第114話 魔王の母マリー

―――格闘家親子に連れられ道場へと向かったクリム達からは一旦離れ、入国審査を終えた魔王達の動向へと視点を移す。


 人間の国での諜報活動経験が豊富なチャットの助けもあり、魔王達は関所をつつがなく通り抜けて無事ヤパ共和国へと入国を果たしていた。

「さてと、ようやく入国できたけど次はどうするの?」

 魔王が状況を確認するとこれにチャットが答えた。

「次はこの国に住む仲間達に会いに行くにゃ。居場所は知ってるから私についてくるにゃ。」

「分かった案内よろしく。」

「任せるにゃ。」

 念のため確認しておくが、彼女達の次の目的は、人間に擬態してこの国に住んでいる隠れ魔族との接触を試みる事である。町中で彼女達が魔族である事が露見する様な話はできないため少し濁しているのだ。


 チャットに連れられてヤパの市街を歩く魔王は、人間の国の発展度合いに目を見張るものを感じていた。何せ魔王が眠りについたのは5万年前で有るため、彼女が知る人間の国は地球で言うところの中世程度の文明であったからだ。この星の現代の人類文明は概ね21世紀の地球程度であるため、魔王はまさにタイムスリップして遥か未来にやってきた浦島太郎状態なのだ。

 なお魔族の住む最果ての島にも現代文明の粋たる技術は存在していたのだが、魔王は復活したてで混乱していたり、魔王軍最高幹部達との再会の対応で慌ただしかったため、島にいた間はその辺の物にまで気を回している余裕が無かったのである。

 ところでこの世界にはドラゴン等の怪物が跋扈しているため、空からの襲撃に弱い高層建築物はほとんど存在しない。それゆえヤパの町を構成する建築物は3階建て以下で統一されていた。とは言えこの世界のすべての建築物が小さいわけではなく、強力な防衛戦力を有する王族の城郭の様に、権力者の住居は巨大建築となっている事が有る。それは言い換えれば一国の王クラスの財力と権力が無ければ成り立たない贅沢であることを意味する。


 魔王が周囲の様子に気を取られてきょろきょろしている間に、一行は町中をずんずんと進んだ。そしてチャットはとある民家の前で立ち止まったのだった。

「着いたにゃ。ここに来るのは久しぶりだけど、以前と変わりなければ仲間が住んでいるはずだにゃ。さっそく呼び出してみるにゃ。」

 そう言うとチャットは民家の玄関扉に付いている金属製の輪っか、ドアノッカーを用いて扉を叩いた。カンカンと家主を呼び出す音が響いた後、民家の中からはパタパタと足音が近づいてくるのが聞こえ、間もなくして玄関の扉はガチャリと開かれた。

「はーいどちら様かしら?ってあら、チャットじゃないのお久しぶりね。私になにか御用かしら?」

 扉を開けて出てきたのは朗らかで人当たりの良さそうな中年の女性だった。

「久しぶりだにゃマリー。私達がここに来たのはとりあえず誰でもいいから仲間と接触するためだにゃ。まさかマリーが居るとは思ってにゃかったし、マリーに用が有ったわけじゃないにゃ。」

「あらそうなの?まぁ事情はわからないけどよく来たわね。歓迎するわよ。」

 チャットがマリーと呼んだ女性は魔王達ににこやかな笑顔を向けて歓待の意志を示した。ところが彼女の顔を見た魔王は、一瞬驚いた表情を浮かべるとすぐに顔を背け、シャイタンの後ろに逃げる様にして隠れてしまった。

「どうしたんですかサヤちゃん?」

 シャイタンは妙な行動をとる魔王に理由を聞いが、魔王はうんともすんとも言わず黙り込み、頑として口を開こうとしなかった。仕方が無いのでシャイタンはひとまず魔王を背後に隠したまま、話の流れに身を任せる事にしたのだった。

「立ち話もなんだし続きはうちに上がって話しましょうか。」

 マリーはチャットと共にやってきた3人を見てなんとなく彼女達の要件を察したので、人間達に聞かれてはまずい話もあるだろうと気を利かせたのだ。

「そうだにゃー。お邪魔するにゃ。」

 チャットもまたマリーの意図に気付いたためその誘いを了承し、魔王達はマリーの家へと招き入れられたのだった。


 マリー宅に上がった魔王達は玄関を抜けてすぐの部屋であるマリーの工房へとやってきた。ゆったりとした工房には作業台と製図用のドラフター、そして来客用のテーブルとソファーが配置されていた。また部屋の一角にある戸棚には工作用の工具類並びに製品仕様をまとめた設計資料がきれいに整頓されていた。作業台には作りかけの試作魔動機とその材料並びに工具類、そしていくらかの資料が広げられており、マリーが魔動機製作作業の最中であったことを告げていた。

