藤田桜様 Story-5

 わたしの最初の呪文詠唱が終わる。魔法が発動する。


「大アルカナ『バベル』!」


 生き物と生き物の間で行われる本当の闘争というものは、見世物とは違う。華など要らない。先手必勝、最大の攻撃を初手で叩き込み、一撃で相手を仕留められればそれで終わりだ。『塔』は、わたしの用いるカード魔術の中でも、攻撃力だけなら最強というべき代物だった。神の右手とわたしが呼んでいる光の矢が中空から降り注ぎ、敵を粉砕する。文字通り、塔をも破壊する威力がある。実際、わたしの『塔』は黒曜石のジャガーを木っ端微塵に粉砕した。


 だが。まるで時間が逆まわしになったように、砕け散った黒曜石が元に戻り、黒曜石のジャガーは蘇った。わたしの『塔』を無効化したのか。それとも……。


「グワォォォウ!」


 ジャガーが飛びかかってくる。巨体故に、ただそれだけの動作が凄まじいプレッシャーをこちらにもたらす。食らいつかれたら終わりだろう。咄嗟に、最も詠唱が短いカード魔術を用いる。


「大アルカナ『ルシフェル』!」


 瞬間、五芒星の形をした壁がわたしの目の前に展開され、ジャガーの巨体を受け止める。


「ガアッ!」


 しかし駄目だ、このままだと破られる! わたしはさらに詠唱を重ねる。『星』が破られるのとほぼ同時に、次の魔術が完成する。


「大アルカナ『戦車メルカバ』ッ!」


 ちょっと形容しがたい形状をした「神の戦車」が姿を現し、四つの口から炎を吐く。だが、焼けても焦げてもやはりジャガーは無限に再生を繰り返した。


「バフラム様! こいつなんか弱点とかないんですか!?」


 透明の少年はこう走り書きした。


「わからない」


 ああっ! ぶっちゃけ頼りにならないっ!


「大アルカナ! 『隠者バプテスマ』!」


 今度は水流が噴出する。攻防一体の技だ。だが、とどめを出せないのでは何をどうやってもじり貧にしかならない。攻撃しても駄目だ、とにかく情報が要る。一枚だけだが、そういう魔術も持っていた。


「大アルカナ! 『審判ソドム』ッ!」


 この魔術には攻撃力はまったくない。ただ、敵の弱点を浮き上がらせ、赤く輝かせるという性質を持っている。それ以上でもそれ以下でもないのだが、こういう場面では非常に頼りになる。で、結果として。


 黒曜石のジャガーには、光る部分はまったく無かった。だが、ジャガーに審判の光を当てると、バフラム様が光った。全身が赤く輝いている。小さめの人間の形に。


「……ッ!」


 多分……つまりそういうことだ。その魂であるバフラム様が滅びない限り、この黒曜石のジャガーは完全に不死なのだ。そういうことだろう。バフラム様は、こう書いた。


「一思いに」


 わたしにそうとだけ告げて、バフラム様はジャガーに飛びついた。その瞬間にジャガーの顔が浮かべたのは、歓喜の相であった。やっぱり。あいつは、ずっとバフラム様を、つまりは自分自身の命を探していたのだ。


 やりたくない。


 わたしは溢れてくる涙を拭うこともできぬまま、しかし、必殺の手を放った。


『大アルカナ……! 『吊られた男イスカリオテ』……ッ!」


 絶対に千切ることのできない魔法の荒縄が、バフラム様を取り込んだジャガーを拘束し、そしてその首を締め上げた。この術は火力と言う点では『塔』に及ばないが、一対一の場面で決まってしまえば相手を完封できる性質のものだった。


「シャイアァァァ!」


 断末魔の苦悶。ジャガーの背中にある黒曜石が砕け散った。その身体が力を失う。多分、死んだのだろう。


「う、うう……バフラム様……ごめんなさい……わたしは……ああ……」


 と、背中越しに何者かに声をかけられた。


「何を泣いている、娘」

「えっ!?」


 女の声だ。しかし、しわがれていて、年齢が分からない。振り返ると、そこにいるのは……明らかに人とは思われない姿の、しかし見た目には若い女だった。


「あなたは……?」

「わらわのことなどどうでもよいが、イシュタムと言う。そこな者の、魂を迎えに来た。ま、死神とでも思ってくれればよい」

「バフラム様を、連れて行くのですか。暗くて冷たい冥府の底へ」

「いや?」


 女はちょっとお道化てみせた。


「わらわがわざわざ迎えに来て連れて行く場所は、そんなところではない。ヤシュチェの木陰で、この者には永遠の安息が約束される。何しろ、なんて、そんな功徳のある死に方をする者は滅多にあるものではないからな」

「でも、死は死でしょう……! こんな年端もいかない子供が、十三年しか人の生を生きることができずに……なんで、なんでこんな……むごいことを……!」


 しかしイシュタムは言った。


「ヤシュチェの木陰に連れて行くとは言ったが。誰が今すぐそうすると言ったか。その者の生は、寿命の分引く十三年分、まだ残されている」

「え?」

「だからわざわざ来たんだ。ちょっとこれをやるのは手間だからな」


 そう言うと、イシュタムは懐から何かを出した。真っ赤な石で出来た、人間の頭蓋骨を模したものだった。


「この迷宮のダンジョンコアだよ。さっき回収した。さて」


 イシュタムは、透明だからよく分からないが、何か妙な施術をそこに倒れていたバフラム様に施した。すると。


「あれ……私は……これは……」


 そこには、色と肉とを備えた身体の、十三歳くらいの少年が確かに立っていた。


「バフラム様! 御無事で! わたしです、ユキです! 私が分かりますか!?」

「わかる……まさか、生き返れるとは思わなかった」

「生き返らせたわけじゃない。死んでいなかっただけだ。死んだ者は生き返らないが、寿命が尽きるまでは誰も死なない。それが生と死のことわりというものだからな。それじゃな、迎えに来る」


 そう言うと、イシュタムの姿はすうっと薄れて掻き消えた。それで、わたしは。わたしは……


「バフラム様。約束でしたからね。朝ごはん、一緒に食べましょう」


 わたしは万感の思いを込めて、そう言う。


「その前に。涙を拭け。泣きすぎだよ、ユキ」

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