第77話 遅れて参上 龍の巫女サテラ

 クリムゾンが昨日会ったばかりのセイランを覚えていなかった事で、場の空気が一瞬凍り付いた。ドラゴンの中ではかなり穏やかな性格をしているセイランだが、クリムゾンの無神経な一言が逆鱗に触れたのだ。とは言えセイランは昨日の会話からクリムゾンが幼い精神を持っていると知っていたので、彼女は思慮の浅い幼児の様なものであり、その言動に他意はないと思い直して怒りを収めた。

 セイランの推測は正しく、クリムゾンがセイランを覚えていなかったのは単純に興味が無かったからである。眷属を得る前のクリムゾンの興味はほぼ100%戦う事だけに向いていたので、戦う意思がまるでないセイランの事は眼中になかったのだ。それはそれで失礼であるが、他者を思いやる思慮深さがあったなら数千年も眠りにつく必要もなかっただろう。


 セイランは怒りを収めたものの、話しかける切っ掛けを潰されてバツが悪かったので、どう話を切り替えたものかと思い悩んでいた。知人に話しかけたつもりが相手は自分を知らなかったのであるから、決まりの悪さは尋常ではなかったのだ。

「誰っすかこの人?旦那のこと知ってるみたいっすよ。」

 シュリがコソコソと小声でクリムゾンに耳打ちした。

「ぼくは知らないよ。」

 クリムゾンは特に小声で話す事も無く堂々と返事をした。

「知り合いの振りをして話しかけてくる・・・つまり不審者ですか?」

 スフィーがどこで覚えたのか偏った知識によってセイランを評した。

 クリムゾンとは違い本当に初対面でセイランをまったく知らないシュリ・アクア・スフィーの3人の目には彼女が知人を装って近づいてきた怪しい不審者に映っていた。

 一方クリムは3人同様に彼女とは初対面であるが、クリムゾンの記憶からセイランの事を知っていたし、龍の巫女サテラとの会話から彼女が四大龍である事も知っていた。また交易所の受付嬢から、彼女が青龍会なる非営利組織のボスである事、アラヌイ商会の実質的トップである事も聞いていたので、人間社会にかなり密接に関りを持っているドラゴンであると理解していた。そしてクリムは再度交易所を訪れて他国の情報を集めようと考えてシリカに赴いたのだが、ともすればセイランから情報を聞いた方がよいのではないかと思案していた。


 会話の糸口を失って閉口してしまったセイランと、そんな彼女に疑惑の目を向ける4人の間には微妙な空気が流れていた。

 クリムゾンに悪気がないとは言え、このままではセイランが不憫であったため、クリムはセイランに代わり話を切り出す事にした。

「えーっと、あなたは四大龍のセイランですよね?」

 問いかけられたセイランは沈み気味だった顔色をパッと明るくしたが、それと同時に会った事も無い相手が自分を知っていることを訝しんだ。

「知ってるのクリム?」

 クリムゾンが聞き返した。

「彼女も言っていましたが、あなたは昨日会っていますよ。私は初対面ですけどね。」

「そうだっけ?」

 クリムゾンは首をかしげた。

「昨日海上でオレンジのドラゴンと青いドラゴンに会ったでしょう?」

「言われてみれば会ったかも。」

「その時の青い方のドラゴンが彼女ですよ。彼女はセイラン・グラニア。あなたと同様グラニアの眷属ですから、あなたにとっては妹に当たりますね。」

「あー、グラニアの眷属に会った様な・・・無い様な?」

 クリムが昨日の出来事を話してもクリムゾンはおぼろげに思い出すに留まっていた。クリムの記憶はクリムゾンの記憶を受け継いだものであるので、本来クリムゾンもセイランを知っているはずなのだが、戦闘と無関係の記憶は興味が無さ過ぎて思い出す事さえ困難なのだ。


「それでセイラン、あなたは何か用があってここに来たんですよね?」

 クリムゾンが話に割って入ったので先に相手をしたが、クリムは改めてセイランに問いかけた。

「あなたがクリムだね?まさか本人に会えるとは思ってなかったけど、直接出向いた甲斐があったよ。」

「ええ、そうですけど、私を知っているんですか?」

 先ほどクリムはクリムゾンから名前を呼ばれたので、セイランが名前を知っている事自体には驚かなかったが、彼女の口ぶりがクリムの事をある程度知っている様な雰囲気だったので聞き返したのだった。クリムは昨日産まれたばかりであるため、その存在を知っているのはクリムゾン陣営の仲間達に加え龍の巫女のサテラとこの町の住人のほんの数人、そして四大龍のシゴクとキナリくらいであるはずだ。クリムは龍の巫女を名乗る事にした関係である程度は名前が売れてしまうとは思っていたが、人づての噂になるにしても昨日の今日では流石にまだ広まっていないだろうと考えたので、セイランの様子を不思議に思ったのだ。

「あなたは昨日怪物の調査依頼を引き受けたでしょう?その達成報告の内容を不審に思ったうちの若い衆から私に相談が有ったのよ。それで私が調査に来たんだけど、調査依頼を受け持った受付嬢とサテラからも話を聞いたからあなたの事はある程度知っているのよ。」

「なるほど。そう言う事でしたか。」

 クリムは現代の人類社会の情報伝達速度に少し驚いたが、言われてみれば受付嬢との会話やIDカードや魔導機の存在からその片鱗は見えていたので、すんなりと納得したのだった。

