第181話 後天的な龍化現象について

 クリムゾンとサテラ達は体を洗い始めたばかりで、まだ少し時間がかかる様子であったため、黙って待っているのが退屈だったアクアは、湯舟の脇に座り込んで未だ溜まり切らないお湯に手をつっこんでかき回していた。特に意味は無いが、手持無沙汰を紛らわすただの水遊びである。また同じく空き時間ができたクリムは、先ほどは粘液まみれでよくわからなかった脱皮直後のシュリの状態を、改めて観察していた。

 そしてシュリはと言うと、彼女もまた待っている間暇だったので、自身の抜け殻をいじり回して遊んでいた。まずは身を屈めて丸まった状態だった抜け殻の背筋を伸ばして、・・・と言っても抜け殻は、背ワタを抜いて下ごしらえされた海老の様に、背骨から真っ二つに割れていたので背筋が存在しないのだが・・・何はともあれ、窮屈そうな態勢を解いて仰向けで床に横たわらせた。そしてすぐそばに転がっていた頭部の抜け殻を拾うと、元あった場所へと、すなわち体の抜け殻の首の部分へと持っていき、向きを合わせてドッキングさせたのだった。

「これでよし。」

 すっかり元の姿に復元されたシュリの抜け殻であるが、中身が無いためその皮膚からは血の気が引いており、蒼白な肌で瞼を閉じて静かに眠る様は、まさしく死体そのものだった。

 シュリは完成した(?)抜け殻の隣に同じ姿勢で寝転がるとクリムに問いかけた。

「どうっすか姉御?俺なんか変わりましたかね?」

 脱皮前後での肉体的変化を当人はいまいち実感していなかったので、客観的に見て姿がどの様に変化したのか確認を求めたのである。

「そうですねぇ・・・」

 クリムはシュリの要望に応えて、彼女の抜け殻と新たな肉体とを注意深く見比べた。そしていくつかの相違点を発見したのだった。

「少し背が伸びたかもしれませんね、ほとんど誤差ですが。それと海老の触覚から細長い繊毛の様な物がたくさん生えていますね。これはどういった役割なのでしょうか?」

 クリムがそう言いながら、シュリの前頭部から後部に向けて伸びている触覚の、その先端に生えた謎の繊毛へと手を伸ばすと、触覚はクリムの手を回避する様に動いたのだった。

「おや?あなた今私の手が見えていましたか?」

 クリムはシュリの目が届かない頭上で触覚に触れようとしていたので、明らかに意識的に回避されたことを疑問に感じたのだった。

「見えてないっすよ。ただなんか掴まれそうな気がしたんで避けたっすけど。」

 シュリは正直に答えた。

「なるほど。」

 シュリの返事を聞いたクリムは、再び触覚に手を伸ばしたが、今度は触覚に触れる直前にあえて寸止めして反応を確認した。すると、触覚は再び回避行動を取ったが、触れるのを途中でやめたクリムの動きに追従して、回避行動を途中で止めたのだった。

「やはり正確に私の動きを捉えている様ですね。察するにこの繊毛部分は、空気の流れを感じ取って、周囲を観測するセンサーの役割を持っているのでしょう。あなたは昨日、暗闇の洞窟で何も見えないと言っていた際に、海中に居た頃は水流を読み取って周囲の様子を観測していたと言っていましたし、恐らく地上に上がったせいで使えなくなった能力を強化改良し、空気中でも同じことができる様に感覚器官が進化したのでしょう。」

 クリムは触覚の反応とシュリの昨日の発言、そしてシュリの脱皮による変態には彼女の願望が反映されると言う仮説を統合して、シュリが新たに手に入れた能力を推測したのだった。

