第15話

 がしゃん、と響いた鉄格子の音に思わずびくりと肩を震わせる。妙に不快な金属音と、辺り一帯に漂うかびた臭いに、思わず顔をしかめる。


「今度の子羊ちゃんはえらい別嬪さんだな」


 地下牢の看守らしき男が鉄格子越しに、私を舐めるように見つめてくる。地下牢とは言いつつも、私の他に囚われている人はいないようで、薄暗い地下室に男の声は良く響いた。


「何でも第六王子のお人形さんらしいぜ」

 

 私をここまで運んできた黒い外套の男が、同じように不躾な視線を私に投げかけながら品のない笑い声をあげる。私はただ男たちを睨むようにして、地下牢の隅に身を寄せた。


「高貴な方々は遊びたい放題でいいねえ。俺らにもちょっとばかし恵んでもらいたいぜ」

 

「おっと、この娘には手を出すなよ。どうやらエディ先生はこの娘にご執心らしいからな」


「あのエディ先生が?」


 看守らしき男がもう一度まじまじと私を眺めてくる。話の流れはいまいち読めなかったが、今の私はエディ様に裏切られた高飛車な令嬢なのだ。


「じろじろと見ないで頂戴。不快だわ」


 吐き捨てるようにそう言えば、看守が鉄格子にもたれかかってくる。


「ふーん、エディ先生は気が強いのがお好みなんだな。意外だぜ」


「どうだろうな。単にこのお嬢ちゃんに腕を刺されたから、じっくり報復したいだけかもしれないぞ」


「エディ先生の報復かあ……きっとろくな死に方出来ねえぜ、お嬢ちゃん。残念だったな」


「私が死ぬ? 冗談でしょ。あの裏切り者の手に堕ちるくらいなら自分で命を絶った方がずっとマシだわ」


 軽く地下牢の壁にもたれかかれば、男たちが嘲笑に近い笑みを浮かべるのが分かる。本当は恐怖で足が震えているのだが、ドレスのお陰で怯えを悟られずに済んだ。


「それにしても、今夜は何のご褒美もなしかあ。こんな可愛いお嬢ちゃんを前にしてお預けを食らうとは思ってもみなかったぜ」


「手を出してエディ先生の怒りを買いたきゃ好きにすればいいさ」


「いいや、ごめんだね。あの人は気に入らないことがあったら、薬の実験がてら仲間でも殺すって専らの噂だぜ」


「やりかねないな、冷たそうなお方だから」


 先生、と呼ばれるほどにエディ様は彼らに慕われているのかと思ったが、どうやらエディ様への恐怖から大人しく付き従っているだけのようだ。エディ様が薬品で人を拷問するようなお方だとは思えないが、セドリック殿下の傍に控えていたエディ様のあの冷たい面持ちを思えば、そんな噂が出回っても不思議はない気がしていた。


「……仕方ねえから酒でも飲むかー」


 軽く伸びをした看守らしき男は、不意に私に目を止めると、何やら名案を思いついたと言わんばかりに、にたりと笑った。


「そうだ、この嬢ちゃんの髪を売って、今夜の酒代にしようぜ」


「確かに、銀の髪は珍しいから高く売れるかもな」


 私を運んできた男も同調するように鉄格子に寄りかかる。思わず、腰まで伸びた銀色の髪をぎゅっと握りしめた。


「一体何を……」


「髪を切られるくらいで済むんだから、むしろ感謝してほしいくらいだ」


 下卑た笑い声をあげる男が、牢の鍵を開けて私の方へ近づいてくる。その手には、天井付近の小窓から差し込む月光を反射する銀色のナイフが握られていた。


「っ……やめて、やめなさい!!」


 男と距離を取るように思わず後退るも、小さな牢の中では逃げ場などない。あっという間に部屋の角に追い詰められた私は、ここに来て初めて怯えるように男を見上げてしまった。


