第192話

 

 翌昼、エンジュ呪国内裏最深部、『祈祷の間』にて――――


「こ、これが、エンシェントドラゴンと同じ刻を生きながらえしドラゴン」


「そう、わっちの元の身体やった『ブラックドラゴン』や」


 正に呪国の奥の奥。この国の城に当たる内裏の中にある『大正殿』と呼ばれる政を行う建物の最下層には、極一部の者以外は近づくことすら許されない、古の歴史の秘部が鎮座していた。

 全身が黒よりも黒い漆黒に覆われ、しかしその色合いに反して隠れることのない圧倒的な存在感を放つ巨体は眠るように地に伏している。そしてその隣には、一人の老いた女性の身も。


「黒と白、当時はその組み合わせはたいそう映えたものじゃ」


「まあ爺さんはちゃらんぽらんの頭スッカスカやからな、そら身体も白なるわ」


「な、なんじゃと!?」


 二人がまた喧嘩をおっ始めようとするが、孫二人がなだめどうにか収まる。エンシェントドラゴンの身体は白銀に近い白であるが、昔はもっと白く輝いていたらしい。


「そしてこの方が、私の……」


「そう、実の祖母や。ホノカにもこの場にはまだ立ち入らせたことなかったもんな、初めて見るはずや」


 ホノカの視線の先には、数千年経った今も未だに眠り続けている祖母の姿がある。死の間際に保存魔法をかけられたためかなり痩せ細ってはいるものの、両手をお腹の上で組み、ゆすれば普通に起き上がるのではないかと思うほど自然な姿だ。


「はい。当然でしょうが、お顔がお母様にとてもよく似てらっしゃいますね」


 若干釣り上がった目、艶やかな黒髪、そして俺たちのとは色合いの違う少し黄色がかった肌。ホノカの言う通りそのどれもが親子三代で似通っている。


 ホノカは副祭祀長、つまり呪国のナンバーツーの位置についてはいるが、その肩書ではこの祈祷の間に立ち入る権限はないらしいのだ。せいぜい、塞いでいる扉の目の前まで来て祈りを捧げるだけだとか。先程チラッと確認できたが、そのための祭場も別途設けられているくらいなので、例え親族であろうとも例外にはしないくらいに人を立ち入らせたくなかったのだろう。


「さあホノカ、その姿をよう見せてあげえ。な?」


「は、はいっ。お婆様……でよろしいですよね。初めまして、貴女の孫のホノカ=コカゲと申します。ようやくお会いできましたね」


『場』には保存魔法の上から印術を用いた障壁がかけられており、ソレを示すように地面にぐるりと円形の線が引かれている。さらにその前にも真ん中にかけて少し弛んだしめ縄のようなものが異物を遮断するが如くスロープの要領でかけられており、ホノカはそのまん前まで歩むと、深く深く頭を下げて呪国式の礼をした。

