第27話 魅了する者達

 体を洗った魔王とシャイタン達は揃って湯船に浸かっていた。


 浴槽のデザインはシンプルな石造りだが、10人は軽く入れる旅館並のサイズで、一人暮らしの少女が使うには無駄な大きさだ。しかしシャイタンは風呂好きであったため、毎日の様にお風呂を沸かし、入浴が済んだら躊躇なく湯を捨てているのだった。退屈な日常の中のちょっとした贅沢は、シャイタンにとってひそかな楽しみである。なお最果ての島は年中天候が悪い影響から降水量が多く水資源は豊富であるし、お湯を沸かすためのエネルギーにはシャイタン自身の魔力を使用するので、一見すると無駄遣いに感じるかもしれないが実のところ然程贅沢ではない。


 また浴槽自体はシンプルなのだが、何を思ったのか給湯口は趣味の悪い悪魔の石像ガーゴイルを象っており、醜悪な悪魔の口からダバダバとお湯が出る様はさながら地獄の様相だ。チャットはそんな趣味の悪い給湯口から出てくるお湯を、パシャパシャと猫パンチして遊んでいる。

「ニャー!」

「チャットさんは本当に猫みたいですねぇ。」

 シャイタンはお湯と戯れる少女を眺め、ほっこりしながら言った。

猫精ケット・シーは魔力の強い猫が精霊化した種族だからニャー。猫みたいと言うか、元をただせば猫そのものだニャー。」

 チャットはお湯と格闘しながら答えた。

「ああ、そうなんですか。ところでチャットさんはどうして魔族ばかりのこの島に居るんですか?仲間の猫精ケット・シーとは一緒に暮らさないんですか?」

「私が魔族と暮らすようになったのは成り行きだニャー。それと仲間はいにゃい事もにゃいけど、猫精ケット・シーは特別な理由が無ければ群れないニャー。他の連中も人間の家に飼い猫として住み着いたり、森に棲んだり、方々を旅してまわったりと、まぁ各々好き勝手にやってるニャー。」

「はーなるほど、自由気ままなんですねぇ。少し羨ましいです。」

「シャイタンは自由じゃないのかニャ?」

「そうですねぇ。こう見えていろいろしがらみがありますからね。」

「意外だニャー。割と気ままに生活してる様に見えるけどニャー。」

 チャットは凄まじい才能を秘めて産まれたシャイタンがいずれ魔王を復活させる鍵になると考えていたため、陰ながらずっと彼女を監視しており、彼女の生い立ちや生活ぶりは大体把握していた。また散歩にかこつけて定期的に世間話をするくらいの友人でもあるので、彼女が現在の生活に不満を抱えているようには思っていなかったのである。

「私が子供好きなのはチャットさんも知ってますよね?」

「まあそうだニャー。」

 シャイタンが幹部達の中でチャットに対してだけ特別に優しい事や、普段の世間話から彼女が子供、特に小さい女の子が好きであることをチャットは察していた。

「私は職業適性検査で防人ガーディアンに割り当てられましたけど、本当は幼児教育の機関に行きたかったんですよ。」

「それは初耳だニャー。希望があるなら多少は便宜を図ってもらえるはずだけど、希望を出さなかったのかニャー?」

 シャイタンは子供好きと言っても、小児性愛的な意味での好きであるとチャットは理解していたため、教育機関に勤めるのは問題がある様に思ったが、その点にはあえて触れなかった。彼女の友人としてのせめてもの情けである。

「一応希望は出してみたんですけど、却下されちゃいましたね。」

「なんでだニャ?」

「私の魔力って少しばかり強力なので、まだ成長途中で抵抗力が低い男の子を魅了して発情させちゃうみたいなんですよね。そのせいで私には小児男児との接触禁止命令が出されてるんですけど、それが教育機関への就業が却下された原因ですね。私は男の子には興味ないのに、産まれつきの魔力特性のせいで不審者扱いするなんて失礼ですよね。」

