百合の種はまかれた「セーラームーン」
2020年になった。現在、百合は盛況である。
1990年代には、まったく、考えられなかったことだ。
いや、そんなに遡る必要はないだろう。
たかが10年前まで、百合はレアキャラだった。広大な鉱山(エンタメ界)で、たった一つの宝石(百合)を探すようなものだった。
百合を楽しむことは、困難を極めた。
まず、百合を見つけることから始めないといけない。百合があるかもわからない作品を開拓するのだ。途中で百合が燃え上がることは、ほぼない。最後まで見届ける。物語の中の、百合を探す。
恋愛関係なんて、とんでもない。自らが百合だと思うものを発掘するのだ。
そういう行為をあまたの作品で行い、ほとんど裏切られる。
百合を見つけるのは、大変なのだ。
数多くの匂わせや裏切りに傷つく。その末、やっとダイヤの原石に出会う。
見つけた原石を、何回も、何回も、磨き上げ、自分が納得できる百合として生み出す。
そして、やっと百合を楽しむことができるのだ。
それに比べて、今は良い時代になった。
百合作品を検索すれば、引っかるのだ。
百合と欲しいジャンルを、検索ボックスに入れればよい。
百合だけだと膨大な数になるので、異世界やら悪役令嬢やらスローライフやら、好きなものを入れる。
それだけで、自分の嗜好にあった百合が出てくる。
こんな嬉しいことはない。
だけど、ちょっと待って。みんな、こんなに百合好きなの?
ふとした疑問が生じる。
なぜ、今こんなにも百合が花咲いているのか。――百合を楽しむ人が増えたからである。
なぜ、増えたのか。――小さい頃から百合に親しんだからだ。
――では、その百合は何か?
答えは決まっている。
1990年代、大多数の女の子が見たアニメ。多くの種をまき、社会現象にさえなった作品。そして、今なおリメイクや影響力が大きい物語。
百合の種は、少女漫画の金字塔【セーラームーン】によってまかれた。
少なくともわたしは、そう思っている。
○セーラームーン革命
セーラームーンがピンとこない人はいるのだろうか?
それほど、広い世代に影響を与えた作品だと思う。
原作はマンガだが、アニメ化され、1990年代に大分長く放映されていた。
この時代、テレビは居間の中心である。
テレビで見れたということは、それを目的にする子供以外に、少なくない家族が巻き添えで見た。プレゼントに、セーラームーンのグッズをねだった人も多いだろう。
とはいえ、かれこれ、30年近く前の話だ。分からない人間もいるかもしれない……なんて、甘いことを思っていた。
なんと、セーラームーンは今現在もリメイクされている。20年経ってからリメイクされるとか、どういうこと?
そういう疑問は置いといて、今の時代でも、セーラームーンは現役なのである。
こういった事情のおかげもあり、セーラームーンは目的とした世代以外にも広く浸透している。
わたしは、まさしくセーラームーン世代。1980年代後半に生まれた世代には、細胞レベルなのである。
親もセーラームーンは、ばっちり覚えている。我が家の親は60才前くらい。
つまり、セーラームーンは還暦近い人間まで見ている国民的なアニメだった、ということだ。
――そのセーラームーンが百合?
簡単には納得できないかも知れない。
その頃のわたしは、百合を楽しむために見ていたわけではない。
純粋に少女たちの戦いを応援していた。世界を守る女の子は、この時代まだいなかった。
女の子の憧れとして、セーラームーンたちの生活は描かれていた。
守られる女性から、戦う女性へ。
そういう変化を見せたのが、セーラームーンの一番大きな革命だったと思う。
そんな作品に百合が隠されているのだから、堪らない。
女性と百合は、切っても切り離せないものなのかもしれない。
当時、百合だとは思わなかった。
しかし、記憶を遡ってみれば、セーラームーンは確かに百合だったと思うのだ。
セーラームーンは、アニメ版とマンガ版で話が大きく違う。アニメはマイルドだ。マンガ版は、結構難しい。
