第2話 運命の出会い

 

 この氷土のしたに千の人が埋まっている。


 言われた時にはまったく信じられなかった。


 けれど、ふり注ぐ冷たい雨が、地におちた瞬間に、さかひらく氷の花を咲かせ、咲き誇った氷塊たちに家々が押しつぶされていくと、氷の下敷きになった人間がいないことを疑うことが、無意味な楽観だと嫌でも理解できた。


 人間の住む大地、ここ豊かなセントラ大陸には人を絶滅させれる「怪物かいぶつ」と呼ばれる存在たちがいる。

 魔法生物ーー魔物とはまったくの別物。そいつらは畏怖畏敬の念をこめられるがゆえに、ただ「怪物かいぶつ」とそう呼ばれているのだ。


 とてもそのすべてを知っているわけではないが、目の前で凍り、死に絶えた地面を踏み破る存在。


 屋敷を5つ積み立てても及ばない背丈をもつ半透明の巨人が、およそおそろしい「怪物」なのはわかる。


 まさに『大災害』といって差し違えない。


「寒い、寒すぎるのです……ぅ、わたし、ここで死ぬのですね……」


 不安におびえる人々とともに隠れながら、私はつぶやいた。


 貴族アークスター家としてルーヴェン王国の土地に生まれて、14年。

 5年前に両親を事故でなくし、男子だんしとして性別をいつわりながら、必死に家を守ろうと頑張ってきた。

 けれど、出来たことといえば、家督を継いだ時より、なんどもなんども領地を他貴族に分割譲渡して、家の力ますます衰退させたことだけ。


 理由はすべて私にある。

 全部、全部、私が弱いせいなのだ。


 唯一残った街も、不甲斐ない支配者を処刑するがごとく、自然の脅威に破壊され尽くしてしまう。


 もうアークスター家の名誉を取りもどし、家を再興させようなどと、夢を語っている場合ではないのだ。


 ーーメキメキィィッ、ィ


「ッ!」


 巨大な時計塔が、半ばから破裂するように折れて、街一番の丈夫な建物であるこの冒険者ギルド支部に倒れこんでくる。


 私は叫ぶ。


「皆さん、慌ててはいけないのです! 外に出たら死んでしまうのですよ! あ、こらこら、だから、出てはいけないですってばっ!」


 どんなに止めても、皆言うことを聞かない。


 泣きわめく赤子を胸にだき、死の雨から守りながら建物をにげだす母親、混乱に押し倒される老人、人々押しのけ我先にとギルドから逃げだす冒険者たち。


 ああ、どうしてこんな事に。


 私だって泣き喚いて、誰かがすべてを解決するのを待ちたいというのに、なんでこんな怖い思いや、嫌な思いをしなくちゃいけないのか。


 倒れてくる時計塔の残骸が、視界をかすめる。


 あ、まずい。


「頭を下げい! ≪発火炎弾はっかえんだん≫じゃあ!」


 ローブを着た老魔術師が火属性式魔術で瓦礫を吹き飛ばし、市民たちを間一髪のところでたすける。


 あれだけの重さの物体を吹き飛ばす魔法は、そうそうに放てるものではない。


 昔からこのギルドで冒険者をしてきたという彼、だが、それでもこの空をおおう「怪物」の権能はふりはらえない。


 天災のまえでは、人はいつでも無力だ。


「きゃぁぁあ!? あ、足がぁああ!」

「くっ……!」


 我先にとギルドを飛びだした者たちが、身の毛のよだつ悲鳴とともに、増殖する氷に食べられていく。


 皆の顔が、霧のように濃い白息とともに、青くなる。


 もうじき、この建物も壊れる。

 この街から、この領地から人はいなくなる。


 すべての希望は絶たれたのだ。

 あるいは、はじめから希望なんてなかったのかもしれない。


「うぅ、ごめんなさい、母さま、父さま……!」


 併設された酒場のカウンターにもたれかかり、ふるえながら尻餅をつく。


 悔しさと、理不尽な世の中に涙がとまらない。

 自分の力不足に、追い討ちをかける、この落涙すら凍らせる寒さがほんとうに怖い。


「き、来た……!」

「ヒッ……!」

「ぁぁ、なんと、恐ろしい……っ」


 視線のさき、冒険者ギルドの両開き扉のさきで、半透明の巨人が這いつくばるようにして、建物のなかをーーのぞき込んでくる。


 巨人の顔にはなんの表情もない。

 私たちを絶滅ぜつめつさせることに、何も思ってない。


 まさに天災。

 ほんとうにムカつく厄災。


 なんだか、だんだん腹が立ってきた。


 誰か、誰でもいい。

 人の領地に勝手に入ってきて、みんなを蹂躙するこのムカつく怪物をぶん殴ってほしい。


 たった一撃でいいのだ。


 人だって抵抗するんだぞ、っと、出過ぎたマネでもいい。

 人類を代表して一矢報いてほしい。


 ーーそう、私が願った時だった。


「……ぇ?」


 這いつくばり、地面スレスレにある巨人の顔前に、人影が立っていることに、ふと気がついた。


 どうしてそこに、なんでこの雨の中で立っていられるのか。


 不思議に思う。


 もしかしたら、巨人はギルドのなかを覗き込むのではなく、あの人間を不思議がっていたのではないか?


