第188話 邪龍ファーヴニルと黄金の指輪 ~前編~

 クリムはサテラへの忠告を済ませると、コホンとひとつ咳払いをして仕切り直した。

「さて、ファーヴニルの話が出たので、少し彼について話しましょうか。」

「はい、お願いします。」

 サテラが即座に答えると、クリムもそれに応じて大きく頷いた。

「わかりました。サテラはある程度彼について知っているでしょうけど、シュリとクリムゾンはまったく知らないはずですから、基本的な事になりますがファーヴニルと黄金の指輪との関係、そして指輪の成り立ち辺りから話しますね。」

 クリムがシュリに視線を向けながら言うと、シュリは腕を組んで首を傾げながら聞き返した。

「姉御はさっきから『彼』って言ってるっすけど、そのファーヴニルってドラゴンはオスなんすか?ドラゴンにはメスしかいないって言ってた気がするんすけど。」

「そうですね。グラニアを祖とするドラゴン一族は雌雄の区別がない、いわば無性の生物なので、メスと言うと少々語弊がありますが、卵を産んで育てる特性を鑑みれば普通の無性生物とも異なりますし、身体的特徴から見てもメスと言って差し支えないでしょう。それはさておき、ファーヴニルはグラニアに連なるドラゴンとは異なる、異種族から龍化したタイプのドラゴンなので、その限りではないんですよ。あなたが元々の海老の性別を引き継いでいて、間性の状態なのと同じですね。」

「なるほどっす。」

 クリムが疑問に答えると、シュリはポンと手を叩いて納得したのだった。

「では話を戻して、ファーヴニルの本体とも言える黄金の指輪について話しましょう。」

「え?指輪が本体なんすか?」

 シュリが驚いた様子で聞き返した。

「そうなりますね。ファーヴニル、あるいはファフニールやファフナーと呼ばれることもありますが、彼の龍は様々な地域で何度も出現していまして、その時々によって指輪の着用者は別人なのですが、出現する邪龍は過去に出現したファーヴニルの記憶を引き継いでいる同一個体なんですよ。」

「へー、指輪に記憶と言うか意識が宿ってるんすかね?不思議っすねぇ。」

「呪いとは要するに魔力の事ですからね。そして魔力には記憶や感情が含まれていますから、記憶やらなんやらは呪いと一緒に付与されているのでしょう。」

「ああ、姉御の魔力を飲み込んだら気持ち悪かったアレっすね?」

 シュリは居酒屋での一件を思い出して言った。

「そうですね。あの時は特に魔力に記憶を込めていませんでしたけどね。少し話が逸れましたが、改めて指輪の特性について話しますね。」

 クリムはシュリの言に肯定しつつ、再度話を仕切り直した。

「黄金の指輪は金銭欲の強い者、とりわけ財宝への関心が高い者が身に着けると、その欲求が増大する呪いが掛かっていまして、呪いを受けた人は金銀財宝を隠して貯め込み、同時に誰かに奪われないかと疑心暗鬼に陥る様になります。また、集めた財宝の量に応じて指輪は魔力を貯め込んでいくのですが、同時に呪いの効果も高まっていきます。とは言え、呪いの初期段階では異常性はほとんど見られず、普通に社会生活を営みながら、財宝を買い集めて貯め込むだけなのですが、財宝を貯め込めば貯めこむほど指輪の効果、つまり呪いは強力に作用してより多くの財宝を欲する様になるので、いくら集めても決して満足することはありません。呪いの影響で呪いが強化される負のスパイラルが形成されるので、この呪いに一度嵌まってしまうと自力で抜け出すのは困難ですね。呪いの指輪だけに嵌めると抜けなくなるっていうのは、なかなか頓智が効いてますよね。」

 クリムはうまい事を言ったつもりでにやりと笑った。呪われた魔道具を装着すると外せなくなるというのは、おとぎ話でよく見かける定型的な設定であるが、そんなこととは知らないシュリにはいまいち通じていないのだった。

