雨の中、廃ビルで。

雨の中、廃ビルで。

数分前、やっと認識できる程度だった雨は、次第にその勢いを強めていき、気づけばコンクリートの地面がグレーから黒へと変わっていた。

折り畳み傘すら持っていなかった俺には、家に向かって全力で走る他に選択肢が無い。

雨水は靴下やスーツの袖や裾に染み込み、俺は四肢の先から何かに侵食されていくような感覚を覚えた。

雨足はどんどん強くなっていき、結局、ゲリラ豪雨とも見分けのつかないほどの強さになってしまった。

ちくしょう。と自然に声が漏れる。

その時だ。目の前に寂れた五階建て程のビルが見えた。

恐らく廃ビルなのだろう。窓は霞んでいて、部屋のどこにも明かりは見えない。

しょうがないから、雨が弱まるまで少し雨宿りさせてもらおう。

そう考え、俺はその扉を開けた。

中は薄暗く、まさしく廃ビルといった雰囲気の場所だった。

カビっぽい臭いが微かに鼻腔を掠める。

少し雨が弱くなったら出よう。そう心に決めて適当に腰を下ろそうとした。

その時だ。

外から聞こえる雨音に混じって、何かの音が聞こえた。

これは─────、話し声、だ。

勝手に住み着いたホームレスか何かだろうか。

それともまだ企業がビル内に残っていて、どこかのフロアで業務をこなしているのだろうか。

そんな想像が俺の頭に浮かんだ。

さっさとお暇させて貰おうかとも考えたが、外を見てみると更に雨足は強くなっているようだった。

どうやら、もう少しここにいる必要がありそうだ。

俺は携帯を取り出そうと、ポケットに手を突っ込んだ。

次の瞬間、今度ははっきりと聞こえた。

「やめろって…！そんなことしても何の得にもならない！」

若い男性の声だ。

「いいから、いいから近寄らないで！」

今度はヒステリックに叫ぶ女性の声が聞こえた。

───業務をこなしてる声では、ないな。と自分の意見を確かめる。

何階からの会話だろうか。

俺は携帯を右手に握りしめ、コンクリートで固められた階段を静かに上がった。

「でも…」と男性の緊迫したような声が聞こえる。

俺は上るスピードをまた速くした。

三階に辿り着いたときだ。───いた。

そのフロアにいるのは、若い男女の二人のみのようだ。

「もう決めたの、私は、このまま、死ぬよ。」

「よく考えろよ！お前の親はお前が死んでどう思うんだよ！」

「よかった、死んでくれて、とか、そう思うんじゃない？私嫌われてたし。」

「死んで喜ぶ親なんているか…？ふつう…」

俺はこの時やっと、今どんな状況に出くわしているかに気がついた。

「嬉しかった。そうやって、いつも心配してくれて。私、それまで、一度も気にされたこと無かったからさ。」

「さよならなんて…そんな簡単にしていいものじゃないだろ！？」

「ろくに彼氏も喜ばせられないこんな私と一緒にいてくれてありがとう。」

「ウソだろ、やめろって！」

若い男の伸ばした右手が女の左手を掴んだ。

「手、離してよ。」

手を掴まれた女は俯き、泣きそうな声で、それでも強く訴えた。

しかし、男はその手を離さずに、自分の元に持っていく。

そして結局、男が女を抱え込むような体制になった。

「よく聞いてくれ。俺はお前の事が大好きだ。心から愛してる。だから、頼むから死ぬなんて言わないでほしい。」

「い、いや、でも。私、いっぱい迷惑かけちゃうし。だぶん、私のこと嫌いになっちゃうよ？」

「よせよ。そんな事ないって。ずっと好きだ。」

「大好き…！私も大好き！」

「きっといつかしよう。けっこん…！！」

そして二人は強く抱きしめあった。

あ。と俺は我に返る。

雨の音が聞こえなくなっていた。

さて、そろそろ帰るか。

静かにコンクリートの階段を下りながら、呟く。

それにしても、斬新なし・り・と・り・だったな。