第6話

「セレスティア様、こちら、エルドレッド殿下からの贈り物でございます」


 私室に運び込まれてきたいくつかの贈り物の箱に手を伸ばす。そっと蓋を開けてみれば、つい先日の朝食の際に纏っていた深い青色のドレスと似た系統の、柔らかなミントグリーンのドレスが丁寧にしまい込まれていた。さらさらとした手触りは明らかに上質なもので、何だか気後れしてしまう。


「このドレス、セレスティア様によくお似合いになりそうです! 早速お召しになってはいかがですか?」


 まるで自分に贈り物が届いたかのようにはしゃぐナタリーに、曖昧に笑いかけながら、私はこの贈り物の意図を考えていた。


 いや、何もこの贈り物に限った話ではない。ここ数日の殿下は、妙にお優しいのだ。罪人相手には、不自然すぎるほどに。


 それこそ――私が口にするのはおこがましいと承知の上だが――まるで婚約者として丁重に扱われているかのような錯覚を覚える。


 会話こそ少ないものの、可能な限り食事は共に摂り、晴れていれば午後に向日葵の様子を見に行ったりもする。城内でばったりと鉢合わせれば、殿下は信じられないほど穏やかな微笑みを浮かべて、まるで慈しむかのように私を見るのだ。


 これには流石に違和感を覚える。エルドレッド殿下は、私に暴言を吐くほどに私のことがお嫌いであることは確かなはずなのに、私に笑いかけたり贈り物をしたりするなんて考えにくい。


 まさか、再び私に「オリヴィア姫」の幻覚を見ていたりするのだろうか。


 殿下が私に優しくなった数日前から薄々考えていたことだが、そう思えば妙に納得がいく気がして途端に不安になった。折角幻覚から醒めたというのに、大嫌いなセレスティアが傍にいるというストレスで、再び殿下の御心に負担をかけてしまっていたのだとしたら、死んでも償いきれない。


 これは、殿下の主治医であるエディ様に相談してみた方がいいだろう。一人そう決心すると、贈り物のドレスをクローゼットに仕舞うようナタリーに頼み、私室を後にしたのだった。




 エディ様の行動パターンは、大抵二つしかない。殿下のお傍に付き従っているか、知識欲を満たすために図書室に籠っているかだ。このところは殿下の御心の調子がいいと判断されているようで、図書室でお見掛けすることが多い気がする。

 

 白銅色の地味な普段着を纏った私は、黙々と図書室に向けて足を運んでいた。図書室にいなければ、また時間を改めるしかない。


 すれ違いざまに、使用人たちに簡単な挨拶をしながら廊下を歩き続ける。「オリヴィア姫」を演じていた今までは明るい色のドレスばかり身に纏っていたせいか、中には白銅色の普段着姿の私を珍しがっている人もいたようだが、私にはこういった色合いの方が馴染んでいる気がした。


 殿下からの処分を待つ身であるが、城の中はこうして自由に歩くことを許可されている。殿下のお気持ちを考えると、むやみやたらに出歩くわけにはいかないが、私室に軟禁されないと言うだけで心の在り方は随分違う。

 

 やはり、殿下は寛容な王子様だわ、と改めて感心しながら、私は図書室の扉をそっと開けた。


 古びた紙の香りが、優しく私を出迎えてくれる。私はこの瞬間がとても好きだ。人に誇れるほどの読書家というわけではないけれども、本は好きな方であると自負しているので、この城の図書室に初めて足を踏み入れた時にはそれはもう感動したものだ。


 背の高い本棚にぎっしりと詰め込まれた本は、一体何年かかったら読み切れるのだろう。専門書から大衆向けの恋愛小説まで何でも揃っているこの図書室は、まるで夢のような場所だった。


 だからこそ、この場所に籠りたがるエディ様の気持ちはよくわかる。意外にも彼は、医学書以外も手にしていることが多いのだ。時には恋愛小説であったり、歴史書であったり、遠い外国の文字で書かれた宗教の本であったりと、実に様々なものに興味を示しているようだった。


