第5話

「まあ、ともかく、そういうわけで俺は半ば強制的に第二王子殿下の駒として育て上げられたわけです。同じ駒として育てられた人間の中には、第二王子殿下に救われた、と忠誠を誓っている者もいましたが……目の前で弟妹達を殺された俺が忠誠を誓う訳もない。復讐の機会を、虎視眈々と狙っていました」


 エディ様はさらりと言ってのけたが、一国の王子に殺意を抱いていたとなれば、それだけで処刑されてもおかしくない。聡明なエディ様がそれに気づかないはずが無かったが、それすらもどうでもいいというような吹っ切れた様子がますます私を不安にさせた。


「そして、3年前、転機は訪れたのです。そのころには医師として育て上げられていた俺に、第二王子殿下は仰いました」


 エディ様は軽く咳払いをすると、殿下のいる執務机に軽く身を乗り出し、不敵に笑ってみせる。


「『僕の大切な弟のエルドレッドが、妹姫を失い心を病んでしまった。監視をするがてら、彼の心を診てやってくれないか』ってね」


 それは、確かにエディ様の声なのに、知らない誰かの言葉だった。殿下があからさまに不快な表情を浮かべたことからしても、多分、第二王子殿下の口調を真似したのだろう。


 エディ様の演技力は大したものだ。こんな状況下だが、素直に感心してしまった。


「愚かな俺は、これは好機だと思いました。大切にしている弟が死ねば、あの憎き第二王子に復讐を果たせるかもしれない、と。大切な者を失う悲しみを、あいつに味わわせてやれるかもしれない、と」


 エディ様は執務机に身を乗り出したまま、褐色の瓶を意味ありげに揺らすと、殿下ににこりと微笑みかけた。


「この城に来たあの日、俺はあなたを殺すつもりでした。他ならぬ、第二王子への復讐のために」


「エディ様……!」


 思わずソファーから立ち上がるも、エディ様の言葉が止まる気配はない。殿下はただ、淡い青色の瞳でエディ様をじっと見つめていた。


「あの時のあなたは病んで自暴自棄になっていましたからね。薬と称して毒薬を飲ませるくらい、どうということはなかった。復讐とも呼べないほど簡単な作業だ、と思いながら、俺はこの瓶の中身をあなたに飲ませようとしたんです」


 不敵な笑みを浮かべていたエディ様だったが、やがてどこか懐かしむような笑みを浮かべると、褐色の瓶をことり、と机の上に置いた。


「……でも、あなたは言いましたね。『こんな僕のために、わざわざ辺境の城に来て貰って済まない。オリヴィア共々歓迎するよ、ありがとう』と」


 驚くほど殿下に似た口調で、かつての殿下の言葉を繰り返すと、エディ様は泣きそうな表情で笑ってみせた。


「なんてことない言葉でしょうね、あなたにとっては。でも……妹姫の幻覚に語りかけ、一人で不幸に沈んでいく弟と同じ年のころの少年を前に……毒を飲ませることなんてできませんでした」


 エディ様はテーブルの上に置いた褐色の瓶を指先で撫でながら続ける。


「とりあえず、今夜は止めておこう。そう思い留まっただけなのですが……その繰り返しで、いつの間にか随分時間が経ってしまいました。そうしているうちに、あなたはどの兄弟ともさしたる交流もなく、唯一愛していたのは亡きオリヴィア姫だけ、という事実に気づいてしまったのです」


 長い溜息がエディ様の口から漏れる。あの褐色の瓶の中身は、かつて殿下の命を奪うために使用されようとしていたのかと思うと、急に恐ろしいもののように思えてきた。


「第二王子殿下は大したお方ですね。俺が第二王子殿下を恨み、復讐を果たしたいと願っていることを知った上で、わざわざエルドレッド殿下を慈しんでいるような素振りを見せてから、俺をこの城に遣わせたんですから。そうして俺が第二王子への復讐を果たすために、エルドレッド殿下を手にかけていたら……あの方は、自分の手を汚さずに、俺を使ってあなたを処分することに成功していたわけです」


「処分……って、まさか」


 嫌な予感がする。第二王子殿下がどのような方なのかは知らないが、今までの話を聞いている限りでは、人の命を何とも思っていないような残忍さを持っていることは確かだ。


「……確かな証拠はありませんが、多分、他の王子様や王女様が亡くなられているのも……第二王子殿下の策略である可能性は高いですね。あの方は、王太子殿下に心酔しておられる。王太子殿下の地位を脅かしかねない他のご兄弟のことは、ことごとく処分してしまいたいと考えておられるようです」


