第47話 テナガエビのトマトクリームソースパスタ

「お待たせしました。当店1番人気のオススメセットになります。こちらがテナガエビのトマトクリームソースパスタで、付け合わせの飲み物は甘口白ワインのギュスターヴです。」

 店員は満面の笑みで料理と食器類を並べると、続けて未開封のワインの封を切ってグラスに注いだ。

 テーブルに並んだ料理を見てサテラはギョッとした。なぜならその料理のてっぺんに、こんがりと焼け目の付いた大きな海老が乗っていたからだ。元々海老であるエビゴンが同族の無惨な姿を見たら、怒りあるいは悲しむのではないかとサテラは心配したのだ。

「あら美味しそうですね。ありがとうございます店員さん。」

 一方クリムは特に気にする様子もなく料理を眺め、ワインの匂いを嗅ぎながら準備してくれた店員にお礼を言っていた。

「はい。それではごゆっくりお召し上がりください。」

 店員は一通りテーブルのセットを終えると再び店の奥へと戻っていった。


「これどうやって食べるんすか?」

 サテラの心配をよそにエビゴンは料理に海老が使われている事には無反応だった。そして食べ方が分からず素手で海老を掴もうとした。

「あの、エビゴンさんはこの料理を見て何か思うところはないんですか?」

「何がっすか?」

 サテラに話しかけられたエビゴンは料理に伸ばした手を一旦止めると、質問の意図が分からなかったので聞き返した。

「見たら分かると思いますが海老が乗ってるじゃないですか。エビゴンさんも元々は海老なので気分を害するのではないかと思ったのですよ。」

「ああ、そう言う事っすか。海老は海老でもテナガエビは俺の種族とは別種っすから、なにも気にしないっすよ。それに深海では食える物はなんでも食うのが生存戦略の基本っすから、例え同種の海老であっても死んだら餌となるさだめっす。死して屍拾い食いっす。」

「そういうものですか。」

 サテラはエビゴンの理屈に一応納得したが、感情的には受け入れがたく心に引っかかるものがあった。

「なんですかその諺?」

 クリムはエビゴンの発した妙な改変の入った諺にツッコミを入れたが、エビゴンの生態を鑑みれば言い得て妙なので少しだけ感心していた。


 今は幼い少女の姿になっているエビゴンだが、その精神性や食性の傾向は深海海老の頃のままであり、人間であるサテラにはなかなか理解しがたい哲学を彼女は持っていた。


「海老と言うと一括りに見えてしまうかもしれませんが、魚がより大きな魚に捕食されたり、小鳥が巨大な猛禽に襲われるのと同じ事です。人間だって猿を食べる地域が有るでしょう?人間の尺度や価値観は自然界を離れた人間社会の、それも国や地域によって異なる独自のものですから、単純に異種族に当てはめるべきではないですよ。」

「たしかにそうですね。勉強になります。」

 偉そうに語っているがクリムの知識はエコール並びにクリムゾンの記憶に基づくものであり、彼女の実体験を伴わない机上の論理である。ともすれば知ったかぶりであるが、過去の偉人にして自身の祖先でもあるエコールを尊敬しているサテラの目には、エコールの生き写しであるクリムの言葉はいかにも正しい物であるかのように映ってしまうのだった。


「それではいただきましょうか。」

「はい、いただきます。」

「いただくっす。」

 エビゴンが海老料理に対して忌避感を持っていない事を確認した3人は、ようやく料理に手を付けた。

 エビゴンは目の前に並んだナイフやフォークの使い方が分からなかったので、他の2人の様子を確認しながら見様見真似で食事を始めた。エビゴンが海老の時は単純な構造の鋏であった両腕だが、今は5本指を操る複雑な手になっているため、手の扱いに難儀し戸惑っていた。

「こう握るんですよ。」

 エビゴンの様子に気付いたクリムは彼女の後ろに回り、その手を取って食器の持ち方をレクチャーし、パスタをフォークでクルクルと巻き取る方法を実践して見せた。

「おお、面白いっすね。でもちょっと難しいっす。これって手を使って直接食べたらダメなんすか?」

「絶対にダメとは言えませんが、食器が用意されているなら使うのがマナーですね。手で食べると周囲を汚してしまいますし、衛生面での問題もありますからね。」

「よく分かんないっすけど、分かったっす。練習するっす。」

 エビゴンは今度は手助けを借りず一人でフォークを操り、ぎこちないながらもパスタと格闘し始めた。

「エビゴンは物覚えが早いし、元海老にしては知能が高い気がしますね。海老の寿命を鑑みれば異様と思える程いろいろな事を知っていますし。クリムゾンの細胞と魔力が影響しているのでしょうか?」

