第150話 時代の流れとエコールの功罪

 アサギとシャイタンの会話に混ざり話を聞いていたクリムだったが、アサギがあまり一般的な人間の少女ではないと途中から気付いていた。そもそも大人に混じって闘技大会に参加する時点で普通ではないと勘付いてはいたが、クリムが知る常識はおよそ6000年前の情報なので、想像だけで物事を判断するのは早計と考え、詳しい話を聞くまでは断定を避けていたのだ。

 ちなみにクリムの知る過去の常識では、女性が戦闘系の職種につく場合、身体能力面で男性に劣る女性の特性を鑑みれば、武器を用いない近接格闘術を専修する事は合理的ではないとされていた。それゆえ暗殺術や武器術、魔法をメインに鍛錬し、武器や魔法が使えない様な緊急事態に備えて、自衛用に無手での戦闘術も合わせて習得するのが常道であったのだ。

 もちろん人類最強とまで言われた龍の巫女エコールに限れば、そう言った常識は当てはまらず、無手での格闘術においても彼女に並び立つ人間はいなかったのだが、それはそれとして彼女が最も得意としていたのは、龍王グラニアより下賜された二振りの魔剣、グラムとバルムンクを用いた剣術主体の魔法戦闘であった。

 最早人間の枠に収めてよいのか疑わしいエコールの話は置いておいて、結果的に大男であるゴウやレツ以上の強さを身につけているというアサギの例にしても、必ずしも過去の常識が正しかったとは言えない様に思えるが、それはあくまでもアサギが特別才気溢れる人間であるために起きた例外だとクリムは認識していた。

「アサギさんとアサギさんのお母さんは格闘家を生業としているそうですが、女性の格闘家って他にもたくさんいるんですか?」

 考えていても仕方がないのでクリムは本人に問い質した。

「いえ、私が知る限りではそんなに多くはないですね。あっ、でもシイタさんやサヤちゃんさんも格闘家なんですよね?おふたりは高山に住むという格闘仙人のお爺さんから武術を習ったそうですし、私と母もそうですが、格闘家の家系に産まれた子供が親族から教わるパターンが多いんでしょうね。」

 アサギは自身と母の経験に加え、魔王達の話も合わせて導き出した見解を述べた。


 ところで魔王は祖父から格闘術を習ったとは言ったが、祖父が格闘仙人とまでは言ってはいなかった。アサギは父であるゴウの性格を受け継いでいるので、少々話を盛って過大に評価する傾向があるのだ。さらに言えば、魔王とシャイタンは別に格闘家というわけではなく、魔法にも武器術にも長けた総合的な戦闘技術を修めているのだが、あえて否定する理由も無いため魔王達は黙っていた。

 またシャイタンは魔王の祖父、すなわちカドルとの血縁関係はないが、カドルが校長を務める魔族の学校で、カドルの編み出した我流格闘術を学んでいるので、実質的にカドルから学んだと言って差し支えないだろう。魔王とシャイタンが旅に出る前に海岸で模擬戦闘を行った際、2人が似た様な技を使っていたのは共にカドルから学んだ技術を使っていたからなのだ。


 脱線したがアサギとクリムの会話に視点を戻す。

「なるほど。家庭の事情で習得した技術というわけですね。つまりアサギさんは家業、というか道場を継ぐつもりなんですか?」

 クリムはもちろんシャイタン達が魔族だと分かっているので、そちらの話は参考にしていないが、アサギの話からおおよその状況を把握した。そして後継者問題に悩む道場の事情で、女子であるアサギが仕方なく格闘技を学んだのだと推測したのだった。しかしアサギの答えはクリムの推測とは異なる意外な物だった。

「いえ、私が道場を継ぐことは無いと思いますよ。うちには兄と弟が居まして、私も含めて3人とも修行中の身ですから何とも言えませんが。ちなみに兄は武者修行の旅に出ていまして、今はうちの道場にはいないのですが、帰ってきたら師範代になるための試験を受ける予定ですから、順当にいけば兄がうちの道場の跡継ぎになるでしょうね。」

