第3話 噂の37%勾配

 それから少し走って、また俺がへたばっていると一台の自転車が下りて来た。ドロップハンドルのミニベロだ。よくもまあ、ミニベロでこんな所を……と思っていると、そのミニベロは俺の斜め前で停まった。

「兄ちゃん、頑張ってるなぁ。ココ、初めてなん?」

 クドい様だが俺はおっさんだ。

「はい。ソレでココ、上ったんですか?」

 息も絶え絶えに尋ねると、ミニベロの人は「奈良から上って今から大阪を回んねん」と答えた。奈良から来たという事は、この人は頂上まであとどれぐらいか知っている筈だ。俺は今一番気になっている事を聞いてみた。

「あとどれぐらいで頂上っすか?」

 するとミニベロの人は非情な現実を俺に伝えた。

「まだ序の口やで。無理して漕いだら膝壊すで」


――まだ序の口かよおおぉぉぉぉぉ!!!!――


 そう言えばまだネットで良く見る『最大斜度37%のカーブ』に出くわしていない。確かそこらへんが半分だった筈だ。と言う事は、これから噂の激坂区間を走らなければならないという事だ。

ロードバイク乗りはゴールまでまだまだ遠くても「もうちょっと」とか「もうすぐ」とか言う。もちろんそれは騙している(単にその人にとっては『もうちょっと』でも俺にとっては『めっちゃ遠い』というだけかもしれないが)のでは無く、励ましてくれているのだ。実際、そう言ってもらえると元気が出る。その事をしみじみと感じた俺だった。


 言葉を失ってしまった俺だったが、呆然としていても仕方が無い。選択肢は二つ。『行く』か『戻る』か。もちろん選んだ選択肢は『行く』だ。ミニベロの人と別れた俺は疲れた身体と心に鞭打って更に上り始めた。


          *


 ネットなどで「坂がキツ過ぎてフロントタイヤが浮く」と書いてあるのを見て「また大袈裟に」なんて思っていたのだが、本当にペダルを踏めばフロントタイヤの接地感が無くなり、本当にフロントタイヤがリフトする。ミストラルはフラットバーハンドルだから前に荷重を移しにくい。休んだ後の再スタートにも細心の注意が必要だ。あらためて思った。


――ロードバイクで来たら絶対立ちゴケしてるな――


 そう、ロードバイクでは避けていた暗峠をミストラルで上ろうと思った理由の一つがそれだ。ビンディングペダルのロードバイクだと、再スタートする時に上手くクリートが嵌らないと間違い無くコケるだろう。いや、それ以前にヘロヘロの状態だと停まる際にシューズとペダルが繋がったままでコケてしまうに違い無い。フラットペダル万歳! ……引き足を使え無いのは辛いが、立ちゴケするよりはマシだもの。


 ヘロヘロになりながらも俺は走り続けた。いや、もう押した方が速いんじゃね? などとも考えたが、課題である『何回足を着こうが押して歩かない』を守る為に意地だけで数メートル進んでは足を着いて休み、また数メートル進んでは足を着いて休みを繰り返していた。そんなうちに目の前に大きく上りながら曲がる右のカーブが現れた。


「ココが噂の最大斜度ポイントか」

 呟いた俺はそのカーブの手前で足を止めた。もちろんそこを一気に通過する為だ。ちなみにそこで写真を取る気力も体力も無かった。俺は頂上まで着いても奈良側に下りる気は全く無い。だって奈良側に下りてしまったら、また山を上らなければならないからな。頂上まで上ったら来た道を戻って下りる。だから写真は帰りに撮れば良いのだ。


ちょっと休んだ俺は一気に急勾配のカーブを駆け上った……嘘。トロトロとなんとか通り抜けた。だが、残念な事に噂の最大斜度ポイントはソコでは無かった。そこからもう少し行くとまた上りながら曲がる右カーブが出現したのだ。


「うわっ、マジか……」

 思わず声が漏れた。今だから言える事だが、さっきの右カーブは山側が苔に覆われた山肌だけだったし、路面に刻まれているブラックマークも少なかった。だが、ココは山側に反射鏡の付いたポールが何本も建てられていて、路面のブラックマークも強烈だ。そう、ココこそが噂のフォトジェニック、『日本一の斜度』を誇るポイントなのだ。

 また足を止めて休んだ後、華麗なダンシングで一気にそこをクリアした俺は颯爽と上り続けた。「ココまで来たらあと半分だ」と自分に言い聞かせて……すみません、また嘘です。斜度の緩いアウト側をなんとか切り抜けるとまたすぐに足を着いて休んでしまいました。

 そもそも俺はダンシングが下手くそだ。ココまですっとシッティングで上っている。もちろんこの先もオールシッティングだ。だって、ダンシングなんかしたら余計に疲れるんだもん。誰か俺に『休むダンシング』ってヤツを教えてくれ。


 とは言うものの、ココまで来ればもう半分(まだ半分とも言う)だ。この先は少し勾配が緩むとネットで見たし、行くしか無い。と思ってたら本当に坂が緩くなった気がして、少し楽に上れる様になった。実際は結構な急坂の筈なのだが、コレが『感覚が麻痺する』というヤツだろう。『坂がキツ過ぎてフロントが浮く』事と言い、ネットにありがちな過大な表現だと思っていた事が本当の事なのだと身をもって知った瞬間だった。


――続く――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る