「その指輪ってハメると抜けなくなるんすか?ドラゴンの本体って言うくらいだし、牙が生えて噛みついたりするんすかね?」

 シュリの疑問に対してクリムは静かに首を横に振りつつ答えた。

「いえ、物理的に外せなくなるわけでは無いですよ。指輪は呪いが掛かっているだけで、あくまでも普通の金属の指輪ですし、生物の様に噛みつくなんてことはありません。呪いの効果で何となく外したくなくなる程度の、軽度の精神誘導作用はあるみたいですけどね。エコールは呪いの効果を調べるためにしばらく指輪を身に着けていた事がありますが、呪いの解析が終わったら普通に外せましたし、これと言って苦労しませんでした。ちなみに王女であるエコールは王国の援助を受けて旅をしていたので、お金に困った経験が無く、必然的に金銭欲が皆無だったので指輪の呪いはまったく効きませんでしたけどね。と、エコールの話はひとまず置いといて、指輪についての話を続けましょう。」

「わかったっす。」


 ところで、黙って話を聞いていたサテラはエコールに関する話になると爛々と目を輝かせて、より詳しい話を聞きたい欲求に駆られていたが、話の腰を折るのも悪いと考え、ぐっと我慢して口をつぐんでいた。

 

「さて、ここまでの話では指輪の呪いは財宝大好きになるだけで特に害はなさそうに見えますが、財宝をある程度貯め込んで呪いの効果が強くなるにつれて問題が発生してきます。呪いが強力になるにつれて、自分で働いて稼いだお金で財宝を買い集めるだけでは我慢できなくなり、いつしか他者から奪い取ってでも手に入れたいという風に思考が捻じ曲げられていくのです。着用者の精神異常耐性、あるいは犯罪に対する忌避感の強さによってその欲求は抑え込まれるので、即座に犯罪に手を染める事はありませんが、そのような状態が長く続くと精神が疲弊していき、遅かれ早かれ犯罪行為に手を染めてしまうんですね。呪いを受けるのは元々金銭欲が強い者ばかりですから、心の隙を突かれる形になりますし、抵抗するのは困難でしょう。」

 クリムは魔力を人差し指に込めると、魔力をインク代わりにして空中に一部が欠けた円を描いた。そしてその切欠きを指でつつくと、弱くなっている部分から円は千切れて、そのまま霧散してしまった。

「なるほど。呪いを受ける人に条件があるのは、操りやすい人物を狙って利用するためなんすね。なかなか嫌らしい効果っす。」

 シュリはクリムの話を整理して呪いの特性を分析した後、さらに続けた。

「ところで、姉御はなんでそんなに指輪の呪いに詳しいんすか?解析がどうの言ってたっすけど、それだけで全部分かったんすか?」

「いいえ、呪いを解析しただけではそこまで詳細な効果は分かりません。私もといエコールが指輪の呪いに詳しいのは、彼女が最後にファーヴニルと対峙した際に本人をしばいて直接聞き出したのと、呪いを受けた当事者達から話を聞けたからですね。いきなり最後の討伐依頼の話をしてもよいのですが、まずはエコールとファーヴニルの馴れ初めについて話しておきましょう。エコールがファーヴニルを初めて討伐した際には、呪いは浄化されて龍化していた人物もすっかり元に戻っていたので、財宝の処分やらの後処理は依頼者達に任せて、その時点で彼女は手を引きました。道場でも話しましたが、エコールには彼女の力を必要としている多くの依頼がひっきりなしに舞い込んでいましたから、他の者でも対応できる状態にまで事態が進展したら、それ以降はあまり関与していなかったのです。最初の依頼から数年置きにファーヴニルは復活し、その都度討伐依頼が来ていたので、エコールも何かおかしいとは思っていたものの、ファーヴニルによる被害はせいぜい財宝が奪われる程度で、他の悪龍騒ぎに比べれば比較的軽微な事件ばかりだったのと、やはり別の依頼を同時にこなしている中では一つの懸案事項に長く携わることもできなかった事もあって、詳しい調査は行わず依頼が来るたびに適宜対応していました。最初の依頼の時点で詳しく調査していれば後の事件は防げたかもしれませんが、済んだことをとやかく言っても仕方ないですね。後からならなんとでも言えますし、それに当時は情報が足りない状況でしたからね。」

「なんかあっさり倒したって言ってるっすけど、ファーヴニルはそんなに強くなかったんすか?」

 異種族から龍化したと言う共通点から、ファーヴニルに対して少しだけ親近感を抱いていたシュリは、特に戦闘に関する言及すらなくサクッと倒される邪龍になんとなく同情していた。

「ファーヴニルの魔力は貯め込んだ財宝の量に応じて変化するので一概には言えませんが、概ね平均的な成龍エルダードラゴン程度の力を持っていましたね。エコールからすればなんら脅威にはなり得ない相手でしたが、人間や大多数の亜人種から見たら十分に恐ろしい怪物だったと言えるでしょう。」