 アサギは特に聞かれても居ない細やかなお家事情を説明したが、要するにクリムの予想はまったくの的外れだったのだ。

「あら、そうなんですか?それならあなたは無理に戦闘技術を学ばなくてもよかったのではないですか?」

 これまたクリムの知る過去の常識の話になるが、女性が戦う理由と言えば男手が足り無い等、やむにやまれぬ事情が有るものだと決めてかかっていたので、男兄弟を持つアサギがあえて戦う理由が分からなかったのである。

「えっと・・・先ほどの話からするとクリムさんは数千年前の聖女様の記憶を持っているんですよね?」

「ええ、まぁそうですね。」

 クリムはアサギの問いかけに対し肯定こそしたが、その質問の意図が分からずに首を傾げていた。

「察するにクリムさんは現代の人間社会についてあまりご存じないのではありませんか?」

「はい。そうなりますね。」

 クリムは続くアサギの質問でその意図を理解した。要するに彼女の知る常識が、現代社会のそれとは異なる事をアサギは告げようとしているのだと。そして理由が分かった以上、その確認のための問答は不要であるため、クリムは自ら話を切り出した。

「なるほど。私が知る過去における人間社会の常識が、現代のそれとは異なるとアサギさんは言いたいのですね?」

 クリムの言葉にアサギは大きくうなずいた。

「はい。その通りです。クリムさんの知る時代には、おそらく現代程女性に自由が無かったのではないでしょうか?とは言え数千年も前の事なんて祖父や祖母でも知りませんし、古代史で習った程度の知識でしかありませんが、クリムさんの反応を見るにあながち間違いでもなさそうですね。」

「つまり現代では女性の自由が保障されているんですね。時代が変わったんですねぇ。」

 クリムは遠い目をして時勢の移り変わりに思いを馳せたが、実のところエコールは誰に囚われる事もなく自由に世界中を旅していたので、特に感慨に耽る様な話ではなかったと気付いた。


「何やらまたエコールの時代の話をしているみたいですね。私も一枚噛ませてくださいよ。」

 話の流れが聖女エコールの時代へと向かっていたので、例によってエコールを敬愛しているサテラが3人の会話に参戦してきた。

「別にエコールの話はしていませんが、サテラは何か知っているんですか?現代の女性がエコールの時代に比べて自由になった理由について。」

 クリムはあまり期待していなかったがせっかくなので一応確認した。

「ええ、もちろん知っていますとも。男性優位の社会で女性の地位を向上させたのは他ならぬエコールですからね。女性の自由の象徴、それこそが聖女エコールの伝説なのです。」

 クリムのペラペラに薄い期待とは裏腹に、サテラは自分の事でもないのに無駄に誇らしげに宣言したのだった。

「はい?なんですって?」

 クリムはサテラの思わぬ発言に呆気にとられたが、彼女が知る限りエコールは女性解放的な活動等一切していなかったので、何かの間違いだろうと考えていた。

「おや?信じていないと言った顔ですね。それもそのはず、エコール本人の活動が直接的に女性の地位を高めたわけではないですから、エコールの記憶を持つクリムさんが知らないのも無理はないですね。」

 普段は割とぽやぽやしているサテラだが、珍しく察しよくクリムの考えを読み取っていた。

「エコールは直接関係ないけどエコールが自由の象徴って、言ってる事がよく分りませんが、つまりどういうことですか?」

 クリムにはやはりサテラの言っている意味が分からなかったので聞き返した。

「そんなに難しい話ではありませんが、順を追って説明しましょう。」

「ええ、よく分りませんがお願いします。」

 サテラは前置きすると、コホンとひとつ咳払いをして話始めた。

「エコールが世直しの旅をして世界中を回っていた・・・というのはエコール当人の記憶を持つクリムさんには釈迦に説法というものですね。」

「え?うん、まぁそうですね。」

 クリムは諺の用法が微妙に間違っている気がしたが、ニュアンスは伝わったのと、上手い返しが浮かばなかったのとが相まってスルーを決め込んだ。

「それでですね、エコールは今でこそその名前を知る人は少ないですが、彼女が活躍した当時の知名度、そして人気はすさまじかったとドラゴン達から聞いています。ちなみに、当時は守護龍制度がまだかろうじて健在でしたから、その頃の人間社会について詳しいドラゴンは多いです。」