「俺の知識は先祖代々の蓄積された集合知って奴っすよ。」

「先祖代々って、親から習ったと言う事ですか?海老が子育てするなんて聞いたことが無いですが。」

「海老の中には幼生を体に張り付けて育てる種類もいるっすよ。まぁ俺の言ってる蓄積された知識ってのは、親から教えられた物じゃないっすけどね。」

「それではなんなんですか?」

「例えば泳ぎ方を親から教わらなくても魚は泳げるようになるっすよね。これは遺伝子に刻まれた記憶によるもので、産まれながらに備わっている知識っす。そして遺伝子に刻まれる記憶は、何も身体運用法に限った話ではないっす。危険な外敵を見極める知識や、美味しい食べ物を手に入れる方法なんかも記憶されてるんすよ。」

「ふむふむ、私が魔力を通してクリムゾンの記憶を受け継いだのと似たような仕組みでしょうか。つまりエビゴンは先祖が積み重ねた記憶をすべて受け継いでいるのですか?」

「そう言う事っすね。俺みたいな深海生物は極限環境で生きる関係上、少しでも生存確率を高めるためには危険予知するための知識が重要っすから、他の生物達よりも遺伝子に刻まれた記憶が鮮明なのかもしれないっす。それと俺らは種としての存続のためには多数を守るために少数を犠牲にすることも厭わないし、誰かが生き残れば集合知の蓄積は繋げられるっすから、死んだ仲間を食べるのも種族全体の繁栄のためと言えるっすね。」

「なるほど。エビゴンの元の種族は弱いながらも工夫して生存競争を勝ち残ってきたのですね。ドラゴンにはおよそ天敵と呼べる存在が居ないので、産まれたてのドラゴンはなんの知識もなく無力ですが、産まれながらに知識を持っているエビゴンの種族はそう言った面ではドラゴンより優れていると言えるかもしれませんね。」

「そうっすねぇ。野生の知恵っす。」

 エビゴンはフォークの扱いが手馴れてきたようで、次はナイフに挑戦し始めた。ナイフの使い方は習っていないエビゴンだが、ナイフはフォークとある程度似た形状であるため身に着けた技術を応用しているのだった。


 エビゴンが1人で食事ができる様になった事を確認したクリムは、ようやく自分の食事に戻った。

 まだ幼いドラゴンは食事によってエネルギーを補給する必要があるが、成長したドラゴンは体内に貯め込んだ魔力と、自然界から吸収するエネルギーだけで半永久的に活動可能である。そのため本来食事は必要ないのだが、娯楽として食事をとる者もドラゴン達の中には存在する。そんな中でもクリムは人間の記憶を持っている特殊な個体であるため、食事をとる習慣が自然な物として身に付いている。また人類とコミュニケーションをとる手段として、共に食卓を囲む事が優れた方法であると考えており、サテラを食事に誘ったのもそのためである。

 そして現状で知りたい情報はおおむねサテラから聞き出せたので、クリムは普通に食事を楽しむことにしたのだった。


 クリムがまず最初に手を付けたのは、パスタの上に鎮座するテナガエビの姿焼きだ。料理の主役とも言える海老だが、クリムは美味しい物から食べるタイプなのだ。パスタの上に乗ったままでは食べにくいため海老を小皿に移し替えると、フォークで胴体を固定しながら頭と尻尾をナイフで切り落とした。そして一口サイズに身を切り分け、パスタソースを絡めて口へと運んだ。海老の身は表面が香ばしく焙られていたが、その内部は適度な水分を含んでぷりぷりとした弾力を持っており、またほのかなお酒の香りが感じられた。

「この海老は酒に漬けてからソテーされ、その後さらに焦げ目を付けるために焙ってあるようですね。なかなか手の込んだ逸品ですね。そしてソースはチーズクリームをベースに細かく刻んだトマトを混ぜ込み、オリーブ油と香草で仕上げた複雑な味です。ソースからも海老の香りが感じられますが、恐らく海老をソテーした際に使われた油を利用しているためでしょう。植物性のトマトと動物性の海老のうま味が合わさる事で、そのうま味は数倍にまで跳ね上がっています。」

 クリムは蘊蓄をたれながら続いてパスタに手を伸ばした。パスタの種類はシンプルなスパゲティで、これと言った特徴はなかった。

「なるほど。チーズクリームのソースは程よい粘りがありパスタに絡みやすいのですね。いろいろと計算された料理ですね。海老とトマトの赤に香草の緑、チーズとパスタの黄色はバランスがよく見た目も映えますし、料理人のセンスを感じます。」