「ああ、その怯えた表情の方がずっといい。エディ先生もお気に召しそうだ」


「っ……無礼者!」


 伸ばされた手を思わず払いのけようとするも、反対に手首を掴まれてしまう。骨が折れそうなほどの力で握りしめられ、思わず苦痛に顔を歪めた。


「ほら、大人しくしないと怪我をするぞ」


 ばっと私の手を振り払ったかと思うと、男は片手で私の髪をひとまとめにして掴んだ。


 やめて、駄目、この髪は、エルドレッド殿下が何度も指で梳いてくださった大切なものなの。エルドレッド殿下に出会わせてくださった、かけがえのない銀色なのに。


「やめてっ!!」


 涙目になりながら叫ぶも、ナイフを持った男の手が振り下ろされる方が早かった。男から距離を取るように身を引いていたせいで、ぴんと張った髪はナイフの刃が当たるだけで面白いくらいに切れていく。


 ぱらぱらといくつかの毛束が落ちていくのを見て、どうしようもなく空しい気持ちになった。髪は、肩のあたりでばっさりと切り落とされたようで、妙に首から上が軽い。思わずぽろぽろと涙を流せば、男たちの嘲笑が響き渡った。


「髪を切られたくらいで泣くとは、案外大したことない嬢ちゃんだな」


「この髪は人形師の所へでも持っていこうぜ。きっと高く買ってくれるはずだ」


「そりゃあ、いい。エディ先生が来たら早速――」


「――何やら楽しいことをしているようですね?」


 地下牢に響き渡った、冷たい声。優しい物腰なのに、相手に緊張を強いる独特の雰囲気があった。


 この声を、私は知っている。エディ様だ。両目から溢れ出す涙を手の甲で拭って顔を上げれば、鉄格子越しにエディ様の深緑の瞳と目が合った。


 彼は、ひどく驚いたように私を見たが、やがてその瞳に怒りとも憎悪ともとれる色を宿らせる。看守の男たちが、びくりと肩を震わせるのが分かった。


「……この娘には手を出さないように、と言ったはずですが」


 冷え切った声でエディ様は呟くと、慌てふためいた看守の男が取り繕うような笑みと共に口を開く。


「いやあ……髪を切っただけですぜ、先生。売って今夜の酒代にしようかと思っただけで……」


「成程。確かに銀の髪は高く売れるでしょうね」


 エディ様はしばらく怒りに耐えるように私を見つめていたが、小さく溜息をついたのち、どこか面倒臭そうな眼差しを男たちに向けた。それは先ほどセドリック殿下の傍に控えていたエディ様が見せていた表情とよく似たもので、一瞬で演技を再開させたのだと分かる。


「……しかし、全てを売られてしまっては困ります。私は殿下に、彼女の目と髪を第六王子にお届けするよう仰せつかっているのですから」


「また……えげつないこと考えてんな、俺らのご主人様は」


 看守の男は若干引いたような反応を示すと、私の髪を切った男の手から、一束分の髪を摘まみ上げ、エディ様に差し出した。


「このくらいでいいか?」


「はい、充分です。では、私は作業に入らねばなりませんので、この娘は連れて行きますね」


 エディ様は黒い外套のポケットから羊皮紙をまとめるようなリボンを取り出すと、受け取った私の髪を手早くまとめた。


「先生がその娘にご執心なのは、やっぱり刺された報復のためかい?」


 看守の男の問いかけに、エディ様は包帯が巻かれた自身の右前腕部を見つめた。


「もちろんそうですよ。私が受けた苦痛を何倍にもしてお返ししなければ、気が済みませんから」


「意外に根に持つんだなあ、先生は」


「おや、知らなかったんですか?」


 エディ様はくすりと笑うと、牢の中に足を踏み入れ、真っ直ぐに私の元へ歩み寄ってきた。エディ様だと分かっていても、反射的に怯えてしまう。演技だと思えば、これも悪くない反応なのかもしれないが。


「随分惨めな格好ですね。第六王子のお人形さん?」


「……っ私に気安く話しかけないで、裏切者!!」


 渾身の力を込めてエディ様を突き飛ばす素振りを見せるも、エディ様はびくともしない。怒りに満ちた目を装ってエディ様を睨み上げれば、僅かに彼の微笑みが引き攣るのが分かった。


