第95話 龍殺し<ドラゴンスレイヤー>

 アクアが蹴り飛ばしたマナゾーを空を飛んで追跡したクリム達は、間もなくして海面でひっくり返って浮かんでいる白いお腹を発見した。クリムはすぐさまお腹の上に舞い降りると、手を当てて魔力を送り込みマナゾーの体内を詳しく調べた。 アクアの蹴りは見た目こそ派手ではあったが一切殺気が籠っていなかったので、クリムは元よりマナゾーが死んでいるとは思っていなかった。しかしピクリとも動かず浮かんでいる様子を目にして、よもやと言う事も有るので一応確認に向かったのだった。

 ちなみに広い海洋を回遊する性質を持つ、例えばホホジロザメの様な鮫は泳ぎ続けて海水を口から取り込んでいないと呼吸する事ができない。しかし深海鮫の様に海底に住む底生の鮫は、海底でじっとしている事も多いため泳ぎ続けていなくとも海水を自力で吸い込んで呼吸ができる。そのため深海鮫であるマナゾーは気絶してひっくり返っていてもちゃんと呼吸できており、直ちに命に係わる状態ではなかった。


「どうやら気絶しているだけみたいですね。」

 クリムはふぅっとため息をこぼしひとまず安心した。

 マナゾーはクリムゾンの細胞により巨大に変異した、世界でたった一頭の変異体であるため、放っておけば生態系に悪影響を及ぼした後、食べるものもなく仲間もなく、孤独と飢えに苦しんだ末に滅びゆく運命を負っている。であるならば、ここでサクッと〆てしまうのはむしろ人の情けと言うものであり、仮にマナゾーがアクアの攻撃により不慮の死を遂げていたとしても、クリムが気に病む事はなかったであろう。

 ただ、サテラにマナゾーの対処を任せると言った手前、マナゾーが死んでいた場合少し気まずい空気になる事は間違いなかったので、その心配がなくなって安心したのだ。


「ところでクリムさん。マナゾーの処理は私に任せる様な事を言っていましたが、具体的にはどうすればいいのですか?」

「先ほども言いましたが、ドラゴンが直接的にせよ間接的にせよ、人類に悪影響を及ぼすような事件に関与していた場合、解決するのは龍の巫女の本分でしょう?要するに悪龍退治の延長線上の仕事ですね。サクッと浄化してしまいましょう。」

 クリムはさも当然であるかの如くサテラに語り掛けた。

 これに対してサテラはいまいちピンと来ていないと言った面持ちで数秒黙りこくり、状況を整理した後に口を開いた。

「なるほど。話には聞いていましたが、エコールは本当に龍殺しドラゴンスレイヤーだったのですね。」

「自ら名乗った覚えはないですが、エコールは確かにそう呼ばれていましたね。それがどうしたんですか?」

「実は私、悪龍というものに出会ったことが無いんですよね。長く平和な時代が続いている影響だと思うのですが、恐らくエコールが生きた時代とはドラゴン達の性質も変わっているのでしょう。かつて存在したという悪龍達の話はグラニアから聞いていますが、数世代前の龍の巫女が退治したのを最後に私の代まで悪龍が出現したという記録は無いようです。」

「そう言う事でしたか。私もといエコールは当時世界中に太古から存在していた悪龍と、ドラゴンに端を発する問題を知り得る限りすべて退治しあるいは解決してしまいましたから、エコールの没後に新たな悪龍が産まれたとしても、数はそう多くはないでしょうね。ドラゴンが悪龍と成るにはそれなりの切っ掛けが必要ですから、あなたの言う通り平和な時代には産まれにくいでしょうしね。とは言え、龍の巫女であるあなたならグラニアから悪龍への対処法を教わっているでしょう?」

「はい。実戦経験はないので自信はありませんが、悪龍を浄化する術は習っています。まず対象となる悪龍を実力でねじ伏せて行動不能に陥らせた後、怒りや悪意によって歪んだ魔力を浄化して悪龍としての記憶を消し去り、卵に戻す方法ですよね?」

