第2話

 招待状が届いた翌日、私はエディ様の姿を探して、お城の中をぐるぐると巡っていた。行き違いになっているのか、いつもいるはずの図書室や殿下の書斎にことごとくいらっしゃらないのだ。


 ナタリーやすれ違った使用人にエディ様の行方を尋ねてみても、今日は姿を見ていないという答えが返ってくるばかり。


 昨日のらしくないエディ様の姿を思い浮かべては、もやもやと小さな不安がくすぶった。怯えの混じった深緑色の瞳を思い出す度に、きゅっと胸の奥が締め付けられるようだ。


 私などでは出来ることは限られているだろうが、話を聞くくらいならできるかもしれない。一方的かもしれなくとも、友人と思っているエディ様を放っておくことなど出来ず、私は彼の姿を探して城の中を歩き回っていた。休むことなく彼の姿を探し回りながらも、昨日、エディ様を探ろうと決めたきっかけを思い出す。






 昨日、エディ様が去った後の書斎で、私と殿下はしばらく物思いに耽っていた。共通するのはお互いエディ様のことを考えていたということと、彼を案ずるという気持ちだろうか。


「……あいつは……エディはとても優秀で、信頼もしているが……決して、自分を見せない奴だ」


 ぽつりと殿下が零したのは、殿下が前々から抱いていたエディ様への印象だった。


「3年も傍にいるのに、思えば僕はあいつの出身地も家族の話も何も知らない。……本が好きで知識に貪欲ということ以外、何も知らないんだ」


 あくまでも仕事と割り切るのならば、それもいいだろう。だが、違和感を覚える程度にはエディ様は極端にご自分のことをお話しにならないらしかった。


 殿下が語ったエディ様への印象は、この城に来てから数か月も経っていない私とほとんど変わらないものだ。そうなると、エディ様は意図的にご自分にまつわる情報を隠している、と考えても不自然はない。


 そういった意味では、むしろ先ほどのエディ様の動揺は、彼にしては珍しく表に出した自分の姿、ということになるのだろうか。


「……私、エディ様にお話を聞いてきます。殿下に建国祭に行ってほしくなさそうな雰囲気も感じられたことですし、気にかかることがたくさんありますもの」


 エディ様抜きであれこれと考えていても仕方がない。ここは直球に尋ねてみた方がいいだろう。


「……そうだね、僕もそれとなく探ってみることにするよ。いい機会だ。エディのことをもう少し調べてみようと思う」


 どことなく物憂げな瞳で殿下はそう告げると、届いたばかりの招待状を複雑な面持ちで見つめていたのだった。




 そういうわけで、一日が経った今日、早速私はエディ様のお姿を探しているのだ。建国祭に行くにしても行かないにしても、ともかく、昨日の動揺の理由を尋ねてみないことには話が進まない。


 エディ様は図書室にも、書斎にもいらっしゃらない。だとしたら、一体どちらにいるのだろう。


 だが、半ば途方に暮れるようにして、廊下の窓から庭を見下ろしたその瞬間、偶然にも黒髪の青年が枯れた向日葵の迷路の中に消えていくのを見てしまった。


「……エディ様」


 珍しいこともあるものだ。彼が、本も読まずに外をぶらつくなんて。


 やはり、エディ様は昨日からどこかおかしい。ますます胸騒ぎを覚えながらも、私は早速、お城から庭へと飛び出したのだった。




 すっかり枯れ果て、しなびた向日葵の迷路は、鮮やかな夏の記憶を呼び覚ますにはあまりに寂しい場所だった。枯れた向日葵の間に隙間があるお陰で、夏のように迷うことはない。


 エディ様の黒髪は、枯れた向日葵の中でもすぐに見つけることが出来た。迷路の途中で茫然と立ち尽くすようなエディ様の姿は、どこか異質で、浮かび上がるような存在感を放っていた。


 その横顔には、やはりいつものような穏やかな表情はない。代わりに、無機質というに相応しいほど冷たい目で、枯れ落ちた向日葵を見つめている。


 いつか、図書室で見かけたエディ様もこのような調子だった。あの時は確か、第二王子殿下からのお手紙を手になさっていたのだっけ。


「エディ様」


 向日葵の迷路から顔を出し、彼の名を呼べば、エディ様は驚くほどの早さでいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。いつかの図書室でも思ったことだが、この表情の切り替えの早さには違和感を覚えてしまう。


「これはこれはセレスティア様。このような寂れた迷路でお散歩なんて、殿下が知ったらきっとご心配なさりますよ」


「いいのです、エディ様を捜していたのですから」


 私のその言葉に、エディ様の微笑みが一瞬引き攣った。見慣れたこの穏やかな表情を私は好ましく思っていたのだが、もしかすると彼の意思とは無関係に取り繕われた微笑みなのかもしれない。


「私を? 一体何の御用でしょうか? あまり二人きりでいると、殿下に睨まれてしまって敵わないのですが」


 冗談めかしたエディ様の言葉を、曖昧な微笑みで流しながら、彼の隣に立って枯れた向日葵を見つめる。

 

