第11話
近頃、殿下がよそよそしい。
ナタリーが運んできてくれた紅茶を口にしながら、私は窓の外を見やって溜息をついた。
この城に来てから殆ど毎日、綺麗な青空が顔を覗かせていたというのに、このところはずっと雨ばかり降っている。雨音は嫌いではないが、空を覆いつくす灰色の雲を眺めているとどうしたって陰鬱な気持ちになってしまう。すっかり日課になっていた散歩が出来ないのももどかしかった。
殿下の態度も、この空模様と同じだ。今まではこれ以上ないくらい過保護に「オリヴィア姫」を演じる私を甘やかしていたというのに、あの図書館での殿下の異変をきっかけに、この数日は殆どろくな言葉を交わしていない。恒例の朝のお茶会でさえ、ほぼ無言を貫く始末だ。
「お兄様、どうなさったの」と訊いても、「何か悪いことをしてしまったでしょうか……?」と反省する態度を見せても、殿下はどこか苦し気に眉を顰めるだけで、決まって「何でもないよ、オリヴィア」と返すのだった。
私のことを「オリヴィア」と呼んでいるくらいなのだから、殿下が姫の幻覚から醒めたとは考えにくい。だとすると、この急激な態度の変化は、私自身に問題があるということだろうか。
「オリヴィア姫」の演技に、隙がありすぎたのかもしれない。もっと完璧に彼の愛する妹姫を演じられるよう、私はあらかじめレナード殿下から預かっていた、オリヴィア姫に関する情報をまとめた書類に改めて目を通した。オリヴィア姫ご本人にお会いしたことは無いのではっきりしたことは言えないが、口調も性格も、少なくとも書類上に書かれている姿により近づけたと思う。
それでも、殿下の態度は日に日にそっけなくなるばかり。数日だけならば、ご気分が悪いのかもしれないと思えたが、一週間以上続くといよいよ不安になってくる。
「……一体、何がお気に召さなかったのかしら」
殿下の大嫌いなセレスティアの姿は、いくら「オリヴィア姫」の演技で隠そうとしても誤魔化せないということなのだろか。だとすれば、私が私である以上、殿下はもう二度と微笑んでくださらないということになる。
その事実に、胸がずきりと痛むのを感じた。どのみち殿下が「オリヴィア姫」の幻覚から醒めれば、殿下はセレスティアなどに笑ってくださるはずもないのだが、初恋の相手に見限られるというのは辛いものだ。
「お茶の時間くらい、殿下のことはお忘れください。ずっと気を張っていたら、セレスティア様まで心を病んでしまいます」
ティーテーブルの傍に控えたナタリーが大真面目な顔で警告してくれる。この心優しいメイドは、どうしても殿下が私に「オリヴィア姫」の面影を見て接することが許せないらしい。
「でも……ここにいさせていただく以上、きちんと役目を果たさなくちゃ。ねえ、ナタリーは、どうして殿下があんなにそっけなくなってしまわれたのだと思う?」
「殿下はお優しそうに見えますが、基本的にはそっけない方ですよ。でも……オリヴィア姫にあのような態度を取られていたことは無いですね。姫がどれだけいたずらしようと、にこにこ笑って許してしまうほど甘やかしておられましたから」
「そう、なの……」
ではやはり、この状況は異常なのだ。私を「オリヴィア姫」と思っているのに、冷たく接するなんて。
やはり、私が演じる「オリヴィア姫」の姿に違和感を覚え始めているという線が妥当だろうか。再び小さく溜息をついて、後でもう一度オリヴィア姫の情報を確認しようと決意する。
「……エディ様にも相談できたらいいのだけれど」
医師として殿下のお傍に仕えてきたエディ様は頼みの綱だというのに、このところのエディ様は図書室にこもりきりで殆ど私に構って下さらない。彼の隣で読書をする分には何も言われないのだが、話しかけても上の空で、何やら必死に調べ事をしている。
時折寝食すらも忘れているようなので、あまりに心配になって一度だけ注意をしたのだが、彼は深緑の瞳を細めてどこか嬉しそうに語ったのだ。
「問題ありません、セレスティア様。私は、ハッピーエンドの立役者になりたいだけなのです」
その言葉の真意を掴み切れずに、追及しようと考えたところで彼の視線は既に本に釘付けになっていた。知的好奇心を満たすとなると、歯止めが利かなくなるタイプの人間らしい。
三度目の溜息をついて、雨音が響く外を見やれば、不意に目の前に小皿に乗ったケーキがおかれる。
「今は殿方のことは忘れましょう! これでも召し上がって!」
嬉々として語るナタリーに勧められるままに、目の前に置かれたケーキを見つめてみる。一見して何の変哲もないケーキのようだ。
本当はあまり甘いものが好きではない私に気を遣ってくれているのか、一人でお茶をするときにはお茶菓子は出て来ないことが殆どなのだが、珍しいこともあるものだ。
「お砂糖を控えめにしたケーキですから、きっとセレスティア様のお口にも合うはずです!」
「……わざわざ、私のために?」
殿下の婚約者と言えど、国王陛下とレナード殿下の采配で書類上勝手に決まっているだけのあやふやな存在なのに、この城の人々は私にとても良くしてくれる。
それに対して何だか申し訳ないな、と思ってしまうあたり私は可愛くない女だ。せめてここにいる間だけは、普段のセレスティアよりも素敵な女性でいたい。
その気持ちを込めて、ナタリーのそばかすの浮いた顔を見つめて頬笑む。
「ありがとう、とっても嬉しいわ。大切にいただくわね」
心からの感謝の気持ちを伝えれば、ナタリーははっとしたように私を見つめた後、なぜか頬を赤らめて手で顔を覆ってしまった。
「セレスティア様って本当にお可愛らしい……」
「そんなこと、初めて言われたわ」
思わずくすくすと笑ってしまう。お世辞で美人だと言われたことはあっても、可愛いなんて言われたことがない。いつも誰かに揶揄われてばかりだったせいか、おどおどとした性格は決して好ましいものではないのだから当然だろう。
「初めてって……セレスティア様の周りの方々の目は節穴だったんですね!」
「まあ、嬉しいことを言ってくれるのね」
「いつか殿下もセレスティア様のお可愛らしさに気づくはずです!」
「……そんな日が来るといいけれど」
口ではそういったものの、ありえないことだと誰より私自身が知っていた。傍に寄ることすら厭うような令嬢を相手に、可愛らしいなどと思うわけがない。
もっとも、ナタリーはそのあたりの事情を知るはずもないので、それ以上は何も言わず、用意されたケーキをそっと口に運んだ。
控えめな甘さが口いっぱいに広がる。紅茶を使っているのか、とても良い香りが鼻を抜けていった。
「美味しいわ、ナタリー。私、これとっても好きよ」
「どんどん召し上がってください! 美味しいものを食べれば、少しは気持ちも晴れましょう!」
底なしに明るいナタリーに励まされながら、雨音を音楽にしたささやかなお茶会が進んでいく。近いうちにまた殿下と向かい合ってお茶を飲めたら素敵ね、と心のどこかで願いながら、この雨が止むことを誰ともなしに祈ったのだった。
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