第9話

「ただいま帰りました、お父様、お母様、ロニー!」


 見慣れたマレット侯爵家の玄関で、私は数か月ぶりに家族との再会を果たしていた。両親と弟は私の到着を待ちわびていたらしく、使用人たちと共に玄関広間で私を出迎えてくれる。


「セレスティア……久しぶりね!!」


「元気にしていたか!」


「姉上! お変わりないようで何よりです!」


 家族四人でぎゅっと抱きしめ合って、再会の喜びを分かち合う。没落寸前の侯爵家だが、仲の良さだけは自慢できる数少ない長所だった。


「お父様もお母様も元気そうで良かった! ロニー、あなたまた少し背が伸びたんじゃなくて?」


「はい、直に父上と並ぶくらいになってみせます!」


「頼もしいわ、ロニー」


 13歳の弟は、育ち盛りなのか数か月前よりも随分背が伸びたようだ。もう既に私の身長を抜かしてしまっている。あんなに小さかった弟が、と思うと感慨深いものがあった。


 一通り再会の喜びを分かち合ったところで、お母様の視線が私の背後に向けられる。


「セレスティア、そちらの方は?」


 私の背後で家族の再会の光景を見守っていた彼は、質の良い紺色の外套に身を包み、フードを深く被っているので、一見すると不審者のようにも見えるかもしれない。


 正体を明かしたら、お父様とお母様は腰を抜かさないだろうか、と多少心配になりながらも、私はそっと彼の隣に歩み寄り、彼に家族を紹介しようとした。だが、それよりも彼が外套のフードを下ろす方が一歩早く、先に自己紹介を始めてしまう。


「……お初にお目にかかります。マレット侯爵、侯爵夫人、ロニー殿。ローウェル王国第六王子、エルドレッド・ローウェルです」


 白に近い銀の髪を惜しげもなく陽の光に照らしながら、エルドレッド殿下は端整な微笑みを浮かべて挨拶をした。


 それを受けた両親もロニーも唖然として殿下を見つめている。


 ……やっぱり、あまりにも急よね。


 一応殿下の訪れを知らせようとはしたのだが、という言い訳を飲み込んで、私はマレット侯爵家へ里帰りすることになったいきさつをぼんやりと思い返した。






 里帰りのきっかけは、エルドレッド殿下の何気ない一言だった。


「王城で済ませる予定もほとんど終わったし、この機会に実家に顔を出してきたらどうだろう」


 また少し距離が縮まったように感じたあの夜会から三日ほど経ったある日、王城に用意された客室の中で、殿下はそんなことを提案してくださった。


 確かに、今年は侯爵領の復興の関係で両親もロニーも王都の屋敷に滞在していると聞いている。ジャスティーナ城に帰るにしても、ちょっとした寄り道という程度で侯爵家の屋敷には寄ることが出来るはずだ。


 それにしても、殿下から私の実家の話を出してくるなんて。まさか、王都に来たこの機会に私を実家に帰してしまうおつもりだったりするのだろうか。


 このところの殿下の態度からしてそんなことはあり得ないとは思いつつも、僅かな不安は残る。私はまだ、五年前のあの夕暮れに、殿下が私に暴言を吐いた理由も知らないままなのだ。


 殿下はどのような意図で里帰りをご提案なさったのだろう、とぐるぐると考えていると、続く殿下の言葉にあっさりと答えが出る。


「僕はちょっと王城でやることがありそうなんだけど、その間暇しているのもなんだろう? エディを連れて一泊くらいしてくるといいよ」


 エルドレッド殿下は穏やかな笑みを浮かべて、部屋の隅に控えるエディ様と私に視線を送る。もうすっかり医師というより殿下の腹心の部下となってしまったエディ様だが、以前よりずっと清々しい表情をなさっていた。


「束縛気質の殿下が珍しいこともあるものですね。しかも、私をお供につけるなんて」


 歯に衣着せぬ物言いをするようになったのも、エディ様がエルドレッド殿下に忠誠を誓ってからだ。エルドレッド殿下は端整な微笑みの中に僅かな苛立ちを滲ませながら、エディ様を睨みつける。


「里帰りも許せないほど狭量な男にはなりたくない。それに、お前のことはそれなりに信頼しているというだけだ。主の婚約者の実家で婚約者に手を出すような軽薄な人間じゃないだろう」


「セレスティア様を幽閉していた殿下がそれを仰るのですか……」


 若干引き気味にエルドレッド殿下を見つめるエディ様は、何だかもう一人のお兄様みたいだ。エルドレッド殿下は若干拗ねるようにしてエディ様から視線を逸らしてしまう。年上の男性に失礼だと思いつつも、その仕草はなんとも可愛らしくて仕方なかった。


