『未来から来た男、を自称する男』その6
「どういうことなの? 矢井田くん」木谷が言った。「わたし、ちゃんと言われたとおりにやったよ?」
「ああ、お前は悪くない」俺は言った。「俺の判断ミスだ」
俺は、夕方木谷のアパートで事情聴取をした帰りに、車中で村西と話したことをかいつまんで伝えた。
「正直、村西があそこまでするとは思わなかった」俺は言った。「まさかアイスピックを見つけるとは……」
「そんな」木谷が言った。「わたし、矢井田くんに言われたから急いで戸棚の奥に隠したのに」
「お前が悪いんじゃない」俺は言った。「俺がもっと、確実に見つからないような隠し場所を考えておくべきだった」
「これから、どうなるの?」木谷が言った。「わたし、捕まっちゃうの?」
木谷は自分の両肩を自分の手で掴みながらタガタと体を震わせた。
「木谷、落ち着け」俺は言った。「大丈夫だ。俺がどうにかする」
「やだよ、そんなの。やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
「落ち着け。大丈夫だ。俺がついてる。しっかりするんだ。ほら、大きく息を吸って」
「だって。だって、もし。捕まっちゃったら」
木谷が言った。
――捕まっちゃったら、
――もう、
――悪いひとを殺せなくなっちゃう。
◆◇◆
……木谷と俺の関係?
どこから話したもんだろうな。
これはこれで話すと長くなるんだが。
一応、こっちから先に話しておくか。
まず出会ったのは高校の時だ。
クラスメイトでな。
高一の秋に、教室で木谷が俺に話しかけてきた。
「矢井田くん、ちょっといいかな?」
神妙な顔で、そう訊ねてきた。
最初は、何事かと思ったよ。
木谷は成績優秀で、品行も方正。真面目な優等生タイプだった。
一方、俺の方は成績も悪く素行も悪い、いわゆる不良タイプ。
こういう優等生タイプの女子からはろくに接点もなかったし、どちらかと言えば避けられていたくらいだ。
俺はその頃から、かなり厳つい顔つきをしていて、高一の時点でガタイもかなり良かったからな。
俺が「なんか用か?」と聞くと、木谷は言った。
「矢井田くんって、確かお父さんが警察官なんだよね?」
「そうだけど」俺は言った。「それが?」
「実は、わたし、その、最近男の人に付きまとわれるようになって」木谷が言った。「こういうのって、警察の人に頼めば、なんとかしてもらえるのかな?」
それから、俺は木谷から詳しい事情を聞き出した。
木谷の話によると、木谷は少し前に部活でやってる百人一首の練習試合だかなんだかで他校に遠征に行った。そこで、その学校の男子生徒の一人と知り合った。
知り合った、といっても実際は少し会話をしただけということなのだが、それ以来、その男子生徒が木谷の周辺をうろつくようになったらしい。
登校時はいつも電車の同じ車両に乗っていて、夜になると木谷の家の周りに出没し、じっと木谷の部屋の窓を見つめて、何時間もその場に居座っていたりする、と。
「その男に具体的になんかされたりしたのか?」俺は言った。「たとえば体を触られたりとかよ」
「そういうことはされてないんだけど……」
「親父から聞いたことあるけど」俺は言った。「ただ付きまとってるだけだと警察は逮捕したりできないんだとよ」
その頃は、まだストーカー規制法が制定される前だった。
今だったら、付きまとったり家の周りをうろついて見張ったりしているだけでも警察が動けるようになってるのだが、当時ではそうはいかなかった。
俺の言葉を聞いて、木谷は顔を曇らせた。
「その、今、お父さんが担任赴任中で、家にはわたしとお母さんしかいなくて」木谷は言った。「それで、その、わたし怖くって」
俯きながらそう話す木谷に、俺は言った。
「木谷の家ってどこにあるんだ?」
*
その日の夜、俺は木谷から聞いた自宅の住所を訪ねてみた。
到着すると、それらしい男はすぐ見つかった。木谷の家の前に立って、じっと二階の部屋の窓を凝視している。
俺はその男の肩を掴んで言った。
「おい、アンタちょっと面貸せよ」
そう言って近くの路地裏に男を引っ張り込んだ。