「逆に聞くけれど、あなたも私を知っているみたいだけどなぜだい?」

 今度は同じ質問をセイランが聞き返した。

「私もサテラや受付嬢からあなたの話を聞いたので少し知っていただけですよ。さっきも言いましたが初対面です。」

「ふーん。あなたは彼女達と出会って間もないはずだけれど、随分と信用されているみたいね。どうして?」

「それは私が龍の巫女エコールにそっくりだからでしょうね。サテラはエコールに憧れているみたいでしたし、受付嬢は私の事を龍の巫女だと勘違いしていましたから。」

「エコールと言えばキナリが話していたクリムゾンと戦った聖女の事か。私とクチナシが産まれる少し前に亡くなったはずだから会った事はないけれど、キナリは歴代最強の龍の巫女だと言っていたわね。サテラが彼女に憧れているのは知らなかったけれど、龍の巫女の現在の風習を作った伝説的な存在でもあるから不思議ではないかな。うん、納得したよ。」

 セイランは1人で頷いた。


 そして噂をすればなんとやら、町の方角からサテラが空を飛んでやってきた。海岸に舞い降りたサテラの髪や衣服は少々乱れており、慌てて飛んできた様が伺えた。

「えっと、おはようございます。朝早くから何事ですか?」

「おはようサテラ。それはさておき、あなたその恰好・・・。」

 そんな彼女を見咎めるクリムとセイランの視線に気づくと、サテラはハッとして身だしなみを正した。

「これでよし、っと。それでみなさん何をしているんですか?セイランさんは魔力の擬装を解いているみたいですし、クリムさん達の方は何やら知らない方が2人増えていますし。あっ、そちらのお二方は初めましてですよね?私はサテラです。どうぞよろしくお願いします。」

 寝起きのせいか身だしなみの乱れを指摘されて焦ったせいか、サテラは矢継ぎ早に言葉を並べ立てた。

「私はアクアだよ。よろしく。」

 まずはアクアが元気に自己紹介した。

「はい、よろしくお願いしますアクアさん。」

「そして私はスフィーと申します。こちらこそよろしくお願いします。」

 続いてスフィーも自己紹介した。

「よろしくお願いします。スフィーさんは見たところドラゴンではないようですが、クリムさん達とはどういったご関係ですか?」

「私は生命樹スフィロートの分身体で、人間とコミュニケーションをとるために産み出された樹人間アーブレヒューマです。クリムさん達とは目的を供にしているわけではないのですが、相互に協力し合うパートナーと言った関係でしょうか。厳密には違いますが、単に仲間だと思っていただいて構いませんよ。」

「生命樹?樹人間アーブレヒューマ?」

「失礼しました。クリムさん達からも聞いていますが、どうやら私の本体は遥か昔に地上から消失しているみたいですね。何らかの理由で宇宙に飛び立ったのか、それにしても分身体である私を放置していくとは考えにくいので、よほど差し迫った状況にあった事は想像できますが、誰もスフィロートを知らない現状ではあまり考えても仕方ありませんね。」

「そうですか。よく分かりませんが複雑な事情をお持ちの様ですね。」

 サテラはスフィー自身すら彼女の現状を正確には把握できていない事は理解したので、それ以上深くは詮索しなかった。


「ところでサテラさんは人間ですか?」

「はい、そうですよ。」

「おお!やはりそうでしたか。話を聞く限りクリムさん達とは親しいご様子ですし、私とも仲良くしてくださいね。」

 スフィーはサテラに詰め寄ると両手を取って握手した。

「はい、それはもちろん構いませんが、急にどうしたんですか?」

 突然ぐいぐいと距離感を詰めるスフィーに面食らったサテラはその行動の真意を問うた。

「おっと失礼。見ず知らずの相手に突然仲良くしてと言われても物怖じしてしまいますよね。こほん、それでは私の出自と目的をかいつまんで説明しますね。つい昨日まで種子の状態で眠っていたため私にもそれがいつ頃かは分かりませんが、遥か昔に人類から恐れられていた私の本体、すなわち生命樹スフィロートが人類の誤解を解き友好の意志を示すために産み出した分身体が私なのです。本体が居ない今、私の目的は宙に浮いた状態ではありますが、いつの日か本体あるいは同族がこの星に再訪する事もあるでしょうから、ひとまず当初の目的通りに活動する事にしたのです。そしてあなたは私が活動を始めて最初に会った人間だったのでつい興奮してしまいました。」

「そう言う事でしたか。人類に友好的な種族だというのなら私としても仲良くするのはやぶさかではないです。改めてよろしくお願いします。」

 サテラはスフィーの手をがっしりと握り返し、彼女の友好の意志に答えた。

 無事にサテラと友好関係を結んだスフィーは満足そうにクリムゾン達の方へと戻ってきた。

「やはりあなた達と仲間になったのは正解でしたね。私1人ではこう簡単に人間と接触できなかったでしょう。」

 スフィーはクリムに向かって言った。

「それはよかった。」

 サテラは龍の巫女でありドラゴン陣営に近い人間であるため、普通の人間かと言われると悩むところであるが、スフィーの満足そうな様子に水を差すのも悪いかと思いクリムは素直に同意したのだった。

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