第4話
気まずい、非常に気まずい。
機械的にナイフとフォークを動かしながら、私は黙々と朝食を口に運んでいた。ジャスティーナ城専属のシェフによって作られた料理は絶品であるはずなのに、不思議と今は何の味もしない。
ナタリーに案内されるままに殿下の元へやってきたはいいものの、ろくな言葉も交わされない非常に気まずい朝食の時間が流れていた。殿下も殿下で、淡々とした声で私に挨拶を告げた後は、殆どこちらに目をくれることも無く、料理と向き合っている。
焼き立てのパンをちぎりながら、この状況下で私に出来ることを考える。顔も見たくないはずの私をわざわざ朝食の席に呼び寄せたということは、やはり改めて私に謝罪を求めているのだろうか。
だとすれば、タイミングを間違えるわけにはいかない。間の悪いときに口を開けば、一層殿下の怒りを買いかねない。
慎重に、慎重に。そう自分に言い聞かせていると、自然と指先が震えてきた。それを誤魔化すように慌てて千切ったパンを口元に運ぶも、事もあろうに向かい側の席に座った殿下と目が合ってしまった。タイミングとしては最悪だが、ようやく、殿下のお顔を正面から見られたような気がする。
心なしか、殿下はお疲れのように見えた。それもそうだろう。幻覚から目覚めたはいいものの、大嫌いな女が婚約者の座に居座っているのだ。心安らかに眠れるはずもない。
その事実に改めて申し訳なさを感じて、情けなくも視線を伏せてしまう。謝ろうにも、上手く声が出て来なかった。
ああ、本当に自分の性格が嫌になる。我ながらじれったいと思ってしまう。
このところ「オリヴィア姫」を演じていたせいで、自分のことをいくらかまともな令嬢だと思い込んでしまっていたのかもしれない。自らも欺く演技だったというのならば、それはそれで才能を見出しそうになってしまうが、今は手放しに喜べるような状況でもなかった。
ああ、でもそうね、殿下に婚約破棄された後、貴族としての身分も剥奪されたりしたならば、芝居小屋の役者にでもなろうかしら。
他の役者たちに到底才能は及ばなかったとしても、少なくともこの白銀の髪は珍しがられるはずだ。役を貰えるようなこともあるかもしれない。
それはそれで悪くない人生だわ、と妙に前向きな気持ちが湧き上がってきたそのとき、不意に殿下がぽつりと呟く。
「……怯えているのか?」
静かな口調だったが、指先の震えを悟られたことに驚いてびくりと肩を震わせてしまう。事実、その通りなのだが、肯定するのもあまりに無礼だ。私は無理やり笑みを浮かべてみせたが、どうにも引き攣ったようなものになってしまう。
「……ご無礼をお許しください。怯えるなんて、そんなこと――」
「無理をしないでほしい。……昨日の僕の態度を考えれば、怯えるのも当然だろう」
殿下がナイフとフォークを置くのを見て、私もそっと食事の手を止める。テーブル越しの殿下の淡い青色の瞳は本当に美しくて、私には直視できなかった。不自然なくらいに、ふいと視線を逸らしてしまう。
「いえ……殿下が私に抱くお気持ちを考えれば……昨日の一件は致し方ないことかと」
むしろ、大嫌いな私に対して謝罪までしてくださったのだ。私情は別にして、自分の行いを悔いた際にきちんと謝ることが出来るというのは、当たり前のようでいて意外に難しいことだ。やはり、エルドレッド殿下はとてもよくできたお方なのだと思う。
「僕が君に抱く気持ち……って、まさか、セレスティア、僕が君に向ける感情を察しているのか?」
妙に慌てたような素振りを見せる殿下に、軽く眉を顰めてしまう。いくら私が鈍そうに見えるからと言って、そこまで馬鹿ではない。
「……あのような態度を取られて、気づかない人間がいるとはとても思えませんわ」
ご丁寧に「僕の傍に近寄るな」とまで言ってくださっているのだ。誰が聞いたって、自分が殿下に嫌われているのだと思うだろう。
「そうか……そんなに分かりやすかったか……」
「はい、子どもでも分かると思いますわ」
「そんなに?」
「ええ……」
それは恥ずかしいな、などと言いながら殿下はグラスに注がれた水を軽く呷った。あれだけ直接的な嫌悪を口にしておきながら、今更恥ずかしいも何もないだろう。
「殿下のお気持ちはきちんと理解しているつもりですから、ご心配には及びません」
殿下が私をお嫌いである事実は、もう痛いほど分かっている。きっと殿下が懸念されておられるのは、今後も私につきまとわれやしないかというあたりだろう。このまま無理やり殿下の婚約者の座に居座るつもりはないのだと、分かってもらわなければ。