「お茶を淹れてくるから好きな席に掛けてゆっくりしていてちょうだい。」

 魔王達が室内の様子を見渡しているとマリーが声を掛けた。

「私はぬるめでお願いするにゃ。」

「わかってるわよ。チャットは猫舌だものね。」

 チャットと古い付き合いであることを思わせる会話を交わしつつ、マリーはキッチンの方へと歩いて行った。


「お知り合いみたいですけどマリーさんって何者なんですか?」

「マリーはカドルの娘、つまり魔王様の母親だにゃ。」

 マリーが席を外したのを見計らってシャイタンが質問し、それにチャットが答えた。

「ああ、それで隠れてたんですか。マリーさんもまさか息子がちっちゃな女の子になってるとは思わないでしょうし、そう言う趣味が有ったのかと思われたら気まずいですよね。」

「いや、ちょっと待て。何か勘違いしているようだけど、私は別にこの姿を恥じて隠れたわけではないぞ。」

 勝手に納得しかけていたシャイタンに魔王は苦言を呈して訂正した。

「そうなんですか?私はてっきりサヤちゃんが女の子になりたい願望を持っていた事をお母さんに知られたくなくて隠れたのかと。」

「この姿になってしまった理由は分からないけど、私はそんな願望持ってないぞ。」

「ええ、まぁそれは冗談ですけど。それならどうして隠れたんですか?」

 シャイタンは手をひらひらと振って魔王を茶化していた事を白状し、さらに質問を続けた。

「両親とは私が魔王になると決めた際に親子の縁を切っているからね。いまさらどの面下げて顔を合わせたらいいのか分からないんだよ。」

 魔王は苦笑いを浮かべて頬を人差し指で掻きながら答えた。

「あらそうなんですか?なんでまた縁を切ったりしたんです?」

「シイタは知らないだろうけど私が力によって支配し統一する以前の魔族達は、世界各地に散らばった貴族達が自身の領土を持ち、そこに住まう魔族達の支配者として君臨していたんだ。私はそう言った貴族達の権力を奪い取る形で支配を広げていったから、まぁそれなりに恨みを買っていたんだよ。私が魔族を統一しようと行動を開始するに当たってそう言った恨みを受けるであろう事は分かりきっていたから、魔王となるべく活動を開始する前にカドル以外の親族とは絶縁して、私に対する恨みが彼らに向かうのを避けたんだ。これは私がフェミナからの求愛を断り続けていたのと同じ理由だね。魔王たるもの身内と言う弱点を持つわけにはいかなかったのさ。ちなみにカドル爺は私を除けば当時の魔族の中では最強の戦闘力を誇っていたし、私が爺に引き取られて育った事は有名な話だったから、まぁ例外だね。」

「なるほど。でも家族関係なんてそうそう誤魔化せますかね?ちょっと調べたら分かる気がしますけど。」

「父母は元々人間社会に住む隠れ魔族だったから当時の魔族社会では存在しない者として扱われていたし、それに私はずっとカドル爺の元に預けられて育ったからね。両親とは幼少期に死別して祖父であるカドル爺に引き取られた事にしたんだ。」

「ああ、マリーさんはずっと隠れ魔族なんですね。それなら納得ですね。」

 シャイタンは疑問が解消されてすっきりしたところで質問を切り上げた。


 シャイタンが魔王とマリーとの関係を聞き終わったちょうどその時、マリーがお茶を淹れて工房へと戻ってきた。

「お待たせ、お茶を淹れてきたわよ。これはチャットの分ね。」

「ありがとにゃー。」

 マリーはチャット用にぬるめに淹れたカップを渡すと、他の者にもお茶を配った。

「どうぞ召し上がれ。」

「ありがとうございます。いただきます。」

 シャイタンはお礼を言いながら熱いお茶を一口飲んだ。

「さてと、さっそく要件を聞きたいところだけど、初めて見る子も居るし自己紹介しておきましょうか。私はマリーよ。チャットから聞いてるとは思うけど、私は人間社会に隠れ住んでいる魔人デーモンで、見ての通り魔動機を開発して生計を立てているわ。」

 マリーは作業台の上の作りかけの魔動機をポンポンと叩き、さらに続けた。

「ところでさっきから気になっていたんだけど、あなたもしかしてフェミナちゃん?」

「はい。お久しぶりですお義母かあ様。お元気そうで何よりです。それはともかく、こちらでは私はフミナで通していますのでそのようにお呼びください。」

 フェミナは人間に変身していたが、一時的に変身を解除して真魔人ディアボロスとしての真の姿を現した。

「分かったわフミナちゃん。それにしても相変わらず綺麗ねあなた。ご両親もお変わりなくお元気かしら?」

「ええ、おかげさまで2人とも変わりないですよ。」

「そう、それならよかった。」

 挨拶が済むとフェミナは再度人間の姿に変身した。


 フェミナの両親は真魔人ディアボロスであり魔族の中でも有力な貴族であるが、カドルとは旧知であり魔王の両親の事も知っている数少ない魔族である。魔王とフェミナそしてスペリアの3人がカドルの元に預けられていた際には、マリーは度々様子を見に行き、戦闘以外には無頓着なカドルに代わって色々と世話を焼いていたので、フェミナにとってもよく知った人物なのだ。