 死の雨を受けても凍らず、なお立ちつくす広い背中。


 いや、そんなわけがない。

 あれは幻覚だろう、でなければ自然摂理にそぐわない。


 ありえない思いつきを一笑し、いよいよ眠たくなってくる。


 そんな時、人影がおもむろに右腕を引いた。


 人を殴るかのように、よく引き絞られた腕。


 私の願いを叶えにきてくれたかのような、都合のよい存在に、私は私自身の正気を疑いながらも、そのゆく末を見届けようと思った。


 もう誰も顔をあげてない。

 もう誰も生きることを希望できない。


 私だけが、冥土の土産に心地よい一撃の記憶を持っていくのだ。


 人影の腕が振りぬかれる瞬間ーー否、消えた?


「ッ」


 意識の隙間、顔をたたく強烈な風圧に、思いきり後頭部をぶつけて、我にかえる私。


「痛ぁ!? 痛、痛ぁあいっ!?」


 風に飛ばされ、カウンターを乗り上げて、向こう側へ転げ落ち、まだまだ、まだまだ、とまらない。


 ーーゴンゴンっ、ガンゴンゴンっ


「何事じゃ! 何事じゃ! 痛、ぶへぇ!?」


 机も椅子も、詩的なポエムを詠みながらくだばろうとしていた魔術師までもが、てんやわんやの大騒ぎ、勝手に切った貼ったの衝撃にさらされて、ギルド内で死にかけていたみなが元気よく、衝撃にもまれて頭をぶつけまわる。


「ぐ、ぅう、な、何事じゃ……」

「痛ぁ……ぅ、今のは、いったい……?」


 爆風がおさまり、何が起こったのかといち早く、たしかめるため冒険者ギルドの外へおもむく。


「…………ぇ?」


 我が目を疑うとはこのことか。

 目に飛び込んできたのは奇跡の顕現。


 どこまでも澄み渡る、蒼穹の天空。

 吹き抜ける、あたたかな春の風。

 ふりそそぐ、心地よい日差し。


 冷たい死の雨を降らしていた、魔法の紫雲など、どこにもない。


 先ほどまで巨人が這いつくばっていた地面より向こうがわには、建物すらない、べつの意味での悲惨な光景だけ。なんの冗談か、はげあがった大地が広がっている。


 奇跡が起こったと、能天気に喜ぶ皆とは対照的に、私はすぐさま、この偉業の可能性に思いあたる。


 あの人影、あの人間が何かしたに違いない!


 駆けだして、角ひとつ、曲がった先にさっきの人影を発見。


「待って! あなたは、あなたは何者なのですか! パンチであの巨人をやっつけてしまったのですか!? この街を救ってくださるとは、もしやもしや、噂にきく伝説の『三勇者さんゆうしゃ』のお方なのですかー!?」


 凍った肺を精一杯動かしながらといかける。


 この国には、他国のように英雄がいない。

 大国ひしめく大陸中央にしか彼らの活躍の場はないからだ。


 だから、私は本当の英雄に憧れていた。

 夢見的にも、にも。


 振りかえる人影ーーボサボサの髪、背の高い、シャツ一枚に筋肉質な体躯をうかがわせる男は、口をへの字に曲げて「困ったな、俺が見えているのか……」と、頭をかきながら困ったようにこたえた。


 彼ならば、彼ならば、もしかしたらいけるのではないか、そんな期待が小さな胸のうちで膨らんでいく。


 怪しげな噂を聞き、参加を考えた矢先のこれだ。


 これは運命だ。


「俺は『三勇者』じゃない。そもそも英雄向きじゃないしな……ところで、お嬢ちゃん、どうか俺のことは見なかったことにしてくれないか? 特にパンチのこととか誰にも言わないでほしいんだが」

「むっふふ、そうはいきませんよ! 英雄に違いないのです! そうですとも、さぁ英雄さん、どうかついて来てくださいな! 私にはあなたが必要なのですよ!」

「……どうして、俺がついて行かなきゃいけない?」

「さもなければ、その右パンチのことをうっかり言ってしまかもわからないのですよ」

「少女にまで脅されるのか……やれ、わかったからそんな子悪党な顔するんじゃない。可愛い顔には似合わないぞ」


 男は頭をがしがし掻き乱し、観念したようについてくる。


「か、可愛いですか、ふふ。よろしいです。レディへのたしなみがわかってる優秀な英雄ゲットなのです! では、私から自己紹介を。私の名前はレイス・アークスター、アークスター家の現当主なのですよ! つまり貴族です、ふふん♪」


 私の自己紹介に気圧されたのか、男は目を見張り「貴族、アークスター……なるほど。思い出した」と納得した様子でうなづいた。


「……俺の名前はクリフォード、ただのクリフォードだ。クリフとでも呼んでくれ。これからよろしくな」


 クリフォードの分厚い手のひらを、私は両手でがっしりと掴む。


 すごく温かい手のひらだ。

 こんなに人は熱を持つものなのか。


 ん、しかし、何だろう、この人。

 不思議と懐かしいような気がする。


「うーん? あれ、私たちどこかで会ったでしょうか?」


 父親のような分厚い彼の手を握っていると、ふと、そんな事を聞いてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る