「そう言えば、現代では守護龍制度は廃止されているんでしたね。」

 クリムはセイランからもその様な話を聞いていた事を思い出して言った。

「はい。その辺の事情は制度発足から廃止まですべてに関わっているグラニアが詳しいはずですから、気になるならグラニアに聞いてみてください。私はさほど詳しいわけではないので。」

 サテラはエコールについての話を続けたかったので、クリムの興味が別の話題に引かれるのを制した。

「分かりました。グランヴァニアにはその内寄るつもりなので、覚えていたらその時にでも聞いてみましょう。」

「はい、お願いします。それでエコールの当時の人気についてですが、特に女性からの支持が多かったと聞いています。清く正しく美しい、そして何より腕っぷしひとつで荒事を解決するその強さが、現代とは違い社会的地位が男性より明確に低かった女性達からは羨望の対象として映ったんでしょうね。その名残がエコールカットだというのは、すでに話しましたよね?」

 サテラは自身のロングヘアーをさらりと手で流しながら言った。一応おさらいしておくと、エコールカットとは、聖女エコールに憧れた女性たちが彼女の髪型を真似た事で流行したヘアスタイルの名前であり、エコールの認知度が落ちた現代においてもその名前だけは残っているのだ。

「ええ、そんな話でしたね。」

 クリムもまた自身の髪を手ですいて、毛先をクルクルと指で弄びながら答えた。エコールはファッションには疎く、ただただ伸ばしっぱなしになっていただけのロングヘア―だったので、そんな彼女の髪型が流行ったのは少々申し訳ない様な複雑な心境だったのだ。

「とまぁ、そういう事情から当時の抑圧され、奮起する機会を窺っていた女性達に勇気を与えたのがエコールの活躍だったんですね。そしてその後、女性の地位向上運動が世界各地で起こるのですが、その焚き付け役がエコールだったというわけです。」

「なるほど、そういう事でしたか。」

 クリムはひとまず納得したものの、やはり実感は薄く他人事の様な感覚だった。強大なドラゴンの力を操り、また小国とはいえ王女という高貴な家柄を持つエコールは、女性だからという理由で蔑まれたり苦労した経験等まったくなく、別に男性優位の社会に対して思うところが有ったわけでもないので、女性解放の旗印の様に扱われる事に釈然としないものがあったのだ。もっと言えば、エコールが知らない所で勝手に名前や影響力を利用されたとあっては、その活動内容の是非についてはともかくとして、何か問題が起きても責任は取れないし、かと言って無関係とも言えないしで、はっきり言ってしまえば、はた迷惑な話なのである。


「エコールカットの由来は大昔の聖女様だったんですね。知りませんでした。」

 サテラのエコール談義が終わったところを見計らってアサギが声を掛けた。

「おや?アサギさんもエコールに興味が湧きましたか?」

 そんな事は誰も言っていないが、サテラは嬉々としてアサギに食いついた。

「いえ、そういうわけではないですけど。ただ母がエコールカットにしていた時期がありまして、その時エコールってなんなんだろうと思っていたので、疑問が解けてスッキリしただけですよ。」

 アサギはエコール自体にはあまり興味がないとやんわりと告げたが、残念ながらサテラには上手く伝わっていなかった。

「まぁまぁ遠慮なさらずに。チャットさんとも話が途中でしたし、せっかくですから一緒に語り合おうじゃないですか。」

「にゃっ?」

 思わぬところでサテラからのターゲットマーカーが付いたチャットは、不意の事に驚いてキャッツアイの瞳孔をシュッと細めた。チャットはクリムゾン達が目下のところ脅威になりえないと確認を済ませると、やるべきことはやったので気を抜いて油断していたのだ。

 サテラは乗り気ではないアサギの手を引いて、チャットの方へと歩み寄っていってしまった。


「アサギさん連れていかれちゃいましたね。」

 話し相手を掻っ攫われてしまい取り残されたシャイタンは、同じく取り残されていたクリムに語り掛けた。

「そうですね。えっと、あなたはシイタさんでしたっけ?」

「はい。私はシイタですよ。そういうあなたはクリムさんでよかったですよね?」

「ええ、私がクリムです。」

 いまさらながら互いに名乗っていなかった2人は自己紹介をしたのだった。

「ところでシイタさん。あなたはあそこの、まお・・・じゃなくて、サヤちゃんでしたっけ?あの子よりも強いとクリムゾンが言っていましたが、本当ですか?」

 クリムはうっかり魔王の事を普通に魔王と呼びかけたが、彼女達が正体を隠している事は知っていたので言い直した。

「そうですね。クリムさんは私達の正体を知っている様なので正直に言ってしまいますが、私は今のサヤちゃんよりは強いですよ。サヤちゃんが全盛期の力を発揮できる状態なら話は変わってくると思いますけどね。」

