『未来から来た男、を自称する男』その7


 俺の考えはこうだった。


 まず、部屋の中を荒らせるだけ荒らす。


 箪笥の引き出しや戸棚を根こそぎ引っくり返す。


 それから現金や、足がつかずにそれなりの高値で売り払えそうな物品を幾つか奪う。


 そして仕上げに、死んだ男に外出用のコートを着せる。


「こうすれば」俺は言った。「この家が留守になっている間に空き巣が入り、そこに帰宅したこいつが出くわしてもみ合いになり、空き巣がアイスピックで刺して殺害し、逃亡という形に見せかけられる」


「で、でも」木谷が言った。「そんなことしたら」


「木谷」


 俺は木谷の両肩を掴み、木谷の両目を見ながらハッキリとこう言った。


「お前は悪くない」


 俺は死んだ男の亡骸を指差した。


「悪いのはこいつの方だ」俺は言った。「こいつが死んだのはこいつの自業自得。当然の報いだ。こんなことで、お前が刑務所に入る必要はない」


「で、でも」


「いいか、木谷」俺は言った。「お前は悪くない。むしろ正しいことをしたと考えろ」


「た、正しいこと?」


「そうだ。お前は悪いやつに罰を与えたんだ。それは何も間違ったことじゃない。お前がこいつを刺したのは正しいことだ」


 それから俺はしばらくの間、木谷に説き続けた。

 お前は悪くない。お前は正しいことをした。罪の意識を感じる必要はない、と。


 最初は戸惑っていた木谷だったが、段々と俺の言うことを受け入れていった。


「そ、そうか。そうだよね」木谷は言った。「わたしが先輩を刺したのは、先輩が悪いことをしたからだもんね」


「ああ、そうだ。その通りだ」


 それから俺は木谷を先に帰らせ、先の考え通り、男の殺害を空き巣の仕業に見せかけるよう偽装工作を施した。

 木谷が言うには、死んだ男の両親は来週まで帰ってこない。死体が発見されるまでそれなりの日数が稼げる。

 死体の発見がある程度遅れれば、死亡推定時刻の正確な割り出しは困難になる。


 死亡推定時刻が細かく判別できなくなれば、“木谷が帰った後に空き巣が入ってきて、そこで殺された”という可能性も検討せざるを得なくなるはずだ。


 俺は全ての支度を終えると、着てきたジャンパーのフードを目深に被り、恐る恐る家の外に出た。


 辺りは真っ暗だった。いつの間にか雲が出ていて、月の光が遮られていた。


 空気は静まり返っていた。この時点で、既に深夜0時を回っていた。通行人の類はひとりもいなかった。これなら恐らく、誰にも目撃されずにこの場を離れられる。


 俺は月明かりすらない夜の闇の中へと足を踏み出していった。




             *




 それからどうなったか?


 結果から言えば、俺のやった偽装工作は成功した。


 警察は、俺の目論見通りに、空き巣による犯行という線で捜査を進めてくれた。


 木谷に疑いの目が行くことはなかった。


 幸運にも、その日に木谷があの家に行くということを、他に知っていた人間が誰もいなかったのが功を奏した。


 とは言え、問題がなかったわけではない。


 事件後、木谷はかなり精神的に不安定になっていた。


 それについてはまぁ、無理もないことだ。


 人を殺してしまったショックに加え、秘密を抱え、それがもしバレたら……という不安から来るストレス。


 精神的な負担は相当だっただろう。


 俺は、事件以降頻繁に木谷と連絡を取り合うようになった。


 俺は毎回木谷に言って聞かせた。お前は悪くない。お前は正しいことをした。だから苦しむことはないし、罪の意識に苛まれる必要もない、と。


 それを繰り返すうちに、段々と木谷の精神状態も快復していった。


 休みがちだった大学にも、普通に通えるようになっていった。


 この調子で行けば、大きく狂ったかに見えた木谷の人生は、再び真っ当な方向へと軌道を修正し、進んでいけるに違いないと思っていた。



 だが、そうはならなかった。





             *




 その事件から、三年くらい経った、ある日のことだ。


 その頃は、しばらく木谷とは連絡を取っていなかった。


 俺は警官の仕事が忙しくなっていって、木谷の方も、就職やら卒論やらで多忙な日々が続き、俺たちは段々と疎遠になっていった。


 そんな中、突然、木谷から会って相談したいことがあると言われた。


 ――もしかしてあの事件のことを自首しようと考えだしたのか?


