第193話
「…………私、起きて……」
老女はゆっくりとではあるが、その上体を身体が安置されていた祭壇から起こす。
「え、エンジュ……成功したのかっ」
保存魔法によって固定されていた肉体は、数千年ぶりに自由を取り戻せたのだ。俺の力とベルの愛の魔法が重なって叶えられた結果だ……なんてキザなことを思ってみたりもする。
「ベル、やったぞ!」
「ええ、流石だわ、ヴァン!」
「ヴァンさん、ありがとうございます! お、おばあさま!」
陛下と共に千切れたしめ縄を越えて祖母の目の前まで来ていたホノカは、回復魔法を止めると痩せ細ったその身体を優しく抱きしめる。
「ああ、初めましてになるわね。って、私の孫なのよね? それに、貴女も久しぶりに見たけれど、全く変わっていないし」
「当たり前やん。でも、この身体もこれからどうなっていくのか。きっと多分、普通の人間と同じように歳を取っていくんやとは思うけど。さっきヴァン君が魔法をかけ終わったとき、この身体にも変化が訪れたのを感じ取れたんや。やから、エンジュだけじゃなくこの『場』にかけられていた暴走した保存魔法は、チリも残さず消え失せたと考えてええやろうよ」
今もこの場には魔力の残滓が微妙に漂ってはいるが、それも時期に霧散するだろう。それよりも。
「ヒエイ陛下、いや、ブラックドラゴンさん。そのドラゴンの身体はどうされるおつもりなのですか? エンジュさんたちのことは話題に上げていましたが、ご自分の肉体については触れられていなかったので」
「そうやなあ……それなんやけどな、わっちの精神って今二つに分かれているやん」
「ええ、まあ」
「エンジュの中と、ヒエイの中。それぞれの中にいる時間が長過ぎたせいか、もはやわっちのもう一つ……この場合は二つと言った方が正しいんやろうけど? の肉体といっても過言ではないくらい馴染んでしもてるんや。それに、今更二人と別々になるっていうんも違和感あるっていうんか、態々ドラゴンの身体に戻らんかってもええんやないかと思ってんねん」
「ええっ? お、お婆様、つまりはもう私たちの元に戻られる気はないということですか? 折角お会い出来たと思ったのに……」
「我も反対なのじゃっ。お爺様と仲直りして、ドラゴンの里に戻ってきてほしいのじゃ!」
ドラゴンの姉妹は、直接の祖先である祖母を説得し始める。
「う、うむう……わ、ワシも、お前がどうしてもというなら仕方なく受け入れてやらんでも」
「いや、でもわっちはもうこの国--エンジュ呪国の一員みたいなもんやから。国が成り立った時から共に歩んで来たのに、その土地をほっぽり出してサファイアらと暮らすいうんは不義理な気がしてならんのや」
しかしその祖母は、すぐさま否定をする。孫にとっては折角出会えた祖母なのだから、ドラゴンの肉体を取り戻して一緒に居て欲しいと考えるのはよくわかる。
しかし、ブラックドラゴン----ブラドラの『今このタイミングで国を見捨てることは自分の願うところではない』という言い分も十分に理解できる。家族としての心情も大切だが、為政者としての立場は気軽に放り出すことはできない重いモノだからだ。
「ネス子、ネス子は本当にそれでいいの?」
と、ホノカに支えられつつ、身体を震わせながらもなんとか地面に立ったエンジュさんが会話に割って入る。というかネス子って?
「エンジュっ! 動いて大丈夫なんか」
「うん、なんとかね。二人の印術のおかげで、一時的にとはいえ体力が戻ってきたから。私のことはいいから、そんなことよりももっと大切なことがあるでしょ? 貴女の中にいる、その身体の持ち主の想いはどうなの? 祭祀長を補佐する役割として、ヒエイと一緒になってその身をこの国に何千年も捧げてくれたのはありがたいと思っているわ。けれど、そろそろヒエイのことも解放してあげていいんじゃない?」
「ヒエイは……わからん。"あの時"から、あの子の時は止まってしまっているし」
「うん、そうだよね。だからといって、貴女がずっとその身体を支配していてもいいという理由にはならないわ。ネス子、貴女の精神がその身体から離れてしまったら、確かにヒエイという存在は、肉体も精神も両方ともが眠りについてしまうことになる。それは、さっきまでの私の状態よりも酷いことだわ。でも、もう大丈夫なんじゃない? だってさっき、彼のおかげで保存魔法は解除されたんでしょう。なら、貴女がその身体を動かしている理由も無くなるはずだわ、違う?」
どういうことだ? 話がよくわからない。以前ブラドラから聞いたのとは所々矛盾した箇所が有ったが。
「それは………ぐむう、エンジュちゃんいじわるやわぁ……」
「こーら、拗ねないの! で、どうするつもり? 今ここで答えなさい。そうしないと、いつまで経ってもずるずると先延ばしにしてしまうのが目に見えているわよ?」
「そ、やなぁ。でもなぁ、うーん」
「ちょっとよろしいですか?」
「ん、どうしたの? サファイアちゃんだっけ?」
「はい、私のことを?」
「まあね。ネス子のもう半分からたまーに外の世界のこと聞いていたから、貴女たちのことも大体のことは知っているよ」
そうだったのか。
イアちゃんは、エンジュさん……ではなく、ヒエイ陛下に問いかける。
「お婆様、先ほど城で受けた説明では、ヒエイさん。つまりその身体の本来の持ち主は、お婆様と精神を共有しているとお聞きしました。ちょうど、エンジュさんにしたのと同じ方法で、保存魔法によって時を止められてしまったヒエイさんのことを案じて魂を融合させていたのだと」
「そやな。それがどうしたんや?」
確かに、エンジュさんに諭される形では有ったが、結果的にヒエイさんの精神全てと残ったブラックドラゴンのもう半分の精神が合体して今のヒエイ陛下になったと仰っていたはずだ。
「でも、先ほどのお二人の会話から察するに、ヒエイさんの魂は、実は今身体と同じく時が止まってしまっているのではないですか? 眠っているだとか、お婆様がその身体を支配しているだとか、どうも二つの魂が共有しているようには聞こえなかったものですから」
「うむ、それはワシも気になったぞ? もしかして、ワシらに虚偽の説明をしていたのではなかろうな?」
その他の皆も、同じようなことを思ったようだ。俺が違和感を持ったのは、間違いではなかったのだろうか。
「えっ? ちょっとネス子、一体どういうことなの? この人たちに嘘をついていたって本当? だって、ヒエイの魂はあの時既にもう」
「----そうや。ヒエイは、あの保存魔法によって既に深い眠りについてしまっていたんや」
ブラドラは、観念したように話し始めた。
「わっちがさっき教えた一連の流れ、その中には確かに、嘘の説明も混えてあったよ。それは謝らせてもらうわ。ごめんな、皆? でも、それには深いふかーい理由があんねん」
そしてそのままブラックドラゴンの許まで歩んでいくと、その大きな前足に背中をもたれ掛け目を瞑った。
瞬間、ヒエイ陛下の身体から力が抜けたようにみえ、続いてブラックドラゴンのその巨体がぴくりと動く。
「<----ふう、何千年ぶりかのこの身体、久しぶりすぎて違和感あるわぁ>」
漆黒の巨体は確かめるようにゆっくりと全身を動かすと、もたれかけていたヒエイ陛下の身体を掴み、エンジュさんの隣に仰向けで寝かせた。
「<さて、こういうことや。続きを話させてもらおか>」
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