第2話 課題はただ一つ
そして運命の日はやってきた。さすがに十三峠でバイク用のジャンパーは暑すぎて懲りたのでカペルミュールのサーモジャケットを着込み、カブトのヘルメットをかぶったが、靴は例によって安物のスニーカーだ。こればかりはミストラルのペダルがフラットペダルなんだから仕方が無いよな。
そんなこんなで俺は暗峠を目指して走っているワケなんだが、平地ではやはりクロスバイクは重くてスピードが出ない。だがそれはロードバイクに比べればだ。大阪ならではのマナーの悪いママチャリのおばはんや若造に何度もムカつきながらも颯爽と産業道路を走りながら俺は思った。
――新町の交差点からは上りが始まる。そこから先はMTBコンボの低いギアの恩恵を受けられるのだ。ミストラルの本領発揮はそこからだ!――
ようやく新町の交差点にたどり着いた俺は後ろのギアを数枚落とした。もちろん足を休ませる為だ。ゆっくりと上り、箱殿東の交差点を国道308号線に入る。まだココは『酷道』では無く『国道』だ。そこから緩い上りを暫く走り、近鉄奈良線の高架(高架と言っても3メートルのけた下だが)を潜ると進入禁止の標識(自転車を除くの補助標識付き)と、コンクリートに滑り止めの丸パターンが刻まれた急な上り坂が見える。そう、ココからが『酷道』なのだ。
今回俺が自らに課した課題はこうだ。
『足着き無しで上る!』
すみません、嘘です。そんなん無理やって最初っからわかってますって。
『何回足を着こうが押して歩かない』
ただコレだけだ。レベルの低い課題かもしれないが、こんな課題に死ぬ程苦しめられるとはこの時の俺は思いもしなかった。
急斜面とは言え住宅地区間を走っている間はしんどいと言えばしんどかったが、まあ走れない事は無かった。だが住宅地区間が終わり、狭い道の両側が生い茂る木々に変わった所で心が折れた。そう、見栄っ張りの俺は人目のある住宅地区間では頑張れたが、周囲に家が無くなった途端に本来のヘタレ野郎が顔を出したのだ。
*
ここから先は記憶が曖昧なので、いつ、どこで足を着いたかなど憶えていない。もし、誰かに「何回足を着いたか?」と聞かれたら俺はきっとこう答えるだろう。
「お前は今まで食ったパンの数を覚えているのか?」
と。それぐらい足を着きまくった事はここで先に申し上げておこう。
恐ろしく急な上り坂、カーブは緩やかで進んでも進んでも変わらない景色。って言うか、全然進んで無い。前方から山を下りてくる歩行者がちらほら見えるが、無理なモノは無理! もう見栄を張る余裕など無い俺が足を着いてゼーゼー言いながら休んでいると、お爺ちゃんやお婆ちゃんが「お兄ちゃん、自転車で凄いなぁ、頑張れ!」と声をかけてくれるが残念ながら俺はおっさんだ。まあ、お爺さんお婆さんからすれば俺なんかまだまだ若造だって事なんだろうな……などと思う余裕など全く無い俺は「ありがとうございます」と応えながらも死にそうな顔をしていたと思う。
足を着いたついでに水分を補給したかったのだが、それは叶わなかった。バカな俺はボトルを持ってきていなかったのだ。
忘れてきたのか? いや違う。単にボトルが重いから敢えて持って来なかったのだ。少しでも身を軽くしたかったからな。
十三峠では上っている途中で水分補給はしない。でも、展望台には自販機が無いのでやむなくボトルを積んでいる(中身は半分ぐらいしか入れて無いけどな)。だが、暗峠には頂上にお茶屋さんがあるらしい。だからボトル持って来なくてもお茶屋さんで飲み物を買えば良いのだ。そう軽く考えていたのだが、コレが甘かった。喉が渇いても水分補給が出来無い。コレは辛い。大丈夫か俺? まだ暗峠に入ったばかりだぞ。
何度も足を着いて休むうちに走っている時間より休んでいる時間の方が長くなってきた気がする。いや、多分気がするだけでは無いと思う。
息が切れては止まり、足が辛くなっては止まり、前から車が下ってきては脇に寄って止まり、後ろから車のエンジン音が聞こえては脇に寄って止まり……そんな事を何度繰り返しただろうか? お寺の駐車場の少し広いスペースを発見した俺は一度そこに退避する事にした。
脇に寄って休む時はサドルから尻を下ろしはするがフレームは跨いだままだったが、さすがにそこではミストラルから完全に降りた。
スタンドを掛けてミストラルを自立させた俺はそのまま座り込んでしまいたかったが、それはしなかった。座り込んでしまったら、そのまま立てなくなるかもしれないからな。
とは言うものの、ミストラルを支えなくてよくなった分、ちょっとだけ楽になった俺はまたスタートした。
インナーローでもペダルは重い。しかもギア比が低いもんだから漕いでも漕いでも前に進まない。体力と気力がどんどん削がれていき、何度も足を着いて休んでいた俺は、恥ずかしい事にだいぶ前に追い抜いたおばちゃんに追いつかれてしまった。
「お兄ちゃん、自転車やったらしんどいんとちゃう?」
おばちゃんはミストラルに跨ったまま死にそうな顔をしている俺に笑顔で話しかけてきた。
――ええ、しんどいです。実はちょっと後悔してます。それと俺はお兄ちゃんでは無くおっさんです。――
なんて軽口を叩けるわけも無く、呻く様な声で答える事しか出来なかった。
「ほんま、しんどいっすわ」
するとおばちゃんは何故か立ち止まり、長々と話を始めた。
「私はね、いつもは枚岡の公園を散歩してるんだけど、そこから国道が見えてね……」
おばちゃんが言うには枚岡公園からこの道を見ている時にお爺ちゃんが歩いているのが見えて、そのお爺ちゃんが木々の間に消えてしまったらしい。まあ、生駒山には神様がいらっしゃるとは思うけど。そのお爺さんが神様だったかどうかは定かでは無い。
ともかくおばちゃんの長話に付き合っているうちに俺の体力はだいぶ回復したのだが、これで少しは上れるなと思ったのも束の間、すぐにまた限界が訪れて足を着いて休んでしまったのは言うまでも無いだろう。
――続く――
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