 俺はそう懸念を抱いたが、結果的にはまったく違う内容だった。


「さあ、入って」


 招かれたのは、高校時代に木谷が住んでいたのとは違う、単身用の小さなアパートだった。


「最近、独り暮らしを始めたんだ」


 殺風景な部屋だった。

 インテリアを彩るようなものが一切なく、あるのは最低限の家具だけ。

 そして部屋中に大量の新聞や雑誌が散らばっていた。


「でね、これを見てほしいんだけど」


 そう言って、木谷は床に散らばっている雑誌の一冊を取り上げて俺に渡した。


「矢井田くん、この事件知ってるかな」


 木谷が開いたページには、当時少し話題になっていたある死亡事故についての内容が記されていた。

 六本木にあるバーで、店員の女性が急性アルコール中毒で倒れ、病院に搬送されたが、そのまま息を引き取ったというものだ。

 女性は大量のテキーラを飲んでいて、それが死亡の原因になったと見られたのだが、それについて、同じ店で働く別の店員からこのような証言があった。


“お客さんの一人が、彼女に無理やりテキーラを飲ませているように見えた”


 疑惑が上がったのは、その店の常連だった男で、そいつは過去にもそのバーで店員の子に無理やり大量の酒を飲ませて面白がるという悪癖があったらしい。


 だが、警察の事情聴取に対してその男は“あの日は彼女が自分から飲んでいただけで、自分は一切飲酒を強制したりなどしていない”という一点張りの主張をしてきた。


 証言をした店員も、死亡した店員のついていた席からは幾らか離れたところで別の客の接客をしており、そこまで正確に事態を把握していたわけではなかった。テキーラの一気飲みを強制されているような雰囲気があったということだが、証言としての効力は弱く、警察としても、状況的には事故として処理するより他なかった。


「ああ、この事件か」俺は言った。「知ってるよ。胸クソ悪い話だよな」


 そして、木谷がこう言った。


「わたし、この男の人のこと





             *





 木谷の言い分はこのようなものだった。


 この事件は、客の男が店員に無理やり飲酒を強制し、その結果として店員が死亡したに違いない。にも関わらず、この男は嘘をついて自分の罪から逃れようとしている。



「この男の人は、悪い人だよね」木谷が言った。「だからわたしが殺そうと思って」


 ――そう思ったんだけど、この人の住んでるところとかもわからなくて、どうしようかなって悩んでたんだよね。でも矢井田くんならさ、この人の住所とか調べられるんじゃないかなと思って。もちろん協力してくれるよね? だって――



「だって、悪い人を殺すのは、正しいことだもんね?」





             *




 ……それからどうなったかって?


 やったよ。


 俺が警察のデータベースからそいつの住所を調べて、木谷に伝えた。


 木谷は驚くほど見事な手際でそいつを仕留めた。


 女という性別で、しかもかなり気弱そうな雰囲気を醸し出している木谷は、ターゲットにまったく警戒されずに至近距離へ接近することを可能にした。


 手の届く範囲にまで接近できたら、あとは急所という一点に向かって凶器を掴んだ手を突き出すだけで事足りた。


 そのときの相手はかなり小柄な男でな。死体をトランクケースに入れてその場から持ち去ることができた。


 そのトランク?