 当然、身体が固定されているエンジュさんの身体はピクリとも動かない。しかし、心なしかその顔が微笑んだように思えた。


「うん、うん……わかったよ、ちょい待っときー。さて、いよいよやな」


「はい。ヴァンさん、よろしくお願いします」


「任せておけ、そのために態々ここまで来たのだからな」


 俺はホノカと入れ替わるようにして、障壁の前に立つ。


「ホノカ、おいで。念のため、離れておいた方がいいだろう」


「はい」


 ジャステイズが未来の正妻を呼びつける。そして皆して俺から少し距離をとる。

 しかし唯一、ヒエイ陛下だけが、俺の横に並び立った。


「陛下?」


「なんや、わっちに構わんでええから、さっさとやってくれなはれ」


「でも、危ないかもしれませんよ?」


「大丈夫や、わっちにはわかる。もちろん、あんさんが上手くやってくれるって前提でやけどな」


「そんなプレッシャーを掛けられても。まあ勿論、最大限努力させていただきますが」


 そして俺は魔力を篭め始める。その間に、ヒエイ陛下が障壁を解除なすって、いよいよ準備が整った。


「……さて、では行きますよ」


「思いっきりやってくれなはれ」


「はいっ。はあああああああ、ほあああああああ!!」


 掌に込めた魔力を、『場』を覆う保存魔法に向けて撃ち放つ。

 魔力と魔力がぶつかり合い、激しい魔力の放流が巻き起こる。


「ふえぇ、すごい魔力ですっ」


「これほどまでに荒れ狂うのは初めてじゃ! お主、一体保存魔法にどれだけの魔力を使ったのじゃ?」


「いやあ、せっかくやから出来るだけ長く保とうと思ってやったんやけど……裏目に出たみたいやなあ。そりゃ誰も解けへんわ」


 今までも、見込みのある極一部のものを諭して同じことをやってもらったらしいが、その誰もが失敗し、時には魔力を飲み込まれて死に至ることもあったとか。つまり俺もそれだけのリスキーな作業を今行っているということだ。


「ぐっ、なんだこれは!」


 保存魔法に使用されている魔力が減っていくのがわかる。が、半分ほど過ぎたあたりで、まるで意志を持つようにして俺に抵抗してきたのだ。


「どうしましたかっ」


「ヴァン、大丈夫かい!?」


「無理しないでね、死んだら元も子もないのよ!」


「諦め、られる、ものかああっ!!」


 さらに魔力を篭め、まるで壁を押すようにして魔力の波を押し返していく。


「エンジュが花火みたいやわって言ってるよ」


「確かに、うちから見れば綺麗なのかも知れんが……今言うことなのかのぉ」


「ええやん、あの娘にはあの娘の感性があるんやで?」


 そしてついに、限りが見え始めてくる。もしかして成体のドラゴンとまともに戦って勝つのってこれが初めてじゃないか? 今まではせいぜい暴れルビちゃんやイアちゃんを鎮めたり、修行の一環で弱体化エンドラと模擬戦をするくらいだったし。俺だってやろうと思えばドラゴンが放った本気の魔力にも勝つことができるんだ!


「ふう、ふう、もう、終わり、だっ! やあああああ!!」


「ヴァン、頑張れ!」


「ヴァンさん、ファイトです!」


「負けたらクッキー1万枚の刑じゃからな!!」


「小僧、かつての此奴を打ちのめすのじゃ!」


 汗もだらだら、身体だったあちこちが痺れてきている。一筋縄ではいかないのは変わっていたが、終わりそうで終わりそうにないぞっ!

 そこに追い討ちをかけるようにして保存魔法の方も、最後の最後、イタチの最後っぺなのか、より一層激しい魔力の放流をぶつけてきた。俺は思わずよろけてしまいそうになるが、なんとか踏ん張り耐え続ける。


「ヴァン……カッコいい……」


「えっ、ベル」


 そしてふっと前に歩み出たベルが俺の顔を押さえると、横に向かせてその唇と唇をくっ付けた。


「「「「!!!」」」」


「!!?? ぷはっ、ちょ、ベルっ?」


「さ、最後の仕上げよ? 一緒にやろう、ね?」


「お、おうっ」


 ベルは俺の後ろから二人羽織のようにして両腕を掴み、動かないよう押さえてくれる。すると、その場で耐えるのに必要な力が減ったおかげか、魔力をぶつけ合いやすくなった。そして今度こそついに――――




 パリーーンッッッ!!!




 大きな音を立て、透明なドームにヒビが入る。そしてそのまま、数多の破片となれ果てて地面に向かってゆっくりと降下し始めた。


「や、やったのか!?」


 今さっきまでこの空間を満たしていたお互いの魔力の放流は消え失せ、再び静寂が祈祷の間を包み込む。


「!! ホノカ、行くで!」


「はいっ、お母様」


 慌てた様子の親子は、エンジュさんのところまで急いで走って行き、続いて何か魔法――この場合は印術が――を掛け始める。


「二人は何を?」


「恐らく、回復魔法の一種じゃろうな。エンジュとやらは死にかけた状態でここに保存されていた。ならば、急いで延命措置を施さなければそのまま……」


「なるほど。でも、果たしてどれだけ持つのかわかりませんね」


「そこは仕方なかろう。二人も覚悟しておるじゃろう。それを前提に、ここまでお主らを連れてきたのじゃからな」


 そしてしばらくすると、老女がゆっくりと目を見開いた。



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