第36話 港町シリカと津波被害

 気配を消して四大龍の二頭をやり過ごしたクリムは、そのまま港町へとやってきた。

「さて到着したはいいですが、何やら騒がしいですね。」

 クリムが上空から眼下の町を見渡すと、船員らしき恰好の人間達があわただしく駆け回っていたのだった。船乗りは元々せっかちな者が多くいつも小走りで駆け回っているが、今の様子は平時の落ち着きのなさとは異なり、あわただしい中にも緊張感が漂っているのだった。そしてよくよく見てみれば町のあちこちが浸水しており、また船の積み荷らしき木箱や樽が散乱していた。


 空から眺めていても仕方がないので、クリムは地上に舞い降りた。そしてたまたま近くを通りかかった若い船員が居たので、捕まえて話を聞くことにした。

「こんにちは。私はこの町に今しがた到着したばかりの旅の者なんですが、お話を伺ってもいいですか?」

「おう、こんな交易拠点に旅人なんて珍しいな。ようこそ港町シリカへ。」

 クリムが捕まえたのは背丈がクリムと変わらないくらいのまだ幼さの残る少年だった。しかし若い割には受け答えがしっかりしていた。

 そこに少年の上司らしき中年男性が小走りで現れた。

「おいおいナンパか。サボってると船長にどやされるぞ。」

 男性は少年の肩をポンと叩くとそのまま走り抜けていった。

「はーい!今行きます!っと、普段なら話に付き合ってやるところだけど、見ての通り今は忙しいんだ。悪いけどそこの交易所で話を聞いてくれ旅人さん。」

 上司にせかされた少年は、目の前の建物を指さした。少年に促されたクリムが視線を移した建物には、アラヌイ商会と書かれた看板が掛けられている。

「そんじゃ、よい旅を。」

 少年はクリムに軽く会釈すると走り去ってしまった。

「おやおや慌ただしいですね。とりあえずは言われた通りにしますか。」

 クリムは少年に勧められた通り交易所に入った。


 交易所の中は簡素な作りで飾りっけが無く、ただ一つ存在するカウンターには一人の若い女性が座っていた。クリムは早速受付の女性に話を聞くことにした。

「こんにちは。旅の者なんですがお話を伺ってもいいですか?」

「はいこんにちは。アラヌイ商会シリカ支部へようこそ。どのようなご用向きでしょうか?」

 受付嬢は来訪者を笑顔で出迎えた。

「私は今しがたこの町についた旅人です。」

「旅人さんですか、珍しいですね。」

「ついさっき船乗りの少年にも同じことを言われました。それはそれとして、町中が何やら騒がしいので気になったのですが、何かあったんですか?」

 クリムは町中を走り回る船乗り達の様子が気になったので質問した。

「なるほど外の騒ぎについて知りたいのですね。実は今朝津波があったんですよ。」

「津波ですか?」

「はい。海に隣接するシリカでは津波は時折ある事なので慣れていますから、通常の津波ならなんてことないんですが、今回は前兆となる地震も何もない変な津波だったものですから、対応が遅れて被害を受けたのです。」

「そうだったんですか。大変そうですね。」

「ええ。でもこの程度ならすぐに復旧すると思いますよ。幸い人的被害や船舶の損傷は出ていませんし、浸水した家屋の掃除と散乱した荷物の整理が済んだら落ち着くと思います。」

「そうですか。それはよかったです。」

 クリムは世間話をしながら、実はまったく別の事を考えていた。先ほど出会った少年もそうであったが、受付嬢がクリムの姿に関して何も言わないことに違和感を覚えていたのだ。少年も受付嬢も容姿や魔力の感じから、ただの人間であることは間違いないが、ドラゴンの特徴を部分的に発現している異形の存在であるクリムを、普通の旅人として扱っているのは、彼女が考える人間の常識からすると異常だったのだ。