「え?まぁそうだニャー。」

 チャットは女の子にも手を出したらダメだろと思ったが、シャイタンがあまりにも堂々と主張するのでつっこめなかった。


 魔王に寄り添って静かに湯に浸かっていたフェミナは、チャットとシャイタンの会話を聞いて話に混ざろうと近付いてきた。彼女はついでに目を閉じて瞑想していた魔王も引っ張ってきた。

「なんだか面白そうな話をしてるわね。」

「ええまぁ別に面白い話ではないですけどね。」

 シャイタンは応えた。

「シャイタンも魔力のせいで苦労したのね。強い魔力に惹かれるのは魔族のさがだから仕方ないとは言え、興味のない相手に言い寄られても煩わしいだけよねぇ。」

「私もって事は、フェミナさんも同じような経験があるんですか?」

「ええ、私は女淫魔サキュバスとしての特性が一族の中でも一際強くて、男女問わず無差別に魅了してしまう特異体質だったから、まぁ色々あったわね。それとヤクサヤも小さい頃はシャイタンと同じ感じだったわよね?」

 フェミナは魔王に問いかけた。

「うん?そうだな。そんな事もあったかな。」

 魔王はいまいち煮え切らない答えだ。

「その口ぶりからすると二人は幼少期からの知り合い、俗にいう幼馴染という奴なのですか?」

「そうなのよー!私は体質のせいもあって、ヤクサヤとはひとつ屋根の下で暮らした事もあるのよ。やっぱり私達は結ばれる運命なのよねー。」

 フェミナはとてもうれしそうに叫んだ。それは彼女が魔王と幼馴染であるという、他の魔族達にはない特別な関係を持っている事に、ちょっとした優越感を感じていたからだ。

 シャイタンにはひとつ屋根の下で暮らした事と結婚する事の相関性が見い出せなかったが、フェミナの中では何かが繋がっているのだろうとひとまず納得した。

「ああ、それでフェミナさんだけ魔王様の事を呼び捨てにしてるんですね。」

 部下であるフェミナが魔王の事をヤクサヤと呼び捨てする事に、シャイタンは少なからず違和感を覚えていたので、幼馴染と聞いて合点がいったのだった。

「いや、それはフェミナがいい加減なだけだな。幼馴染だからというのならばスペリアも同様であるし、チャットも幼少期からの知り合いだからな。」

 魔王は他の者への示しがつかないので呼び捨てはやめさせたかったが、フェミナは命令を聞く様なタマではなかった。

「そうだニャー。フェミナは小さい頃からマイペースというか、まぁそんな感じだニャー。」

 チャットはお湯と格闘するのに飽きた様で魔王の近くに泳いできた。

「たしかスペリアさんはフェミナさんのお兄さんでしたね。」

「そうよ。まぁ兄と言っても私とスペリアは双子だし、どちらが上と言う事もないけれどね。」

 二人の関係をよく知るチャットは、フェミナが自分の都合で一方的にスペリアを振り回している事を知っていたので、怪訝そうな顔で彼女の方を見た。

「カドルさんは魔王様のお爺様のようですし、もしかしてシェンさんとも付き合いは長いんですか?」

「そうだな。あれは我がまだ若かりし頃、カドル爺の元で養育されていた頃の話だが、シェンが犬精クー・シーの群れからはぐれ一人彷徨っていた所を、偶然見つけた我が拾ったのが奴との出会いだな。魔族の中で暮らすのは奴のためにならんとカドル爺に諭されたゆえ何度か群れに返そうとしたのだが、犬精クー・シーは縄張り意識が強く生息域に近寄れなくてな、やむを得ずそのまま保護したのだ。その後はカドルの元で共に育てられたゆえ、シェンと我は言ってみれば兄弟のようなものだな。」