少女漫画は、基本的に綿菓子の世界だ。恋愛にしろ、夢にしろ、シリアスなシーンはそうない。(シリアスが山程ある、昭和の少女漫画もあるが、それは脇に置かせてもらう)
シリアスなシーンさえ、そうなかったはず。
それなのに、ラストになるとセーラー戦士たちは、かなりの確率でお亡くなりになる。
これ、衝撃。
すっごく強くて、絶対、勝たないといけない。そういう運命にあるセーラー戦士たちが負けるのだ。
それまでのアニメで、主人公側が死ぬ描写は、ほとんどなかった。
絶体絶命のピンチに陥っても、どうにかこうにか切り抜ける。物語は、そうやって進むものなのだ。
それが、容赦なく死ぬ。しかも、運命とか、そういう大きなもののためではない。
彼女たちは、明確にセーラームーンのために、死を選ぶのだ。
ここが、忘れてはいけないポイントだろう。
というか、よく、こんな内容を子供向けのアニメで入れたなぁと、今更思った。
○一人の少女のために、死んでいく戦士たち
セーラームーンの本筋はこうだ。
女子中学生だった月野うさぎが、しゃべる猫:ルナと出会い、美少女戦士セーラームーンになる。セーラームーンは、それぞれの守護星(水、金、火、木)を持つ仲間たちを、戦いながら、徐々に見つけていく。
やがて、前世から共に戦う仲間とともに、セーラームーンは地球の平和のために戦うことになる。
その合間に、前世からの恋やら、未来の運命やらが明らかにされていく。
ざっと説明すると、こんな感じ。
今さら説明するまでも、なかったかもしれない。
注目すべきは、この設定の活かし方なのだ。
ウィキペディアさんにもこう書いてある。
“月野うさぎと地場衛の月と地球を架けた運命の恋、前世からの宿命を受け入れて進化する月野うさぎとセーラー戦士たちの戦いと主従関係を描いたハードなシリアスストーリーとなっている”
特に注目したいのは、この一文。
“月野うさぎとセーラー戦士たちの戦いと主従関係を描いたハードなシリアスストーリー”
戦いと主従関係。
ハードなシリアスストーリー。
こんな文章が王道の少女マンガに使われるとは、露とも思わなかった。
王道の少女漫画。むしろ、これから少女漫画の王道が形成されたとも言える。
そんな金字塔たる、少女漫画で、主従関係? ハードなシリアスストーリー?
絶対に、百合的に美味しくなるに決まっている。
その発露が、セーラームーンのために、倒れていくセーラー戦士たちなのだ。
まず、セーラームーンとセーラー戦士たちの関係性について、考えてみよう。
セーラームーンとセーラー戦士たちは、同等ではない。前世が明らかになると目に見えて、はっきりする。
セーラームーンの前世は、月の王国シルバー・ミレニアムの王女。その名も、プリンセス・セレニティ。
セレニティが名前だけども、基本、プリンセスが前につく。
セーラー戦士たちは、セレニティの守護戦士なのだ。
前世から、セーラー戦士たちは、セーラームーンのために戦うことを定められている。自分の身が滅びようとも、セレニティを守ることを第一としている。
実際、前世ではセレニティを守るために倒れ、そのあと、地球に転生した彼女を追って、生まれ変わっている。
……もう、この時点で、百合だと思うんだけど。どうかな?
とにかく、セーラー戦士たちは、セーラームーンをひじょーに大切にしているのだ。
地球に転生してからは、その忠誠にくわえて、友情が入ってくるから堪らない。
前世通り、主従関係を忠実に守ろうとするもの。セーラームーンである月野うさぎの性格を考え、フレンドリーに接するもの。
セーラー戦士により、そのスタンスは異なる。
それでも彼女たちの核は変わらない。セレニティが、セーラームーンが、月野うさぎが大切なのだ。
高貴な忠誠と、親しみやすい友情。
どっちも一緒に味わえるセーラームーン。
やっぱり、百合の種は、このアニメでまかれていたとしか思えない。
○忘れてはならない『百合界のカリスマ』
触れようか、悩んだ。
わざわざ、触れなくても、この本を読んでくれている方々なら、釈迦に説法もよいところ。
触れようか、触れないか。悩んで、悩んで、悩んで。
やっぱり、触れたいよね!