 俺が山奥に捨ててきたよ。


 今でもまだ、見つかってないんじゃないかな。


 事が終わってから、木谷は満面の笑みで俺にこう言ったよ。


「わたしたち、正義の味方だね」


 正義の味方。


 そう。


 それが木谷のアイデンティティになっていた。


 悪いやつを殺す、正義の味方。


 自分をそのような存在として定義するようになっていた。


 そして、その定義に沿い続けるために。


 木谷はというさがを背負わなければならなくなった。


 二度目の殺しから期間が空くにつれて、木谷の精神はどんどん不安定になっていた。


 俺も必死でなだめたが、定期的な殺人なしでは木谷は精神の平衡を保てなくなっていった。


 凡そ2~3年に一度のペースで、木谷は“悪い人”に正義の裁きを下して回っていた。


 最初の内は、ある程度うまく行った。


 念入りに計画を練り、完璧な形で殺しを遂行していった。


 ターゲットと直接的な接点がない木谷が捜査線上に浮かんでくることはなかった。


 だが、数をこなしていくにつれて問題が浮上していった。


 一つは、殺しの手口だ。


 木谷は、ターゲットの殺害において、必ずアイスピックを使用することに拘った。


 手口が固定化すると、一連の事件が同一犯のものだとバレる可能性が高くなるから、極力殺し方は毎回変えるべきだと俺は何度も言ったが、木谷は断固として拒否した。


 恐らくそれも、木谷のアイデンティティの一部として組み込まれてしまったのだろう。


 俺は木谷の殺害後に死体を遺棄したり、或いは死体を損壊させて死因の特定を難化させたりなど、可能な限りの偽装に手を貸した。


 それでも、全てにおいてそういったことがこなせたわけではない。


 例えば、例の広告代理店社員殺しのときだ。


 あのときは木谷がターゲットを殺害してからかなり早い段階で現場であるマンションの地下駐車場に人が入ってきて死体が発見されてしまい、隠蔽工作を挟む隙がなかった。


 おまけに、近隣にあった幾つかの防犯カメラに木谷の姿が写ってしまっていた。


 木谷が捜査線上に浮かぶことを恐れた俺は、木谷に偽の目撃証言をでっち上げさせることで、どうにかして真相を隠そうとした。


 そして、それは上手くいき、こちらの目論見通りに警察は存在しない“黒いハイエースの男”を探ることになり、木谷に疑いの目が行くことはなかった。


 そう。


 あの日、村西が木谷に目を付けるまでは。





                 ◆◇◆




 それから俺は、木谷のアパートに泊まり込んで、震える木谷を一晩中なだめ続けた。


「大丈夫だ、木谷。心配することはない」俺は言った。「村西は、お前が誰かからカネを受け取って殺しの仕事を引き受けたと勘違いしている」


「わ、わたし」木谷が言った。「お金なんて、う、受け取ってないよ」


「ああ、その通りだ」俺は言った。「これから村西はカネの動きを探ることになるだろうが、そこで報酬を受け取った形跡がないとなれば、あいつも疑いを解くはずだ」


 だから木谷、大丈夫だ。何も心配しなくていい。ほら、落ち着いて。深呼吸しよう。大きく息を吸って、吐いて。よし、いいぞ。その調子だ。


 そうやって木谷をなだめながら、俺の頭の中はある一つの問題について考えを巡らせていた。


 ……どうやって木谷の疑いを解くか?


 それもある。


 でも、そのとき俺が考えていたのは、別のこと。


 そう。


 あの、玖島という男。


 あの、過去作り変え師を名乗るあの男が言った言葉を、俺は思い出していた。


 “――ええ、他殺で間違いないと思います”


 “――アイスピックか何かで首を刺されて死亡していた、と記事に載っていましたので”


 あの日、取調室で別れ際にヤツからその言葉を聞いたときから、ずっと俺の頭には一つの想像が浮かび続けていた。


 もし、あの男が本当に未来からやって来たのだとしたら。


 もし、あの男の言っていることが真実なのだとしたら。


 俺は、


 




 ――――――――――――――――――――――――――――――――



『未来から来た男、を自称する男』その8 に続く。


(次回更新→2020/12/28  21:00)


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