「エコールって一応人間なんすよね?そんなに強かったんすか?」

 シュリはエコールと同じく龍の巫女であるサテラに視線を向けながら聞いた。

「そうですね。エコールはその辺のロード・ドラゴンよりも強いくらいでしたから、正面切っての直接戦闘で苦戦することはまずありませんでしたね。例外としてクリムゾンとの戦いでは、エコールは全力を尽くしたにもかかわらずまるで歯が立たなかったのですが、その話を始めると長くなるので今はやめておきましょう。」

 クリムがふとクリムゾンに視線を向けると、クリムゾンはどこか上の空でぼーっとしていた。クリムゾンはクリムの言葉からエコールとの戦いを思い起こして、楽しかった戦いの記憶を1人で懐かしんでいたのである。

 クリムゾンがぼーっとしているのは今に始まったことではないので、クリムはひとまず気にせずに話を続けた。

「エコールが指輪の異常性に気が付いたのは、いくら浄化してもしばらく経つと復活するファーヴニルの何度目かの討伐依頼を受けた時なのですが、その時の指輪の着用者はとあるドワーフの男で、依頼者は同じくドワーフであるその男の奥さんでした。」

「ドワーフってなんすか?」

 ドワーフは亜人種の中でも人数が多い方であり、また加工品を売って生計を立てている関係から異種族との関わりも積極的な比較的ポピュラーな種族である。しかし深海出身のシュリには地上の種族の事情はよく分からないのだった。

「ドワーフは亜人種の一種で、見た目は人間に近いですが標準体型同士で比べた場合、人間よりも背が低くて太っているのが特徴ですね。それと種族の特性として力持ちで手先が器用なので武器や防具、装飾品なんかの加工を生業にしていますね。大体鉱山や洞窟の近くに住んでいて、持ち前の腕っぷしで鉱石を採掘して、その鉱石を器用な手先で加工して、付加価値を付けた上で売るといった生活をしています。戦闘面では自ら作った武器・防具で武装して、腕力を活かして力任せに殴りつける豪快な戦闘スタイルを得意としてますね。それと、生活圏が重なっていて得意分野も似通っているなど、何かと共通点が多い小人族のノームと仲良しなので、ノーム達の長である大精霊と契約して、土属性の精霊魔法を用いる者が多くいますね。また長年鉱石採掘で鍛えられた肉体は、素手で岩盤を掘りぬく程頑丈なので、小柄な体格の割に戦闘能力は高い種族だと言えますね。」

 クリムは彼女が持つエコールの記憶の中から、ドワーフに関する知識を拾い出して大まかに説明した。

 クリムが持つ知識はエコールが旅をする中で実際に経験した事柄に基づく生きた情報であるが、なにぶん6000年以上前の記憶なので現代の実態とは大なり小なり齟齬がある。しかしドワーフは大昔からほとんど変わらない生活様式を保っていたため、クリムの知るドワーフ像と現在の彼らには大きな差異はないのだった。これはドワーフに限った話ではなく、亜人種は概ね古い生活様式をそのままに暮らしている場合が多いのである。むしろ生物界全体で見れば、短いスパンで文明を発展させて、どんどん変化していく人間社会の生活様式の方が異常だと言えるだろう。

 余談はさておき、クリムの説明を聞いたシュリは、頭の中で少し話を整理してから口を開いた。

「亜人ってのもよくわかんないんすけど、人間とは何が違うんすか?」

「亜人種というのは人間以外の人型の高度な知性体を指す言葉ですが、人間がそう呼んでいるだけで、亜人種という種族が有るわけではないですね。たとえば私達の様な龍人ドラゴニュートは見た目こそ人型に変身していますが、本質的にはドラゴンそのものでしかないのですが、ドラゴンをよく知らない人間達から見れば亜人になるでしょう。見た目だけで判断しがちな人間の特性は、正体を隠して潜入する分には付け入り易いので良いですが、要らぬ厄介ごとを招く原因にもなるので良し悪しですね。それはそうと、エルフやドワーフと言った亜人種は人間という種族が誕生する以前から存在している精霊の一種とも言われていますから、人間の亜種という扱いは順逆があべこべなわけですが、個体数と生息域の広さから見れば人間は間違いなく世界で最も栄えている生物ですし、人間と人間以外のその他人型種という分類は合理的ではありますね。人間は亜人種を少なからず下に見ているところが有って、私が知る過去には色々と軋轢もありましたが、この町の人々を見る限り現代では人間の選民意識はかなり薄れて、軟化している様ですね。」