この二人には。
ということで、セーラームーンと百合を語る上で、外すことができないふたり。
「天王はるか」と「海王みちる」について、少しだけお付き合いいただきたい。
ちなみに、私はみちる派。あの口調と仕草が似合う女性は、中々おられません。
さらに言うなら「はるみち」か「みちはる」か。これについては、コメントを控えさせて貰う。
じつは「みちうさ」なんて、ドマイナーなものが好きだなんて、口が裂けても言えない。
ここらへん、争いしか生まないので、本題に入ろう。
百合界のカリスマ。
百合好きならば、それだけで誰を指しているかわかる。
百合界のカリスマと言われたら、「天王はるか」と「海王みちる」。
これ鉄板。
知らないやつは、もぐりに違いない。
看板が大きすぎて、まったく違う作品でも、百合があれば顔を出したりするから、ご注意を。
もはや、カリスマとかいうレベルではない。この二人が並んでいる画像は、宗教的シンボルに近い効果を発揮する。
とりあえず、見たら拝むべき。それほどまでに偉大な二人なのだ。
なぜ、この二人が『百合界のカリスマ』になったか。
深いものから、わかりやすい浅い理由まで、様々ある。
確実に言えることはひとつ。セーラームーンが、セクシャリティに踏み込んだ作品だったためだ。
まず「天王はるか」。
彼女は、そのものズバリ、性別が曖昧な存在だ。
アニメだと一応女性として描かれている。原作では性別が確定していない。オンナのときもあれば、オトコのときもある。
そういう存在なのだ。
原作者である竹内先生自身、そう意識して描いたらしい。
まぁ、普通に見ているとオトコにしか見えない。セーラー戦士たちの何人かは一目惚れするし。一人称、「ぼく」だし。
だが、彼女だけだったら、百合界のカリスマとまでは言われなかっただろう。
ただのボーイッシュなキャラ、今で言う「ボクっ娘」になっただけかもしれない。(はるか様の言動的に、そんな枠には収まらないとは思うが)
百合界のカリスマを、百合界のカリスマ足らしめるもの。
それは「海王みちる」にこそある。
これ言うと、賛成も反対もじゃんじゃん出てきそうで怖い。
わかるよ。はるか様の魅力も。
だけど、みちる様がいなきゃ、ここまでカリスマにならなかったって。
思い出して欲しい。百合界のカリスマを決定づけたセリフを。
これは、百合マンガが数多く生まれてる中で、いまだに破られていない名言だと思う。
さぁ、みなさん、ご一緒に!
「はるかのいない世界なんて、守ってもしょうがないじゃない」
これだ。
これだから、カリスマは困ってしまう。
つーか、これをアニメで流したって、スゴイな。
聞いた記憶もあるから、子供心に刻まれたセリフだったのだ。
この文章で刻まれないわけがない。
このセリフが出てくるのは、セーラームーンの第3シリーズである。
それも物語の終盤。
ここまでの間、セーラー戦士たちは、ある一つの法則で動いている。
それは「セレニティ命」だ。
セーラー戦士たちは、そういう存在なんだなと子供ながらに学習し始める。
そこに投げ込まれるセリフが「はるかのいない世界なんて、守ってもしょうがないじゃない」
「あれ、おかしいぞ」となる。
セレニティ命、セーラームーン命のはずの、セーラー戦士。
その一員であるみちるが、セーラームーンよりはるかを優先するようなことを言うのである。
そうなれば、自然と、みちるははるかが大切とわかる。しかも、今まで最上とされていた、セレニティより上なのだ。
言葉にされなくても形になる。
それを、少女に学習させた作品と言えるのではないだろうか。
○セーラームーンは、女の子の憧れを詰め込んだ作品
セーラームーンは戦う女の子だ。そこに、女の子の理想を掛け合わせた。
前世からの宿命で、戦う運命にある。彼女の戦う運命は、恋により作られた。
地球の王子との禁じられた恋で、国を破滅に向かわせてしまうのだから。
まず、女の子はこの設定に憧れる。
前世からの恋――これ、パワーワード。
そのうえ、彼女の周りには、前世から強い絆で結ばれた仲間たちがいる。
転生してからも、友情は育まれていくのだが、その下地には、普通では結ばれない強い絆がある。
文字通り、死ぬ覚悟で、セーラームーンのために身を尽くしてくれる。
これも、女の子の憧れの一つだろう。同性と強い絆で結ばれること。これが、中々難しい。
ぶっちゃけ、前世を持ってきて正解だと思う。普通に生きてて、そんな絆は中々できないのだから。
同性と一言でいっても、色んなタイプがある。
セーラームーンでは、お姉さんとも言うべきキャラクターが豊富だ。
はるかもみちるも、主人公のうさぎたちより、年上として描かれる。
年齢的にはさほど違わない。だが、年齢以上に大人な雰囲気を存分にまとった二人だった。中学生にとって、高校生はひどく大人に見える。
はるかとみちるも、憧れが理想の形になったものなのかもしれない。
恋と友情。
この2つを、女の子の理想の形で、マンガにした。
それがセーラームーンという、とんでもない作品だったように思える。
「百合じゃないけど、百合」作品として、これ以上ない作品だ。
ちゃんと見たことない!という人には、マンガ版をオススメする。
百合みはマンガの方がいささか多い。
もちろん、これを機に、全部見返してくれても構わない。
セーラームーンは、少女マンガ、少女アニメの原点とも言える作品なのだから。
end
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