第13話

「まあ、素敵な場所ね……!」


 朝食を終えた私たちは、早速ジャスティーナ城から馬車で15分ほどの場所にある大きな湖の畔にやってきていた。驚いたことに、この辺りもエルドレッド殿下の所有物らしい。


 もともとジャスティーナ城は、遠い昔のある国王の寵姫のために造られた城で、その建物自体の美しさもさることながら、城の周りにも、思わず目を奪われるような絶景が多いのだという。王都から少し外れているために、あまり注目されていないのだが、自然や景色と言った条件ではもしかすると王国一の美しい城かもしれなかった。


 そんな特別な、麗しい城を与えられたエイリーン妃――エルドレッド殿下やオリヴィア姫のお母様は、国王陛下からの寵愛をこの上なく受けていたのだろう。お妃様たちの中でも最も美しいとの評判に加え、心優しく教養のある方だったというから、叶うならば一目お会いしてみたかったものだ。


 オリヴィア姫に関する情報の中には、エイリーン妃がご存命のころ、国王陛下とエイリーン妃、そしてエルドレッド殿下とオリヴィア様の四人でこの湖に訪れたことがあるのだと記されていた。


 ご多忙な国王陛下は、なかなかこの城に立ち寄ることが出来ず、エイリーン妃と会う際には彼女を王城に呼び出すことが殆どだったようなので、この城での数少ない家族の思い出のようだった。


 もっとも、エルドレッド殿下もオリヴィア様も随分幼かったようなので、あまり覚えてはおられないのかもしれない。その証拠に、湖についてからも殿下は特別懐かしむような素振りは見せず、やはりどこか思いつめた表情のまま、風に揺れる水面を眺めていた。


 湖には、私と殿下の他にも、エディ様とナタリーを始めとする数人のメイドが来ていた。護衛の者もいるようだが、こちらの視界に入らないよう配慮しているのか、その姿は見えない。


「昼食までまだ時間がありますから、お二人でお散歩でもなさったらいかがでしょう?」


 ナタリーは他のメイドたちにてきぱきと指示を出す合間に、私にそう提案してきた。確かに、遅めの朝食を食べて来たばかりなので、昼食にはまだ早い。時間を潰すがてら、湖の畔を殿下と散歩出来たら、どんなに素敵だろうと胸を躍らせる。


「この先に、ちょっとした花畑があるようですよ。ご覧になってみてはいかがです?」


 エディ様も、ナタリーの提案に賛同するように耳寄りな情報を教えてくれる。


「お花畑? 何が咲いているのかしら」


 もともと花は好きなので、純粋に興味が湧いた。エディ様は私の質問を受けて、意味ありげににこりと笑ってみせる。


「それは殿下と共にお確かめになってください。きっとご満足いただけると思いますよ」


「素敵だわ、一緒に行きましょう! お兄様」


 軽く殿下に詰め寄ってはしゃいだ様子を見せれば、彼はやはり戸惑ったような視線を私に向け、やがて小さく溜息をついた。


「……分かった。エディ、お前も来い」


「殿下、いくら私でも、お二人の穏やかな時間に水を差すような真似はしませんよ。護衛の者はちゃんとつけておきますから、どうぞお二人で行って来てください」


 いつも殿下の傍を離れようとしないエディ様が珍しいことを仰るものだ。でも、彼も殿下のこのところの異変に気が付いていて、せめて「オリヴィア姫」の幻覚と穏やかな時間を過ごして心を癒してほしいと考えているのかもしれない。


 だとすれば、私の腕の見せ所だ。何度も読み返したオリヴィア姫の情報を頭の中に巡らせて、今日こそは完璧な「オリヴィア姫」の幻影を演じられるように、と意気込む。


「エディ……お前、約束が違うじゃないか」


「殿下、私はそれほど心配しておりません。あなたは紳士的なお方だ、いつも通りに振舞っていれば何も問題ありませんよ」


 珍しくエディ様を睨むように見つめる殿下からは、どこか苛立つような感情も感じられた。「オリヴィア姫」の相手を一人ですることが、そんなにも嫌なのだろうか。


 もしも素の私であれば、このようなやり取りが目の前で繰り広げられていたら、まず間違いなく散歩の辞退を申し出るが、今は「オリヴィア姫」なのだ。とにかく無邪気に、多少奔放に思えるほどの大胆さを伴って、笑っていなければならない。


「お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 ナタリーから、空色のドレスに合わせた帽子を受け取って、殿下の傍に駆け寄る。踵の低い靴は、いつもよりずっと歩きやすい。細かな花飾りのついた帽子を被れば、自然と心が躍った。


「行きましょう、お兄様!」


「……ああ」


 私は、薄い絹の手袋を着けた手をそっと殿下に差し出す。殿下はちょっとした距離を移動する際にも、オリヴィア姫をエスコートしていたというからそれに従った行動だった。


 だが、殿下は差し出された手を見るなりあからさまな動揺を見せ、数秒間迷うような素振りを見せた後、そっと私の手を取った。気のせいかもしれないが、指先が震えているような気がする。


「……お兄様? 寒いですか?」


 初夏とはいえ、雨上がりの今日は少し風が冷たい。震えるほどではないだろうが、体調でも悪かっただろうかと思い、帽子の下から殿下を見上げれば、彼はやっぱりふいと視線を逸らしてしまった。


「何でもない。早く行こう……オリヴィア」


「はい!」


 張りのない殿下の声とは対照的に、はしゃぐように声を上げ、背後で控えているエディ様とナタリーにそっと手を振る。


 あくまでも「オリヴィア姫」としてだけれども、こうして恋焦がれている相手と湖の畔を散歩できるなんて夢みたいだ。


 はしゃぐ気持ちの中には、少なからずセレスティアとしての想いも含まれているような気がした。これもきっと、いつの日か思い返しては懐かしむ、大切な思い出になるのだろう。


 一瞬だって忘れないように、目に焼きつけておかなくちゃ。


 この恋は明晰夢のようだ。でも、夢を夢だと、叶うことのない初恋だと分かっているからこそ余計に、殿下と過ごすひとつひとつの出来事が宝物のように思えるのも確かだった。

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