『未来から来た男、を自称する男』その4
その日の夕方、十七時頃に俺と村西は木谷寧々の住居を訪ねた。
二階建ての、古びたアパートだ。二階行きの外付け階段は塗装があらかた剥がれ落ちていて、階段の軒下に、フレームの錆びた自転車が停めてあった。
俺と村西は木谷の住んでいる二○三号室の扉をノックした。応答なし。村西が「木谷さんいらっしゃいますか?」と声をかけたが、やはり返事はなかった。
「留守みたいっスね」村西が言った。「ホテルの清掃員の仕事なら、夕方くらいには終わってると思ったんスけど」
「仕事が終わって真っ直ぐ帰ってくるとは限らねえだろ」俺は言った。
「確かにそうっスね」村西が言った。「買い物に行ってるのかもしれないし、仕事帰りにジムに寄ったりとかしてるのかもしれないっスね」
俺は「帰るか?」と言ったが、村西は「車で待ちましょう」と言った。
「かったりいなぁ」
俺は付近の路肩に停めた覆面パトカー車の助手席に戻り、タバコに火を点けた。
「矢井田さん、この事件には全然乗り気じゃないっスよね」村西が運転席に座りながら言った。
「そりゃ当たり前だろ」俺は言った。「お前、刑事の仕事がどういうもんなのか知らねえのか?」
「何いってんスか、知らないわけないじゃないスか」村西が言った。「犯人を挙げることが仕事っスよ」
「そうだな、その通りだ」俺は言った。「じゃあこの仕事の評価基準は何だ?」
「そんなの決まってんじゃないスか」村西は言った。「どんだけ犯人を挙げたかっスよ」
「つまりだな、犯人を挙げた件数で評価されんだから、こういう犯人の特定が難しい事件はやるだけ損なんだよ。短期間で簡単に解決できる事件も、時間のかかる難事件も、一件は一件なんだ。もっとパパっと終わらせられそうな事件をひたすらこなしてったほうが点は取れる」
俺は開いた助手席の窓に顔を向け、肺から紫煙を吐き出した。
「もっとこう、犯人が丸わかりなのにそいつは否定していて、後はどうにかしてそいつから自供を引き出すだけ、みたいな事件をやりたいね、俺は」
「でもそんなんばっかりじゃつまらなくないっスか」村西は言った。「犯人が誰かわからない事件のほうが、解決できたときヨッシャーってならないっスか?」
「お前さぁ、もしかして推理小説とか好きなのか?」
「えっ、なんでわかったんスか?」
そこから村西は、聞いてもいないのに「自選・どんでん返しが凄かった推理小説トップテン」を十位から昇順で語り出した。
俺は八位あたりでまともに聞くのをやめてスマホでインスタグラムを開いていたが、村西はお構い無しで一方的にあのトリックがどうだこうだという話を延々と続けていた。
そんな中、どこかのタイミングで村西が唐突に口を止め、フロントガラス越しに何かを指差した。
「矢井田さん」村西が言った。「来たっスよ」
指差された方に目を向けると、一人の女が買い物袋を提げてアパートの方へと歩いていくのが見えた。
木谷寧々だった。
……どんな女だったかって?
とにかく地味な女だったよ。化粧っ気のない顔に、無造作に後ろに引っ詰めた髪。服装は灰色のダウンにブルーのジーンズ。靴はスニーカーだった。
「あれが噂の女殺し屋サマか」俺は言った。「それにしちゃ随分と華がないな。俺はもっとこう、峰不二子みたいなのを想像してたんだが」
「何言ってんスか矢井田さん」村西が言った。「マンガじゃないんだから幾らなんでも派手で色っぽい女殺し屋なんてさすがにいないっスよ」
お前がそれを言うか、と俺は思った。
「どうします?」村西は言った。「ここで声掛けます?」
「いや、まだ待て」俺は言った。「路上だと万一逃げられたりしたら面倒になる。一度部屋に戻ってからだ」
木谷はそのままアパートの方へと向かい、階段を上って行き、俺達のいる車からは死角になる位置に消えていった。
「先に役割を決めておこう」俺は言った。「村西、お前はニコニコ笑って友好的な雰囲気で行け。俺はお前の傍らで、威圧的な雰囲気を出してプレッシャーを掛ける」
「良い警官・悪い警官作戦っスね」村西が言った。「了解っス」
俺と村西は車を降りて、木谷のいる部屋、203号室へ向かった。
「木谷さん。木谷寧々さん」
村西がそう言いながらドアをノックする。三回ほど叩いた後、ゆっくりとドアが開いた。
僅かに開いたドアの隙間から、木谷が顔を覗かせた。
木谷は無言のまま村西を見て、それから俺の方に視線を向け、もう一度村西へと視線を戻した。
「何か御用ですか?」
「お疲れのところ申し訳ないっス」村西が警察手帳を見せながら言った。「実はですね、捜査中の事件のことで木谷さんに質問したいことがありまして」
「捜査中の事件?」木谷が言った。「何かわたしと関係があるんですか?」
「ああ、そうだ」俺は言った。「じっくり話をしたいたいので、中に入れてもらいたいんだが」
「ちょっと矢井田さん、そんな強引な」村西が言った。「いやそんな大した話じゃなくて、参考程度に話をお聞きしたいだけなんスけど」
「別に構いません」木谷が言った。「どうぞ、あがってください」
◆◇◆
俺と村西は部屋の中に入り、居間に通された。
居間、と言っても木谷の部屋は単身用の1Kアパートで、正確には居間のように整えられた一角、と言うべきか。ガラス板の三角テーブルとクッションが置かれた一角。同じ部屋内の壁際には布団が三つ折りにして畳まれている。
「どうぞ座ってください」木谷が言った。「何かお飲み物でも用意しましょうか?」
