第3話

 エルドレッド殿下と出会ったのは、今から遡ること5年前、私がまだ11歳だった、とある夏の夕暮れの話だ。


 その日、私はたまたまお母様と共に王城を訪れていた。そのころのマレット侯爵家は今ほど困窮しておらず、お母様にも私にもそれなりに友人がいたので、王城で開催されていたお茶会に招かれたのだ。

 

 お茶会も終わり、そろそろ解散しようかという頃、王城の庭の景色に気を取られた私は、お母様とはぐれてしまっていた。広い王城の中で、頼れる人もおらず、ふらふらと当てもなくさまよった心細さをよく覚えている。


 そんな中で、私はバルコニーに佇むある少年に出会ったのだ。


 睨むように夕焼けを見つめる少年の端整な顔立ちに、私は釘付けになっていた。白に近い白銀の髪が夕焼けに染まっていて、それはそれは美しかったのだ。


 挨拶をしてみたいとも思ったが、会話をするには二人の間には距離があった。ついでに、道を尋ねてみようかと思いながら、そっと少年に近付いたとき、私の気配に気づいたらしい少年はゆっくりとこちらを振り返った。

 

 白銀の髪に淡い青色の瞳という、全体的に色素が薄い印象を受ける少年を前に、私は思わず息を飲んだ。少年らしからぬ物憂げな瞳は、鮮やかな夕焼けの中で浮かび上がるようで、不思議な魅力を湛えていたのだ。


「……っ君は」


 少年は私の姿を認めるなり、淡い青色の瞳を見開く。ひとまずここは挨拶をするべきだと思い、私はドレスを摘まんで習ったばかりの礼を披露しようとした。


「はじめまして。わたしは、マレット侯爵家の――」


「――っ僕の傍に近寄るな!! 早く皆のもとへ戻れ!!」


 少年は、私の名を聞き届けることなく、拒絶の言葉を口にした。驚いて目を見開く私を、彼は睨むような鬼気迫った表情で見つめていた。


「っ……あの、わたし、なにかご無礼を……?」


 社交界デビューも儘ならないうちに、誰かにご挨拶をしようとしたことが間違いだったのだろうか。没落寸前の侯爵家の令嬢とは言えど、開口一番に拒絶された経験など無かった私は、思わず涙目になって問い返していた。


「っいいから、早く行け!! 頼むから、二度と僕に関わらないでくれ」


 繰り返される暴言にも近い言葉に、ついに耐えきれずに涙を零してしまう。好意を持って接しようとした相手だっただけに、余計に衝撃は大きかった。


 私は手の甲で涙を拭いながら、別れの挨拶もそこそこに再び王城の中を歩き出した。どうやってお母様の元に戻ったのかすら、よく覚えていない。


 その後、白銀の髪に淡い青色の瞳という特徴から、あの少年が第六王子エルドレッド殿下だと知ったのだった。





 エルドレッド殿下が私にあのようなことを仰った理由は、未だに分からない。ただ、初対面のはずの私にあれだけのことを言ったのだから、私の何かが気に食わないことは確かなのだろう。


 そんなエルドレッド殿下の婚約者に、よりにもよって私が選ばれるなんて。


 始めは何かの間違いだと思っていた。レナード殿下にも、私はエルドレッド殿下に嫌われているようだと再三に渡ってお話しした。


 それにもかかわらず、私と殿下の婚約はとんとん拍子に進んでいったのだ。私がエルドレッド殿下に嫁ぐ代わりに、多額の支援金がマレット侯爵領に支払われると知ったときには、後戻りなど許されない状況だった。


「……これでも、あの弟のことは憐れに思っているんだ」


 ある日、レナード殿下は私とエルドレッド殿下の婚約を急に進めた理由を打ち明けてくれた。エルドレッド殿下との婚約話が進んでいく中で、レナード殿下とは何度もお会いしており、その頃にはすっかり初対面のときの緊張感は抜けてしまっていた。


「エルドレッドは、3年前にオリヴィア姫を失ってから、心を病んでしまったんだ。それ以来、あの寂れた城から出ようともせずに、妹の幻影に話しかける毎日で……」


 レナード殿下の母君は二番目の側妃、エルドレッド殿下の母君は三番目の側妃なので、お二人は腹違いの兄弟に当たるのだが、レナード殿下がエルドレッド殿下を心配する気持ちは、実の兄弟のそれと遜色なかった。


「オリヴィア姫は、エルドレッドにとっては唯一の同腹の兄妹だからな……余計に辛かったんだろう」


 現在のローウェル王家は大勢の王子と王女に恵まれている。正妃と3人の側妃の産んだ御子を合わせると、なんと6人もの王子と4人の王女が誕生したのだ。近年でも稀に見る、賑やかな王室だ。


 だが、これだけ王位継承者がいれば、当然ながら争いも絶えない。残念ながら既に第三王子と第四王子、第三王女、そして第四王女であるオリヴィア様は、で既にこの世を去っている。


 もっとも、表向きにはいくら事故と取り繕うとも、何かしらの陰謀が働いていることは誰の目にも明らかだった。


 レナード殿下は既に同腹のご兄妹である第四王子と第三王女を亡くしておられる。ご自身も、身を守るために剣術を磨き、政治に興味を示さないようにして、武芸を極めることになさったのだと専らの噂だ。


 だからこそ、レナード殿下はエルドレッド殿下の悲しみを誰よりも分かっておられるのかもしれない。オリヴィア姫を失って、心を病んでしまったエルドレッド殿下のことを、心から心配しているのは確かだった。


「君は、オリヴィア姫にとてもよく似ている」


 レナード殿下は静かな声で仰った。この頃には、既に私も薄々察していたことなので、特別驚きもせずに静かに彼の言葉に耳を傾けた。


「少なくともその淡い銀髪はオリヴィア姫を連想するには充分だ。君がいるだけで、もしかするとあいつの心は癒されるかもしれない」


「……私は、エルドレッド殿下にそれはもう嫌われていると思うのですが」


「大嫌いな君を見て、怒り狂い正気を取り戻すのなら、それはそれでありがたい話だ。そのときは、俺のところにでも嫁に来い」


 冗談めかしてレナード殿下は笑った。レナード殿下とは初対面のころに比べればずっと親しくなったが、それは友情というべきもので、恋愛感情とは程遠いことは私自身がよく知っている。


 つまりその発言は、レナード殿下なりの覚悟なのだろう。弟であるエルドレッド殿下の御心を救うためとはいえ、彼なりに、私を利用しているという自責の念があるということだ。


 乗り掛かった舟だ。こうなったら、私も私で、エルドレッド殿下の御心を救うために頑張ってみよう。


 既に、充分すぎるほどの対価も頂いているのだ。不作続きのマレット侯爵領を立て直せるだけの支援金を。それに見合うだけの働きをしなければ、申し訳が立たない。


 エルドレッド殿下が、私にオリヴィア姫を見ようが、大嫌いな私を再び突き放そうが構わない。殿下の御心がより良い方向に進むよう、影ながら殿下をお支えしようと決心した。


「分かりましたわ、レナード殿下。私、エルドレッド殿下の元へ参ります。お心を救うなんて大層な真似は出来ないでしょうが、殿下が少しでも安らかに暮らせるよう、尽力いたします」


「……ありがとう、セレスティア嬢」


 その言葉と共にレナード殿下は私に手を差し出した。何だか気恥ずかしいが、私もそれに応えるように手を握り返す。この日、私たちはエルドレッド殿下の御心をお守りする同盟を組んだのだった。

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