第4話

「失礼いたします」


 殿下の書斎を訪れたエディ様は、清潔なシャツと黒いベストをきっちりと着こなした、いつもどおりのエディ様の姿だった。


 ただ、その横顔はいつになく堅い。何かを覚悟したような、悪く言えば思い詰めたような空気感を漂わせている。

 

 エディ様と殿下のお二人で話し合いたいこともあるだろうと、私は席を外そうとしたのだが、殿下に引き留められてしまったため、こうしてソファーに座っている次第だ。殿下は書斎の執務机に向かっており、エディ様はまっすぐに殿下の前へ歩み寄る。


 執務机の上には、先ほど使用人頭が提出してきた褐色の瓶が置かれたままだ。


「お呼びでしょうか、殿下」


 毒薬の封入された褐色の瓶は、確かにエディ様の視界にも入っているはずなのに、彼は動揺する素振り一つ見せなかった。


「単刀直入に訊こうか。……お前は、誰の差し金だ?」


 淡々と、躊躇うことも無く殿下は本題を口にする。エディ様もまた、やはり動揺一つ見せずいつも通りの穏やかな笑みを浮かべるのだった。


「……何のことでしょうか? 私は、王城よりエルドレッド殿下の御心を診るように遣わされた、しがない医師ですよ」


「では、この瓶の中身はどう使おうと考えていた? 医者が毒薬を携帯しているなんて穏やかな話じゃない」


「……毒も使いようによっては薬になりますから」


 エディ様は、意味ありげな微笑みを浮かべる。至って正論だった。


「では、お前の存在しない弟妹達についてはどう弁解する?」


 その言葉と共に殿下が机の上に広げたのは、貴族の家系図が描かれた羊皮紙だった。先ほど私も見せてもらったのだが、そこにはバイロン子爵家の一族の構成が事細かに描かれていた。


「……公には隠した子どもがおりましたから」


「まあ、居たとしても不思議ではないが、そもそもお前自身、バイロン子爵家の人間ではないな? ……4年ほど前に、バイロン子爵の次男として養子縁組をしているとの記録が残っている」


「驚きました、昨日の今日でそこまで調べ上げるとは」


「報告はついさっき上がって来たばかりだよ。優秀な部下がいるんだ」


 その言葉通り、エディ様が子爵家の養子であることを示す記録は、エディ様が書斎を訪れるほんの数分前に届けられたものだった。殿下はバイロン子爵家が子供に恵まれていなかったという大まかな情報から、エディ様が子爵家の養子なのではないかと推測していたようだったが、その予想を裏付ける証拠が上がってきた形だ。


「元はどこにいた? 子爵家の分家にもお前の名前はないが……」


「どこで生まれたかは知りません。私は……拾われた身ですから」


 エディ様は穏やかな微笑みの中に寂しさを滲ませて、殿下を見つめる。自分の出自も知らないなんて、エディ様の抱える過去がますます謎めいてきた。


「拾われたとは、バイロン子爵にか?」


「まあ、そういう捉え方もできますね」


「お前の言う弟妹達が殺されたのは、バイロン子爵の養子になる前か?」


 畳みかけるように続く殿下の質問に、滞りなく答えていたエディ様の表情が曇る。恐らく、目の前で殺されたという弟妹達の姿を思い出したのだろう。


「そうですね……もう随分昔のことです」


 エディ様は遠くを見つめるように深緑の瞳を揺らすと、エディ様と殿下の間に置かれた褐色の瓶を手に取り、弄ぶように手のひらで転がした。


「……それにしても、随分な質問攻めですね。私がそんなに怪しいですか?」


「調べれば調べるだけ、疑念が湧いてくる。お前の正体が掴めない」


「そう言いつつ、殿下なら何となく察しているのではありませんか?」


「……ただの医師ではないだろうな。不確かな出自でありながら、仮にも一国の王子の主治医になれたというだけでも、相当強力な後ろ盾があるはずだ。そいつが、お前にこれを持たせたんだろう」


 殿下はもう一本の褐色の瓶を摘まみ上げ、僅かに揺らしてみせた。僅かにちゃぷちゃぷと音がする。


「……私の身辺を検めていることには気づいていましたが、これを見つけ出すとはこの城の使用人も大したものです。やはり……私が心配するようなことは、もう何もないのかもしれませんね」


 一歩間違えば自らの破滅に繋がる証拠を突きつけられているこの状況で、エディ様はふっと安堵の表情を見せた。張り詰めていた今までの表情とは大違いだ。


「……殿下にはもう、セレスティア様もいらっしゃる。私のような卑しい者は、そろそろ姿を消した方がいいのでしょうね」


「何を言っている……?」


 穏やかな表情とは裏腹に、どこか不穏な言葉ばかり並べるエディ様を訝しむように、殿下は整った眉をひそめた。対してエディ様は、深緑の瞳に慈愛の色を滲ませて、殿下を見つめ返す。その横顔は、エディ様が殿下を弟のように思っているという言葉通り、弟妹達に向けるような優しさが見て取れた。