 シャイタンは魔力を抑えて弱く見せかけているクリムの真の魔力を見抜くことはできていなかったが、彼女が誰より信頼を寄せているチャットが真っ先に警戒を示したクリムに対しては、クリムゾンに並ぶ脅威となり得る存在だと高く評価していた。そして下手に嘘をつけばクリムの不興を買い、敵愾心を煽る恐れがあると考えたので正直に話したのだ。

 一方クリムの方は既に魔王達の魔力から敵意が無い事は把握していたので、特に警戒もせずに普通に話していた。

「あなたは戦いにあまり興味がないという話でしたが、何もせずにそれだけの力を手に入れたわけではないでしょう?私は駆け引きが得意ではないらしいので、こちらも正直に話してしまいますが、私はあなたにもサヤちゃんと同様に、クリムゾンと戦う相手になって欲しいんですよ。」

 クリムは魔王と同等の力を持つというシャイタンが、労せず力を手に入れたとは思っていないので、彼女が多少はその強さに対する自負を持っているだろうと、また強敵に自身の力が通じるか試してみたい好奇心を持っているだろうと推測していたのだ。

「いや、私は本当に切った張ったの世界には興味ないんですけどね。まぁでもそうですね。サヤちゃんはやる気みたいですし、当面は一緒に行動するつもりなので、いざとなったら私も手を貸しますよ。」

 シャイタンは魔王に視線を向けつつ、クリムの要請に対し一応の了承の意志を示した。

「分かりました。ところで私達は挑戦者を鍛えるための迷宮を作るつもりなので、あなた達も興味があったら遊びに来てください。基本的には人間をクリムゾンと戦えるレベルまで促成で鍛える為の施設にする予定ですが、それなり以上の強者に向けた上級者コースも用意するので、あなた達でも楽しめると思いますよ。」

 クリムは未だ影も形も無い迷宮に魔王一行を招待したが、建築予定の迷宮はクリムの脳内にざっくりとした設計図があるのみで、完成の目途はまったく立っていない。

「私達はこちらで色々とやることがあるので、迷宮とやらにお邪魔するとしても全て片付けてからになると思いますが、サヤちゃん達に聞いてみますよ。」

 シャイタンは一見肯定的な雰囲気を演出していたが、要するに問題を持ち帰り結論を先延ばしにしたのだった。

「ええ、よろしくお願いします。」

 クリムは基本的にはクリムゾンの意思を尊重しているので、本気でやる気がないのならどれだけ強くても意味がないと考えていた。それゆえ、シャイタンの煮え切らない態度を無理に曲げるつもりも無かったので、必要以上に勧誘はしないのだった。


 さて、クリムは迷宮作りなどドラゴンの力を持ってすれば容易いと楽観的に考えていたし、実際建築工事に関しては魔法を使えばどうとでもなるのだが、ひとつ見落としている事に気付いていなかった。そう、クリムゾン一行の中に迷宮作りの経験がある者など一人もいないのだ。ただただ侵入者を寄せ付けない凶悪な迷宮を作るつもりであれば、何も考えずに最上級の極殺トラップを満載し、迷宮を守る強力な住人を大量に配置すればよいだけだが、侵入者を程よく追い詰め鍛える目的となると、絶妙なバランスが必要となるのだ。聖女エコールには悪龍や魔物が棲み付いた迷宮を数多く踏破した経験があるため、クリムは迷宮にそれなりに詳しいつもりであったが、エコールに依頼が来るような迷宮とは、すなわち普通の人間では到底攻略不可能なデスゾーンなので、実のところ全く参考にはできない代物である。経験も知識も不足しているクリムが持っているのは、実態のない自信だけなのだ。

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