「そんな!」


 オリヴィア姫も、第二王子殿下の策略によって命を落としたというのだろうか。思わず殿下の表情を窺えば、淡い青色の瞳が僅かに翳っていた。怒りだとか、そう言った単純な感情を越えた何かを感じて、思わず寒気を覚える。


「証拠の一つでも盗めたら良かったのですが……あの周到な第二王子のことですから、そもそもそんなものは存在しないのかもしれませんね。ましてや、俺の事なんて、第二王子の方も信頼していないでしょうから、余計に隙を見せるはずもない」


 エディ様はどこか申し訳なさそうに小さく笑った。その表情はある意味自然なもので、先ほどまで見せていた演技の表情とは違う、柔らかなものだった。


「……ともかく、第二王子に良いように使われそうになっていると気づいた俺は当然、エルドレッド殿下の殺害を目論むのは止めました。そのころには随分、エルドレッド殿下に情も移っていましたからね。出来ることなら、殿下には幸せになってほしい。……そう願うようになっていました」


 なんて、俺に言われても嬉しくないでしょうね、と笑いながら、エディ様は慈しむように殿下を見下ろす。


「俺は、復讐の好機に気づかない愚者の振りをして、第二王子と連絡を取り合いました。あの方からすれば、予定外の展開だったのでしょうが……エルドレッド殿下がオリヴィア姫の幻覚を見ているうちは脅威にならないと判断したようで、そのまま監視を続けるよう指令が下り、3年もの月日をこの城で過ごしたというわけです」

 

 エディ様はどこか諦めたような眼差しで褐色の瓶を見つめたかと思うと、やがて再びそれを手に取った。どこか寂し気な表情のまま頬を緩めた横顔が、目に焼き付く。


「……でも、それももうおしまいです。エルドレッド殿下を守るため、殿下はまだオリヴィア姫の幻覚から目覚めておられず、セレスティア様に妹姫の面影を見ている、との虚偽の報告を続けていましたが……殿下とセレスティア様が建国祭に赴かれては、俺の嘘はすべて明るみになるでしょう。あの方も、俺からの報告をすべて信じているわけではないでしょうが……虚偽の報告をしていたとばれて生かしておいてもらえるほど、俺は重用されていませんからね」


 優雅な手つきで瓶を撫でるエディ様に、何か不穏なものを感じる。気づけば私はふらり、とエディ様に近付いていたが、彼が晴れやかな笑顔を浮かべて恭しく礼をする方が先だった。


「エルドレッド殿下、セレスティア様、今まで大変お世話になりました。どうか、第二王子殿下にはお気をつけて。お二人が幸せなご夫婦となられることを、俺は……他の誰よりも願っております」


「っエディ!」


 焦ったような殿下の声と、さようなら、と微笑んで、エディ様が瓶の蓋を開けたのはほとんど同時だった。照明の光に照らされて、褐色の瓶の中身がゆっくりと傾く様がやけに克明に映し出されていた。


「エディ様!」


 彼の名を叫ぶとともに、私は殆ど飛びつくようにしてエディ様が持つ瓶に手を伸ばしていた。結構な勢いをつけてエディ様にぶつかったせいか、バランスを崩したエディ様が咄嗟に私を支えつつも床に倒れ込む。


 それと同時に、ぱりん、と瓶の割れる音がした。瓶を払った手に液体が付着したが、痛みなどはない。

 

 エディ様を押し倒すような体勢のまま、至近距離で彼の深緑色の瞳と目が合う。ひどく驚いたように見開かれた瞳には、僅かに涙が滲んでいた。間近で見るエディ様の顔は、確かに万人に受け入れられそうな、すっきりと整った顔立ちをされているように思う。


「寂しいですわ、エディ様! そんな風に、簡単に命を諦めるのは」


「……セレスティア様?」


「少なくとも、自分で死ぬなんて悲しい終わり方はしてほしくありません。あなたは殿下の大切なご友人、私にとってもそうです。せめて、殿下の御沙汰をお聞きしてからでも遅くありませんわ」


 エディ様を押し倒すような体勢のまま彼を励ますというのも妙な構図だったかしら、と場違いなことを考えていると、不意に後ろからぐい、と腕を引かれた。


「っ殿下」


 いつの間にか私の背後には殿下が回っていたようで、そのまま抱きすくめられるように腕の中に閉じ込められてしまう。


「……命を守るためとはいえ、婚約者が他の男を押し倒している場面を見るのは心臓に悪い」


「あ……それもそうですわね。申し訳ありません」


「お前もお前だ。……僕だってまだセレスティアに押し倒されたことなんてないのに」


 殿下は冗談めかした言葉を並べながらも、エディ様にそっと手を差し伸べる。エディ様は軽く上体を起こしながらも、戸惑ったような表情で、殿下の手と顔を見比べていた。


「っ……まさか、俺をお許しになるんですか? あなたを、殺そうとしたのに」


「今吐いた情報で無罪放免にしてやってもいい、というだけだ。それに……僕には味方が少ないんだ。お前が死ねば、代わりの間者が送られてくるだけだろう。そいつを再び懐柔して従わせるなんて面倒を僕に押し付ける気か?」

