第182話
「あなたは……何故ここに?」
扉から現れたのは、ポーソリアル共和国大統領の娘だという、マリネ=アンダネト女史。俺が以前対ポーソリアル戦役において旗艦から助け出した女性だった。
醜悪な魔物化していたその身体は、今はもうどう見ても完全に普通の女性のものであり、俺の『浄化の光』は一時的ではなくきちんと恒久的に作用したことが窺える。あんなおどろおどろしい姿になった人までも元に戻せるのだから、自分でも凄い力を手に入れたものだと今更ながらに思う。
「ああ。尋問もあらかた終わって色々と話が進むうちに、私が本当に共和国大統領の娘だということがわかったようでな。あの神官の魔法だけじゃ私の発言が正しいかどうかはわかるが、為人はわからなかったのだろう。それでここファストリア王国との暫定交渉において、私の身分の保証をする代わりに捕虜扱い、つまりは交渉材料の一つとすることを求められたのだ」
「はあ、そうなのですか」
確かに彼女は、俺が連れてきた時に真偽官の前でポーソリアル共和国の大統領の娘だ、と言っていた。そしてそれは聖魔法によって"真"であることが確かめられもした。それに尋問や直接交渉を重ねた結果、彼女の身柄をこの国で預かり、戦後交渉に一役買ってもらおうという話になったのだろう。
相手国のトップの娘。こんなに交渉を有利に進められる材料は中々手に入らない。ならばこそ、王国はある程度の自由を保証し高級捕虜を丁寧に扱いましたよと言うポーズを見せる用意をしているのだと考えられる。
しかも彼女はポーソリアル側の最高責任者、二重に"美味しい"エサとなっている。
事前交渉を行えると言うことは、現場の指揮官として交渉権を授けられていたことも察せられる。戦争においては、いちいち後方(つまりいわゆるお国)へお伺いを立てていては時間がもったいないし、場合によってはやりとりを行ったり来たりさせている間の時間を敵に有利に働させてしまうこともある。
なので彼女のように全権委任ではないが、事前折衝のような形で交渉権を一時的に授けると言う行為はままあることなのだ。
「それでだな、その…………私の身を、貴殿に授けたいと思うのだ!」
「は、はいぃ?」
どうして急にそんな話が出てくる? 明後日の方向に行きすぎだろう。その一言を聞くだけで、ただでさえオーバーヒートしそうな頭が爆発寸前だ。
「私はある程度の自由を約束されている。まあ範囲は当然この城の中限定で、しかも監視兵二人付きでだがな。しかしその兵士たちが、なんというか……その、あれなのだ」
「アレ?」
「ヴァン様、恐らくゴニョゴニョ」
理解できないでいると、横からグアードがこっそり(?)と教えてくれる。
「あーあー、なるほどね。うん、わかった。まあ敵国の大将だしそういう扱いをしてくる兵士もいるだろうなあ」
「うむ。それは仕方のないこととは理解している反面、私も一人の女性。いつ辱めを受けるか少し怖くもある。武装は全くしていないし、また私自身は魔法たるものをほとんど全く使えない」
対ポーソリアル戦役によって本人や周りの人々が傷ついた者は数多い。直接でなくとも間接的に被害を受けた者も数えれば一桁万じゃ到底足りないくらいだ。その恨みつらみは向かいやすい一点、マリネ女史へと集中することだろう。
そうでなくとも、この世界では敵国の捕虜だからと雑な扱いや酷い辱めを与えて当たり前と思っている者も少なからずいる。しかも聞くところによると護衛の兵士は近衛の者が充てがわれているとか。
身内贔屓をするわけではなく事実なのだが、あいつらは国軍とは違い言っちゃなんだがプライドが異様に高く、こんな仕事を押し付けられたのだから少しでも役得があって然るべきだろう程度の考えで女史に卑劣な瞳を向けていることは想像に難くない。
近衛といえば正に軍事面での花形、王族やその関連人物・施設の警護を一任されている特別な役職なのだ。当然その分
「それで、そこからどうこねくりましたら俺に身柄を授ける話に繋がるんですかね? 俺だって相当くたびれたんだ、貴方のことを全くなんとも思っていないと言えば嘘になる。万が一あの船の中での出来事で何か勘違いをさせてしまったのなら謝りますが、俺はただ単に一人の人間を咄嗟に助けただけであって、そのあとは敵同士の関係に終始するつもりですが」
「そんなことは考えていない、一度助けられただけで男に靡くほど安い女ではないぞ?」
「そうですか、そりゃ失敬」
キッパリ言われるとこちらもサッパリする、うん。別に残念がってないぞ?