 クリムは人間と亜人種が分け隔てなく入り混じって生活をしていた港町の様子を思い起こしながら言った。

 クリムの知る昔の人間の国では、人間と亜人は居住区画を分けられているのが普通であり、獣人に至っては奴隷として扱われている場合が多かったのだ。元々ドラゴンと近しい立場に在ったエコールからすれば、姿かたちはもとよりあらゆる面で異質な存在であるドラゴンと比べれば、人間と亜人種はほとんど同種と言える程度の差異しかない間柄であったため、時に敵対する彼らの関係に思うところが無いでもなかった。ただ、ロード・ドラゴンに匹敵する力を有する龍の巫女がそう言った係争に関わるとなると、人間も亜人も彼女の言葉に従わないわけにはいかなくなるので、かえってその言葉は彼らの心には届かなかった。そうして何度か失敗を重ねるうちに、口先だけの約束で表面上の問題を解決しても意味が無いと分かったので、彼らの問題への口出しは控えるようになったのだった。

 そして現代、彼らが仲良く一緒に暮らしている姿の陰には、多くの努力と犠牲が払われたであろうことは想像に難くなく、クリムはエコールが亡くなってから数千年の紆余曲折に思いを馳せ、しばし感慨に耽るのだった。


「と言うことは俺も亜人になるんすかね?」

 シュリは自身の手足や体をペタペタと触りながら聞いた。

 ほんの数瞬目を閉じて黙りこくっていたクリムだったが、シュリの質問にパッと目を見開くと再び語り始めた。

「そうなりますね。あ、でも例外もありますね。人型の知性体でも、ゴブリンやコボルト、オーク、オーガと言った、魔族の手下としてかつて人間と敵対していた種族は亜人種とは呼ばれず、モンスターや魔物と呼ばれていますね。それとやはり魔族自体も亜人種とは別に扱われますね。本質的には彼らも亜人種となんら変わらないのですが、人間とはずっと仲が悪いですからね。人づての噂によると一部地域では人間と暮らしている魔物もいるらしいですが、全世界を飛び回っていたエコールでも見たことがありませんから、人里離れたどこかに隠れ住んでいるんでしょうね。」

「話を聞く限りだと人間ってやたらと敵が多いんすね。姉御は人間が怖がりで凶暴な種族みたいな話をしてたっすけど、そのせいっすかね?」

 シュリは率直に思ったことを言った。

「そうですねぇ。ああ、でもハルピュイアやセイレーンなんかもかつては魔物と呼ばれていたはずですが、現代では亜人種として扱われている様ですし、長く平和な時代が続いた影響か、その辺の敵愾心も薄れていそうですね。人間が変化しても相手が人間を受け入れるかどうかはまた別問題ですし、人食いの種族とは当然相容れないですから、誰とでも仲良くなれるわけではないでしょうけどね。」

 クリムは入浴時間が長くなってきたため一旦話をまとめると、サテラの様子に目をやった。すると彼女の顔は少々赤くなっており、のぼせ気味であることを確認した。ドラゴン達はお湯にのぼせることは無いが、曲がりなりにも人間であるサテラは別なのだ。

「ファーヴニルに関する話がまだ途中ですが、そろそろ上がりましょうか。続きは客間で話しましょう。ほら、アクアも上がりますよ。」

 クリム達とは少し離れて水中に潜っていたアクアにクリムは声を掛けた。

「はーい。」

 アクアはざばっと勢いよく水中から飛び出すと元気に返事をした。

「あっ姉御。俺は水中で寝たいんで、お湯を抜いて水を張ってもいいっすかね?」

 シュリがクリムに尋ねた。

「そうですね。セイランは風呂には入らないでしょうし、構わないと思いますよ。」

「了解っす。それなら俺はちょっと準備してから上がるっすね。」

「わかりました。では私達は先に出て待っていましょう。」

 クリムはシュリの要望を受け入れると、湯舟から上がり全身のお湯を振り払ってから脱衣所へと向かった。そしてそれに続いてクリムゾンとアクアも出て行った。

「私達も行きましょうか。」

「そうですね。」

 サテラがスフィーに声を掛けると2人は揃って湯舟から上がり、シュリ1人を残して浴場を後にしたのだった。

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