【第23話:かばでぃとハグ】

 心を無にして参考書ラノベの朗読を終えた僕は、未だに続きをせがまれて、やけになってノリノリでラノベを読み始めた小岩井を横目に、黙々と勉強をたたき込まれていた。


 そして、正による国語の勉強が終わり、次は数学、そして英語の番になった。

 どうやら英語は貴宝院さんが受け持つ事になったようだ。


「じゃぁ、次、英語は私が教えるね。神成く……」


「とまるだよー!」


 小岩井のラノベ朗読に夢中になっているのかと思いきや、細かいつっこみをとばしてくるさやかちゃん……。

 さやかちゃんの鬼教官っぷりは、姉の貴宝院さんに対しても同じようだ。


「と、兎丸くんの英語のレベルが知りたいから、まずは何か問題を解いてみて貰おうかな?」


 英語があまり得意ではない正と席を替わり、僕の前に座った貴宝院さんは、少し前のめりになって、参考書のとある問題を指さしてきた。

 その時、長い髪がさらさらと流れ、なんだか良い香りがしたせいで、危うく頭が真っ白になるところだった。


 あぶない……貴宝院さんとも随分普通に話せるようになったけど、不意に垣間見せる破壊力抜群の美少女パワーに、正に教えて貰った内容が初期化されるところだったよ……。


 そんな僕の危機を知ってか知らずか、貴宝院さんは僕がどこの問題なのかわからないとでも思ったのか、さらに身を乗り出してきた。


「ん? 神成くん? あっ、どの問題かわからない? えっと……ここの問題ね」


 今度は、吐息が届きそうなその距離に、思わず息を飲んでしまう。


「う、うん。わ、わかってるから!? ちょ、ちょっとだけ待って!」


 危ない……危うく僕までカミカミマンになるところだった……。


 だけど、その時だった。


「お姉ちゃん、とまるだよー!」


 そう叫びながら、さやかちゃんが貴宝院さんの背中に飛び乗ってきたのだ。


「きゃっ!?」


 前に乗り出し、不安定な姿勢で参考書の問題を指さしていた貴宝院さんは、さやかちゃんの衝撃と重さを支えきれず、机に突っ伏しそうになった。


「あぶっ!?」


 僕は、貴宝院さんが机に顔を打ちつけそうになるすんでのところで、なんとか受け止めることに成功した。


 したのだが……、


「「!?」」


 慌てて受け止めようとしたせいで、僕と貴宝院さんは、まるで正面からハグするような、そんな体勢になってしまっていた。


 頬など軽くふれてしまっているし、胸などは当たっていないものの、その腕や背中のとんでもなく柔らかな感触と、サラサラの髪から発せられる、僕の顔を包み込むようなしゃぼんの香りが、僕の思考を完全停止させてしまった。


 どれぐらいそうしていたのだろう。


 おそらくほんの数秒のわずかな時間だと思うが、身動きがとれず、僕と貴宝院さんは、机を挟んで動けないまま抱き合っていた。


「お前ら、な~にやってんだ?」


 そこへ、ようやく助け船が現れた。


 さやかちゃんをひょいと軽々抱き上げると、ついでとばかりに僕の首根っこを掴んで、体勢を立て直してくれた。


 普段ならその猫みたいな扱いに抗議の声でもあげるところだが、今ばかりは平然としている正のその行動に、心の中で何度も頭を下げておいた。


 そして、そこで僕は、ようやく止まっていた思考を再起動させた。


「ごごご、ごめん!? 葵那! って、そうじゃなくて!?」


 でも、混乱した頭はまだ完全復帰していなかったようだ。

 僕は思わず貴宝院さんのことを、下の名前で呼んでしまっていた。


 まぁさやかちゃん鬼教官がいるので、普通に呼んだらツッコミが入ったかもだけど。


 くっ……しかし、一度も呼んだことがなければ、こんな呼び方は口から出なかっただろうに、前に鬼教官の指導の元で特訓させられたせいだ……。


「あっ、いや、今のはさやかが悪いから……わ、私の方こそごめん。それに……あ、ありがと。もうちょっとで顔を机にぶつけているとこだったし……」


 内心はわからないけれど、貴宝院さんが怒らずにそう言ってくれたことが救いだったが、それでも僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「だな! あのまま顔を机にぶつけていたら、鼻血ものだったはずだぜ? さやかちゃんも危ないから、こういう事しちゃダメだぞ? めっ! だぞ」


「きゃははは! お兄ちゃん、こわーーい! でも、怖いお兄ちゃん、ごめんなさーい!」


「えぇ~? お兄ちゃん、怖くないぞ~?」


「うそついちゃダメだよ~? 怖いお兄ちゃん、とっても怖いよ?」


 などと、怖い、怖くないと、どう考えても「怖い」の圧勝が確定している討論を繰り広げるが、僕はまだ立ち直れていなかった。

 ちなみにあの近距離で正に「めっ!」されたら、普通の奴は気を失うんじゃないだろうか……。


 でも、こんな事を考えていても仕方ないので、僕は思考を切り替え、もう一度貴宝院さんに謝っておいた。


「ほ、ほんとにごめんね!」


「ううん! 私の方こそ、さやかがあんなでごめんね。昨日の晩、兎丸くんと会うと聞いてから、ずっとはしゃいじゃってて……」


 さやかちゃんが、僕に会うことを楽しみにして、そして喜んでくれていることは凄く嬉しいのだけれど、本当になんて事をしてくれたんだ……。

 あとで、僕からも「めっ!」しておかないといけないな。

 まぁ、正の「めっ!」を笑って流せるつよつよさやかちゃんに、僕の「めっ!」が効くとは思えないけどね。


 しかし、未だに貴宝院さんの顔がまともに見れなくて、顔から火が吹き出そうだ。


「まったく……葵那も兎丸も、なにそこで青春してるのよ……。人がラノベのヒロインになりきって読み聞かせていたら、気づけば一人だった事に気づいた私の傷ついた心をどうしてくれるのよ……」


 そ、それはまた、一生ものの黒歴史を……。


「そ、それは……こ、心愛もほんとにごめんね?」


「あ、謝らないで!? 余計に私が恥ずかしくなるじゃない!? そもそも葵那のせいじゃないし、私がこの黒歴史と言う名の重い十字架を背負って生きていくだけだから」


 うん。かなり重い十字架だね……。


「あぅ……ほんとにほんとに、ごめんね。でも、重い十字架って……ふふふ」


 でも、何か「重い十字架」ってフレーズがツボに入ったようで、貴宝院さんは堪えきれずに笑い出していた。


「あっ! 葵那、人の不幸を笑った~!? そんな人の不幸を笑う奴には、同じ十字架を背負わせてあげるんだからね~!」


「だって~……でも、その十字架は嫌だなぁ……ふふふふ」


 正と小岩井のお陰で、雰囲気が変わり、その後はまた、僕も貴宝院さんとも普通に話せるようになっていた。


 でも、こうして『兎丸の成績向上委員会』だか『集い』だかは、もう勉強を続けられるような雰囲気じゃなくなってしまった。


 結局その後、お腹が空いたとゴネる正のせいでピザを頼むことになって、『皆でピザを味わって食す会』へと変貌をとげたのだった。


 だけど、もう一度だけ言っておく……そもそも僕はそこまで成績悪くないから!

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