「殿下の仰る通り、私の後ろには強大な権力者がいます。そして他でもないその人に、私の弟妹達は殺されました」


「……そいつの名は?」


 息を飲むような緊迫感の中、殿下が静かに促す。エディ様は小さく微笑んだまま、何の躊躇いもなくその名を口にした。


「第二王子殿下、セドリック様です」


「セドリック殿下……?」


 その名に、いつか図書室で見たエディ様の姿が蘇る。白鳥が刻まれた封蝋のある手紙を手にしていた、彼の姿が。


 でも、一国の王子が人を殺めたなんて穏やかな話ではない。しかもエルドレッド殿下の腹違いの兄上だ。


 エディ様は私と殿下を一瞥すると、にこりと笑ってみせる。その笑みに含まれている感情は、私には推し量れないほど複雑なものだった。


に少し、昔話を。多分、あなた方にとっても有益な情報があるはずですから」


 最後、その言葉に、胸騒ぎが大きくなる。ばくばくと耳の奥で響く心臓の音を聞きながらも、私はただエディ様の言葉を待った。


は、孤児だったんです。物心がついたころには、俺は王都の最も貧しい地区の路地裏で息をしていました。それまでどうやって生きていたのかもよく分かりませんが、気づけば俺の周りには俺と似たような境遇の幼子たちが集まっていて……俺にとっては、彼らこそが家族で、唯一大切だと思えるものでした」


 路地裏で生活をせざるを得ない王都の住民の話は聞いたことがある。実際に目にしたことはなかったが、まさか、エディ様がそのような生活を送っていたなんて。


「泥棒まがいのことをして、何とか食いつないでいく毎日でしたが……弟妹達がいるから、不思議と寂しくはありませんでした。幸福とは程遠いでしょうが、それなりに、毎日を生きていたんです。いつか皆で住める家を作ろう、そんな夢を抱きながら」


 没落寸前の貴族とはいえ、衣食住に困った経験のない私には、空腹がどれだけ辛いか、雨風を凌げない惨めさがいかなるものか、本の世界を頼りに想像することしか出来ない。


 苦しいことの方が多い毎日だったはずだ。それでも、その中で身を寄せ合って、ささやかな幸せを尊び、小さな夢を抱いて生きていた小さなエディ様たちを思うと胸の奥が締め付けられるような気がした。


「異変が起こったのは、俺が、13歳や14歳になろうかという頃でした。正確な年齢なんて知らないので、あくまでもおおよその年齢なんですが……。そのころには簡単な仕事を貰えていた俺が、売れ残りのパンを買って帰った夕暮れに、あいつらはやって来たんです」


 掌の上に乗せた褐色の瓶に視線を落としながら、エディ様は淡々と続ける。微笑みは崩れていなかったが、深緑の瞳に明らかな憎悪が浮かんだのを見て、僅かに肩を震わせてしまった。


「真っ黒な外套を羽織った男が二人、俺たちの元へやってきました。彼らは俺と弟妹達を一目見ると、俺の髪を掴んで『こいつだな』とだけ呟いて、次の瞬間には弟妹達に剣を振り上げていたのです」


 エディ様は褐色の瓶を摘まみ上げ、照明に照らすようにして中身を眺めた。黒い前髪から覗く深緑の瞳は彼にしては珍しく翳っており、どこか不安定な微笑みを見せる。


「一瞬でした。路地裏ということも相まって、弟妹達の甲高い悲鳴すら、誰にも届かなかった。男に押さえつけられていた俺はただ、弟妹達が血の海の中で絶命していく様を見ていたんです」


 エディ様は不安定な表情を浮かべたまま、横目で私を捉え、笑みを深める。


「一番下の妹は生きていればセレスティア様と同じ年のころ」


 エディ様そのまま続けて殿下を一瞥すると、やはり、同じようにどこか不安定な笑みを送った。


「一等可愛がっていた弟は、生きていれば殿下と同じ年でした」


 これには私も殿下も言葉もなかった。エディ様が普段浮かべていたあの穏やか笑みの下には、私たちに弟妹達の面影を見て、慈しむような感情があったのかもしれないと思うと、切なさに胸が詰まる。


「……その後のことはよく覚えていませんが、気づけば俺は手足を縛られて第二王子殿下の前に転がっていました。第二王子殿下は、俺を一瞥すると、すぐに俺の教育を開始させるよう言い渡しました」


「教育? 一体何の目的で?」


 殿下が訝し気に問えば、エディ様はどこか弱々しく微笑む。


「第二王子殿下は、自らの駒として働く人材を育てる独自の組織をお持ちです。もちろん、非公式のものですが……。孤児や身寄りのない者の中から、見目の良い者を内密に集めては、貴族社会に溶け込ませたり、貴族の家の養子として送り出し、あらゆる策略の駒としてお使いになっているようです」


「策略、ですか」


 思わず復唱した私の前に、エディ様は不意に歩み寄ったかと思うと、やけに恭しく私の手を取った。そして、そのまそっと指先に口付けを落とす。エディ、と殿下が声をかけるも、聞こえないふりをするかのように、エディ様は私の顔を覗き込んだ。


 普段は理知的な深緑の眼差しなのに、今は同一人物とは思えぬほどの色気を醸し出している。これには驚いてしまった。エディ様にかかれば、どんな表情もお手の物らしい。


「例えばこういう風に、ご令嬢を誘惑したり、でしょうか。有力な貴族と関係を築ければ、得をすることは多いですからね。まあ、色々ですよ。ともかく、見目は悪いより良い方がいいとのお考えのようで……自分で言うのもなんですが、俺が生き残ったのも、路地裏で生活する子どもの中で一番整った顔立ちをしていたかららしいですよ。弟妹たちは……ただの口封じという名目で殺されたのです。それを知ったときは、本当に自分の顔が憎らしかった。叶うならば、俺だって、彼らとともに終わりたかったのに……」


 ご無礼を、と呟きながら私の手を離したエディ様は、再び殿下に向き直った。明らかに、殿下がエディ様に向ける視線が鋭くなっているが、エディ様は気にしないとでも言うようにふっと笑ってみせる。

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