『未来から来た男、を自称する男』その8
それから何日かは、何事もなく過ぎていった。
こちらの目論見通りに、村西は木谷のカネの動きを追っていたが、殺しの報酬を受け取ったと思えるような形跡は一向に見つからず、捜査の進展は見られなかった。
レンタカーについても同様で、実際に木谷の発言通り、スピード違反で捕まった時刻が、レンタカーの返却期限ギリギリだったことは、レンタカー会社に問い合わせることで確認ができた。
これも、こちらの目論見通りに進んでくれた。
あの日、十二月七日の朝に、木谷への事情聴取が決まってから、俺はどうにかしてこの状況を切り抜けられないかと策を練った。
村西は朝一で木谷の家を訪ねようと言い出していたが、俺が「今から行っても出勤直前とかで時間取らしちゃくれねえだろ」と言って、訪問時間を夕方まで遅らせた。
それから俺は昼前に木谷と連絡を取り、事情聴取に備えて架空のストーリーをでっち上げた。
レンタカーの返却期限が迫っていたというのは、事実だ。
あの日、木谷は件の自称霊能力者を殺すためにレンタカーを借りてターゲットの自宅付近に向かった。帰宅した瞬間を狙うという運びだったが、こちらの予想より帰宅時間がかなり遅く、殺害を実行したときには、本当にレンタカーの返却期限がギリギリだった。
奥多摩にドライブに行ったというのは勿論嘘だが、これについては確認のしようがない。最初は友だちと行ったという話にしようかとも思ったが、それだと「じゃあその友だちの方にも話を伺いたいんスけど」などと言い出される可能性があったので、一人で行ったということにした。幾らか不自然ではあるが、これならボロが出る心配もない。
――この調子で行けば、木谷は捜査線上から外せられるだろう。
俺はデスクでの報告書づくりを中断し、一服しようとポケットに手を入れてタバコを取り出した。
そのとき、タバコの箱と一緒に一枚の名刺がポケットから出てきた。
ああ、そうだ。
あの、玖島という男から受け取ったものだった。
俺は、この時点でもまだ、あの男の発言をどう受け取るべきか決めあぐねていた。
“――ええ、他殺で間違いないと思います”
“――アイスピックか何かで首を刺されて死亡していた、と記事に載っていましたので”
ただのいたずらか、或いは狂人の妄想だとしたら、何故ここでアイスピックが出てくる?
俺と、木谷の繋がりについて知っているものは誰もいない筈だ。
可能な限り足がつかないよう、ここ何年かは電話やメールでの連絡は絶っていた。
直接会って話すか、或いはお互いに匿名で作成したインスタグラムのアカウントのダイレクトメッセージを介してのみやり取りするよう徹底していた。
にも関わらず、アイスピックで刺されるという死因を持ち出してきた理由は?
俺はあの日、十二月七日に玖島と話しをしたときの記憶を可能な限り思い出そうとしていた。
もし、
もし、仮にあの男が言っていることが本当だとしたら。
俺は、いつ、どこで死ぬという話だったか?
そう、確か話していたはずなのだ。俺が何月何日に、どこで死体となって発見されたか、ということを。
だが、あの男がその辺りの話をしている段階では、俺はあいつの話をまともに聞いていなかったため、その部分の情報は完全に記憶から消え去っていた。
俺はあの男から受け取った名刺を見た。
名刺には電話番号とメールアドレスが載っている。
……連絡して、確認してみるか?
そのようなことを考えていたときだった。
「矢井田さん、ちょっといいっスか?」
出し抜けに、村西が俺に話しかけてきた。
「例の自称霊能力者殺しの件で、木谷寧々のことなんスけど」
「ああ」俺は言った。「どうだ? 殺しの報酬を受け取ったような形跡は見つかったか?」
「いや、それが全然なんスよ」村西が言った。「毎月の職場の給料以外に収入を得ている様子は全然ないんスよね。支出の状況も、給料の範囲内に見合ったものばかりで」
「だから言っただろ」俺は言った。「殺し屋なんていないんだよ」
「うーん、そうなんスけど」村西が言った。「それでも引っ掛かることがあるんスよね」
「アイスピックの件か?」俺は言った。「そりゃあれだろ。昔付き合ってた男が酒好きで、そいつと一緒だったときは使ってたけど、別れてから使わなくなったとか、そんな感じだろきっと」
「いや、それじゃなくてっスね」村西が言った。「レンタカーの件なんスけど」
「レンタカーの件ならもう確認取れただろ」俺は言った。「あの日、スピード違反で捕まった時間は実際にレンタカー返却期限のギリギリだったって」
「いえ、違うんス」村西が言った。「自分が気になったのは走行距離なんスよ」
そう言いながら、村西はA4用紙に印刷された一枚の表を差し出してきた。
「これ、レンタルされた車の走行距離のデータっス」村西は言った。「一回のレンタルごとに、何キロ分メーターが動いたかってのを記録したものなんスけど」
そう言いながら、村西は表の中のある部分を指差した。
「この部分が、木谷がレンタルした際の走行距離なんスけど」
「……それで?」
「木谷、確か“奥多摩にドライブに行った”って言ってたじゃないスか」村西は言った。「この走行距離だと、明らかに足りてないんスよ」
――なんで、少なくとも木谷はこの点については嘘をついてるってことになるんスよ。それを踏まえると、やっぱりあの木谷が自称霊能力者殺しに何らかの形で関わってる可能性はあると思うんスよね。自分としては捜査令状とって家の中とか身辺とかもっと詳しく探ってみたほうがいいんじゃないかと思うんスけど……矢井田さん、聞いてるっスか? 矢井田さん?