 メインディッシュを一通り堪能したクリムは、付け合わせのワインを手に取り、軽く回して香りを楽しんだのち口に含んだ。

「さわやかな酸味とフルーティな甘みが感じられるので若いワインですね。年代物の様な深みはありませんが、少々こってりしている料理には若くすっきりしたワインがよく合いますね。」

 1番人気のメニューに恥じない料理の完成度にクリムは満足感を覚えたのだった。


 食事に集中して楽しんでいたクリムがふとエビゴンの方を見ると、エビゴンは彼女の髪色と同じくらいに顔を真っ赤にしてフラフラしていた。

「ああ~目が回るっす~。」

「大丈夫ですかエビゴン?どうしたんです?」

「これを飲んだら急にこうなったんすよ~。」

 エビゴンは空になったワイングラスを掲げた。

「なるほど。酔っぱらってしまったんですか。ドラゴンにはアルコールがほとんど効かないので、エビゴンも平気かと思ったのですが想定外でしたね。」

「なんとかして欲しいっすー。」

 エビゴンは力なくテーブルの上に突っ伏した。

「しょうがないですね。まずは水を飲んでください。」

 クリムは空になったエビゴンのグラスに、魔法で生成した水を注いだ。

 そしてエビゴンは言われた通りに水を飲み干した。

「よし飲みましたね。それでは続けて肝機能と代謝を向上させる魔法を掛けましょう。」

 クリムが使ったのは要するに対象者の自然治癒力を高める回復魔法だが、効果範囲と効能を絞る事で魔法によって掛かる身体的負荷を軽減できるのである。これは対象者の状態を正確に診断できる知識と観察眼、そして症状に応じた処置を知っていなければできない芸当である。魔法を掛ける前にまず水を飲ませたのはアルコールを肝臓で加水分解させるために水が必要だからである。

 身体機能全般を高める様な雑な回復魔法は対象者の体力を削り、無駄に消耗させてしまうデメリットがある。そして体力回復させる魔法は別途存在するのだが、その方法というのが自身の魔力を対象者に分け与えるという方法である。魔力の性質は個々人で異なっており、他者に魔力を分け与えるには自身の魔力の性質を相手に合わせて調整する技能が必要となり、その難易度は回復魔法の比ではない。


 ほどなくしてエビゴンの顔色は元に戻り、すっかり回復したのだった。

「助かったっす姉御。」

「どういたしまして。エビゴンはお酒を飲まない方がいいみたいですね。」

「そうっすね。美味しかったのに残念っす。」

「好きなのに飲めないのはかわいそうですね。うーむ・・・そうだ。エビゴンの変身能力を使えば、ドラゴン並の肝機能を手に入れる事もできるかもしれませんよ。翼を生やして空を飛んだ事からの推測ですが、エビゴンの変身は見た目だけでなくその能力も再現しているようですからね。」

「なるほどっす。あとで試してみるっす。」

「今やらないんですか?」

「脱皮は服を脱がないとできないっすからね。人間の前では裸になったらダメなんすよね?」

「そうですね。私としたことが失念していましたが、エビゴンは人間社会の事が分かってきたようですね。」

「姉御の指導のたまものっすよ。」

「褒めても何も出ないですよ。」

 口ではそう言ったクリムだったが悪い気はしないのだった。


 その後残りの料理を食べきり、3人は昼食を済ませた。

「ごちそうさまでした。」「ごちそうさまっす。」「ごちそうさまでした。」

 クリムは2人が食べ終えていることを確認してから食物と料理人に感謝の言葉を捧げた。そしてそれに倣うようにエビゴンとサテラも続いた。

「さてと、会計はすでに済ませてありますが、お店の方に声を掛けた方がよいですよね。現代の作法が私にはわかりませんが。」

「そうですね。一言声を掛けてから退店するのが一般的ですね。」

「なら俺が挨拶してくるっすよ。」

 そう言うとエビゴンはお店の奥の方へと駆け込んだ。

「ごちそうさまっす!美味しかったっすよ!」

 お店の奥からエビゴンの元気な声が聞こえてきた。

「はーい!ありがとうございました!また来てくださいね!」

 エビゴンに負けず劣らずの元気な声で店員が返事をしたのがホールの方にまで聞こえてきた。

 エビゴンが戻ってきてから3人はそろってレストランを後にしたのだった。

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