「……そうか、セレスティアは察しの良い令嬢なんだな。僕の気持ちを分かってくれて嬉しいよ」
妙に晴れ晴れとした笑顔でそう告げる殿下に、私も弱々しく微笑みかける。
先ほどまであれ程疲れていたような顔をしていたのに、私が殿下に執着する意思がないと知るや否やそんなに嬉しそうな表情をなさるなんて。覚悟していたこととは言え、やはり寂しくはあった。
やっぱり、私は殿下にとって大嫌いなセレスティアでしかないのね。
せめて私をあそこまで嫌った理由を伺ってみたいものだけれども、余計な詮索はしない方が吉だろう。折角良くなった殿下の機嫌をわざわざ損ねるような真似はしたくない。
今は失恋に思い悩むよりも、殿下の機嫌が良いうちに、レナード殿下へのお手紙のことをお願いしてみた方がいいだろう。減刑を望むわけではなく、レナード殿下に現状をお伝えし、今までのお礼や残された家族のことをお願いするだけの手紙だと念入りに伝えれば、心優しいエルドレッド殿下は手紙を出す許可をくださるかもしれない。
私はまっすぐに殿下の淡い青の瞳を見つめると、意を決して口を開いた。
「……殿下、お願いがございます」
殿下は先ほどよりもずっと穏やかな眼差しで私を見つめ返した。肩の荷が下りたような表情をしている。
「どうか、レナード殿下にお手紙を出す許可をいただけませんか」
「義兄上に?」
レナード殿下の名前が出た途端に眉を顰めるエルドレッド殿下は、なかなか警戒心の強いお方のようだ。政治に関われば、大きな力を発揮しそうな鋭さをお持ちだというのに、この城に留まっているのは何だか勿体ないわね、と場にそぐわぬ感想を抱いてしまう。
「はい、現状をお伝えし、今までお世話になったお礼を述べさせていただきたいのです」
「……現状を伝えて、どうするつもりだ?」
僅かに鋭さを増した殿下の声に、思わず息を飲む。やはり、どれだけ美しくても、儚そうに見えても、この人は王族なのだと思い知る。
「……お別れをする、覚悟を決めさせていただきたいのです」
レナード殿下にお手紙さえ送れたら、仮にエルドレッド殿下が内密に私を処刑なさることに決めたとしても、いくらか心安らかに終わりを迎えられるはずだ。
「……そうか、君はやっぱり義兄上のことを――」
晴れ晴れとしていた殿下の表情が一瞬で曇る。淡い瞳には先ほどまで無かった翳りまで差しているような気がして、私はびくびくと怯えながら殿下の言葉を待った。
「……悪いが、僕は狭量な男なんだ。君のその最後の願いすら、叶えさせたくない」
最後の願い。ああ、やはり、私の命はそう長くないらしい。その事実に、がん、と殴られたような衝撃を感じながらも、膝の上でぎゅっと手を握りしめて必死に耐えた。
「そう、ですか……。いえ、私のしてきたことを考えれば、何も不思議はありませんわね」
「誤解しないでほしいが、君がオリヴィアを演じていたことについては、少しも怒っていない。君にオリヴィアの面影を押し付けたのは他ならぬ僕だ、本当に申し訳なかったと思っている」
真摯な言葉で謝罪する殿下に、嘘はないように思えた。欺いていた私が悪いことは確かだと思うのだが、それは別として、自分に非があると考えた際に嫌いな相手にも頭を下げられるその潔さに、改めて感心してしまった。器の大きなお方だ。
「だが、それは別として……やはり、君が義兄上に手紙を出すことは許せそうにない。僕が君に向ける感情は、それだけの想いなんだ。分かってくれ」
そこまで言い切られてしまっては、抗う気も湧いてこなかった。私は相当殿下に嫌われているらしい。最早、これは憎しみとも呼ぶべき感情なのかもしれない。
もともと、あわよくば届けられたらいいという程度の気持ちで書いた手紙だ。手紙が届かなかったからと言って、何が起こるわけでもない。心残りが無いと言えば嘘になるが、この城にやってくる前に家族とはお別れを済ませてあるので、最悪の事態に陥っても何とか諦められる気がした。
「……承知いたしました。仰せのままに」
こうなってしまったら、後は処刑までの間、出来るだけ殿下の不興を買わないようにするだけだ。なるべく大人しく、従順に振舞っていれば、残虐な殺され方はしないかもしれない。それだけが、私に残された最後の希望だった。
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