第2話(エルドレッド視点)
「あれはないですよ」
一足先に寝室に戻り、ぐるぐると渦巻く感情を何とか静めようとしていたところに、エディはやってきた。その理知的な眼差しには、明らかな呆れと憐みのような色が浮かんでいる。
「セレスティア様、完全に怯えていましたよ……? 殿下は、その……恋愛面においては、結構束縛するというか……執着気質なお方だったんですね……」
若干引き気味に言われると、苛立つのを抑えきれないが、エディの言うことはもっともだ。自分自身、どうしてあんなに物騒な言葉でしかセレスティアを繋ぎ留められなかったのかと動揺している最中なのだから。
それでも、やっぱりセレスティアが出ていくことは許容できない。彼女のあの陽だまりのような笑みが、麗しい白銀の髪が、深い海の青と同じ色の瞳が、あの甘い香りが、他の誰かのものになると考えただけで気が触れそうだった。
「……このままセレスティアを城から出したら、義兄上の元へ行くだろう。それだけは許せない。いくら義兄上でも、僕からセレスティアを奪うなんて……」
「……初恋を自覚した初日にこのご様子だと、少々心配になるのですが」
「なんだ、お前は味方してくれないのか」
多少不貞腐れるように言えば、エディは肩を竦めて「私めはエルドレッド殿下の味方ですよ」と呆れたように言われてしまった。僕より八歳ほど年上の彼だが、随分子ども扱いされているような気がして、やはり多少なりとも腹立たしく思ってしまう。
「まあ、セレスティア様をこの城に留めること自体には賛成ですがね……。とにかく、すぐにでも、先ほどの振る舞いは謝罪なさるべきかと。いくらご婚約者様とはいえ、逃げ道を塞いで泣かせた挙句に、無闇にお顔に触れるのはいかがなものかと……。そりゃ怒りますよ、セレスティア様だって」
「嫌われただろうか?」
セレスティアに嫌われたら、どうしよう。今更になってその恐怖に襲われて、思わず縋るようにエディを見つめてしまう。いつも理知的で落ち着いているはずのエディが、やっぱり引いたような眼差しで僕を見つめ返してきた。
「知りませんよ、医者に訊いたら何でも解決すると思わないでください。いくら何でも他人の気持ちなんて完全に分かるはずもないでしょう」
ましてや、私になんて、と一瞬を表情を曇らせたエディに違和感を覚えたものの、今はそれを追求できるだけの余裕が僕には無かった。
「まあ、先ほどの一件でより好かれている、なんていう展開だけはないでしょうね」
「そうだろうな……」
ただでさえ最悪のスタートを切っていたというのに、更に状況を悪化させるなんて、我ながら何を考えているのだろう。これには深い溜息をつかざるを得なかった。
でも、セレスティアを前にすると歯止めが聞かなかったのだ。彼女がこの城から姿を消し、義兄上の元へ行こうとしていると知ったときにはもう、真っ黒な感情に心を支配されていた。
これが、嫉妬というものか、と噛みしめるように思わず表情を歪ませる。この城で過ごしてきた20年間では、出会ったことのない感情だった。とてもじゃないが心地よい感情ではない。
「基本的には殿下は紳士的なお方なんですから、いつも通り振舞っていればセレスティア様も自然と微笑んでくださるようになるはずです」
それは多少楽観的過ぎやしないだろうか。僕は既に、セレスティアにオリヴィアの面影を押し付けるという理不尽な行いをしてしまっている。まずは誠心誠意謝るところから始めなければならない。
「……前途多難だな」
溜息をつきながら椅子に腰かければ、エディが愉悦とも慈しみともとれる曖昧な眼差しで僕を見つめていることに気が付いた。
「……お前、絶対に楽しんでいるだろう」
「そんなまさか。滅相もございませんよ、殿下」
エディは椅子に座る僕の目の前まで移動してくると、やっぱりどこかにやつくような笑みを見せた。
「ただ、治療の効果がちゃんと発揮されたのが一人の医師として嬉しいだけです」
「治療の効果?」
そういえば、このところのエディはずっと図書室に籠りきっていた気がする。知的好奇心をくすぐられると、寝食も忘れて本に没頭する癖は今に始まったことではないので放っておいたが、まさか、僕がオリヴィアの幻覚を見ていることについての対策を練っていたのだろうか。
「大したことはしていないのですが……。最近王都で発見されたという、不安を落ち着ける効果のある薬草を手に入れましてね。これはもしかすると殿下の見る幻覚にも効くのではないかと目論んで、このところ普段の薬の代わりに出していたんですが……効果は抜群でしたね」
これは論文に纏めたいですね、と意気揚々と語るエディを見ていると、ただ溜息しか出て来ない。効果があるかどうかも分からない薬を、一国の王子に処方できるその度胸は大したものだ。
「それに、引きこもってばかりだとお心によろしくないと思って、湖へのお出かけを提案したのも功を奏しましたね! 結果的に、あの刺激がセレスティア様をセレスティア様だと認識なさることに繋がったのですから」
それは間違いないだろうが、あの散歩の前半は苦しいものでしかなかった。セレスティアにオリヴィアを見ていたせいで、許されない想いが膨らんでいく罪悪感ばかりが胸を締め付けて、純粋にセレスティアの笑顔に見惚れることすら許されなかったのだから。
とはいえ、エディが僕を助けようとしてくれた想いに嘘はないのだろうし、結果的に彼によって救われたのも事実だ。友人としても、医師としても頼りになるこの目の前の青年に、礼を告げるべく曖昧に微笑みかける。
「……助かったよ、エディ。あのままセレスティアをオリヴィアと思い込んで悩んでいたら、一層心を病んでもおかしくなかった」
それくらい、息苦しかった。いっそ彼女の姿を視界に入れたくないと思うほどに、自分の抱いた思いに怯えていた。
でも、今は違う。セレスティアは僕の正式な婚約者。この恋心は許されるものなのだ。重い枷がようやく外れたような、不思議な解放感がある。
出来ることなら、今すぐにでもセレスティアの心を得るべく動き出したいところだが、関係の修繕の方が先だ。この状態でいくら愛を囁いたところで、セレスティアに伝わらないどころか、一層気味悪がられる恐れもある。
「ありがとう、エディ。……ここからが正念場だが、引き続きよろしく頼む」
「もちろんですよ、殿下。お二人が再び仲睦まじく歩かれるお姿を、今から楽しみにしておきます」
理知的な深緑の目を細めて、彼はふっと笑った。これも彼なりの励ましなのだろう。素直に受け取ることにして、僕はぼんやりと窓の外を眺めた。
空に晴れ渡る青を眺めながら、まずはセレスティアの許しを得るところから始めようと決意したのだった。
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