくれたのだった。
殿下はそのまま視線だけでエディ様を見上げ、少しだけからかうような笑みを見せる。
「……背後から斬り付けるのは騎士道に反するだろうが、叱らないでくれよ、エディ。これで結果的にセレスティアとお前を救えたんだから」
冗談めかして笑う殿下に、エディ様は涙目になりながら何度も頷いていた。
「本当に……我が主は王子様のくせに執着気質で嫉妬深くて困っていたというのに、騎士道精神にまで反するとは……叱る気も失せます」
「言ってくれるじゃないか」
いつも通りのそのやり取りに、余計に安堵が広がっていく。涙に滲んだ視界で二人を見守っていると、不意に殿下はエディ様に向き直った。
「……セレスティアを良く守ってくれた。ありがとう、エディ」
エディ様をまっすぐに見上げ、殿下は真摯に礼を述べた。話したいことはお互いに山ほどあるのだろうが、今は上手く言葉に出来ないようだった。
「積もる話は城に帰ってからしようか。今は、何よりもここから逃げ出さなければ」
「……はい」
その言葉を合図に殿下は私を抱き上げると、エディ様を一瞥してから走り出した。殿下の首元にぎゅっとしがみ付けば、それに応えるように殿下が私を抱える力が強まるのが分かる。
エディ様も殿下の後ろにぴったりとくっついてきているようで、私たちはようやく森の中へと入ることが出来た。
殿下と何人かの護衛騎士が連れてきたらしい馬の前まで辿り着くと、殿下に導かれるままに、一番立派な馬に乗り上げる。手綱を握る殿下の腕が背後から私を抱きしめるように伸びてきて、どうしようもない安心感にまたしても涙がこぼれてしまった。
ようやく、帰れるのだ。殿下と私が暮らす、あの優しくて美しい城に。
鬱蒼とした森の中、一行がジャスティーナ城に向けて走り出すと、涙を風が攫ってくれた。淡い三日月を見上げながら、長い一日がようやく終わる気配を感じたのだった。
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