第141話 ※同上
「おい、何事か!?」
パラくんの背中から地に降り立ったとほぼ同時に、屋敷の中から一人の男性が飛び出して来た。
私の昔からよく知る人。実父であるドミトリン=エイティア男爵だ。ひげはボーボーで髪の毛も白髪が増えボサボサ。私が飛び出して行った後にも激務が続いていたことが一目で伺える風貌だ。
「親方様、お嬢様がお戻りになられましたぞ!」
「おいっ、親方様はやめろと仰ってただろ」
「あ、そうか、すんません。ともかくどうぞ! なんでもお嬢様、ドラゴンを捕まえて使役なされているようで」
民の一人が道を開けるように手で示す。
いやいやちょっと、パラくんは別に私の下僕でもなんでもないんだけど……と言いたいが、私は自らの親の顔を前にして何も言葉を発することが出来なくなってしまっている。
緊張なのか、怯えなのか、それとも感激からなのか。どんな感情によって己の身体がいうことを聞かないのかが自分でもわからない。
「ドラゴン……? どうなってるんだ、我が娘は。まあいい」
お父様は私の横に鎮座するパラくんに顔を向け一目見ると、次に私に視線をやりそのままこちらに向かって歩んでくる。
私はその姿を見つつ、胸元に隠されたペンダントをギュッと握りしめる。お母さま、助けてください、天から力を分け与えてください!
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
私の目の前までやってき、しばらく二人で見つめ合う。
街の人々も重苦しい空気を感じ取って何も言わない。
だが体感三分ほどすると、いよいよ痺れを切らしたのかお父様が少しぎこちなさそうに一言発する。
「…………ベル、よく戻ったな。おかえり」
「た…………た、ただいみゃ、もでょいみゃした」
「え?」
「あぅ、こほんっ。いえ。ただいま戻りました、エイティア男爵!」
噛んでしまった噛んでしまった噛んでしまったッ!!!
こんな人前でしかも誤魔化すように早口になってしまうなんてッ。
恥ずかしさで急激に熱が頭の天辺まで登り詰め、それを打ち消すかのようにわたしは大きく息を吸い。
「ああ、おかえり……その」
「あの、すみませんでした!!」
「えっ?」
お父様が何かを言い出す前に、大声で叫びながら意を決して思い切り九十度頭を下げる。
「急に飛び出したりして、すみませんでした。お父様を含め、街のみんなに迷惑をかけてしまって。こんな使い物にならない存在のわたしを、ただ飯くらいの私を置いていてくれていたのに」
「ベル、どうしたんだい」
「でも、もう私は逃げませんっ。こうしてドラゴンまで連れて戻って来ました。今度こそ、エイティアのみんなのために、そして世界のために、魔族と真正面から戦います!」
「いや、ベル。その前に」
「なので! 謝らないでください」
「あやまるな、だと?」
恐らくそのことについてこれ以上拗れる前に話をしたかったのだろう。だが私は、話始めた勢いのまま切り出される前に言いたいことを全部言い切ってしまう方針をとる。
「はい。この前の脱走については確かにお父様のお言葉でとても傷つきました。家族にまで、もう全く必要とされていないのだなと絶望しました」
「うっ、それは」
「でも、その後ドラゴンの里でお世話になりながら、ヴァンと再会しました」
「ヴァン君と?」
「彼は、こんな私に対しても、いつも通りに、一人の女の子として。勇者ベルとして。婚約者として。今までと変わらない態度をとってくれました。内心どう思っていたかまでは分かりませんが、それでもこちらのことを労り激しい自分の修行風景を見せてくれました」
「それで?」
「はい。そんな彼の姿を見ている中、段々と思ったのです。こんなに強くなったヴァンですら、まだまだ強くなろうと必死で頑張っている。そしてそれに協力している沢山の人々がいる。私は、彼とは全く逆のことをしてしまっていました」
ヴァンは戯けた様子を見せることも多いし、私の扱いが結構適当で本当に愛してくれているのかと若干不安になることもある。
けれど、彼自身はそんなことをしつつもきちんと節々で私のことを愛しんでくれていることが伝わってくるのだ。出会って十六年間、そのうち十二年ほどはそれはもう密接な付き合いになるわけだが、私からも彼からも、お互いにまだ知らない物事がたくさんある。
毎日が新しい発見の連続で、それによってより互いの理解を深め合っている。そういう関係を維持しようとしてくれているのだと。
女性関係で問題を起こしたり、戦闘で勝つとすぐに調子に乗ったりしはするが、心の内は常に私の方を向いてくれている。だから、彼は彼自身の弱い心に打ち勝って『勇者ベル』としての私に並ぶような人間になると努力を重ねて来た。