 もしも図書室にいたら、今日も彼は意外な書物を手にしていたするのだろう。それが少しだけ楽しみで、私はエディ様の姿を捜して回った。


 彼は、すぐに見つかった。本棚から少し離れた、陽の差し込む閲覧室で、窓に向かって佇んでいた。


「エディ様――」


 そう呼びかけようとして、口を噤んでしまう。いつも理知的な雰囲気を漂わせる横顔が、いつになく曇り、苦し気に眉を寄せていたからだ。


 エディ様の深緑の瞳は、一枚の手紙に釘付けになっているようだった。無造作に指に挟まれた封筒には、見覚えのある赤い封蝋が施されている。王家の紋様を基本とした封蝋のようだが、紋章の中に描かれている動物は白鳥だった。


 現在ご存命の四人の王子様と二人の王女様は、皆それぞれ固有の紋章を持っている。基本は王家の紋章なのだが、描かれている動物がそれぞれ違うのだ。


 例えば、エルドレッド殿下の持つ紋章には梟が、レナード殿下の持つ紋章には馬が描かれていたはずだった。


 白鳥は、一体どなただったかしら、と考えを巡らせて、すぐに分かった。


 第二王子セドリック殿下だ。正妃の二番目の王子様で、病弱なためあまり表舞台に出て来ないことで有名だ。同腹の兄である王太子殿下のことを支持しており、王室内では珍しい仲の良い兄弟としても有名だった。


 そんな第二王子殿下とエディ様に接点があったなんて。多少驚きつつも、医師であるエディ様ならば、第二王子殿下の診察をする機会もあったのかもしれない。


 仮にそうだとしたら、エディ様はまだ二十代だというのに大変立派なお医者様だ。二人の王子の病を診た経験があるなんて、それだけで一生の名誉と言ってもいい。


 何より、エディ様が医師として心優しく、思いやり深い方であるということはよく分かっていた。本当に、文句の付け所の無い青年だ。


 私の周りには素晴らしい方々ばかりね、と思わず感嘆の溜息をつきそうになるも、いつまで経っても晴れないエディ様の横顔は、何だか気にかかるものがあった。


 ……第二王子殿下の具合でも悪いのかしら。


 良くない知らせを受け取ったばかりならば、一旦席を外した方が良いだろう。エルドレッド殿下のことを後回しにするわけにはいかないが、急を要するというわけでもないのだ。


 そう決心し、図書室から去ろうとしたところで、いつも通りの穏やかな声に呼び止められた。


「これはセレスティア様、いかがなされましたか? 何か本をお探しでしょうか?」


 振り返った先にいたのは、驚くほど普段通りのエディ様だった。先ほどまで手にしていたはずの手紙も、上着に隠したのかまるで存在を悟らせない。


 自分の感情を曝け出すことに抵抗のある人は一定数要るが、エディ様のこの完璧なまでの「普通」の演じ方には、妙に引っかかるものがあった。先ほどまであれだけ浮かない顔をしていたというのに、それを悟らせる気配が一切ない。


 つかみどころのない人ではあったのだが、ますます本当の姿が見えなくなったような気がして、一瞬言葉に詰まってしまった。だが、私の言葉を待つように穏やかな微笑みを浮かべる彼を見て、気を取り直して口を開く。


「いえ……今日は本を探しに来たわけはないのです。エディ様にご相談がありまして……」


「私に? 何でしょう? 体調でも優れませんか?」


 エディ様にエスコートされるようにして閲覧室の椅子に腰かけるなり、早速本題を口にした。第二王子殿下のことも気になったが、今はいいだろう。


「私ではなく、エルドレッド殿下のことで……」


「殿下がまた何かセレスティア様にご無礼を?」


 深緑の瞳を細め、またかとでも言いたげな表情は、殿下の友人だからこそできるものだ。きっと、私が思っている以上に殿下とエディ様は仲がよろしいのだろうな、などと微笑ましく思いながらも、懸念していることを口にした。


