第101話

 

「マキナ様!? どうしましょう、思ったよりも敵の勢力が多いみたいだわ……」


 ドルガ様は何やら考え込んでいる様子だ。


「たたた、助けにいかなくて大丈夫なんですかっ?」


 そのマキナ様は画面の中でうずくまって動く気配はない。早く様子を見に行かないと、もしかすると重傷を負ったのかもしれないのに。ドルガ様は何を考えていらっしゃるのか?


「いえ、みて! おそらくあれは障壁魔法を使用するために集中していらっしゃると思うわ。まだやられたわけじゃなかったみたい……」


 女神様はホッと息を吐く。


「ヴァンさんのいうとおり、いくらマキナ様といえども、いつまで持ち堪えられるかわからないからそうしたいところ。でも私には私の仕事がありますから。神界とこの世界の時間の流れは十倍程度の差がありますが、私が顕現しているこの空間においては等倍となっています。しかしそれもいつまでも保持してはおけない。"決断"するのであれば、今この瞬間しかありません」


 向こうとこっちでは結構差があるのだな。さっきもミナスが『地球時間で』とか言ってきたし、それが神にとっては普通の感覚なのかもしれないが。


 それと決断とは、なにを指しているのだろうか。

 ドルガ様はミナスを連れ戻しにきただけじゃないというのか?


 確かに、その血の池の外側からは、沢山のフード姿が老人に向け魔法を放っている姿が確認できる。だがその魔法も、途中で何かに遮られたように霧散してしまい攻撃は通っていない。

 しかしあれだけの人数、ドルガ様が懸念されるようにいつまでも抑え込めるとは思えない。


 ドルガ様はそれでも、こっちでやるべきことがある様子で苦渋の決断を下す。


「その仕事とは?」




「ええ。あなた方二人には伝えなければならないことがあります……ヴァンさん、今すぐに神界へ赴いてくださいませんか?」




「ドルガ様っ!?」


「えっ、俺ですか? なぜ?」


 二人揃って驚く。ミナスはどこかこうなることを予見していたのか澄ました顔だ。


「既に、先程のレベルアップによって貴方の力は倍増しています。もはや我々神にも匹敵するでしょう。ですが本来の力を引き出すには、貴方にベルさんが借り受けている力を戻さなければならない。彼女が借りられる力はあくまでその九割まで。それにベルさんの素のステータスも貴方の一割には遠く及びません、器の側は"『水』を飲み込むことができる"反面そのような制約がありますから」


「じゃあ、俺が神界に行けば、フルパワーを発揮できると? そしてそれはベルではできないことだというんですか」


「そうです、なので貴方の力をお借りしたい。どうでしょうか? こんな言い方をしてどうかとは思いますが、命を危険に晒す代わりに、思い通りに力を使うことができるのですよ? それに、今度こそ本当にベルさんの横に並び立つどころか、寧ろ前に立って守るチャンスでもありますよ」


「ベルを守るチャンス……」


 俺は確かに、ベルにこの世界を含めその背中に守られていた。今までの説明を聞く限り、この世界にいる間は永遠にその勇姿を後方から眺め続けることとなるだろう。

 だが、今神界の争いを止めに行くのであれば、異世界転生をして初めて"守ってやる"ことができる。借りた分の恩は返してこそのパートナーと考えれば、それもありなのかもしれない。


 しかし一方で、この世界にベルを残していくこととなる。

 神界がどういう状況にあるにせよ、今この世界はスラミューイ含め新たな魔族の脅威に晒されている可能性が高い。

 それに勇者としての力を失ったベルを放置しておいて大丈夫なのだろうか、という心配もある。急に力を失った彼女が世間からどう扱われるのか。神界とこの世界では時間の流れも違うようだし、帰ってきたら旗頭として無理やり出征させられて魔族に殺されていました、なんてことにもなりかねない。


「もうすでにお気づきだとは思いますが、私があの時与えた呪いが、貴方の力を縛る要因となっていました。今度こそ本当に祝福を与えることにより、その力をさらにアップさせることもできます。そうなれば、神ですら凌駕できるステータスを手に入れることも可能でしょう」


「そこまでなんですか? 水差しの本来持ちうる力というものは」


「ヴァン、だめよ、そんなの危な過ぎる! 神々の力は生半可なものじゃないわ。映像を見てもそれはわかるでしょう?」


「ああ、そうみたいだな」


 俺が知っている魔法よりもはるかに強力なものが障壁へ向けてビュンビュン飛び交っている様子が窺える。なんの準備もせずにあの中に生身で突っ込んだら一瞬にしてお陀仏だろう。