しかし、一方の私は一度その横並びラインから後退してしまうと、引きこもるように心を閉ざしてしまっていた。彼はココに療養しに来てからも何度も会いに来てくれてたし、その度に励ましの言葉をかけてくれていた。
だが、当時の自分はそんな婚約者の態度がむしろ追い詰められているように感じてしまっていた。今思えばあれが鬱というやつなのだろう。何にしても悪い方に悪い方にと捉えるようになり、自分でも憔悴していくのがわかるのにそれをどうしようも止められない状態が続いていた。
「立場が人を追い詰める。よく言いますよね? 今のお父様も、きっとそうなのではないでしょうか?」
「それは……どうだろうか。私はエイティア家の当主として様々なことを為していく義務がある。もちろん、今回の対魔族残党戦争においてもだ。ごめんだけどベル、そう簡単に泣き言を言っていられる立場じゃないんだよ」
「ええ、そうでしょう。実際私も同じでした。勇者として、魔王を倒した後であっても人々の英雄としての振る舞いを求められていた。強大な力を求められていた。人類を救う希望の象徴として崇められていた。でもそれは、私という、"勇者ベルという記号"に対する求心でしかなかったのです」
「記号、か」
「ええ。お父様も、エイティアの当主や北方の軍事要衝の指揮官という記号。言い換えれば立場に縛られ、雁字搦めにされ、繭に入る虫のように凝り固まった考え方に包み込まれていたのではないでしょうか?」
義務感。それは、人を奮い立たせることもあれば、押し潰すことも容易にあるとても怖いものだ。感情であり、人々の意思の集合体であり、社会を構成する大きな歯車の一つでもある。
何かに責任を持ち、成功すれば見返りがもらえ、失敗すれば責を取る。立場が高ければ高いほどより沢山の人への責任を負う必要が出てくる。領主という何千もの人々の命を授かる役職なら尚更だ。
「私が、殻に閉じこもっていたと」
「ええ、その通りです。そしてそれは、言い換えれば周りを信用・信頼していないからではないでしょうか?」
「なに?」
お父様は視線を鋭くする。言外だと否定したいのだろう。
「私はここに療養しに来てからずっと、お父様のお仕事ぶりを拝見していました。あなたは誰にも相談せず、執務室であれやこれやと指示を出し、また頭を捻り策を練る。その繰り返しをしていましたよね」
「そう、か?」
「はい。領主だから自分が。自分が人々の命を魔族から守る。自分にしか出来ないこと。そういう激しい思い込みがあったのではないでしょうか。得てしてそれは、傲り高ぶりでもあります。行きすぎると、周りを見下す要因になってしまう。だから、なにも出来ない力を失った私に暴言を吐いてしまった。そうですよね?」
「どうだろうか……私は、自分でもわからないんだ。どうしてベルにあんな酷いことを言ってしまったのか」
「それはきっとお父様は、心の中で私のことを見下していたのですよ。勇者の力を失った私と、領主という立場を維持している自分とを比べ、優越感に浸っていた。ともすると、己の精神を防御するための心の防衛行動とも言えるでしょう。だから、私には謝らないでください」
「----で、では、私はどうすればっ!」
「簡単です。そろそろ、解放されませんか? いい加減、みんなで知恵を出し合って行きましょうよ。執務室に閉じこもってばかりのお父様は、まるでアンデッドみたいですよ? ね、みなさん」
「………そうだ」
「…………ああ、そうだな」
「ドミトリンさま、最近ずっと顔色がわるいよ?」
「そうだよ。私たちが差し入れを持っていっても門前払いだったし」
「領主様、もっと俺たちを頼ってくだせえ!」
「んだぁ! 親分、昔みたいにふらりと呑みに来てくれや!」
「魔族がなんだ、ここはエイティアの街なんだぞ! 勇者様の生まれ故郷なんだぞ!」
「ばっか、だからお嬢様はそういうのやめろって話をしていただろ」
「そうだったっけ、すまんすまん」
「ベル様も、一緒に頑張りましょう!」
「うんうん! ベルおねえちゃん、またお花畑にお花摘みにいこうね!」
「私も、縫い物があればなんでも手伝いますよ」
「俺は、壊れた武器を直してやる! 他の国からやって来た軍の奴らはすぐに新しいものを求めやがるが、十代続く鍛冶屋の技術を舐めんなってんだ!」
「ドラゴンの面倒なら任せろ!」
「ああ、ベルさんが連れて来たんだ、きっとすごい竜に違いない!」
「よっ、大将! 将来は勇者の親に加えドラゴン使いの親父さんだな!〜〜〜〜」
人々が、口々に声を上げる。一様に、お父様のことを支える意気込みを話してくれている。
その輪は次第に広がり、町全体を覆うほどの勢いとなり。
そして、お父様はその日から頻繁に街に顔を出すようになり、沢山の民の力が結集した北方の防衛陣地は、再び活気を取り戻していくこととなる。
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