「……向日葵、枯れてしまいましたね」


 当たり障りのないことを呟けば、隣に立ったエディ様も私の視線を追うようにして、向日葵に向き直った。


「そうですね、そろそろ庭師が片付けてしまうでしょうから、今年の向日葵も見納めです」


 結局、オリヴィア姫の墓標に向日葵を供えることは叶わなかった。もしも来年があるのなら、次の夏こそはオリヴィア姫に会いに行こう。


 エディ様と並んで、しばらくの間枯れた向日葵を眺める。彼の昨日の動揺の訳を聞きたいが、どのように切り出すべきだろう。なるべく不自然にならないような言葉を選ばなければ、と逡巡しているうちに、ぽつり、とエディ様が口を開いた。


「……私がこの城に来たときも、枯れた向日葵がこの庭を彩っていました」


 古い御伽噺でも語りだすかのように、エディ様はとても遠くを見つめるような目をしていた。彼はそのまま、ぽつり、ぽつり、と独白を続ける。まるで私がエディ様のことを探ろうとしていたことを見透かしているかのような素振りだった。


「あのときのジャスティーナ城は本当に……息がつまるほど陰鬱な場所でした。オリヴィア姫の幻覚に話しかける殿下と、殿下のことを案じながらも遠巻きに眺めることしか出来ない使用人たち……。叶うことならば、今すぐに逃げ出したい、そう思ってしまうほどに息苦しい場所だったんです」


 だが、その言葉とは裏腹に弱々しい微笑みを浮かべるエディ様の横顔には、明らかにそのころを懐かしむような表情が窺えた。普段の穏やかな微笑みに比べれば本当に些細な表情の変化だけれども、とても自然な面持ちだった。


「でも……エルドレッド殿下を放っておくことはできなかった。初めはただ仕事としてお仕えする王子としか思っていませんでしたが……世間から忘れ去られ、最愛の妹姫を失い心を病んでしまった殿下はあまりにも寂しい方で――恐れ多い話ですが、いつしかあの方を憐れむようになっていたのだと思います」


 エディ様はふっと笑うと、深緑の瞳でちらりと私を一瞥した。


「それに……殿下は私の弟妹たちと同じくらいの歳なのです。一人で悲しみに沈んでいく殿下を見ていると、弟妹達のことを思い出してしまって……余計に感情移入してしまいました」


「……エディ様には、ご兄弟がいらっしゃったのですね」


 エディ様の家族構成なんて初めて知る。苗字からして、エディ様はバイロン子爵家の方だとは察していたが、ご兄弟がいらっしゃったとは。


「はい、もうずいぶん昔に死んでしまいましたが」


「……え?」


 淡々と、何でもないことのように告げられた悲しい事実に、思わず眉を顰める。ほとんど無意識のうちに、私はエディ様と向き直るように彼の顔を見上げていた。


「死んでしまったんです、一人残らずね。とても……とても大切にしていたのに。あっけなく、の目の前で……」

 

 どこか遠いところを見つめるようなエディ様の瞳には、諦念と明らかな憎悪の色が見て取れた。エディ様の目の前でご兄弟が命を落とすなんて、穏やかな話ではない。


「……賊にでも襲われたのですか?」


「そうですね、それに似たようなものです」


 社交界の噂に疎いせいで単に私が知らないだけかもしれないが、子爵家とはいえ貴族の家の子どもが襲われ命を落としたなんて物騒な事件は、もっと周知されていてもいいはずだった。でも、まるで心当たりがない。その事実にもまた、胸騒ぎが増長していく。


「だから……弟妹達と同じ年ごろの殿下を見ていると……殿下の不幸を見過ごせないような気持ちになってしまったんです。弟妹達の分も、なんて押し付けがましいことは絶対に言えませんが、殿下には、幸せになってほしかった。そう願っているうちに……もう3年も経っていたんですね……」


 エディ様はゆっくりと目を閉じて、頬を緩めた。どこか安らかなその微笑みは、何かが吹っ切れた証のような気もして、穏やかな気持ちで眺めていられるものではない。


 殿下の言っていたことが少しわかる気がする。エディ様は決してご自分をお見せにならない。とても親切にしてくださるけれど、いつだって一線を引かれているような気がしてならないのだ。


「……でも、ようやく、殿下も幸せになれそうだ。セレスティア様、あなたが来てくださったから」


 エディ様は深緑の瞳を細めて笑うと、そっと私の手を取った。エディ様から触れてくるなんて、珍しいこともあるものだと驚いていると、彼は敬意を示すように私の手の甲にそっと口付けを落とした。


「……私が申し上げるのもおこがましいとは分かっておりますが……殿下のこと、よろしくお願いします。あなたがいてくだされば、この城はきっと陽だまりのように温かい場所になるはずですから」


 少なくとも私は殿下に嫌われていない、というだけの存在なのに、随分大袈裟な表現だ。だが、それに戸惑う以上に、私に殿下を託すようなエディ様の言動が気にかかった。


 これではまるで、エディ様がこのお城からいなくなるかのようではないか。胸の奥で燻っていた不安が今までないほど膨らんでいる。


「エディ様……?」


 彼の名を呼ぶ私の声は、自分で思っていたよりも不安げに揺れるものだった。エディ様はどこか寂し気な微笑みを見せると、私の呼びかけに答えることも無く、枯れ果てた向日葵の迷路の中に姿を消してしまったのだった。

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