「エディ様、あまり殿下を虐めないでくださいませ」


「セレスティア様に言われてしまっては仕方ない。ご無礼を、殿下」


「お前……僕とセレスティアじゃ随分対応が違うんだな……」


 ますます拗ねるようなエルドレッド殿下を見ていると、思わずくすくすと笑いが込み上げてきてしまった。殿下は面白くなさそうな表情をなさっているが、エディ様のこの対応の差は、逆に言えば、エディ様がそれだけ殿下に心を開いているということだろうに。


「ふふ、殿下とエディ様は仲がよろしくて羨ましいですわ」


 思わずそう口走れば、二人して弁解するように私を見つめてきた。


「冗談じゃないですよ、セレスティア様。仲良くなるなら腹黒くて執着気質の王子様より、セレスティア様のような可憐なご令嬢の方がずっといい!」


「それに関しては同意見だな。一国の王子を薬草の実験台に使ってくる医者より、セレスティアと仲良くなった方がどれだけいいか」


 そういうところが仲が良い、と言っているのに。二人の必死な弁明を聞きながら、やっぱり私はしばらくくすくすと笑うのを止められなかった。


「では、お言葉に甘えて二日ほど程里帰りさせていただきますね」


 ひとしきり笑い終えた後、私は殿下のお心遣いに感謝しながら里帰りを決めたのだ。殿下は穏やかに微笑みながら頷くと、ひどく優し気な眼差しで私を見つめたのだった。




 その日のうちに王都の侯爵家向けに里帰りする旨を記した手紙を送り、晴れて本日、侯爵家の門を叩いたわけなのだが、エルドレッド殿下までお越しになるのは想定外だった。


 お城でやるべき仕事というのは、どうやらご兄弟揃って国王陛下にご挨拶をするという建国祭お決まりの一種の儀式のようなものがあったようなのだが、国王陛下のお心の具合が優れず、中止になってしまったらしい。


 突如として予定が空いてしまったエルドレッド殿下が、里帰りする私を見送る際に、あまりに寂しそうな表情をなさっていたから、たまらず侯爵家にいらっしゃらないか、とお誘いをした次第なのだ。


 公に殿下が訪れるとなれば大事になってしまうので、あくまでも私の護衛役に身をやつして、という形での訪問となったわけなのだが、それが余計に両親に与えた衝撃を大きなものにしてしまった。

 

 そんな中、侯爵家に漂う緊張と何とも言えない気まずさを打ち払ったのは、ロニーだった。持ち前の明るさを存分に発揮して、エルドレッド殿下に屋敷の中を案内してくれたのだ。


 殿下が疲れてしまわないかと不安になるほどにロニーははしゃいでいたが、意外にも殿下は楽しんでいるようだった。多少お転婆な面があったオリヴィア姫と長く暮らしていただけあって、年下の扱いには長けているらしい。


「そうそう、幼い頃、姉上はこの階段の手すりを滑り降りようとして失敗し、広間の方へ落っこちたことがあるんですよ」


「ロニー!」


 屋敷中を案内し終わったころには、すっかり殿下と打ち解けていたロニーはさらりととんでもないことを暴露してしまう。初恋の人になんてことをばらしてしまうのだ。


 久しぶりに声を張り上げて彼を諫めれば、ロニーはにやにやと笑うばかりだったが、エルドレッド殿下がひどく驚いたように私を見つめていた。


「あ……大きな声を出してしまって申し訳ありません」


 最悪だ。過去の失敗を知られてしまった上に、弟を叱りつける場面まで見せつけてしまうなんて。


「いや……セレスティアはそんな風に怒るんだな。初めて見た」

 

 そういって殿下はどこか嬉しそうに微笑んで、私の腰を引き寄せる。このところすぐに殿下は私にくっつこうとするのだが、私は未だに恥ずかしくてたまらない。


「僕の知らないセレスティアがまだまだ隠れているんだろうね。見てみたいな」


 愛の言葉でも囁かんばかりの甘い声に、ますます頬が熱を帯びる。婚約者の実家にいようがどこにいようが、殿下はいつも通りに振舞われる方らしい。


「……驚いた、姉上、ちゃんと王子様の婚約者なんですね」


 今度はロニーが唖然としたように私たちを見つめている。お父様譲りの灰色の髪が陽光に照らされてきらきらと輝いていた。


「君の姉上はとっても可愛らしい方だよ。セレスティアが家を出て君には寂しい思いをさせているかもしれないが――」


「とんでもありません、殿下。そんな姉で良ければ喜んで差し上げます」


「ロニー?」


 弟の減らず口は今に始まったことではないが、まさか殿下の前でも変わらないなんて。再び諫めるようにロニーの名を呼べば、不意に、彼は大人びた表情で笑った


「……でもよかった、姉上は大切にされているんですね。こんなことを殿下の御前で言うのは気が引けますが……侯爵領への支援金の代わりに嫁いだ姉上が、王子様にひどい扱いを受けていたらどうしようかと……本当にちょっとだけ、心配していたんですよ」