「絶対に許さない、許さないわ……」


 譫言のように呟きながらエディ様を睨み続ければ、本当に僅かにエディ様の深緑の瞳が揺れる。だが、それも一瞬のことでエディ様は冷たい微笑みを浮かべて私の腕を掴んだ。


「追い詰められた人間というのは、こうも無様なものなのですね。ご令嬢らしい気品の欠片もないではありませんか」


「っ……触らないで! やめて!!」


 エディ様が私の手首に鎖をかける冷たい感触に、じたばたと身動きをするものの、部屋の角に追い詰められたこの状況ではろくな抵抗になっていない。でもそれでいい。看守たちに、私が精一杯抵抗していることを印象付けられたらそれで。


「大人しくしてください。いい子にしていないと、最後の祈りの時間も差し上げませんよ?」


「祈りの時間? そうね、それは必要だわ。あなたへの憎悪と怒りを神様にお伝えして、死ぬまで苦しむような呪いを差し上げなくちゃいけないもの」


 吐き捨てるように言えば、手首に繋がれた鎖を引かれる。必然的に縮まった距離の中で、エディ様は恐ろしいほど端整な笑みを浮かべて私を見下ろした。


「あまり減らず口ばかり叩いていると、始めに目を抉りだしますよ」


「それでも結構。裏切者の顔なんて、もうこれ以上見ていたくないもの!!」


 至近距離で睨み合う私たちを、男たちが息を呑んで見守っている。エディ様は黒髪の間から覗く深緑の瞳に愉悦のような色を滲ませると、嘲笑に近い微笑みを浮かべた。


「勇ましいお人形さんだ」


 吐き捨てるようにそう告げて、何の前触れもなくエディ様に鎖を引かれる。抵抗する素振りを見せるために動かずにいると、手首の皮膚が鎖で擦れる感覚があった。馬車が横転したときに受けた痛みに比べればなんてことないのだが、やはり不快なものは不快だ。


 エディ様は面倒そうに私を一瞥したが、言葉もなく鎖を引くだけだった。地下牢から連れ出され、男たちの好奇と侮蔑の混じった視線を一身に受ける。


「ご愁傷様」


「せいぜい媚びて優しくしてもらえよ、嬢ちゃん」


 げらげらと笑う看守たちには目もくれず、私はただエディ様に付き従って歩き続けた。


 地下牢に僅かに差し込んでいた月光が遠ざかっていく。もしも、エディ様が本当に私たちを裏切っていたら、これが私の見る最後の月の光になるのだろうか。


 裸足で歩く石畳は、氷のように冷たかった。よく見れば、小指が紫色に変色している。そう言えば、森で躓いたときに酷く指を痛めたんだっけ。


 細かい切り傷や擦り傷は数えきれず、今朝まで侯爵邸で痛みとも恐怖とも無縁の生活を送っていたことが信じられなかった。


 ……エルドレッド殿下。


 遠ざかる月の銀色に、大好きな彼の髪色を思い浮かべる。


 会いたい。会って、叶うならば抱きしめさせてほしい。あの温もりに、もう一度触れたい。


 それが叶うかどうかは、エディ様のこの振る舞いが、演技だったか否かにかかっている。もしも、もしもこれが演技では無かったら、私は――。


 そうこうしているうちに、申し訳程度の装飾の施された扉の前についた。エディ様に導かれるがままに部屋の中に入れば、彼が後ろ手に鍵を閉めるのが分かる。


 部屋の中には、中央に置かれた白いベッドと、医療器具や薬品の棚があるばかり。カーテンの閉められた窓から差し込む僅かな月明かりと、ゆらゆらと揺らめく燭台の蝋燭の火が室内を照らしていた。


 完全な静寂の中で、意を決して私はエディ様を振り返る。彼はやっぱり冷たい眼差しで、私を見下ろしていた。


 ……お願い、エディ様。演技だったと言って。今までの言動も何もかも、私を逃がしてくださるための茶番だったと笑ってほしい。


 どくどく、と脈が早まっている気配がする。息もできないような緊張感の中、エディ様を見上げれば、彼はゆったりとした仕草でご自分のシャツに留まっていたタイを緩め始めた。

 

 深緑の瞳が、私だけに向けられているのが分かる。ただならぬ彼の空気に思わず後退れば、ベッドの上に倒れ込んでしまった。


「っ……エディ様?」


 まさか、エディ様は、本当に私たちを――。


 薄暗い密室の中、湧き上がる疑念は留まるところを知らない。エディ様はそんな私を見下ろして、意味ありげに口元を歪ませるのだった。

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