第2話
私とエルドレッド殿下の婚約の話が挙がったきっかけは、ある舞踏会の夜に殿下の義兄君である第五王子レナード・ローウェル殿下に出会ったことから始まる。
マレット侯爵家の長女として招待されたその舞踏会で、私は相変わらず肩身の狭い思いをしていた。
血筋だけは由緒あるが、没落寸前と言ってもいいくらい落ちぶれた侯爵家の名を背負う私は、何かと人々の嘲笑の的となることが多い。未婚の令嬢とは思えない地味なドレスのせいかもしれないし、あるいは知らないうちに「第六王子に嫌われた令嬢」という不名誉な噂が広まっているせいかもしれない。
そのため、人の集まりに積極的に参加することは無かったのだが、もう何代にも渡って親しくしている伯爵家からの誘いだったので、断れずに参加していた次第だった。伯爵夫妻に挨拶をした後は、同年代の令嬢たちの輪に入ることも無く、葡萄酒を片手にバルコニーで黄昏れるという始末だ。
折角の舞踏会なのだから、婚約者探しに精を出すべきなのかもしれない。でも、マレット侯爵家の限りある品の中から、お母様や使用人たちが一生懸命選んでくれた今夜の私の装いを、心無い令嬢たちに揶揄われると気分が沈んでしまって、どうしてもあの華やかな輪の中に長居できなかった。
一見地味に見えるものの、光の角度によって刺繍が浮き出るような深い青色のドレスも、侯爵家の庭で育てていたカトレアで作った一晩限りの髪飾りも、私はとても気に入っていたが、やはり、流行に敏感なご令嬢たちにとっては蔑むべきものらしい。
大して飲めもしない葡萄酒を、無理やり一口分喉に流し込んで、顔を顰める。酸味の間にお酒独特の苦みのようなものが広がって、やっぱりあまり美味しくない。伯爵家の屋敷の庭から吹き込む夜風を受けて、なんとか気分を紛らわせる。
これなら紅茶を飲んでいるほうがずっといいわね、と思いながら小さく溜息をつくと、ふと、背後からくすくすと笑う青年の声が聞こえてきた。
驚いて振り返れば、そこにいたのは、燃えるような赤毛と琥珀色の瞳を持った、精悍な顔立ちの青年だった。一見して騎士のような出で立ちだけれども、外套に刻まれた紋章を見て、さっと血の気が引いていく。
王家の紋章を持った、赤毛で琥珀色の瞳を持つ青年と言ったら、この国に一人しかいない。第五王子のレナード・ローウェル殿下だ。
「酒、苦手なら他の飲物を持ってこさせようか?」
気さくな口調で、殿下は私との距離を詰めた。この舞踏会に第五王子がいらっしゃるかもしれないという噂は耳にしていたものの、まさかこうして出会うなんて思ってもみなかった。
「っ……お気遣いありがとうございます。ですが、このままで……」
王族と一対一でまともに話した経験なんてない。間近で顔を合わせるのは初めてではないけれども、どうしようもない緊張感が走ってろくな言葉が出て来なかった。
「……お初にお目にかかります、第五王子殿下。マレット侯爵家のセレスティアと申します」
深々と礼をしてぎこちない自己紹介をしている間も、殿下の視線が注がれている気配があった。何か失礼なことを言ってしまったかと、冷や汗が止まらない。
「顔を上げろ」
「っ……はい」
情けない返事を返しながら、私は勢いよく顔を上げる。第五王子殿下は、剣術で有名なだけあって、まるで騎士を相手にしてるかのような堅い雰囲気が漂っていた。
「……似てるな」
琥珀色の瞳で品定めされるように見下ろされ、私は内心神様に向かって最後のお祈りを始めていた。
何かが第五王子殿下のお気に障ったのかもしれない。没落寸前だったマレット侯爵家もついにここまでか、と心優しい両親への懺悔も同時に始める。
「よくここまで王家に目をつけられずに生きて来られたな。あまりこういう場に顔を出さないのか?」
話は読めなかったが、訊かれたことには答えなければならない。私はぎこちなく頷きながら、家の事情を明かした。
「舞踏会に毎晩顔を出せるほど、我が侯爵家は裕福ではありませんから……」
「成程な。そういえばマレット侯爵領では不作が続いていたな」
王国内でも辺鄙な場所にあるマレット侯爵領のことを、きちんと頭に入れてくださっていたなんて。言い知れぬ感動を覚えながらレナード殿下を見つめていると、彼は遠く東の空を見つめながら呟いた。
「セレスティア嬢、あなたに婚約者はいるか?」
「い、いえ……恥ずかしながら、まだご縁のある方を探している最中でして……」
没落寸前のマレット侯爵家の令嬢を妻にしたい男性など、まずいない。私を娶れば、持参金を得るどころか、下手すれば借金が増えるかもしれないのだ。爵位を欲しがる貴族の次男や三男でさえ、見向きもしないのが私の家だった。そのため、私の婚約者探しは非常に難航しているというのが現状だ。
「では、王家への忠誠心はあるか? 王族が困っていたら、助けたいと思うか?」
妙に心臓に悪い質問だ。王族に直接そんなことを聞かれて、否と答えられる人間がこの国にいると思っているのだろうか。
「もちろんです。命を賭けてでも王家をお守りし、国の安寧を保つのが臣下の務めですもの」
今はどこの国と戦争をしているというわけでもないので、命を賭けて、という状況になることは殆どないが、基本理念は変わらない。貴族のどの家も、私と同じような答えを返すだろう。
「いい答えだ。じゃあ、最後に訊こう」
レナード殿下は、東の空から私に視線を移すと琥珀色の瞳を細めて、意味ありげに微笑んだ。
「第六王子エルドレッドに興味はあるか?」
その名前に、一瞬頭の中が真っ白になる。嫌でも、エルドレッド殿下と初めて出会ったときのことが思い起こされた。
「それ、は……もちろん」
言葉ではそう答えながらも、内心は五年前のエルドレッド殿下の暴言が蘇って落ち着かなかった。どくどく、と脈が早まっている気がする。
「そりゃいい! どうだ、セレスティア嬢。王族の仲間入りをしてみないか?」
「……え?」
あまりに突然の提案に目一杯目を見開いてレナード殿下を見上げれば、彼はにやりと笑って私の手を取った。
「セレスティア嬢、人助けをすると思って、弟の――エルドレッドの妻になってほしい」
この夜、舞踏会の華やかな輪から外れた静かなバルコニーで、確かに私の人生は一変したのだった。
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