「男とか女とかではなく、単純に貴方が私の身を委ねるにあたって、この敵地において一番
おい。この人、俺のことをさりげなく脅しているのか? それとも単純に思ったことを言っているだけ? もしこの『気丈な振る舞いの中にも敵陣にいるという恐怖を滲ませる態度』ですら俺を疑心暗鬼にさせる演技なのだとすれば、彼女は相当な曲者役者だな。
「ふむ、グアードはどう思う?」
「えっ、私ですかな? そんな急にふられましても困ります。ここ二十年以上、敵は魔の手からの者ばかり。当然それ以前の私はただの一般市民でしたからな。敵の首魁を捕虜にした場合の扱いなぞ、机の上で習ったことはともかく実際にとなると知りません。ましてやその相手から保護を求めてくるなぞ厚かましい態度を取られるなら尚更です」
「んまあ、それもそうだが……そうですね、俺が貴女を保護するメリットは何なんでしょうか?」
「簡単だ。この身を捧げよう」
「え?」
「言った通りだ。煮るなり焼くなりどうぞお好きに」
「いやいやいや、さっきと言ってることが真逆なんですが!?」
簡単に靡かないとか、純潔がどうとか言ってたじゃんっ!
「私はこう言ったはずだ。『簡単に靡くような女ではない。女としての対価は差し出さない』とな。それ以外ならどうぞお好きにという話だ。別に貞操観念が紙のように薄っぺらいわけではない。また、『信頼はしないが、信用はする』とも。貴殿は、いきなり現れた敵国の女にホイホイ手を出す男なのか? 巧妙に仕組まれた間諜かもしれないぞ? フフフ」
マリネ女史は余裕綽綽といった感じで笑みを浮かべる。ブラフ、だよな。まさかここまで想定して身の安全の確保を求めてきているのだとしたら、あのヒエイ陛下に劣らない恐さがあるぞ?
「ヴァン様、いつまでも押し問答をしている暇はありません。書類は溜まっていく一方ですぞ? 面倒ならば、陛下に直訴されてもよろしいのでは。今のあなたはそれくらいの権利はお持ちでしょうし、陛下もその程度のことで目くじらを御立てなさらない位にはあなたのことを認めてくだすっているはずです」
「ううむ……文句を言うつもりはないが、これは俺一人で決めていい問題でもない。明らかに国家が絡む話になっている。マリネさん、今から陛下に謁見できるか問い合わせますのでこのまま少々お待ち下さい」
「わかった。念を押しておくが、無理強いはするつもりはない。あくまでも私個人の我儘であり、処刑されることなく敵国に身を置けていることだけでも奇跡みたいな処遇だと言うことは重々承知している」
そして俺は官僚の一人に謁見の申し込みをするよう頼む。さて、陛下はうまいこと捕まるかな?
そしてものの五分もすると、もう答えが返ってきた。
「陛下は現在謁見の最中であります。ですが、その相手様が同席しても良いと仰っておられます故に」
「え? 今から来いってことか?」
「ええ、どうも陛下ですら逆らうことのできないお方なようで……私も、初めて拝見するお方です。それと、そちらの捕虜も」
「私もか? ううむ、どういうことだ?」
「わかりませんが、呼ばれたからには行かないわけには。グアード、すまないがしばらく留守にする」
「はい、しばらくですね。おかえりは何年後で?」
「そんな嫌味を言わなくても、謁見が終わったらすぐに仕事の続きをするから」
真顔でジョークか本音かわからない冗談を言うグアードは放置して、二人して官僚と連れ添って謁見の間へと向かう。
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