第8話 魔術の学徒


 清廉なる学びの城。

 朝の心地よい冷たさが、頭を冴えさせる廊下を鋭い目つきの男が急ぎ足であるいていく。


 一刻とて無駄にできる時間はない、今日もまた有意な研鑽にはげむ、そんな意思を宿した顔は、幸が薄そうで、お節介焼きにつかまれば人生相談が始まるだろう予感を、見る者に覚えさせる。


「グリームニル君、おはよう」

「むっ」


 名を呼ばれ、幸薄そうな男ーーグリームニルは立ち止まった。


 彼のいく手にあらわれた紺色のフード付きローブを着こんだ男は、気安い態度でグリームニルに手紙と本を渡す。


「ちょうどよかった、これは君宛の手紙だ。それとこっちは教室長への手紙。代わりに届けておいてくれ。頼んだぞ」

「……ですが、われはこのあと予定がーー」

「どうせ、? グリームニル君、どうしてそんな無駄な努力をする。当代でのクリストマス家の威信は、君の弟の偉大なる功績に裏打ちされてるというのに。なぜ君のほうもそんなに頑張るんだ?」


 疑問を投げかけるだけ投げかけ、男は軽薄な笑みをうかべてさっていく。


 グリームニルは男の言葉に憤慨ふんがいしていた。


 何も知らないのに。

 誇りのないクソ虫めが。

 このグリームニル・ホル・クリストマスに、施しにあやかる寄生虫のマネをしろというのか!


 沈黙でもって怒りの爆発を堪えたグリームニルは、頭をふり、冷静さをとりもどして、ふたたび歩きだす。


 兄に勝る弟などいない。

 

 グリームニルは考える、弟のもつ功績の根幹にあったのは、自分と弟のふたりで共に魔術の研鑽をつんだ成果だと。


 ゆえに、グリームニルは弟ばかりを評価する、魔術世界が、魔術協会が、そして、彼の在籍する大陸全土の魔術師が羨望する魔術の聖地『ドラゴンクラン大魔術学院』が、許せなかった。


 廊下のさきで、ふたたび人影が現れる。


 グリームニルは顔を歪め、舌打ちをした。


 魔術の名門クリストマス家。

 『星刻せいこく』を継いでおきながら、家を捨てた男。

 そして、我が弟バセモニウス・ホル・クリストマス。


「兄貴か。どうした、こんな時間からドラゴンクランに来るなんて。家の工房のほうがやりやすいとか言ってなかったか」

「はっ、どうやら、しつけのなってないクソ妹が、我が工房に立ち入っているようだからな。主工房をうつしたまでのこと。念には念をだ。、研究を横取りされたくはないからな」


 グリームニルは大きく息を吸い、高圧的な態度でもって溜飲を下げた。

 それを見てバセモニウスは目をスッと細め「そうか……」と一言つげると、グリームニルの脇を通りぬけ歩きさっていく。


「バセモニウス! われの前で、その澄ました顔をやめろ! われがクリストマス家の現当主だ。家を捨てた貴公は本来なら我のまえに立つことすら恥じてしかるべきなのだぞ!」

 

 朝のドラゴンクランを怒号が抜けていく。


 バセモニウスは足を止め、ふりかえる。


「兄貴、わたしはもうバセモニウスにではない。その名前は家と共に捨てている」

「……くっ、もういい。さっさと、行ってしまえ。アンバサ・トニースマス。はっ、ふざけた名前を名乗りおって」


 グリームニルは弟に背を向け、足早にその場をさった。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 機械仕掛けが散乱する魔術工房で、グリームニルは今日も作業机とむかいあっていた。


 彼の目のまえにあるのは、人間の腕をもした仕掛け魔術。


「はっ……はは……。これがあればバセモニウスの評価に追いつけるのだ……魔術世界に覇をなせる仕掛け魔術だ……完成はちかい、ちかい……近いはずだ、そのはずなんだ!」


 グリームニルは拳を作業机に叩きつけた。

 魔術師の肉体は常日頃から、神秘の技を多用するため、五体に魔力の循環しやすい環境がととのえられる。

 

 それゆえに、彼の叩きつけた作業机はひび割れた。

 上手くいかない鬱憤ばかりがたまっていく。


 グリームニルは頭をかかえ、そして、ふと作業机の端に置いておいた手紙を手にとった。


「差出人、ソラール・ヴィルガスキー。黄金のか。はっ、ふざけた偽名を」


 鼻で笑い、真面目さのかけらもなくグリームニルは手紙を読む。そこに書かれていたのは奇跡の顕現という馬鹿げた話。


 しかし、差出人の名前、手紙の末尾にある黄金に輝く刻印が魔術師グリームニル・ホル・クリストマスの興味をつかんで離さない。


「はっ、黄金の霊薬、そんな物があるなら、魔術世界は、いや、この世界はおおきく変わる。貴族決闘、いいだろう。研究も行き詰まっていたところだ。誇りあるクリストマス家の当主の遊興にはちょうどいい」


 グリームニルは僅かな期待を持って、丁寧に手紙をおりこみ、来るべき戦いにそなえ始めることにした。

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