俺は「結構」と言い、村西は「熱いお茶が貰えるとありがたいっス」と言った。
木谷が台所から湯呑を一つだけ持ってきて村西の座るテーブルの前に置き、自身も腰を降ろした。
「それで」木谷が言った。「何についてお話すればいいんでしょうか?」
「ええとっスね」村西が言った。
「二週間前に起きた、自称霊能力者殺しの事件についてだ」俺は言った。「メディアでも報道された事件だが、知ってるか?」
「ええ、テレビでやってたのを見た記憶があります」木谷が言った。「その事件がどうしたんですか?」
「二週間前、木谷さんはスピード違反で罰金を取られてるっスよね」村西が言った。「実は、その時間帯はあの自称霊能力者が殺されたのと大体同時刻で、検問に引っかかった場所も、現場に近いところだったんスよ」
「ええと」木谷は言った。「それって、つまり」
「お前があの自称霊能力者を殺したのか? って聞いてんだよ」俺は言った。「殺した後、急いで現場から逃げようと車を飛ばしすぎてスピード違反しちまったのか? なあ、どうなんだ? ああ?」
俺はそう言いながらフローリングの床に拳を叩きつけた。
その打撃音に反応して、木谷がビクッと身体を震わせた。
「ちょっと矢井田さん、落ち着いてくださいっスよ」村西が言った。「すいません、この人ちょっと荒っぽいもんで」
「わたし、そんな」木谷が言った。「殺してなんて……」
「ええ、もちろんわかってるっスよ。つまりっスね、あの日木谷さんが車を走らせていた時間と場所的に、木谷さんが犯人を目撃したんじゃないかと思ったんスよ。今日はそれを聞きに来ただけなんスよ」
村西はへらへらとした笑みを浮かべながら、うつむく木谷を宥めるような口調で言った。
「どうっスかね。何か怪しいものを見たりしなかったっスか?」村西が言った。「些細なことでもいいっス。何か思い出したことないっスか」
「いえ、特に何も」木谷が言った。「そのときは、わたしも急いでいたので。あまり周りに注意を向けてなかったので」
「スピード違反するくらいだもんな」俺が言った。「何をそんなに急いでたんだ?」
「あのときは、その」木谷が言った。「レンタカーの返却期限が迫ってたので」
「レンタカー?」村西が言った。「自家用車じゃなくて、レンタカーに乗ってたんスか?」
「ええ、そうです」木谷が言った。「その日はレンタカーを借りて、奥多摩までドライブに行ってたんです」
「へぇー、いいっスね」村西が言った。「友だちと行ってきたんスか?」
木谷が小さな声で「いえ」と言った。
村西が「じゃあ彼氏さんとっスか」と訊ねると、木谷がもごもごと口ごもるような素振りをした。
「一人で行ったのか?」
俺がそう言うと、木谷が小さな声で「はい」と言った。
「一人でレンタカー借りてドライブとは」俺は言った。「また随分と変わった趣味があったもんだな」
「わたし、その」木谷が言った。「友だちがあまりいなくて」
「じゃあ男もいないのか?」と俺が言うと、村西が「矢井田さん、失礼っスよ」と言った。
「でもなんでわざわざレンタカー借りて行ったんスか?」村西が言った。「電車で行ったほうが安上がりじゃないっスか」
「わたし、その、電車があまり好きじゃないんです」木谷が言った。「人がたくさんいるところにずっといると、頭が痛くなるんです」
「その割には」俺は言った。「自家用車は持ってはいないんだな」
「自家用車を持つと、その、維持費が掛かるので」木谷が言った。「このアパートは駐車場がないからよそで借りないとならないし、その、わたしあんまり裕福じゃないので」
「裕福じゃないので、か」俺は言った。「殺し屋ってのはそんなに実入りの悪い仕事なのかね」
「こ、殺し屋?」木谷が言った。「なにを言ってるんですか?」
「実を言うとな木谷さん」俺は木谷に顔をぐっと近づけながら言った。「あんたが実は凄腕の女殺し屋で、誰かから金を積まれてあの自称霊能力者殺しを請け負ったんじゃなかと、そういう可能性を検討していてな」
俺が「なあ? 村西」と言うと、村西がバツの悪そうな顔で「うぇっ?」と言った。
「やめてください」木谷が言った。「わたし、殺し屋なんかじゃありません」
「そ、そうっスよ矢井田さん」村西が言った。「幾らなんでもぶっちゃけすぎっスよ」
「あなたたちなんなんですか」木谷が言った。「いきなり人の家にやってきて、人のことを殺し屋だとかなんとか。警察の人って、こういうことするんですか?」
「ああいや、違うんスよ」村西が言った。「なんて言うかっスね、その」
その時だった。
木谷に向けて弁解するように手をバタバタと振り回すジェスチャーをしていた村西が、その手を湯呑みにぶつけた。
中身がこぼれ、村西の手の甲にかかった。
「熱っ!」村西が言った。「あわわ、すいませんっス」
「だ、大丈夫ですか?」木谷が言った。「今、拭くものを」
「ちょ、ちょっと水で冷やしてくるっス。台所お借りするっス」
村西が赤くなった手の甲に息をふーふーと吹きかけながら、バタバタと足早に部屋を出ていった。
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『未来から来た男、を自称する男』その5 に続く。
(次回更新→2020/12/25 21:00)
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