『未来から来た男、を自称する男』その5
部屋には、俺と木谷の二人だけが残された。
木谷はハンカチかなにかで村西がこぼした緑茶を拭いて、俺はその場に座ったまま、黙って木谷の動きを見ていた。
扉を隔てた台所から、水道から流れる水の音と、「うわー、ヒリヒリする」という村西の声が聞こえた。
「悪かったな、うちのもんが」と俺は言った。
「いえ、別に」と木谷が言った。
それからしばらくの間、沈黙が続いた。
具体的にどれくらいの時間だったかはもうよく覚えていない。
俺か木谷、どちらかが口を開くよりも先に村西が台所から戻ってきた。
「いやぁ、先程は失礼したっス」村西が言った。「ホント、迷惑かけてしまって申し訳ないっス」
「本当ですよ」木谷が言った。「迷惑です、本当に」
その声色には、あからさまな不機嫌の色が滲んでいた。
おそらく村西もそれを感じ取ったのだろう。俺がなにか言うよりも先に「えーと、じゃあこれで失礼するっス」と、話を切り上げ始めた。
「どうも、ご協力に感謝っス」村西が言った。
「じゃあ、失礼する」と俺が言った。
木谷は何も言わなかった。
俺と村西が部屋を出るときも、木谷は見送りもせず、俺達が退出した直後に、バタバタと廊下を走る足音が聞こえ、それからガチャンという錠を内から閉める音が、冬の冷たい空気を震わせた。
◆◇◆
「ちょっとぉ、矢井田さん。なんなんすかもう、あの態度は」
車に戻るなり、村西は俺に悪態をついてきた。
「ありゃ幾らなんでも“悪い警官”が過剰っすよ」
「悪い。俺もありゃちょっとやり過ぎた」
俺は助手席に座りながら言った。
「あの木谷って女のオドオドした態度を見てたら、なんか苛ついちまってな」
村西は「勘弁してくだいよ、もう」とぶつぶつ言いながら、車を発進させた。
走り出した車がスムーズに速度を上げていき、俺の身体に加速Gの圧が加わってくる。
「殺し屋の話とかするっスか? 普通」村西が言った。「そりゃまあ、自分が言いだしたことっスけど」
「もし本当に木谷が殺し屋だったら」俺は言った。「図星を突かれたショックで何かしらボロを出すんじゃないかと思ったんだよ」
――でも、それらしいものは出てこなかったな。と俺は言った。
「じゃあ矢井田さん的には、木谷寧々はシロって見立てスか?」
「まあ、今の所はな」俺は言った。「怪しくないとは言わんが、話してる内容は概ねスジが通ってる。即興で言い訳を作り上げたようには見えなかった」
「自分としては」村西が言った。「むしろかなりクロ寄りって見立てっスね」
俺はタバコを取り出して口に咥え、火を点けた。
「そりゃまたどういう理由でだ?」俺は言った。「聞かせてくれよ、お前さんの名推理を」
「まず一つは」村西が言った。「二年前の広告代理店社員殺しで目撃証言を出した件について、一切触れなかったことっスね」
「ああ、そこか」俺は言った。「そこは俺もちょっと気になってたとこだな」
「自分、わざとあの件についてはこっちから触れないようにしてたんスよ」村西が言った。「矢井田さんもスか?」
「ああ、俺もそうだ」俺は言った。「向こうの出方を伺いたくてな」
「普通、話題に出てきそうなもんじゃないスか?」村西が言った。「わたし前にも殺人事件の目撃証言で警察に事情聴取されたことあるんですけど~とか何とか、言ってきそうなもんじゃないっスかね」
「つってもまぁ、二年も前の事件だしな」俺は言った。「忘れててもおかしくはないし、そのへんはなんとも言えんが」
「忘れるなんてことありますかね?」村西が言った。「殺人事件の目撃証言を警察に提供するのって、まあまあ珍しい体験じゃないっスか?」
「あるいは、言及したら話がややこしくなって面倒になりそうだから、黙ってたのかもしれない」俺は言った。「あの木谷って女、見るからにコミュ障っていうか、人と話すのが苦手そうなタイプだしな。話を無駄に長くするのを避けたかったってのはありそうだ」
俺がそう言うと、村西は「それは確かにそうっスね」と言った。
「ただ、実はもう一つ、木谷が疑わしい理由があるんスよ」
「ほう、そりゃ何だ?」
「自分、木谷の家で見つけたんスよ」
「見つけた? 何をだ?」
「アイスピックっス」
