第209話

 

 翌朝。起きてみると、列車は既に動き出しているようだった。ということはもう死体は運び出されたのだろう。開発されてまだそれほど年月は経っていないだろうに、寝ていても揺れは少なく音も静かで乗客の負担を最小限に抑えようという努力が感じ取れた。

 捜査はどうなっているのかとか、(今更だが)敵国の使者である俺たちを拘束しないのかとか色々疑問は湧きつつも外の景色はマジレールが進む速度と同じ速度で左から右へ流れて行く。一度動き出した列車はもう止めることは出来ない。


「んん……ふぁあ……アッ!」


 すると、横から眠たげな声あくびが聞こえてくる。ソレを発した本人は俺がいることに思い至り恥ずかしかったのか、素っ頓狂な声を上げた。むしろそちらのほうがおかしく感じるぞ。


「お、おはようございます、ヴァンさん」


「ああ、おはよう、エンデリシェ」


 カーテンの隙間から顔を覗かせた相部屋の乗客は。やはりほんのりと頬を赤らめている。これは二重の意味でだろう、俺も今一度年頃の女性がほとんど無防備で隣にずっといたんだよなと考える。

 ……うん、手を出さなくてよかったかもしれない。こんな形で初夜を使えるなんて、やはり良くないと思うし。せめてきちんとシチュエーションを作ってやるべきだろう。


「あの、こんなことヴァンさんに聞くのはお門違いと分かってはいるのですが、流石にこの乗り物にもお風呂はないですよね」


「ないだろうな、少なくとも俺は何も聞いていない。せいぜい手洗いの洗面台くらいだろう」


「ですよね……うう、その、恥ずかしながら嫌な汗を掻いてしまいまして」


「な、なるほどね」


 事件のこととか。あと夜中の無意識の緊張とか。そういうのでだろう。でなくても人間は寝ているときに結構な量の汗を出すという。もちろん個人差はあれど同じ人間である以上、王女だろうがアイドルだろうが大統領だろうが排泄するものは排泄するのだ。


「そうだな、せっかくだし試してみるか」


「え?」


 俺はエンデリシェに向かって服を脱ぐよう指示する。先ほどよりもさらに顔を赤く、いやもはや全身を真っ赤にさせあたふたしていたが、理由をしっかりと説明すると渋々と脱いでくれる。


「……こ、これでよろしいでしょうか?」


「ああ」


 今まで男性の前に曝け出されることのなかったであろう高貴な御身が今は布一つない状態で俺の前にある。昨日何もできなかった代わり、というわけではないが俺は役得と思いながらその全身をくまなく眺める。


「よし。あらかたイメージはできた。じゃあ、やってみるぞ」


「は、はいっ」


 当然大事なところは手で隠しているわけだが。身をよじるせいでたまに見えそうになるのは普通にみるよりも余計と興奮する。これがチラリズムというやつかと考えつつ魔法を発動してみる。


 すると、エンデリシェを中心にまず縦に長方形の障壁で取り囲まれた立体的な空間が出来上がる。余計な家具は一時的に端に寄せているため邪魔にはならず、"箱"の大きさは人三人が入れる程度だ。続いて、水の魔法によって上空からお湯を流してやる。最後に、水を排出する機構の代わりに倉庫魔法を用いて俺の無限倉庫にお湯が入るようにする。

 これで、簡易的なシャワールームの出来上がりだ。


「す、すごいです。こんなことができるだなんて……流石はヴァンさんですね!」


「この魔法は前から考えていたんだよ。他にも応用が効きそうだしね」


 擬似的な密室空間を作り出し盗聴を防ぐとか、捕虜を捕らえておくための檻だとか。まあやってることは土魔法での建築の延長線上だ、それほど難しいことではない。


「じゃあカーテンを敷くから、終わったら言ってくれ」


「はい、ありがとうございますっ」


 石鹸は既に渡してある。本当なら身体を洗うのを手伝ってやるべきなのだろうが、流石にまだそこまでする度胸はない。


「じゃあまた」


 そして俺は部屋の端にあるソファに腰掛け、出来るだけ音を聞かないよう心がけながらしばらくの間すぐそこに裸の女性がいるという状況に耐えることにした。






 そしてしばらくして。


 朝食は食堂車があんなことになってしまったせいで個室にそれぞれ配られた。そしてそのあと、一度みんなで車両先頭にある展望室に集まることに。


「ねえ、この後どうするの? 首都に着いたら、捜査に協力しなきゃならないのかな」


「わからない。でももう既にあの男性は、連れ添いの奥さんと一緒に下車・・した。後は食堂車で調べ物をしているやつらがどう判断するかだな」


 列車自体は動いてはいるが、流石に何もしないわけはなく。一先ずの時間を使って状況の確認と乗客の取り調べを行うことになっている。首都に着いてもすることができなかった乗客は、時間を取らせ引き続き取り調べするつもりのようだ。