俺としては、可能であれば穏便に話し合って終わらせるつもりだった。だが、その男はまるで話が通じなかった。「自分は木谷さんと正式にお付き合いしてるんだ」と一貫して主張し続けていた。言い訳とかじゃなく、本気でそう信じ込んでいることが表情と口ぶりから察せられた。
俺はそいつの胸ぐらを掴んで喉首を締め上げながら、言った。
「二度と木谷の周りをうろつくんじゃねえ。もし次にあいつの前に姿を現したら、その両脚へし折って、二度とあいつの前の前に立てないようにしてやるからよ」
それから何日かして、木谷がお礼を言ってきた。
あの日以来、その男が自分の周りに姿を現さなくなった、と。
「本当にありがとう、矢井田くん」
木谷が俺に向かって言った。
「矢井田くんって、正義の味方だね」
*
で、それから木谷との付き合いが始まった。
昼休みに二人で弁当を食ったり、休みの日に時々一緒にでかけたりするようになった。
……別に彼氏とか彼女とか、そんなような関係ではなかった。
俺としては、そういう関係になりたいと望んだこともあった。
でも、木谷はこう言った。
「わたしたち、まだ高校生だし、その、そういうのって、まだ早いと思うの」
といった具合でな。
結局、大した進展もないまま、俺と木谷は高校を卒業した。
木谷は大学に進学。俺の方は警察への就職が決まった。
高三の時、俺が警官になりたいと言ったら親父は随分驚いたよ。
高一の夏くらいまでは俺は「親父みたいに警官には絶対ならねえ」って言ってたからな。
親父を間近で見てきたら、この仕事のしんどさは身に沁みてたからな。
でも、木谷が言った、あの言葉。
――矢井田くんって、正義の味方だね。
あの言葉が、俺に警官の道に進むことを決意させた。
卒業式の日に、木谷と話したことは今でも覚えている。
「わたし、大学で法律を学んで、将来は検察官になろうと思ってる」木谷が言った。「もしかしたら、将来、矢井田くんと一緒に仕事する日が来るかもしれないね」
「そりゃいいな」俺は言った。「楽しみにしてるぜ」
*
それから二年の月日が経った。
俺は警察学校を卒業して、交番勤務の警官になった。
毎日せっせと働いたよ。酔っぱらいやチンピラ、暇な年寄り、暗くなってるのに無灯火で自転車に乗るやつなんかを相手にしてな。
そんなある日、突然木谷から連絡があった。
その日は久々に取れた休日で、俺は一日中自宅でごろごろして、日々の激務で疲弊した身体を
時間は、確か夜22時くらいだったと思う。
そろそろ風呂に入って寝ようかなと思っていたところに、携帯の着信音。
画面には『木谷寧々』の名前が発信先として表示された。
俺は、急にどうしたのかと思ったよ。
高校卒業以来、ここ二年間に渡り、木谷とは連絡を取っていなかった。
「もしもし?」俺は電話に出た。「久しぶりだな。どうしたんだ?」
俺がそう言ったが、木谷からの返答はすぐには帰ってこなかった。
聞こえてくるのは、過呼吸になった人間が放つような極めて短い周期で繰り返される呼吸の息遣い。
「木谷?」俺は言った。「おい、どうしたんだ? 何かあったのか?」
それから少しして、電話口から声が聞こえた。
『……や、矢井田くん……』
木谷の声だった。
だが、その声色は今までの木谷との会話では聞いたことがないような、過剰な緊張感と切迫感を感じさせるものだった。
『わ、わたし、その』木谷が言った。『あ、あ、どうしよう、わた、わたし、ああ、どうしよう、その』
木谷の発言はまったく要領を得ないものだったが、少なくとも、何かとんでもないことが起こっているということは察せられた。
「落ち着け、木谷」俺は言った。「今どこにいるんだ?」
*
そこから俺は大急ぎで木谷から聞き出した場所へと向かった。
そこは高級住宅地の一角に建つ、三階建の一軒家だった。
時間は、その時点で23時くらいだったと思う。
辺りは暗く、静まり返っていた。俺以外には通行人もいなかった。
到着した俺はインターホンを鳴らし、それからドアに顔を近づけて言った。
「木谷、俺だ。矢井田だ」
それから少しして、ドアが内側からゆっくりと開けられた。
そのとき、開いたドアの隙間から見えた木谷の表情は、今でも目に焼き付いている。
