ブラックコーヒーとバナナジュース

「滉一、聞いたか?今年の4年生、ほとんど就職浪人だってよ。」

「まじか。」


 2限目の授業が終わった後、一緒に昼飯を食べるために学食で待ち合わせをしていた綿貫和馬は、俺の顔を見るなり、開口一番にそう言った。和馬は俺にとって、親友と言えるような唯一の存在だ。


「やっぱり、リーマンショックの影響はでかいよな。」

「まあな。内定取り消しも続々出たって話だし。


 リーマンショック直後の今年、その影響を諸に受けた1級上の先輩たちは、就職浪人が続出していた。俺たちの学部からは、公務員試験を受ける人がほとんどだが、不況の煽りを受けて例年よりも受験者が多くなっており、高倍率になっている。


 そのせいで、俺たちのゼミの先輩のほとんどが試験に受からなかったらしく、就職浪人をするらしい。


「どうする?やっぱ警察官も受けとく?」

「まあ、試験慣れするためにも、受けるのは必須だよなあ。恐らく、二次で落ちるけどさ。」


 警察官になろうとは少しも思っていないが、“公務員”の試験は日程が被らない限り、1つでも多く受験しておきたいところだ。


「滉一は政令都市の市役所志望だろ。県庁は受けんの?」

「まあ、一応受けとこうとは思うけどさ。和馬は地元の町役場が第一志望だっけ?」

「本当は国税とかがいいんだけどな。国税も一応受けるけど、受かる気しないし、確立でいうと、地元の町役場が一番良いからさ。」


 公務員試験の中で人気が高いのは国家公務員と、地方公務員の中でも、県庁職員や政令指定都市の職員だ。


「でも滉一なら多分受かるよ。」

「そうかあ?」


 口ではそう言いながらも、心の底では“俺なら受かる”と思っている。というのも、これまでの人生の中でも、自分の希望通りの道を歩んでこれたからだ。


 なぜ俺が失敗をしない人生を歩いてこれたかというと、“俺に妥当な道”を選んできたからだ。言うなれば、自分に相応しい妥当なルートをたどってきた。


 公務員を選んだのだってそうだ。安定した生活がほしいし、自分のスペック的に、公務員が妥当であるだろうと思う。


 それに、安定した生活が送れるようになれば、今後の人生だって安泰だ。


「おっす。俺も一緒にいい?」


 和馬と一緒に昼飯を食べ始めたところで、お盆を持った立花良介が、俺たちのところにやってきた。


 立花も、俺たちと同じゼミで同学年だ。そのため、一緒につるむことも多い。


「おお。」

「サンキュー。」


 立花は、空気の読めないやつで、もっと人の気持ちを考えろよと思うような発言をすることがたまにあるが、イジられキャラの憎めないやつだ。


 しかも立花が所属しているサークルの関係で学内に顔が広く、俺たちの情報源は立花であることが多い。


「しかし、先輩たち大変だよな。武藤先輩ですら、公務員試験全落ちらしいぜ。」


 さすが、ネットワークの広い立花。新しい情報を仕入れてきたらしい。


「えっ。武藤先輩も?!」


 一番驚いたのは、和馬だった。武藤先輩は、和馬と同じ高校の出身で、生徒会長なんかもしていたらしい。リーダーシップも高い先輩なので、学部の中では最も有名な先輩の1人だ。


「武藤先輩でダメとか、まじやばいな。俺、受からないかも……。」


 弱気な声を出す和馬に、まだ弱腰になるのは早いだろと思いつつ、俺は自分の昼飯であるカツカレーを口に入れた。


「ま、俺らはあと1年あるし。頑張ろうぜ。それに、和馬は一次さえ受かれば楽勝だって。人柄が良いし。」

「そうかなあ。」


 和馬はいつも聞き役に徹することが多く、思いやりを誰よりも持っているやつだ。だからこそ、一緒に居て心地がいい。


「そうそう。問題は俺だな、多分。」


 立花は、自分の胸を叩きながらそう言った。それは偉そうに言うことじゃないだろと思いながらも、俺も受からないとしたら、立花だろうと思う。


 しかも、立花みたいなやつが県庁を第一志望とするなんて、身の程を弁えろよとも思う。


「まあ、俺らは来年1年あるとして……。それはそうと、ゼミの論文やった?」


 俺たちの所属しているゼミは、週1で論述の宿題が出る。今日が提出日であるため、昼飯を食べ終わったら、和馬と一緒に研究室へ提出しに行く予定だ。


 立花がこの手の質問をしてくるということは、なんだか嫌な予感がする。


「やったよ。今日提出だから、当たり前だろ。」

「俺もやったよ。」


 俺と和馬が口々にそう答えると、立花は瞳の奥を輝かせた。


「2人とも終わったんだ!俺、昨日バイトが夜遅くまであって、やる時間が少なくて全部やれなくてさ。よかったら、見せてくれない?」


 ……やっぱりな。そうじゃないかと思ったよ。立花は、いつもこういうことが多い。立花が俺たちに声をかけてきたのは、これが本題だったのだろう。


 同じ授業をとっているときなんか、自分が授業中に寝たくせに、ノートを見せてほしいと頼んでくることも多々あるのだ。


立花は居酒屋でバイトしているため、深夜まで働いているというのは偉いし、課題をやる時間が少ないというのも、本当だろうと思う。


 だけど、まったくやる時間がないというわけでもないはずだ。もし俺だったら、少ない時間しかないのであれば、その時間集中してなんとかやりあげる。


 でも、こうして友達に写させてほしいとお願いしてくるということは、それをやっていないということだ。


「……。」


 俺は、立花に対して、ちょっとだけ嫌そうな顔をした。俺が時間をかけて書いた論文を写そうというのだから、どんな事情があるにしても、これくらいの態度はとってもいいだろう。