「なるほど。つまり最高幹部のみなさんは全員魔王様の近縁者なんですね。」

「まぁそう言う事になるか。魔王軍幹部の選定基準は完全な実力主義であるから、身内贔屓で採用したわけではないのだが、結果的にそのような形になっているな。」

 身内で固めた最高幹部達が、他の幹部からコネ採用と揶揄されていた事を魔王は知っていたため、シャイタンの指摘には少し思うところがあった。かと言って実力がある者を心情的な理由から排する様な、非合理的な選択肢は元より魔王の中に存在しないので、過去の自身の決定に恥じいる所など何も無いのだが、人間関係(魔族だが)の煩雑さとままならなさに、改めて魔王という頂点に立つ者としての責任と難しさを考えさせられていた。

 魔王が真剣な顔で諸々考えている隣で、フェミナはニヤニヤとだらしない笑みを浮かべていた。彼女にとって実力云々の話はどうでもよかったが、魔王に身内扱いされた事がうれしかったためだ。


 なんだか変な空気になってしまったのでシャイタンは話題を変える事にした。

「ところでフェミナさんは特異体質のせいで魔王様と一緒に暮らしていたって言ってましたけど、体質と一緒に暮らす事になんの関係があるんです?」

「さっきも言ったけど私は男女問わず無差別に、それこそ見境なく魅了してしまう特異体質だったのよね。普通の女淫魔サキュバスの場合は、狙った対象者の性的嗜好がその女淫魔サキュバスの容姿やら性格やらと合致した場合に限り強力な魅了効果が発生するんだけれど、私は相手から酷く嫌われている場合でもなければ、ほぼ誰でも魅了してしまう異常な力を持っていたの。」

 フェミナはその能力とは別に、魔族史最高の美女と呼ばれるほど容姿が優れているため、第一印象で彼女を嫌う魔族など皆無であった。

「それはなんというか凄まじいですね。だけど誰でも魅了できるなんて女淫魔サキュバスとしては破格の能力ですよね?なんだか問題があった様な口ぶりですけど、強力な力を持っているだけならいい事なんじゃないですか?」

「そうね。ちゃんと制御できれば強力なだけの力よね。でも私は無差別に魅了するって言ったでしょう?」

「つまり制御ができなかったんですか?」

「そう言う事。私が持っていた特異体質は私の意思とは関係なく出会う人を誰かれ構わず魅了してしまう、要するに暴走した力だったのよ。例外として私と同じ女淫魔サキュバスと、双子のせいかスペリアには効果が無かったけれどね。」

「あー、それは大変そうですね。」

 シャイタンも小さい男の子限定とはいえ同じ様な経験があったので、フェミナの苦労は大体察しがついたのだった。

「あれ?特異体質のせいで大変だったのはわかりましたけど、それと魔王様と一緒に暮らしていたのにはなんの関係があるんですか?」

「たぶんシャイタンが考えてるよりもずっと大変だったわよ。ヤクサヤと暮らす事になったのにはある事件が関係しているんだけど、その前に当時の状況を少し説明するわね。」

「はいお願いします。」

「当時の私とスペリア、そして父母の4人家族は大きな屋敷に住んでいたわ。加えて数人の使用人も居たけれど彼らは魔族ではない使い魔だから気にしなくていいわ。私の力は異種族には効果が薄かったからね。それで私の力は物心ついた頃に、まだほんの弱い子供だった頃に発現したんだけど、私よりもずっと強い大人の魔族にも効果があったわ。」

「なるほど。」

「それで最初に私の異常に気付いたのは母ね。と言っても母に何か影響があったわけではなくて、父の性欲が日に日に強くなっていることから結果的に私の力に気が付いたらしいわ。それまでは二日に一回程度だった夫婦の夜の営みが、毎日の様に求められるようになり、しかも徐々に激しさを増していったそうよ。」

「なんだか雲行きが怪しくなってきましたね。」

 シャイタンは口には出さなかったものの、自分の親の性事情はあまり想像したくないなと思ったのだった。

「最初の内は父の性欲が強まる程度で、その矛先が幼い私に直接向くことはなかったんだけど、次第にその獣欲は抗えない程に強くなっていき、ついに父も私が原因で異変が起きていると気づいたみたいね。間違いが起きる前に対策を打とうと考えた父は母と相談してとりあえず別宅に住む事にして、あまり屋敷には帰ってこなくなったわ。」

