第3話

 突然の殿下の訪れから一日、早々に目覚めた私は、朝食までの空き時間を使って、手紙をしたためていた。


 手紙を送る相手は、第五王子レナード殿下だ。昨夜ベッドの中でよくよく考えていたのだが、エルドレッド殿下がオリヴィア姫の幻覚からお目覚めになったことや、殿下はどうやら相当お怒りで、私をこの城に捕らえるおつもりであるこということ、私の身に何かがあった場合には、願わくば実家のマレット侯爵家のことをお気に留めていただきたい旨を書き記した。


 用件だけを簡潔に述べたので、令嬢のしたためた手紙としては味気ないほどの、非常に事務的な手紙となってしまったが、レナード殿下は許してくださるだろう。そう長い付き合いがあるわけでもないが、お世辞も媚びも好まない青年だということは分かっていた。


 場合によっては、これがレナード殿下へ送る最後の手紙になるのかしら、と縁起でもないことを考えて、小さく首を横に振る。エルドレッド殿下がいくら私を嫌いだったとしても、内々に私を処刑するような横暴な方では無いはずだ。


 私を処刑するおつもりならば、国王陛下にお伺いを立てることはもちろんのこと、然るべき手続きを踏んでからでないとただの憂さ晴らしになってしまう。エルドレッド殿下は、そんな短絡的な方ではないはずだった。


 完成した手紙を封筒に仕舞い込み、封蝋をする。書き上げたはいいものの、これを送ることが出来るかどうかは、エルドレッド殿下のお許し次第だ。エルドレッド殿下にとっては罪人同然の私が、外部と連絡を取り合うのを良しとしない可能性は十分にあった。


 問題は、手紙を送る許可をどのようにして得るかということだ。出来れば直接お願いしたいところだが、私からエルドレッド殿下の書斎に伺おうものなら、余計に怒りを買う可能性もある。ここは、ナタリーに仲介してもらうのが妥当だろう。


「セレスティア様、もうお目覚めになられていたのですか……」


 噂をすれば影と言わんばかりに、いつもよりどこか覇気のない声で私に話しかけてきたのは、黒いメイド服をきっちりと着こなしたナタリーだ。そばかすの浮いた顔には、明らかに私に対する憂いが見て取れる。


「おはよう、ナタリー。……昨日は、迷惑をかけてしまってごめんなさい」


 昨日、殿下の訪れをきっかけに床に崩れ落ちてしまった私を運んでくれたのは、ナタリーとエディ様だ。ナタリーは流石はメイドとして長く働き続けているだけあり、見た目の細さにそぐわぬ力強い腕で私を支えてくれたのだ。その後も、お茶を淹れてくれたり、私が口に出来そうな軽食を手配したりと、忙しく動き回っていたことを知っている。


 ナタリーだって、寝不足だったはずなのに。彼女の献身的なまでの優しさに、胸の奥が温かくなる。エルドレッド殿下に今にも見限られようとしている私に、彼女はこんなにも親切にしてくれるのだ。場合によっては殿下の不興を買うかもしれない。


「迷惑だなんて、そんな! あたしは、セレスティア様のことが心配で……」


 ナタリーは軽く視線を伏せて言葉に迷うような素振りを見せた。今朝も、いつもの起床時間より早く私の部屋を訪れていることからしても、言葉通りずっと私を案じてくれていたのだろう。


「昨日の殿下の言動は、お気になさらない方がよろしいかと。きっと……オリヴィア姫の幻覚から醒めて、気が動転なさっていたのです」


「……そうね、そうかも」


 もしも本当にそうだったらどんなに良いだろう。昨日は気が動転していただけで、本当は私のことを憎からず思っていてくださるかもしれないなんて。


 夢よりもさらにあり得ない話だ。思わず自嘲気味な笑みを浮かべてしまう。下手な期待を抱くのはよそう。自分で自分の首を絞めるのと同じだ。


「お手紙を書かれていたのですか? 一体どなたに?」


 机の上に無造作に置かれた羽根ペンやインクの壺を見たナタリーは、弱々しく微笑みながら問いかけてくる。話題転換をしようとしてくれているのだろう。


「ああ、これはレナード殿下に宛てたお手紙よ。……私とエルドレッド殿下の婚約を取り持ってくださったのはレナード殿下ですもの、現状をお伝えしておこうかと思って」


「それは良いお考えですね。レナード殿下なら、エルドレッド殿下の横暴をお止め下さるかもしれませんし」


 相変わらず、自らの主人に対する言動とは思えない言い草だが、その遠慮のなさがナタリーの魅力でもあった。塞ぎこんでいた気持ちも、彼女と話しているうちに少しだけ軽くなってきた気がする。