「ほほう、よくわかんないっすけど、深海に居た時と同じで真っ暗でも周りの様子が分かるって事っすかね?」

 そう言うとシュリは目を閉じて触覚をゆっくりと上下に動かし始めた。

「おお!やっぱり姉御とアクアが見えるっすね。いや、実際には見てないから見えるってのもおかしいっすけど、そこに居るのが分かるっす。」

 シュリは目を閉じたままでクリムとアクアを順に指差し、正確に位置を把握していることを示したのだった。

「そうですか。どうやらあなたの変態能力は、強く願っていなくとも無意識的に感じていた不便まで改善する様に勝手に働くみたいですね。ドラゴンの皮膚と消化器官を手に入れたいと、この2つだけを願って脱皮する様に予め念押ししていましたからね。」

 クリムは今回の実験から、シュリの脱皮に関する新たな仮説を立てたのだ。そしてにわかに眉をひそめて言葉を続けた。

「しかし無意識的な願望まで勝手に適用されるとなると、少々制御がしにくいですね。脱皮前後の魔力量の変化やあなたの空腹具合を見る限りだと、思ったよりもエネルギー消費は大きくない様ですし、普段からしっかり食べて健康状態を保っていれば気にしなくても問題なさそうですが、昨日海老から人型になった様な、無謀な変化を望むとエネルギー消費もそれだけ膨大になるはずですから、一応気にかけておいてください。当面は脱皮による変態には頼らず、地道にドラゴンの皮膚を強化したり、魔力操作技術を鍛える事に注力した方がよいでしょう。外面だけ取り繕っても、中身が伴っていないと意味が無いですからね。」

 クリムはシュリの脱皮の不確実性のリスクを重く見たので、できる限り頼らずにシュリを鍛えようと方針を決めたのだ。

「えーっと、つまり脱皮は当分封印して体を鍛えろってことっすね!」

 クリムが1人でどんどん話を進めてしまったので、シュリは途中からついていけていなかったが、ニュアンスだけは理解していた。


「ところでシュリ、今のあなたは角や翼、皮膚に内蔵と言った具合に、多くのドラゴンの特徴を持っているわけですが、いわゆる後天的な龍化を果たした状態と言えますね。」

 シュリが抜け殻との比較を終えて立ち上がると、クリムは改めてシュリに語り掛けた。

「龍化?なんすかそれ?」

 シュリには言葉の意味が分からなかったので首を傾げて聞き返した。

「龍化現象と言うのは、元々ドラゴンではない生物が、何らかの要因でドラゴンに変容する事・・・ですよね?クリムさん。」

 シュリの疑問に答えたのは、体を洗い終えて合流してきたサテラだった。ちなみにサテラの後ろにはスフィーも付いてきていた。

「うん?つまり今の俺はドラゴンなんすか?」

 シュリは重ねて聞き返した。

「ええまぁ、そう言うことになりますね。少しばかり話が逸れる、と言っても龍化に関連する話なのですが、巨大マナゾーとの戦いの後に話した禁忌変異体クリミナルヴァリアントの事を覚えていますか?」

 クリムはシュリとサテラの顔を順ぐりに見回して言った。

「マナゾーはたしか旦那の細胞の影響で巨大化していて、大食い過ぎるから食べるものが無くなるとか、そんな話だったっすかね?」

 シュリはかなりいい加減ではあるが、なんとなく覚えていた事を答えた。

「うーん、大雑把ですが大体合ってますね。より詳細には、不自然な変異を起こしたために既存の生態系の枠組からはみ出してしまい、かと言ってドラゴンの様に単独で生命活動に必要なエネルギー循環が完結している存在とも違うので、近い将来自滅することが確定している存在。言いかえると、現在の自然環境に順応できない、爪弾き者つまはじきものを指す言葉です。私が作った造語ですから、他の誰かに言っても通じない言葉ですけどね。」

 奇妙なネーミングセンスによって紡ぎ出された造語の話に、特に威張れる要素はないはずだが、クリムはなぜか誇らしげに語った。

「それで、クリミナルなんとかが龍化と何の関係があるんすか?」

 シュリはクリムの謎のドヤ顔にはつっこまず、再度疑問を投げかけた。

「マナゾーは中途半端にドラゴンの力を取り込んだために、自身の力が制御しきれず、いずれは自滅してしまう宿命を背負っていました。それに対してシュリは一度ばらばらになって死んだ上で、細胞単位でドラゴンの力と融合して復活していますから、肉体と魔力が馴染んでいるので力の制御が上手くできているのです。その上であなたは脱皮を繰り返して、より強くドラゴンの特徴を顕在化させているので、もはやドラゴンそのものになりつつあるわけですね。」