 それに対して和馬は、「もう仕方ないなあ」と言いながら、鞄から課題を出して立花に渡した。


 和馬は甘すぎる。そんなんじゃ、立花のためにはならない。しかし、和馬が渡した手前、俺もまったく見せないのはなんだか意地が悪いような気がするため、「貸しだからな」と言いながら、課題を立花に渡した。


「2人ともありがとう!すぐ書くから!」


 すぐ書けるんだったら、課題やってこいよと心の中だけで毒づく。






 3限目が終わり、今日の講義はこれで終わりであるため、帰り支度をしていると、携帯に着信が入った。着信相手を見ると、川西七瀬かわにしななせと表示されている。


 七瀬とは、付き合って1年半だ。


「もしもし。」

『もしもし、滉一くん?どこで待ってたらいい?』


 今日はお互いにバイトがないため、会う約束をしていたのだ。


「七瀬は今どこ?」

『3限終わって、第1学食の売店の前通ってる。』

「じゃあ、そこに居て。」

『分かった。』

「すぐ行くから。」

『はーい。』


 電話を切ると、和馬と立花に「先に帰るな」と声をかけて、教室を出た。和馬も立花も七瀬のことをよく知っているため、きっと七瀬との約束だということを悟っただろう。


 急いで第1学食の売店の前にいくと、きょろきょろとしながら立っている七瀬の姿があった。七瀬の良いところは、人を待つときに携帯をガン見しないところだ。


 七瀬に近づいていくと、七瀬も俺のことを見つけたらしく、満面の笑みを浮かべている。……こういうところが、鬼のように可愛いなあと思う。


 七瀬は、可愛い。


 それは、俺のひいき目なしに、誰からも可愛いと思われる顔面偏差値だ。


 現に今も、俺を待っている七瀬を見ていく奴らはいっぱいいるし、俺が七瀬の傍に寄っただけで、「あれが彼氏かな?可愛い彼女で羨ましいな」という目で見てくる奴もいる。


 羨望の眼差しを受けることは、悪くない。むしろ、心地いい。


 それに、女子の俺たちに対する視線も悪くない。「美男美女でお似合い」と思いながら通り過ぎている人たちは、何人いるだろうか。


「待たせた?」


 七瀬に声をかけると、にっこり笑いながら可愛い声で答えてくれる。


「そんなに待ってないよ。」

「お茶飲み行く?」

「うん。」


 身長が183cmある俺と、153cmしかない七瀬が並ぶと、その身長差も相まって非常に目立つ。俺はまた、それが少しだけ心地よい。


 自慢じゃないが、中学のときから女子にはモテる。大学に入ってからも、岡田将生に似ていると言われ、「あの人カッコイイ」という視線を受けたことは、数えきれない。


 中学の時に初めての彼女ができてから今の今まで、彼女が3ヶ月以上居なかったことは一度もない。


 いつも七瀬と行く喫茶店に入ると、俺はブラックコーヒーを、七瀬はバナナジュースを頼んだ。二人とも、“いつもの”ってやつだ。


「そういえば、武藤先輩も今年の試験、ダメだったらしいぞ。」

「えっ。」


 同じ学部の七瀬も、有名な武藤先輩のことを知っている。だから俺の言葉に、七瀬は驚きの表情を見せた。


「武藤先輩でもダメだったら、来年大変そうだね。」


 七瀬は公務員志望ではない。しかし、俺をはじめ、七瀬の友達のほとんども公務員志望であるため、それを案じているのだろう。


「頑張らなくちゃなあ。」

「でも、滉一くんは頑張れば大丈夫だよ、きっと。」

「でも、武藤先輩でダメだったんだぞ?」

「だって武藤先輩は倍率の高いところばかりだったじゃない。それに、同じ公務員志望でも受けるところによって全然違うし。きっと、滉一くんの縁あるところに合格できるよ。」

「そうかな。そうなればいいけど。」


 そんな話をしているところで、「お待たせしました」と店員さんがブラックコーヒーとバナナジュースを運んできた。


 ブラックコーヒーについているコーヒーフレッシュを入れると、ぐるぐると渦巻ながら白が黒へと飲みこまれていく。砂糖は入れない。


「さて、今日はどうする?何が食べたい?」


 いつも七瀬と会うときは、この喫茶店でお茶をしてから晩御飯の買い物をして、一人暮らしの七瀬の家でまったりするのが定番だ。


 料理上手な七瀬に、すっかり胃袋を掴まれている。


「そうだなあ。久しぶりに、生姜焼きとか食べたい。」

「分かった。じゃあ、それにしよう。」


 お互いにバイトはしているが、所詮大学生だ。俺も七瀬も、そんなに自由に使えるお金があるわけではない。


 だから、どこかにデートに行くというのは特別なときだけで、あとはほとんど七瀬の家で過ごすことが多い。


 俺は、七瀬と他愛のない話をしながら、母親に「今日、和馬のところに泊まってくるから晩飯いらない」とメールを打った。

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