――そこで、目の前の信号が赤に変わり、村西が急ブレーキを踏んで俺の身体が前方に投げ出されそうになった。
「……アイスピックがあった?」俺は言った。「おい、マジかよそれ」
「自分、話の途中でお茶をこぼして、それから台所に行ったじゃないスか」
村西が言った。
「あのとき、台所にある戸棚を幾つか開けて見てみたんスよ」
「お前、あの時そんなことしてたのかよ」
「で、買い置きのレトルト食品なんかを仕舞ってる棚の奥にですね、一本だけぽつんと置かれてたんスよ」村西が言った。「アイスピックが」
そこで、信号が青に変わり、車が再び前進を始めた。
「これはかなり怪しくないっスか?」村西が言った。「アイスピックなんて普通の家にはそうそう置いてないっスよ」
「まぁ、確かにそうだな」俺は言った。「でも宅飲みが好きなやつとかなら、持ってることもあるんじゃないのか」
「もちろん自分もそれは考えたんスけど」村西が言った。「あの家、アルコールの類は一切置いてなかったんスよ」
「お前、そんなとこまで調べてたのか」
「冷蔵庫の中にもなかったし、戸棚の中にも醤油とかみりんの瓶はありましたけど、酒瓶は一本もなかったんスよ」村西が言った。「酒飲まない人間がアイスピック使う理由なんて人刺すくらいしかなくないっスか?」
「そこまで言い切るのもどうかと思うが」俺は言った。「確かに疑わしい部分はあるな」
「矢井田さんもそう思うっスか?」村西が言った。「やっぱあの木谷が殺し屋なんスよ、きっと。これはもう急いで逮捕状の発行請求したほうがいいっスかね」
「幾らなんでもこの条件だけじゃ逮捕状は降りねえよ」
俺は走行する車内から窓の外を見た。
まだ十九時前だったが、冬の空はもうすっかり暗くなっていて、ビル街が放つ人工の光だけが街の景色を照らし出している。
「もし木谷が殺し屋だったとしたら、依頼人から少なくないカネを受け取ってるはずだ」俺は言った。「木谷の口座情報を洗って、不可解なカネの動きがないが調べてみよう。殺しの報酬を受け取った痕跡が、どこかに残ってるかもしれない」
「了解っス。早速取り掛かるっス」村西が言った。「あとレンタカーの記録も探っといたほうがいいっスかね?」
「レンタカー?」
「木谷が言ってたじゃないっスか。事件当日はレンタカーに乗ってて、返却期限が迫ってたから急いでて、それでスピード違反で捕まったって」村西が言った。「もし木谷が殺しの逃亡用にレンタカーを借りてたとしたら、事件発生時刻が返却期限ギリギリだったかどうかは怪しいと思うんスよね」
「確かにそうだな」俺は言った。「レンタカーの方は俺が調べてみよう。村西、お前は木谷のカネの動きの方を追ってみてくれ」
俺がそう言ったあたりで、車は警視庁の本部庁舎にたどり着いた。
◆◇◆
それから俺はデスクでその日の報告書をざっとまとめ上げ、職場を後にした。
庁舎から外に出ると、暖房の効いた屋内との寒暖差で身体がぶるっと震えた。
それから俺は駅に向かって歩いていった。
まだ十二月の初めだというのに、街はもうクリスマスムード一色だった。至る所で、赤色と緑色と電飾が目に入った。
途中の交差点で信号待ちをしながらスマホを見ると、インスタグラムにダイレクトメッセージが一件、届いていた。
[今夜、会える?]
俺は[今からそっちに行く]と返信をし、来た道を引き返した。
普段使っているJR線ではなく都営線の駅に行き、そこから何本か電車を乗り継いで彼女の家へと向かった。
いつものように合鍵を使ってドアを開け、玄関から廊下を進み、居間に入る。
いや、居間と言っても彼女の部屋は単身用の1Kアパートで、正確には居間のように整えられた一角、と言うべきか。
俺はガラス板の三角テーブルの前に座った。
「……まずいことになってきている」
俺は、三つ折りに畳んだ布団の上に座っている木谷に向かって、そう言った。
――――――――――――――――――――――――――――――――
『未来から来た男、を自称する男』その6 に続く。
(次回更新→2020/12/26 21:00)
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