第5話(エルドレッド視点)

「やけにご機嫌ですね」


 朝食を終え、書斎の机に向かっていた僕に、怪訝そうな表情をしたエディが話しかけてくる。どことなく不躾な態度はいつものことだが、今は不思議と苛立ちを覚えない。


「セレスティアと朝食を摂ったんだから当然だろう」


 さらさらと書類にサインを落としながら、机の隅に積み上げる。普段は煩わしさしか感じない作業も、不思議なくらいさくさくと進む。


「……殿下の謝罪が、きちんとセレスティア様に伝わっているようなら何よりですが」


「心配性だな、謝罪どころか、この恋心までちゃんと伝わっていたというのに」


 エディに言うことでもなかったかもしれないが、堪え切れず言ってしまった。それくらい、僕は浮かれていたのだ。もちろん、それと同じくらい心を抉る出来事もあったのだが、あまりに醜い部分をこれ以上友人には見せたくなかった。


「殿下の想いが……? まさか」


 エディは信じられないとでも言いたげな眼差しで、立ったまま僕を見下ろしてくる。エディの反応も無理はない。僕だってそれはもう驚いたのだから。


「そのまさか、だよ」


 僕は書類にサインをしていた手を止めて、つい先ほどの幸福な、それでいて僅かな痛みも知った朝食について思い返した。




 朝食の席に姿を現したセレスティアは、朝から輝くばかりの美しさだった。


 光の角度によって刺繍が浮き出るような深い青色のドレスは、朝の空気感にはあまり馴染まないはずなのに、セレスティアが着こなすとこの上なく爽やかでよく似合っていた。オリヴィアを演じていた時に纏っていた派手なドレスよりも、こういった落ち着いた色合いの方がセレスティアにはお似合いのようだ。


 優雅に結い上げられた白銀の髪は、ちょっとした陽の光さえも反射していて美しいとしか形容しようがない。オリヴィアも確かに見事な白銀の髪を持っていたが、セレスティアほどではなかったような気がする。


 何より、南の海を思わせる深い青色の瞳が、どこか物憂げに伏せられている様に目を奪われてしまった。あの日、僕がセレスティアへの恋心を自覚したあの図書室の席で見たものと同じ、どこか寂し気な横顔だった。


 思いきり笑えば、その場にいるあらゆる人間の心を虜にすることは間違いないというのに、どこか切なそうに笑う彼女が気にかかって仕方がない。


 物憂げな横顔も形容しがたい色気があって好ましいが、それでもいつか、彼女が思いきり笑う姿を見てみたいものだ。


 ……その笑顔の要因が、僕にまつわることであればもっと嬉しいんだけどな。


 自分でも恥ずかしくなるくらい夢中になっているな、と気づいて彼女から視線を逸らす。彼女への想いを募らせる前に、僕にはやるべきことがあるというのに。


 そう、セレスティアを朝食に誘ったのは、もちろん一緒に食事を摂りたかったからという理由もあるが、それ以上に、改めて謝罪するチャンスを伺っているからなのだ。


 まずは昨日の今日で、セレスティアがどんな状態にあるのかを知ることから始めたかったのだが、聞くまでもない。どこか思いつめたようなその表情からして、昨日の僕の横暴な態度が彼女を少なからず傷つけていることを知り、思わず胸が痛むのを感じた。


 きちんと、謝らなければ。昨日のことだけではない。彼女にオリヴィアの面影を押し付けていたことも含めて、全部だ。


 そのタイミングを見計らっていると、ふと、テーブルを挟んで座ったセレスティアの指先が細かく震えていることに気が付いた。


「……怯えているのか?」


 たったそれだけの問いに、セレスティアはびくりを肩を震わせる。驚かせてしまっただろうかと内心反省しながらも、彼女の言葉を待った。


「……ご無礼をお許しください。怯えるなんて、そんなこと――」


「無理をしないでほしい。……昨日の僕の態度を考えれば、怯えるのも当然だろう」


 気丈に振舞おうとするセレスティアを見ていられなくて、思わず彼女の言葉を遮ってしまった。怯えるほどに彼女を怖がらせてしまったなんて。もう少し自制が利かなかったものか、と今更どうにもならない後悔に胸を締め付けられる。


「いえ……殿下が私に抱くお気持ちを考えれば……昨日の一件は致し方ないことかと」


 僕が、セレスティアに抱く気持ち?


 彼女にそう指摘されて、確かに心臓が跳ねたのが分かった。思わず目を見開くようにして、セレスティアを見つめてしまう。


「僕が君に抱く気持ち……って、まさか、セレスティア、僕が君に向ける感情を察しているのか?」


 一体僕の今までの行動のどこに、この想いを察する機会があったというのだろう。知りたいような、どこか気恥ずかしいような気持ちでセレスティアの言葉を待った。


「……あのような態度を取られて、気づかない人間がいるとはとても思えませんわ」


 はっきりとそう言い放ったセレスティアに思わず感心してしまう。彼女はどこまでも相手のことを深く見つめているようだ。


 昨日の僕のあの態度を、嫉妬から来る横暴だと見抜けるなんて。セレスティアは美しいだけでなく、聡明なご令嬢らしい。僕には勿体ないくらいの婚約者だ。


 恐らく、恋愛においては嫉妬深く、束縛しがちな性質であるとつい昨日悟った僕にとっては、セレスティアのその寛容さは非常にありがたいものだった。もちろん、僕だって気を付けるようにはするが、セレスティアが他の男と話していたりしたら、どうしたって昨日のような態度をとってしまうことはあるだろう。