 思い悩んでいても仕方がない。私がエルドレッド殿下に出来ることは、今までの非礼と「オリヴィア姫」を演じていたことに対する謝罪だけだ。後はなるようにしかならない。殿下の思惑に逆らうつもりもない。


 初恋が失われた痛みはまだ当然後を引いているけれど、時間が解決してくれることもあるだろう。私はそっと封筒を指先で撫でながら、心を落ち着かせるように小さく息をついた。


「一段落ついたご様子ですし、お着替えの後に朝食をご用意いたしますね」


「ありがとう、ナタリー」


 早速ナタリーと共にクローゼットの前へ向かうと、朝の静けさに包まれた部屋の中に、慎ましいノック音が響き渡った。誰かが訪ねて来るにしては、まだ早い時間だ。


 見て参ります、と断ったナタリーの後姿を追うようにして、ノックされた扉の方を見つめる。ゆっくりと開かれた扉の先にいたのは、ナタリーと同じメイド服を纏った少女で、何やらナタリーに耳打ちしているようだった。


 メイド同士の連絡が何かあったのかもしれない。そう思い、クローゼットに意識を戻して、今日身に纏うドレスを吟味した。


 気持ちとしては喪服を纏いたいくらいの気分だが、生憎、ここにあるのは「オリヴィア姫」を演じるために揃えられた衣装ばかりなので、黄色や橙色など、鮮やかな色のものばかりだ。


 思えば、私にはもうこのドレスに触れる資格すらないような気がする。そう思い直した私は、実家から持ってきた白銅色の普段着に手を伸ばした。この城をうろつくにはあまりに地味な色だが、そもそもこの部屋から出してもらえない可能性もあるので、これで十分だろう。


「セレスティア様」


 白銅色のドレスをクローゼットから取り出したのとタイミングを同じくして、ナタリーが話しかけてくる。私は無理やり作り出した微笑みを浮かべながら、ナタリーの方を振り返った。


「……エルドレッド殿下が、セレスティア様と共にご朝食を望まれているそうです」


 殿下が、私と共に朝食を?


 大嫌いな私の顔を見ながら食事をしたら、折角の料理も台無しになってしまわないだろうか。それとも、私に対する断罪の一環として何か用意されているのだろうか。


 殿下の意図は読めないけれど、どのみち私に拒否権はない。来い、と言われたら行くしかないのだ。


「……分かったわ。殿下の御前に出るならば、相応の格好をしていかなくちゃね」


 白銅色のドレスをしまい込み、代わりに実家から持ってきた唯一まともな品である深い青色のドレスを手に取った。数か月前、レナード殿下と初めて出会ったあの舞踏会で身に纏っていた品だ。朝には少々重い色な気もするが、私の持ち物の中でもっとも質の良いドレスはこれしかないのだから仕方ない。


「セレスティア様……ご無理はなさらないでください。昨日の今日ですもの、お断りしても問題ないはずですわ」


 再びナタリーの声に心配の色が混ざっていることに気が付いて、私は慌てて笑みを取り繕った。本当は笑いたい気分でもないのに、傍にいる人に心配されると、どうしてもぎこちない笑みを浮かべてしまうのは昔からの私の癖だ。


「どんな形であれ、エルドレッド殿下とお会いできるのは嬉しいわ。心配ばかりかけてごめんなさい、ナタリー」


 刺繍の施された深い青色のドレスを抱きしめながら、私はもう一度ナタリーに笑いかけた。それでもやっぱり彼女の顔は晴れなくて、私の存在が彼女にこんな浮かない顔をさせてしまっているのだと思うと申し訳なくも思った。


 そう、本来の私はこんな性格なのだ。オリヴィア姫とは正反対の、弱気で、いつも何かに怯えているような、可愛くない女だった。


 エルドレッド殿下に嫌われるのも無理は無い。頭ではそう理解しているはずなのに、未だに未練がましくちくりと痛むこの心が、どうにももどかしくて仕方が無かった。

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