 だがしかし、俺はそれを跳ね除けるだけの力を手に入れるチャンスを今掌に収めている。今からする返事如何で今後の人生は大きく変わることとなるだろう。


 ……正直、ドルガ様の言葉に少し誘惑されたのが事実だ。男の子なら、と言いたいわけではないが、やはりこういう世界の危機を救うシチュエーションに憧れる気持ちもある。

 十二年前、勇者になれなかった俺はなんとか切り替えてその気持ちを捨て去った気になっていた。だが、今改めて目の前にニンジンが如くぶら下げられると、その抑え込んでいた思いが沸々と湧き上がってくるのを感じるのだ。


 ベルの命、神界の平定、チートの行使。


 選択肢は二つに一つ。行くか、行かないかだ。


「……一つ、確認したいことがあります」


「なんでしょうか?」


「俺が居なくなった場合、ベルは保護してもらえるのでしょうか?」


「ヴァンっ」


「貴様、本気か?」


「それは、私についてきてくださるということですか?」


「仮に、ですよ? 俺がいなくなった場合、逆にここに残される彼女の命が危なくなる可能性が高いと予想されます。もちろん、神界がこんな有様な以上、手順を間違えればこの世界どころかあらゆる世界が一度にして消え去ってしまうでしょう。でも、俺にとってはやはりベルの存在が人生の一部を象っているし、それは世界が消えるのと同じくらい避けたいことなんです。なので、ここで確約してくださいますか? 彼女の安全を保証すると」


「そうね。交換条件、ということですか。確かに、ベルさんをここに放置しておくのは忍びないですが……正直なところ、今はヴァンさんのその力が必要なだけなのです。神界が壊れるかどうかの瀬戸際にある以上、神の一柱としては一人の人間に割くリソースは限りなくゼロと申し上げるしかありません」


「えっ、でもそれだと!」




<ちょっとちょっと、ちょっと待ってよ〜>




「この声は、もしかして?」


<ふう、やっと繋がった。いや、話をするの忘れていたのを思い出してねぇ>


「グチワロス、貴方どうしてっ」


<ああ、逆探知の要領さ。データは残っていたからね。で、結論から先に述べると、ベルちゃんはこっちで預かるよ>


「えっ、いいんですか?」


 あちらもさっき襲われたはずだが?

 危険度はさほど変わらないんじゃなかろうか。


「グチワロス様、なにを急にっ。私はヴァンを放っては置けませんっ」


 ベルは未だに俺が召集されることに否定的な態度だ。


<まあまあ、こう考えてみてはどうかな? ヴァン君の活躍を、影で支えてみるというのは。今まで、ヴァン君はその思いを全て心の奥に押し込んで、ベルちゃんの無事を祈っていたんだろう?>


「ま、まあ。ってなんでわかるんだ」


<そういう"強さ"を感じるからさ。君からも、そこの彼女からもね。だから、今度はベルちゃん、君がヴァン君の無事を祈ってあげる番じゃないかな? 婚約者の晴れ舞台、一回くらい用意してあげてもいいと思うな〜。それに、ドルガさんが一緒ならそうそう簡単にはやられないはず。マキナ様だっていることだしね>


 グチワロスはこちらを向きながらあぐらを掻き、予め台詞を用意していたようにスラスラと言葉を述べる。


「……今度は、私がヴァンを支える……?」


<うん、そう。彼も、きっと君を送り出すときは辛い思いをしたはずだ。出征ではなく疎開先に出すというシチュエーションの違いはあったろうけどね。だから今度はそちらが我慢をして祈りを捧げてあげてもいいんじゃない? って話。勇者って、その文字の通り心も勇しくあるべきじゃないかな。それは、婚約者に対しても。じゃ、返答はドルガさんが連れてくるか来ないかで決めてくださいね>


「あ、ちょっと!」


「グチワロスっ!」


 そのままグチワロスは通信を切ってしまった。


「………………ねえ、ヴァン」


「ん、なんだ?」


 ベルが俯きながら急にこちらを向く。


「約束、してくれる? 絶対に、危険なことはしないって。少しでも命が危ないと思ったら、すぐさま逃げ帰ってきてくれるって」


「それは、そうだな。約束……出来ないかもしれない」


「そう、なんだ? じゃあ、私と二度と会えなくなってもいいって言うのね?」


「そんなことはない! 絶対に約束するよ。危ない目には合うかもしれない。けれど、必ずここに帰ってきて、その時にはすぐさまお互いの親に報告して結婚するって。だから、何度目かのプロポーズ、ということでどうかな?」


「なにそれ、引き出物は、神界の平和だとでも言いたいのかしら?」


 と、婚約者は顔を下に向けたまま俺へと歩み寄る。


「そ、そういうわけじゃないが……ベル?」




「わかったわ」




「え?」


「いってらっしゃい、貴方。帰ってきたら、お風呂か、晩ご飯か、それとも……用意して待っているわ」


「ははっ、そりゃあ結構なこった。頼んだぞ、世界で一番素敵なお嫁さん」


「はい」


 そしてベルは頭を上げ――――


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