 クリムは自身が人間達からどう見られるのかを、確認するつもりでこの街を訪れたのだが、彼らがあまりにも無反応であるため思惑が外れたのだった。


 このままではこの町を訪れた目的が果たせないと思ったクリムは、意を決して自身の容姿をどう思うか直接聞くことにした。

「ところでお姉さん。私の姿を見てなんとも思わないんですか?」

 もしかしたら尻尾や翼が飾りだと思われているのかもしれないと思ったクリムは、尻尾を振り、翼をはためかせて本物であることをアピールした。

「その深紅の装束はスフィア教団の方ですよね?シリカでは信教の自由が確保されていますから、自由に活動して貰って大丈夫ですよ。」

「え?なんですかそれ?そんな教団は知りませんよ。」

 予想とは全く異なる反応を示す受付嬢に、クリムは思わず困惑した。

「失礼しました。よく見れば教団員の証を身に着けていないですね。深紅の装束と言えば教団関係者のシンボルになっていますので、早とちりしてしまいました。」

 クリムは謎の教団が気にならないでもなかったが、目の前の目標を優先してひとまずスルーした。

「私が聞いているのは服装の話ではなくて、翼や尻尾を見てなんとも思わないのかという事ですよ。見ての通り私は普通の人間ではないですよ。」

 クリムはなかなか思い通りに話が進まないので、自ら人外であることを明かし、より直接的な質問を始めた。

 クリムのありのままの姿が人間に受け入れられているなら、あえて怪しまれるような行動をとる必要は無いように思われるが、人外に対する人間からの評価を知るのが彼女の目的なので、その辺ははっきりさせておきたかったのだ。

「なるほど、そう言う事でしたか。」

 受付嬢は改めてまじまじとクリムの姿を観察した。

「もしかしてあなたは龍の巫女様ですか?実際にお会いしたことはありませんが、その容姿は美しく、艶やかなブロンドヘアーを靡かせる少女であるとの噂は伺っております。」

「え?まぁそう言えなくもないですかね。」

 クリムの姿の元になった聖女は正真正銘の龍の巫女であったし、クリム自身もクリムゾンに仕えているため、形式的には龍の巫女と言えないこともない存在だ。本物の龍の巫女は龍王グラニアに仕える人間であるため、クリムゾンの眷属でありドラゴンそのものであるクリムは、正確には龍の巫女ではないのだが、よくよく考えてみれば龍の巫女に詳細な定義など存在しないので、彼女は思わず答えを言い淀んだのだった。


「やはりそうでしたか。龍の巫女様はドラゴンの力を操ると聞いたことがありますが、まさか角や尻尾が生えているとは思いませんでした。それに噂に聞いていたよりお若いですね。」

「まあたしかに私は若いですね。」

 産まれて間もないクリムは、言葉を額面通りに受け取り適当な相槌を打った。彼女は龍の巫女の定義について考えている最中だったので、受付嬢の話をよく聞かずに適当に返事をしたのだが、その会話は噛み合っているようでまるで噛み合っていないのだった。

「巫女様は人助けの旅をしているとお聞きしておりますが、もしやこの町にいらしたのもそのためでしょうか?」

「いえ、この町にはたまたま近くだったので寄ってみただけですが、何か困っている事でもあるのですか?」

 何やら考え込んでいたクリムが、話を聞くために顔を上げたのを確認した受付嬢は、改めて相談を始めた。

「実は今朝の津波は近海に現れた怪物が起こしたのではないか、と船乗りたちから報告が上がっているのです。」

「怪物ですか?」

「はい。津波の直後に巨大な海棲生物を見かけたというだけで、津波との因果関係は不明なのですが、なにぶんタイミングがタイミングだったもので。今シリカにいる商会の構成員だけでは怪物の調査をすることは難しく、商会の上層部に相談しようと思っていた所なのですが、そうしますとしばらく怪物の不安に怯えながら暮らす事になるので、できれば早急に調査を済ませたいのです。もしよろしければ巫女様、我々にご助力いただけないでしょうか?」

 すっかりクリムが龍の巫女であるという体で会話が進行しているが、その勘違いは人間社会の調査をするうえで都合がいいとクリムは思ったので、あえて訂正せずに全力で乗っかる事にしたのだった。

「わかりました。その怪物の調査引き受けましょう。それと私はクリムと申しますので、そう呼んでいただいて構わないですよ。」

「はい承知しました。ありがとうございますクリム様。」


 こうしてクリムは龍の巫女に成りすまし、港町に現れたという怪物の調査を引き受けたのだった。

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