家の中の玄関口は照明がつけられておらず、月の光だけに照らされて薄闇の中に浮かび上がった木谷の顔。
それが、俺が生まれて始めて見た、
人を殺してしまった人間の顔だった。
*
家の中に入ると、そこには木谷一人しかいなかった。
少なくとも、生きている人間は。
ああ。
そうだ。
家の中で、男が一人死んでいた。
場所は、リビングのソファーの上。
死因は、ひと目でわかった。
その男の首筋に、深々と刺さっていたのだ。
一本の、アイスピックが。
俺は木谷の方に目を向けた。
木谷の着衣には、明らかに乱れがあった。上着のボタンが幾つか取れていて、無理やり脱がせようとした痕跡がありありと見えた。
それから、俺は木谷を落ち着かせて、事情を聞き出した。
死んでいる男は木谷の大学の先輩で、入学当初からしょっちゅう声を掛けてきて、頻繁に飲みに誘われた、と木谷は話した。
木谷はずっと「自分はまだ二十歳になっていたいので」と言って断り続けてきたのだが、少し前に木谷は二十歳の誕生日を迎えて、その断り文句が使えなくなってしまった。
――木谷ちゃん、ようやく二十歳になったんだって? おめでとう~。これでようやく俺と飲みに行けるね。え? いやいや、もう断る理由なんてないっしょ? そういえばさ~、俺ん家って自宅にホームバーがあんだよね。親父がそういうの好きでさ、俺も自分でカクテルとか作ったりすんだよね。アルコール初心者でも飲みやすいカクテルとか色々作れっからさ、今夜ウチで一緒に飲まない? え? ああ、親のことなら心配しなくていいよ。両親とも今家空けてて来週まで帰らないからさ。いやいや、そんなことしないって。ただちょっと酒飲んで話するだけだからさ……
あまりにしつこいので木谷は渋々誘いに応じて、男の自宅を訪れた。
あとはまぁ、詳しく話さなくてもわかるだろう。
二人で酒を飲み交わすうち、男の方が木谷に対して強引に性的接触を迫った。木谷は抵抗した。もみ合いになり、木谷は反射的に近くにあった氷入れからアイスピックを掴んで男の首に突き刺した。
それで男は死んだ。
……こうして話してみると、改めて思うが。
本当に、しょうもない事件だよな。
仮に、この事件がメディアで報道されたとしても、きっと殆ど話題にもならずに消えていくだろう。
俺だって、ニュースでこんなような事件が流れても、見終わった直後に忘れてると思う。
だが、関わってしまった人間にとってはそうではない。
今後の人生を一変させるくらいのインパクトがそこにはあった。
木谷も、それは重々承知していたに違いない。
この一夜で、自分の人生の歯車が音を立てて外れ落ち、これから先は、昨日までは想像したこともないような異形の未来に進むことを余儀なくされたということを。
「わたし、その」木谷が言った。「自首したほうがいいのかな、やっぱり」
俺は何も言わなかった。
「自首、するべきなんだよね、きっと」木谷は言った。「そうだよね。ひと、殺しちゃったんだもんね」
俺は何も言わなかった。
状況的に、情状酌量の余地は充分にあった。木谷には前科もない。自首して真っ当に裁判を進めれば、おそらく懲役七年か八年あたりで片がつくだろう。
懲役七年か八年。
どうだろう。
大したことない、と思うだろうか?
人によっては、そうかもしれない。
だが、少なくとも当時の俺には、そうは思えなかった。
木谷はまだ二十歳だ。
これから訪れる二十代の貴重な時間の大半を、檻の中で無残に消費することになる。
出所後も、過酷な道のりが待ち受けていることは容易に想像できた。
就職するにも、結婚するにも、このことはついて回るだろう。
そんなことになっていいのか?
こんなしょうもないことが原因で木谷の人生が狂っていいのか?
「木谷」
俺は言った。
「俺に考えがある」
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『未来から来た男、を自称する男』その7 に続く。
(次回更新→2020/12/27 21:00)
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