 その間に証拠を消されたらどうするのかとか、そもそも個室に返して良かったのかとか疑問は多々あるが、そこは共和国の捜査方針があるだろう、俺たちが口を出す必要のないことだ。


「ほらルビちゃん、クッキー」


「ん、ありがとなのじゃ」


 そして昨日の約束通り、部屋にあった備え付けのクッキーをドラゴン姉妹の姉の方にあげる。おいしそうに頬張っているのをみると、疲れた心が少し癒される気がした。


「ふうむ、しかし毒殺とは……普通に考えれば、料理を作った人間か、もしくはそれを運んだ人間か。または当人の近くにいた人間に縛られそうな気がするのじゃが」


 エンドラの言う通り、毒殺、といえば暗殺的なイメージがあるかもしれないが。状況によってはむしろ他の殺人方法よりも犯人が分かりやすい場合もある。このような密室状況の中においては尚更だ。

 奥さんがなんからの理由で夫にムカついて殺したのかもしれないし、依頼を受けた料理人等が混ぜたのかもしれない。少なくとも、まったくの赤の他人の料理に毒を混ぜそしらぬ顔をするのは行動原理として考えにくい。無差別殺人を楽しむ猟奇犯だとすれば別だが、そんなことを言い出したらキリはないからな。


「あえて"目立つ"方法を用い、捜査をかく乱しようとしているとか?」


 イアちゃんが言う。


「つまり、あえて疑われる状況を作って犯人候補から外れるようにしたってこと?」


 ベルがその推理内容の確認をとる。なるほど、毒殺であるならば、その証拠がどこかに残っているはず、と普通は考える。それを逆手に取って、取り調べを一度受けて仕舞えば犯人候補からは外れやすくなる。

 しかもここは列車の中、身体検査は既に昨晩のあの時点で受けているし、そのあとも定期的に見回りをしている気配が感じられた。途中下車をするものはその駅でまた取り調べを受けただろうし、それでもまだ犯人逮捕の連絡がないと言うことは少なくとも現時点でうまく逃げおおせているわけだ。


「……お楽しみのところ悪いが、ワシはまた違う考えを持っておる」


 すると、エンドラがそんなことを言い出す。皆の視線がこの場の年長者に集中する。


「違う考え、とは?」


「うむ。この殺人は、この殺人が目的ではない、ということじゃ」


「??? それは、どういう」


「簡単なことじゃ。真の目的は、別の人間を殺害することにある。そう、例えば敵国の和平使者や、ソレに捕まっている捕虜などじゃな」


「えっ!? ということはつまり……」


 ポーソリアルは俺たちを殺そうとしている、ということなのか?


「お爺様、いくら何でもそれは飛躍し過ぎなのではありませんか?」


 すかさず孫の片割れが突っ込みを入れる。しかし、祖父の方は至って真面目な推理だという顔を崩さない。


「毒殺は、殺人という状況に抵抗をなくすもの。人が死ぬことになれることはそうそうないじゃろうか、同じ状況が何度も起こるとまたか、となる。つまり表面上は恐怖を抱えていても、その奥底では精神的な均衡を保とうと心が"慣れ"ようとするのじゃよ」


「じゃあ昨晩の一件は、敵にとってただのデモンストレーションだったと?」


「いわばそうじゃな。用心せよ、敵はすぐそこにいるやも知れん」


 マリネさんの無事は確認済みだし、何かあってもすぐさま見張りの兵士が飛んでくる。俺たちはほとんど一塊で行動している。こんな状況なのに、殺そうとしてくる?


 まさかそんな大胆な、ありえない……とはいえないのが怖かった。


「ううむ、それにしてもこのクッキー、やはりピリピリするのう」


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