「ああ、事前に対策を打てたんですね。よかった。」

「でもそれは場当たり的な対処でしかないから、私の力が暴走している事の根本的な解決にはならなかったわ。そしてそんな別居生活が続く間も私の力は身体の成長とともにどんどん強くなって行って、少し胸が膨らんできた頃には私を一目見ただけで大人の魔族が簡単に魅了される程になってしまったわ。そして女淫魔サキュバスに完全に魅了された相手は、例えどんな紳士でもヘタレでも獣欲に支配されて性行為に及ぼうとするから、常に襲撃のリスクが伴う私は屋敷に引きこもって外に出る事もできなくなってしまったの。」

「それは怖いですね。私の場合は私よりずっと弱い小さい子にしか効果がないですから、特に困ったことはないですし、まだそういう知識のない小さい子のアプローチなんてかわいいものなので気にしてませんでしたけど。」

 そもそもシャイタンは魔族の中では最強と言える力を持っているので、大人が相手であろうと撃退できるが、その点は考慮しないフェミナの立場を想定しての発言である。

「幸い双子のスペリアには私の魅了が効かなかったし、同じ女淫魔サキュバスである母にも影響はなかったから、外に出られない以外の不満は特になかったけれどね。そう、ある事件が起きるまでは。」

「事件ですか?」

「ええ、あれは母が屋敷を留守にしていた時の事だったわ。私はスペリアとかくれんぼをして遊んでいたんだけど、私は普段あまり家にいない父の書斎に隠れたのよ。」

「あーなんとなくオチが見えましたよ。」

 シャイタンはこの時点で碌でもない事になるのを察したのだった。

「たぶんシャイタンが思った通りの結末だけど一応続けるわね。私が書斎に隠れていたその時、たまたま父が帰宅して書斎にいた私と二人っきりで蜂合わせちゃって、要するに私の力で父を魅了しちゃったのよね。」

「あーやっぱり。」

「父は私に襲い掛かろうとする本能と、親としての理性の間でぎりぎり踏みとどまっていたけど、まだ小さかった私はその様子が怖くて逃げだせなかったのよ。」

「えー?どうなっちゃうんです?」

 シャイタンは若干ドキドキしたがフェミナが自分から話すくらいなので、最悪の事態は起きなかったであろうことは予測していた。しかし話の腰を折るのも悪いので若干忖度を込めてワクワク感を演出したのだった。やらしい世界・・・もといやさしい世界である。

「父の理性が限界に達しようとしたまさにその時、ちょうどスペリアが私を探しに来て助けてくれたのよ。考えてみればスペリアはいつもちょうどいいタイミングに現れるわね。狙ってるのかしら?」

 先ほど魔王に襲い掛かっていたフェミナは、まさに魔王を毒牙に掛けようとしたその時にスペリアに邪魔された事を思い出し、少し腹を立てながら言った。兄に窮地を救ってもらった話をしていたはずなのに酷い扱いである。

「スペリアさんの事はともかく、助かってよかったですね。」

「ええ、そうね。その後帰ってきた母には使い魔達を通して騒動がばれて、一家離散の危機になったんだけれどね。」

「それはまぁ仕方ないですね。誰が悪いわけでもないですけど。」

「そうね、その事は母も分かっていたわ。連絡せずに急に帰ってきた父も、父の書斎に隠れた私も、どちらも不用意だったわけだけど、小さなミスが重なった不幸な事故だったわ。」

「ずいぶん他人事ですね。」

「当時はそりゃあ大変だったけど、今となっては笑い話よ。」

「そうですか。」

 実の父に襲われるなんて事件が起きたら一生トラウマを抱えそうだとシャイタンは思ったが、魔人デーモンであるシャイタンと真魔人ディアボロスであるフェミナとでは常識や価値観に差異があるのは当然なので、そういうものだと納得したのだった。


