尾八原ジュージ様 Story-5

 次の瞬間。


 俺は口を固く閉ざし、自分の中に突き入れられた指を嚙み千切ると、ペッと吐き捨てた。つんざくような、何者かの声が響く。一つだけ、それで分かったことがある。今の声は、今の悲鳴は、イザベラのものではない。そうならば俺には分からないはずがないのだから。


 俺の名はエディ。殺人に最適化された知性を持つ有機稼働体。


 俺は生まれてこの方、恐怖のために叫んだことは一度もない。俺が叫ぶのは自身の殺戮者としてのスイッチをオンにするときだけであり、俺の叫び声を聞いて、それから一分以上生存していられた奴はいない。


 俺はもちろん日頃から拳銃を持ち歩いてはいるが、愛用している武器はそれではない。俺は左の拳、すなわち左腕の先に取り付けてあるを振り落とし、仲間たちが『シザーハンズ』とあだ名している暗器を引き出した。五叉に分かれた、人間の手を模した刃物のような武器。これが俺の、もっとも愛用する武器だ。文字通り俺の身体の一部であり、肌身離すことはない。


 そのシザーハンズを、俺は一思いに振り抜いた。さっき悲鳴を上げた何者かが、今度はごぼごぼと血の泡を吐きながら、目の前に倒れた。顔を見る。……確かに、イザベラじゃない。というか、男だった。


 いま、何が起こっているのか、正直言ってよく分からない。ただ、確かなこととして、俺は一介のニューヨーク市民としても、そしてカモッリスタとしても、既に身の上だ。理由はどうあれ殺人犯で、まあそれは今に始まったことではないのだが、妻を殺した一件に関しては組織からのサポートはおそらくもう受けられないのだから。


 ならば俺にもう味方などいない。だが、敵は間違いなく存在している。直感が俺に告げていた。俺の敵は、にいる。俺の敵は、PC01を作った奴らだ。まったく筋が通っていないのは分かっているが、俺はその事実をはっきりと確信していた。


 俺は両目を閉じた。おそらく視覚はあてにならない。さっきイザベラの幻覚を見たばかりだ。いつ、どのタイミングで、どのようにしてやられたのか分からないが、俺はおそらくPC01によって正気を失っているはずだ。


 正気に戻る必要がある。そう確信した。だから俺は。


 左のシザーハンズで、一思いに自身の右腕を引き掻いた。肩からだ。この位置から腕を切断すれば、止血する手段が存在せず、すぐには死なないまでも絶対に命は助からない。俺はその事実を知っている。時々拷問などに利用することもあるし、こういう場合は自分自身に対しても有効だった。


 それで、俺はようやく部分的にだが正気を取り戻した。この場所は、最初から無人などではなかった。人がいたのだ。ただ認識できていなかっただけだ。建物の様相も変わっている。確かに大きな、ホテルのような建物ではあるが実際にはボロボロだった。廃ホテルを改造して、麻薬密造のための拠点にしているのだろう。


 思い出した。思い出してきたぞ。


 俺はイザベラを殺して埋めた後、実際には雨の中で迷子になったりしなかった。自身の属する組織の本部で一部始終を打ち明け、ボスにこの身の処断を委ねたのだ。


 で、命令された。実はPC01の密造を行っている組織のアジトは突き止めてあるから、お前ひとりで妻の仇を取ってこい。それを果たしたら、生還しようがしまいが、我々はお前を我々の兄弟としてなお遇しよう、と。


 それで俺は来た。に。


 ついさっき一人仕留めたばかりなわけで、敵の仲間がぞくぞくと姿を現していた。俺の今の姿を見て、何事か叫んでいる。好きなだけ叫べ。お前たちがそれをできる、最後の機会なのだから。


 そして俺は吹き荒れる一風のつむじ風となった。俺の進むところ、鮮血が舞い散る。黒服の、見るからにギャングという奴らもいれば、白い服を着た、おそらくは研究員なのだろうと思われる連中もいる。かなりの大所帯だった。殺しても殺しても、次から次へと湧いてくる。


 そして、最上階の、この場所の主らしき人物が待ち構えている場所まで俺はやってきた。何事か、俺に話しかけてくる。そして銃を向けてくる。どちらも無意味なことだった。俺はお前の話など聞く気はないし、お前ごときに殺されるつもりもない。あっけなく、そいつの首は鮮血とともに宙に舞った。


 これで、PC01の犠牲者はもう一人も出なくなるだろう。俺は満足して、その場に座り込んだ。ふと、目の前に、大量の薬らしきものが落ちているのを見つける。PC01がまだ残っているのかと思ったが、違う。その薬には、「GM」という刻印があった。


 GM。ゲームマスター、という意味だろうか。どうせ後は死ぬだけだし、用はすべて済ませたのだし、俺はそれを口にしてみることにした。恐ろしくないのかって? 無意味な質問だ。俺は恐怖などしない。俺の名は、エディ。俺は、エディだ。


 ふと、俺は自分がまったく新しい場所にいて、まったく新しい状況に直面していることに気付いた。俺は、刑事だ。カモッリスタのエディじゃない。刑事エディ。部下が何人もいて、こういう話をしている。


「さて、ニューヨーク市警殺人課の諸君。今度の件は、殺人課としては簡単な事件だ。クソッタレの犯人は既に判明しており、そして既に死亡している。犯人の名は、エディ。諸君もよく知るようにニューヨーク屈指の腕利きの殺し屋だったが、いつの間にかヤク中になっていたらしくてな。妻を殺した後、ホテルの一室でオーバードーズをして、狂奔した。ホテルの人間と客、合わせて三十七人が惨殺された。しかし怪我人は、つまりエディに遭遇して命が助かった人間の数はゼロだ。クソッタレだが、腕はよかった。自分の腕を斬り落としていたが、それで失血死する前に、最後は駆け付けた警官隊によって射殺された。ここまでで質問は」

「はっ。犯人が使用していたヤクの種類は、何だったのでしょうか」

「パーフェクト・コミュニケーション、と呼ばれる、最近出回り始めたばかりのヤクだ。今のところ、どこの組織が作ったものかは判然としていない。いずれにせよ、その通称は――」


 PC01。

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