「その通りです。分かっているならチャチャっと片付けてしまいましょう。」

 クリムはマナゾーを指さし、サテラに早く浄化する様にとせかした。

 しかしサテラは二の足を踏んで戸惑いを隠せない様子だ。

「ドラゴンの細胞で変異した鮫なんて特異なケースは教わっていないのですが、どうしたらいいんですか?」

「ドラゴンの魔力が原因で起きている変異であれば、異常な魔力を浄化してしまえば元に戻るのが必然でしょう?」

「論理的にはそうかもしれませんが、そんな簡単な話なのでしょうか?巨大化したマナゾーから魔力を取り除いても元には戻らない様に思えますが。」

「その辺はドラゴンの浄化と同じで、魔力によって変質した肉体を一度分解して再構成する必要がありますね。元の姿に戻すためには、浄化対象の本来の姿をよく知っている必要がありますが、マナゾーに関しては巨大化しているだけで身体的特徴は変わっていませんからさほど難しくはないでしょう。その辺の塩梅は雰囲気で掴んでください。」

「ずいぶんフワッとしたアドバイスですね。正直自信が無いのですが私にできるでしょうか?」

「見ての通りマナゾーは伸びていますし、第一段階はクリアしています。あとは浄化するだけですから、習うより慣れよの精神でとりあえずやってみましょう。」

「分かりました。少し不安ですがやってみましょう。」

 サテラはうだうだと悩んでいたが、クリムに押し切られる形で決心した。

「まぁ場合によっては浄化の余波に耐えられず、浄化対象がドラゴンの魔力ごと吹き飛ぶ可能性がありますが、その時は私がどうにかしましょう。」

 クリムは小声で呟いた。

「え?何か言いましたか?」

「いえ、なんでもないですよ。頑張ってくださいね。」

 サテラは首をかしげて怪訝そうな顔をしたが、クリムからの期待の言葉に一転して奮起したため、細かい事は気にしなかった。

「はい頑張ります。」

 こうしてサテラは重い腰を上げてついにマナゾーの浄化に乗り出したのだった。


♦♦♦用語解説♦♦♦

・悪龍について

 ドラゴンが怒りや憎しみと言った負の感情に支配された時に変容するのが悪龍である。悪龍化の要因は様々であるが、一例としては戦闘での敗北をきっかけとして悪龍になる可能性がある。

 ドラゴンは基本的に不死であり戦いに敗れても死ぬことはないが、特にまだ十分に力を蓄えておらず精神も未熟なドラゴンは、負けた相手に執着して勝てるまで何度も襲い掛かる性向を持っている。このときリベンジが果たされた場合は問題ないが、相手が雲隠れしたり寿命で死んだりして勝ち逃げされたり、または普通にいつまでも勝てない状態が続くと、次第にフラストレーションが溜まり、怒りと苛立ちが増大した結果悪龍になる。

 悪龍となったドラゴンは素の状態よりも魔力が増大し、戦闘力が飛躍的に向上するが、理性的な判断が損なわれ無関係の者や周囲への被害さえお構いなしの暴龍となってしまう。

 ドラゴンの宿痾により母龍は我が子に手を出せない上、他所のドラゴン達が悪龍退治に乗り出すと我が子を守ろうと悪龍となった眷属に味方してしまう。そのため悪龍が身内から出た場合には姉妹がその対処に当たるのが通例となっているが、悪龍化した者が他の姉妹達より強力であった場合は対処法がなくなる。

 そう言った場合に対応に当たるのが龍の巫女である。


・龍の巫女の悪龍退治および龍殺しドラゴンスレイヤーについて

 先述の通りドラゴンは不死であるため殺す事はできなが、龍の巫女は三原龍サンライトの力を受け継いでいるため、悪龍の魔力を浄化し記憶を消し去り卵に還す力を持っている。ただし浄化の力は相手が弱っていなければ簡単に抵抗されてしまうので、まずは悪龍を実力でねじ伏せる必要がある。悪龍を打ち倒して浄化し、母龍に卵を返却するまでが悪龍退治の一連の作業である。

 記憶を失い再誕したドラゴンは元の悪龍とは別の存在になるため、正確には死んでいないが殺したのとほぼ同義であり、ゆえに数多くの悪龍を倒したエコールは龍殺しドラゴンスレイヤーと呼ばれるようになったのだ。

♦♦♦解説終わり♦♦♦

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