 クリムはクリムゾンの細胞によって変異したという共通点を持つ、シュリとマナゾーを比較し、なぜシュリは禁忌変異体クリミナルヴァリアントにならず龍化したのかを説明した。

「なるほどっすねぇ。全然実感はないっすけど、知らないうちに俺も随分出世したんすねぇ。」

 シュリは腕を組んでうんうんと頷いていたが、その言葉通りまったく実感はないのだった。

「あなたの変異はクリムゾンの特殊な魔力の影響によるところが大きいですから、ドラゴンの力を取り込んで龍化するパターンの典型例を一つ紹介しておきましょう。」

 クリムは咳払いをひとつして話を区切ると、続けて話始めた。

「現代にまで伝わっているかは分かりませんが、おとぎ話や民間伝承には邪悪なドラゴンを討ち滅ぼした勇者の物語が数多く存在します。そしてそういった物語の中で必ずと言っていいほど出てくるのが、ドラゴンの血を浴びる、あるいは肉を食べる事で、勇者が超人的な力を手に入れたというエピソードです。」

「人間がドラゴンに勝てるんすか?」

 シュリが質問した。

「人間の力でドラゴンを倒せるのかと言うとまず無理ですが、そこはまぁ面白おかしく脚色されているだけですね。かと言ってそれらの物語がすべて虚構の話かと言えばそれもまた違います。ある者はドラゴンが持つと言う財宝を求めて、そしてある者は龍殺しの栄誉を求めて、またある者はドラゴンに怯える民のために、理由はどうあれドラゴンに挑んだ勇敢な者達が居たのは事実です。まぁ多くの場合は返り討ちにあって荒野の塵と消えるか、あるいは敗走して己の実力を知る事になりますが。そんな中で極稀に、討伐を挑んだドラゴンによって力を認められて、勇者と称えられた者達が居たのです。人間からすれば怪物であるドラゴンに挑む勇気や、戦いに際して披露した知略を認められた人間は、ドラゴンから気に入られ、血肉を与えられてドラゴンの力の一部を得ていたのです。ドラゴンに気に入られる条件は単純に強ければよいわけではなく、挑んだ相手が比較的人間に友好なドラゴンで、なおかつその日は機嫌がよかったとか、運次第なところがありますから、命を掛け金にして気軽に打てる博打ではないですね。」

「ドラゴンの肉を食べたらドラゴンの力が手に入るんすか?」

「いえ、人間がドラゴンの力を得るのは魔力を付与する加護の一種なので、ドラゴンに気に入られるという過程が重要でして、認められた者以外がその血肉を取り込んでしまうと場合によっては加護が反転して呪いを受けますね。ドラゴンの爪や牙から作られた武器は、認められた所有者にしか使いこなせないのと似た理由ですね。」

「そうなんすか?俺は別に旦那に認められた覚えはないっすけど、呪われてないっすよね?」

 シュリは案外鋭く自身の経験とクリムの説明の間に齟齬がある事を指摘した。

「それはおそらくクリムゾンの魔力が周囲の生物に分け隔てなく活力を与える特性を持っているせいですね。ただ滅びの宿命を背負ったマナゾーはある意味呪いを受けた状態でしたから、シュリはたまたまクリムゾンと相性がよかったのかもしれません。クリムゾンはいろいろと規格外なドラゴンですし、サンプルが少ないのでこれ以上は何とも言えないですね。」

「よくわかんないっすけど、とりあえず問題ないならいいっすよ。」

「そうですね。」

 クリムは状況証拠から推測して、いくつかの仮説を立てたが、クリムゾン自身でさえもシュリやマナゾーの変異は想定外の事態であったため、いくら考えても答えは出ない問題だろうと、一旦気にするのはやめて飲み込む事にしたのだった。

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