「そうか……そんなに分かりやすかったか」


「はい、子どもでも分かると思いますわ」


「そんなに?」


「ええ……」


 それは意外な返答だ。僕のあの天邪鬼な行動を見て、ここまでの寛容さを見せてくれるのはセレスティアくらいだと思うのだが。


 あるいは、自分でも気が付かないうちに腑抜けた表情でも見せてしまっていたりするのだろうか。そうだとするならばやはり何だか恥ずかしくて、思わずグラスに注がれた水を呷った。


「殿下のお気持ちはきちんと理解しているつもりですから、ご心配には及びません」


「……そうか、セレスティアは察しの良い令嬢なんだな。僕の気持ちを分かってくれて嬉しいよ」


 きちんとした謝罪も儘ならぬままに、こうしてこの想いを受け入れてくれるなんて。思わず感動してしまった。こんなにも幸せで、僕にとって都合の良い展開が許されるのだろうか。


 だが、舞い上がっていた僕の気持ちを引き戻すように、不意にセレスティアが真面目な面持ちで口を開いた。珍しく真っ直ぐにこちらを見つめるセレスティアの瞳はやはり美しくて、ちょっとした瞬間にも見惚れてしまう。


「……殿下、お願いがございます」


 セレスティアの望みなら、なんだって叶えたい気分だ。世間から忘れ去られた存在とはいえ僕の身分は第六王子。恐らくできないことの方が少ないはずだ。


 だが、続くセレスティアの言葉に、浮ついていた心が一気に冷やされることになる。


「どうか、レナード殿下にお手紙を出す許可をいただけませんか」


「……義兄上に?」


 セレスティアの瞳は、とても真剣だった。僅かにも揺らぐことなく真っ直ぐに僕を見据えるその強さが、彼女が義兄上に向ける想いの強さをそのまま表しているようで、ずきり、と胸が痛む。


 ……そうだよな、僕の気持ちを察したからと言って、セレスティアが僕のことを好きになってくれるわけじゃないのに。


 ごく当たり前のことを、痛いくらいに思い知らされた気がした。だが、当然セレスティアを責めるわけにはいかない。僕の想いを察してくれている時点で、既に十分すぎるくらいなのだから。


「はい、現状をお伝えし、今までお世話になったお礼を述べさせていただきたいのです」


「……現状を伝えて、どうするつもりだ?」


 自分でも驚くほど、冷え切った声が出た。後悔したばかりだというのに、やはりセレスティアの心が他の男のもとにあると考えただけで、腸が煮えくり返りそうだ。


 現状を伝える、というのは、どうやら彼女は僕に愛されてしまっているらしい、ということを伝えるのだろうか。真面目な彼女のことだから、僕の婚約者としてこの想いに応じようとしてくれているのかもしれない。


「……お別れをする、覚悟を決めさせていただきたいのです」


 そう告げたセレスティアの深い青色の瞳には、確かに悲しみが浮かんでいた。きっとそれくらいに、義兄上のことが恋しいのだ。それでもなお、僕の婚約者として僕に向き合おうとしてくれていることは嬉しいが、彼女にこんな表情をさせられる義兄上が羨ましくもあった。


 ああ、どうやら僕が欲しいのは、彼女の笑顔だけではないようだ。


 ……彼女の笑みも涙も憂いも困惑も、何もかもが欲しい。彼女の浮かべる全ての表情の原因が、僕であればどんなにいいだろう。


 仄暗い感情と共にそんな願いを抱いてしまうくらいには、僕はセレスティアに恋い焦がれていた。


「……そうか、君はやっぱり義兄上のことを――」


 そう言いかけて、やめた。心優しいセレスティアはこの場で否定しようとするかもしれない。そうではなかったとしても、彼女の口から義兄上を想っているとはっきり告げられたら、しばらく立ち直れなくなりそうだ。


「……悪いが、僕は狭量な男なんだ。君のその最後の願いすら、叶えさせたくない」


 健気なセレスティアが、想い人に宛てた最後の恋文すら許せない自分の心の狭さに、嫌気が差した。こんな調子では、セレスティアに好かれるなんて夢のまた夢だ。


 セレスティアは、手紙を出す許可が下りなかったことを、彼女がオリヴィアを演じていたせいだと思い込んでいるようだったが、それは違うと念入りに否定しておいた。それに便乗して、改めて謝罪もする。今の僕に出来ることは、これくらいしかない。


「だが、それは別として……やはり、君が義兄上に手紙を出すことは許せそうにない。僕が君に向ける感情は、それだけの想いなんだ。分かってくれ」


 一方的に思いを押し付ける僕は、きっと卑怯だ。彼女はこの城から逃げ出せないということを知っていて、こんな風に告げることしか出来ないのだから、我ながら情けないと思う。


 でも、それでも告げたかった。情けなくてもいい、醜くてもいいから、彼女にこの想いが伝わって、願わくばこの想いのひとかけらでもいいから、僕に返して欲しかった。


 我ながら浅ましいな、と思わず自嘲気味な笑みが零れたことは誰にも内緒だ。


 そうして、衝撃とどこか切なさの漂う朝食は幕を下ろしたのだった。

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