「実は……殿下が、私に妙に優しくしてくださるのです」


「まあ……それは、そうでしょうね」


 エディ様は拍子抜けしたと言わんばかりに、瞳を揺らして私を見つめている。もしかして、エディ様もこのところの殿下の異変に気付いていらっしゃるのだろうか。


「やはり、エディ様の目から見ても違和感があるのですね……」


「違和感というか、食傷気味というか……」


「今も何か治療をなさっているのですか?」


「いやあ、あの手の病に効く薬は無いですからね」


 お医者様であるエディ様にそんなにはっきりと言われてしまうと、何だか落ち込んでしまう。心の病は体の病より、ときに治療が難しいこともあるだろうが、エディ様にまるで匙を投げるような言い方をされてしまうと心細い。


「でも、一度は良くなったのに、殿下が再び私にオリヴィア姫の幻覚を見ているとしたら……それはやはり、私の存在がストレスになっている証なのでは――」


「――ちょっとお待ちください。殿下がセレスティア様にオリヴィア姫の幻覚を見ている? それはもうないと思いますよ。今朝だって、ちゃんとあなたのことをセレスティアと呼んでいたではありませんか」


 それは確かにそうだ。この数日、殿下が私を「オリヴィア」と呼んだことは一度だって無い。


「ですが……そうだとしたら、殿下が私に優しくしてくださる理由が見当たりません。私に笑いかけてくださったり、贈り物を下さったり……。どう考えてもセレスティアに対する態度ではないのです。エディ様を疑うわけではありませんが、今一度殿下のお心を診察なさってくださいませんか?」


 何度考えたって、この数日の殿下は異常なのだ。何か異変があるのならば、早々に手を打った方がいい。罪人の身で頼み事などおこがましいとは承知しているが、せめて初恋の相手が健やかにあるよう祈ることだけは許してほしい。


「……その、セレスティア様は、殿下の想いを察しておられるのですよね?」


「もちろんです。痛いほどわかっておりますわ」


「……不躾ながら、それがどんなものか伺っても?」


「言うまでもなく、殿下は私のことを嫌っておられるはずです。忘れもしませんわ」


 殿下に暴言を吐かれた5年前のあの夕暮れのことは、忘れたくても忘れられない。思い出すだけでずきりと痛む胸を押さえ、私はエディ様の表情を窺った。


 彼は、今までに見たことが無いほどに困惑しているようだった。理解不能な難題に直面したと言わんばかりに眉を顰めると、やがて大袈裟なくらいの溜息をついた。


「ああ、これ、なにも伝わってないじゃないですか……」


 間を置かずにもう一度深い溜息をついたエディ様は、何だか一気に疲弊したようにも見える。


「傍観者の立場はいつだって楽しいものですが……あなたたちを見ているともどかしくてなりませんね」


 どこか呆れたような笑みを向けられ、何か彼の気に障っただろうかと肩を竦める。


「ですが、どうやったって私は傍観者に過ぎない。私から種明かしをするような無粋な真似は控えますが……あの能天気な王子様には一言言っておきますね。あなたに何をしたらそんな風に思われてしまうのか知りませんが……恐らく、非はあちらにあるのでしょうから」


 セレスティア様は今まで通り、ゆったりとお過ごしになっていてください、と柔らかな笑みを向けられたかと思えば、彼は席を立ってしまった。


「では、早速殿下に一言申して参りますので、これにて失礼いたします。お部屋にハーブティーでも運ばせておきますね」


「……お心遣い、痛み入ります」


 私もつられるように席を立って礼をすれば、エディ様はいつものように穏やかに微笑んでくださった。やはり、掴みどころのない人だ。


 ……それに、やたらと「傍観者」と繰り返すところも気になるわ。


 殿下の一番のご友人でありながら、傍観者でしかないと思い込んでいるなんて。何だかそれはとても寂しいことのような気がした。私だって、エディ様のことはただのお医者さまではなく、殿下の、そして一方的だったとしても私のお友だちとして大切に想っているのに。


 本の海の中に遠ざかっていく彼の後姿を見送りながら、寂しさにも疑念にも似た妙な感情を何とか静める。人の心は見えないものだけれど、エディ様の心は殊更に見えにくいようだった。

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