「そっちの2人は初めましてよね?」

 マリーは続いてシャイタンと魔王に話しかけた。魔王は相変わらずマリーから目を背けていたのでまずはシャイタンがこれに答えた。

「初めまして私はシャイタンです。どうぞよろしく。ちなみにこちらではシイタと名乗っています。島では悪魔の防人ディアブルガーディアンの任に就いていましたが、色々あって今はみなさんと旅をしています。」

「へぇ。ガーディアンに就いてるって事は若いのに強いのねシイタちゃん。」

 一応復習しておくと、悪魔の防人ディアブルガーディアンはその名の通り、魔族の住む最果ての島の防衛を担う職業であるが、島に住む魔族の中でも最上位の戦闘能力を有する者のみが就任できるエリート職である。魔族としては若いシャイタンがそのような重要な役職に就いている事は、彼女をよく知らないマリーからすれば不思議に感じるのも無理はないのだ。

「シャイタンは魔王様と同じく産まれつき強力な力を持っていて、今では全盛期の魔王様と同等の力を持っているのにゃ。」

 シャイタンの事情を知らないマリーのためにチャットが補足した。

「そうなの?まるっきり普通の子にしか見えないのにすごいのね。」

 マリーはシャイタンの顔を改めてまじまじと見つめたが、やはりどう見ても普通の少女であり、到底魔王に匹敵する力を持っているとは思えないのだった。

 魔王はシャイタン同様に幼い頃から強力な力を持っていたのは先述の通りであるが、その力は魔族を1つにまとめ上げ魔族社会を新たな段階へと進めるための物であると考える思想家であった。それに比べてシャイタンは力こそ強力であるが、その精神性は普通の魔族らしい魔族であり、自身の力で何かを変えよう等とは考えていなかった。

 魔王の母であるマリーは変わり者だった我が子と比較して、同等の力を持つというシャイタンの普通過ぎる様子に驚いたのだった。


「えっと、そっちの子はなんだか私を避けているみたいだけど、お話聞いてもいいかしら?」

 マリーはついに目を合わせようとしない逃げ腰の魔王に声を掛けた。しかし魔王はやはりマリーと目を合わせようとせず、彼女の追及をかわすためにティーカップを手に取った。ほんの一時しのぎにしかならないが、口にお茶を含んでいる間は物理的に話す事ができないので、文字通りお茶を濁して誤魔化すつもりなのだ。

「あらあら、何か嫌われる様な事しちゃったかしら?それにしてもあなた、よくよく見てみればあの子に似てるわね。もしかしてフミナちゃんとの隠し子だったりするのかしら?」

「ぶふっ!げほげほっ・・・」

 母の思わぬ発言に驚いた魔王は口に含んでいたお茶を噴き出しむせてしまった。

「あらまぁ大丈夫?」

 噴き出したお茶で濡れてしまった魔王の服を、マリーはポケットから取り出したハンカチで拭き取った。それは魔王にとっては予想外の出来事であり、マリーと身体的に接触する事態を招いたのだった。

「うん?この魔力の感じ、あなたもしかしてヤクサヤなの?」

 マリーは魔王の身体に触れて直接その魔力に触れた事で、フェミナが魔法で擬装を掛けていた偽の魔力ではなく、本来の魔王の魔力を感じた。そしてその魔力が我が子の物で有ると瞬時に見破ったのだ。

 魔王はどうにか母との会話をせずにこの場を済まそうと及び腰になっていたのだが、事ここに至っては最早それも叶わないと観念した。

「久しぶりだね母さん。色々あって今はこんな姿だけど私はたしかにヤクサヤだよ。」

「あらやっぱりそうなのね。いつ以来かしらねこうしてあなたと話すのは。」

 マリーは我が子の変貌ぶりに特に驚く様子もなく話を続けた。

「ちょっと待って母さん。私がどうしてこうなったかとか気にならないの?」

「どんな姿になっていようと元気でいるならそれでいいわよ。」

 魔王の問いにマリーは優しく微笑みながら答えた。

 我が子の変貌にもまるで動じない母の言葉を聞いた魔王は、1人であれこれと悩んでいたのが馬鹿らしく思えて、誤魔化すのはやめて普通に接しようと考え直したのだった。

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