◆◇◆
事態は緊急を要した。
捜査の矛先は、着々と木谷に向かって進みつつある。
どうにかして、それを躱さなければならなかった。
その夜、俺は木谷のアパートに出向いて、今後の方針を話し合った。
奥多摩にドライブに行った、という発言に対して走行距離が足りていないという矛盾を解消する手段がないか、可能な限り探った。
俺も木谷も、あれこれと意見を出し合ったが、どうしても辻褄の合わない部分が出てきてしまう。
完全に、追い詰められていた。
状況的にも、精神的にも。
俺も相当に逼迫していたが、木谷の方は輪をかけて追い詰められていた。
行き場のない話し合いを続けているうちにどんどん精神的に不安定になっていた。
「どうすればいいの? どうすればいいの?」木谷が言った。「ねえ、どうすればいいの? 教えてよ。ねえ、教えてよ矢井田くん」
「ちょっと待ってくれ」俺は言った。「今考えている」
「何でこんなことになっちゃったの?」木谷が言った。「うまくいくって言ってたのに、何で? ねえ、何でなの? 何でこんなことになっちゃったの? ねえ、矢井田くん、何でなの? ねえ」
「落ち着いてくれ、木谷」俺は言った。「そのアイスピックを振り回すのをやめてくれ」
木谷はアイスピックを両手で握りしめて、歯をギチギチと震わせながら、虚ろな目で俺と俺の周囲の空間に視線を漂わせていた。
「おかしいよ、こんなの、おかしいよ」木谷は言った。「おかしいでしょ、ねえ。なんでわたしたちがこんなに追い詰められなきゃいけないの? わたしたちは、正義の味方なのに。わたしたちは、正しいことをやってるのに、なんでなの?」
「ああ、そうだな。おかしいよな、本当」俺は言った。「一旦、深呼吸しよう。木谷。そうすれば気分も落ち着く」
俺は木谷の背中を擦って落ち着かせようかと思ったが、木谷の握るアイスピックを見て、逆に距離を取った。
「まだ大丈夫だ、なんとかなできる」俺は言った。「木谷を真剣に疑ってるのは、刑事部の中でもまだ村西だけだ。あいつからの疑いさえ躱せられればきっと切り抜けられる」
木谷は右手にアイスピックを握り、左手で頭を掻きむしりながらうーうーと唸っていたが、そこで急に動きと唸りを止め、何かを考え込むような気配を見せた。
それから少しして、
「いいこと思いついた」
木谷は言った。
「あの村西ってひと、殺しちゃおうよ」
――だってさあ、あの村西ってひと、おかしいよ。わたしたちは、正しいことをやってるのに、こうやって邪魔してきてさ。わたしたちの邪魔をするってことはさあ、それって悪いひとってことなんだから、殺しちゃってもいいよね? ねえ、そうでしょう? 矢井田くんもそう思わない?
「い、いや」俺は言った。「いや待て、それは」
「だめなの?」木谷は言った。「なんで? なんでだめなの? わたしたちが正しいってことは、わたしたちの邪魔をするあのひとは悪いひとってことでしょ? じゃあ殺しちゃってもいいでしょ?」
「いやいや、そういうことじゃなくてだな、なんというか、その」俺は言った。「このタイミングで村西が殺されたら、木谷、逆にお前の疑いが強まっちまう。このタイミングで村西を殺す理由があるのはお前しかいないんだから」
「あっ、じゃあ、こういうのはどうかな」木谷が言った。「わたしが別の所で誰かと一緒にいるときにさ、あのひとが殺されれば、わたしに疑いはかからないでしょ? そうでしょ?」
俺が「それは、そうだが」と言うと、木谷は目を輝かせた。
「じゃあこうしよう。わたしが明日仕事に行ってる間に」
木谷が言った。
「――矢井田くん、あのひとのこと殺しておいてね」
◆◇◆
……それからどうなったかって?
結論から言えば、俺は木谷の提案に乗った。
「わかった。俺が村西を殺す」
そう応えた。
理由?
なんだろうな。
俺は俺で、精神が逼迫して、頭がどうにかなっていたのかもしれない。
木谷の提案を聞いたとき、俺の中には二種類の感慨が浮かんでいた。
一つは、“そんなこと、できるわけがない”
で、もう一つはこれだ。
“ここで断ったら、木谷は俺を殺すかもしれない”
不思議だよな。
“殺していいわけないだろ”という思いは、まるで浮かんでこなかった。
まぁ、仮にそう思ったところで、
俺に、そんなまともなことを言う資格はなかっただろうけどな。
ともかく、その夜の話し合いはこういう方向でまとまった。
――明日、木谷が仕事に行っている間に俺が村西を殺す。
で、夜が明けて、その決行日がやって来た。
その日は、十二月十二日だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
『未来から来た男、を自称する男』その9 に続く。
(次回更新→2020/12/29 21:00)
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