「ロニー……」


 まさか、3つも年下の弟にそんな心配をかけていたなんて。定期的に手紙を送っていたのだが、やはり姿を見せない分、不安に思う部分はあったのだろう。


「殿下が姉上に亡き妹姫の面影を見ている、なんて噂もあったものですから、余計に心配で」


 ろくに夜会にも顔を出さないマレット侯爵家にも伝わっているなんて。噂は意外と根強いものだ。このまま上手く第二王子殿下を欺けているといいのだが。


 ふと、私を抱き寄せるようにしていた殿下が何とも言えぬ苦い顔をしているのを見て、はっと我に返った。流石にロニーの失礼が過ぎただろうか。


「っ……殿下、申し訳ありません。ご気分を害されましたか?」


「いや……僕が今まで君にしてきたことを猛省している最中だよ……。何一つ弟君に胸を張れることがないじゃないか……」


「……姉上に何かなさったのですか?」


 ロニーは怪訝そうに殿下を見つめていた。なんだかんだ言って私を慕ってくれているロニーだから、こういうところは妥協しないらしい。


「ロニー、あなたにはまだ早いことよ」


 殿下がお心を病まれていたこと、殿下が私にオリヴィア姫を見ていたこと。すれ違いの結果、私が幽閉されそうになっていたこと。これらの事情を説明するには、ロニーはまだ幼すぎる。知らなくていいこともある。


 そんな意味を込めて、なるべく当たり障りないように諫めたつもりなのだが、数秒してロニーの頬が真っ赤に染まる。


「っ……いくら相手は婚約者とはいえ、未婚の子女相手にやっていいことと駄目なことがあるのでは……? いや、まあ、王族なら多少は目を瞑ったりするのでしょうか……?」

 

 何だかとんでもない方向に勘違いをしている気がする。なぜ弟に貞操観念について説かれているのだ、私は。


「ロニー! 違うのよ、そういうことじゃなくて――」


「――いや、やっぱり許されないですよね? 結婚式を挙げてからにしてくださいよ、殿下。困ります、うちの姉に。没落寸前とはいえ侯爵令嬢なんですよ?」


「そうだよね、まったくもって君の言う通りだ、ロニー君。いくらセレスティアの色気に当てられたからと言って、あんなことをするなんて……」


 殿下は頭を抱える勢いで項垂れると深い溜息をついた。それは恐らくあの晩餐会の夜に、殿下が私に一方的に口付けたことを仰っているのだろうが、多分、ロニーはそうは受け取っていないだろう。


「……起きてしまったことは仕方ないので、俺からは両親に何も言いませんが……その、子どもは式を挙げてからにしてくださいね。母上が聞いたらきっと卒倒するので」


 やけに物分かりの良い素振りを見せるロニーを前に、今度は殿下が怪訝そうな表情をする番だった。


「子ども……? 口付けで?」


「え、口付けですか?」


「もう、いい加減にしてください!」


 頬に帯びた熱がかつてないほどの温度になったところで、ようやく私は二人のやり取りに口を挟むことに成功した。その勢いのまま、睨むようにロニーを見つめる。


「ロニー! 確かに私の言い方が悪かったのかもしれないけれど、あなたの考えているようなことは何もないわ。口付けしかしていないから安心して頂戴!」


 弟に殿下と口付けた事実が知られるだけでも十分恥ずかしいのだが、このまま取り返しのつかないような勘違いをされているよりはいい。私の圧に気圧されるようにして、ロニーは頷いていた。


 そんな私たちのやり取りを見て、殿下はどこか愉しそうにふっと笑う。


「いつものおしとやかなセレスティアもいいけど、今日のような元気のいいセレスティアもいいね。お日様みたいだ」


 勘違いを加速させた張本人が随分呑気なことを、と思わなかったわけではないが、あまりに幸せそうな殿下の微笑みを見ていると毒気を抜かれてしまう。それはロニーも同じだったようで、再びどこか大人びたような笑みを見せていた。


「……本当に、俺が心配することは何も無さそうですね。姉上が幸せになれそうでよかった」

 

 そろそろお茶にしましょう、と階段を駆け下りるロニーの背中は、数か月前よりもずっと頼もしく見えた。侯爵領の立て直しの中で、マレット侯爵家の次期当主として、日々成長しているのだろう。


「いい弟さんだ」


 微笑むような殿下の声に、思わず私も頬を緩める。


「……ええ、自慢の弟です」


 ぴったりと寄り添うような距離で、どちらからともなくお互いの顔を見つめ合った。一瞬甘い空気が流れるが、階段の下から響く「お茶が冷めますよ、姉上! 殿下!」という声に、二人してふっと笑い合った。


「……行こうか、ロニー君が呼んでる」


「ええ」


 二人の時間は、ジャスティーナ城に帰ってからでも十分作れる。今は、弟や両親とエルドレッド殿下が共にいる不思議な里帰りを、心行くまで楽しむのだ。

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