  

 何だか妙に素直ではない言葉選びだったが、エディ様には殿下の意図がきちんと伝わっていたようで、エディ様の深緑の瞳が僅かに揺れる。


「エルドレッド殿下……」


「どうせ死ぬなら、僕とセレスティアを守るために死んでくれ。その方がずっと有意義だ」


 それだけ言い放つと、殿下は私を片手で支えたまま、もう片方の手でエディ様の腕を引っ張る。半ば強制的に立たされたエディ様は、多少ふらつきながらも、間近で殿下を見下ろした。


「……確かに、それもそうかもしれませんね。セレスティア様が、せっかく身を挺して止めてくれたことですし……」


 エディ様はどこか泣きだしそうな表情でふっと微笑むと、殿下の手を取ったままその場に跪いた。恐らく、殿下に忠誠を誓おうとしているのだろうと察した私は咄嗟に身を引こうとしたが、腰に回された殿下の腕がそれを許してくださらなかった。


「……第六王子エルドレッド殿下に、そしてセレスティア様に、永遠の忠誠を。忠誠の証に、俺の命も、この体も、何もかもを捧げます」


 静かな声で紡がれる忠誠の言葉には、確かな覚悟が伴っていた。その言葉通り、今のエディ様ならば命を賭してでも殿下のことをお守りするだろうと思われた。


「確かに聞き届けた。……これからの動き次第だが……僕はお前のことを信じたい、エディ」


「俺なんかには……身に余る光栄です」


 僅かに顔を上げたエディ様と殿下は数秒間真剣な眼差しでお互いを見つめていたが、やがてどちらからともなくふっと笑い合う。この瞬間、お二人は主人と臣下として、そしてかけがえのないご友人同士としてお心が通じ合ったような気がした。


 やがて殿下は何気なく私を引き寄せ、改めてソファーに座らせると、自身も隣に座って私の手を取った。そのまま胸ポケットから取り出したハンカチで、僅かに薬品で濡れた指先を丁寧に拭ってくださる。


「……殿下、自分で出来ます」


「いいから。じっとしているんだ」


 そうは言われても、まるで抱きすくめられるような形で指先を拭われるこの体勢は何だか落ち着かない。二人きりならばまだいいが、ここにはエディ様もいらっしゃるのだ。


 恥ずかしさを覚えて、ちらりとエディ様を見上げれば、彼はどこか嬉しそうに私たちを見下ろしていた。以前から変わらないことだが、エディ様は私と殿下のことを応援してくださっている。だが、微笑ましいものを見るような目で見守られると、余計に恥ずかしさが増すことも確かだった。


「……それで? エディ、お前は今も第二王子に僕がオリヴィアの幻覚を見ていると報告してるのか?」


「……はい。殿下がオリヴィア姫の幻覚からお目覚めになったことを知っているのは、この城の住民とレナード殿下だけです」


「レナード義兄上も僕と同じく第二王子と大した交流もないだろうから……そうか、じゃあ、第二王子はまだ僕が幻覚を見ていると信じている可能性が高いんだな」


「恐らくは」


 殿下は私の指先を拭き終えると、私たちの傍に控えたエディ様を見上げて、どこか不敵な笑みを見せる。


「じゃあ、この状況を上手く使わないわけにはいかないな。お前がこのまま第二王子の信頼を得てくれた方が、掴める情報もあるかもしれない」


「では、建国祭に赴くのは中止にいたしますか?」


 思わず、殿下とエディ様を見比べるようにして問いかける。殿下が幻覚から醒めている今、私をセレスティアとして扱っている殿下のお姿を第二王子殿下がご覧になったら、エディ様の報告が虚偽だと分かってしまう。そうなれば、エディ様が危惧しておられる通り、エディ様の身が危ない。


「……あるいは、僕が未だにセレスティアにオリヴィアを見ている演技をするか、だな」


 殿下はどこか苦々しい笑みを見せると、さらり、と私の髪を一房手に取った。


「……一芝居打ってくれるかい、セレスティア」


「え……?」


 殿下はふっとどこか意味ありげな笑みを深めると、弄ぶように私の髪を指先に絡めたのだった。

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