「母は私の特異体質の事を一番よく分かっていたし、最悪の事態だけは免れたから必要以上に父を責めなかったみたいね。私達兄妹はその辺の夫婦間のやり取りは詳しく聞いていないけれど。それに、間がいいんだか悪いんだかわからないけど、実はその時母が外出していたのは、そういう事故が起きないようにするためだったのよね。要するに私の力を制御する方法の模索ね。で、その相談相手が私達の一族と古くから親交があったカドルだったの。」

「あっ、ようやく魔王様と話が繋がりそうですね。」

 シャイタンはなんの話をしていたかいい加減忘れかけていたが、フェミナが魔王と暮らす事になった経緯についての話だったと思い出した。

「そういうこと。細かい事情は大人たちで話し合われたから私は正確には把握してないけど、まぁ色々あって私とついでにスペリアはカドルに預けられることになったわ。」

「ふむふむ。あれ?カドルさんにはフェミナさんの魅了が効かななかったんですか?」

「カドルは当時すでに魔族としては高齢で、性欲なんてとっくに枯れ果てていたみたいで私の力は効かなかったわ。それにカドルは山奥で仙人の様な生活をしていたから、他の魔族と鉢合わせる心配もなかったし、私は彼の元で力の制御を学ぶことになったのよ。」

「カドル爺は我が初めて会った頃にはもうすでに爺であったからな。連れ添いだった祖母に先立たれて久しいと聞いているし、山奥で修練だけに打ち込むその精神性はもう半分植物みたいなものであるな。」

 魔王がフェミナの話に補足した。

「あーなるほどですね。その口ぶりからすると当時すでに魔王様もカドルさんと一緒に住んでいらしたんですか?」

「私達兄妹が預けられることになった当時、山奥のカドルの家にはカドルとヤクサヤ、そしてまだ仔犬のシェンが一緒に住んでいたわ。それとチャットは頻繁に遊びに来ていたわね。直接住み込んではいない野良みたいな感じだったけれど。」

「そうだニャー。みんな小さかったニャー。」

「へー、もうその時からみなさん一緒だったんですね。ところで魔王様って当時は普通の男の子ですよね。フェミナさんの魅了は効かなかったんですか?」

 シャイタンはある意味当然の疑問を提示した。

「我は生来精神異常や誘惑幻惑の類に強い耐性があったからな。フェミナの力も効かなかったぞ。」

「そうですよね。そうじゃないとフェミナさんの親御さんも安心して娘を預けられないですし。」

「母がカドルと相談した時に、一緒に暮らす事になるヤクサヤの魅了耐性についてもあらかじめ確認していたわよ。まぁヤクサヤは当時既に魔族始まって以来最高の天賦の才を持つ超人として知られていたから、仮に何か間違いが起きたらそれはそれで好都合くらいに思っていたみたいね。」

「えぇ・・・。フェミナさんはその事を知ってたんですか?」

 実の娘を出汁にして、ともすれば天才少年を篭絡しようとするフェミナの母に少々引き気味のシャイタンだった。

「特に聞かされてなかったけど、私はまだその辺の知識を教えられていなかったから、仮に聞いていてもよくわからなかったでしょうね。まぁヤクサヤには私の魅了は効かなかったし、昔から女に興味が無かったみたいだから、結果的に何も起こらなかったわけだけどね。」

「それならいいですけど。・・・いや、いいのかな?」

 一瞬納得しかけたが、よくよく考えればいまいち釈然としないシャイタンだった。


 当時の魔族社会は魔王の威光の元で一つになっていた現在とは事情が異なり、小さな所領を有する魔族達が各地に点在している状態であった。そんな中で魔族社会の未来を揺るがす程の力を持っていたヤクサヤ少年と、何かしらのコネクションを作ろうと考えるのは当たり前の事であるし、女淫魔サキュバスがその身体を政略の道具とする事も普通であった。それがまだ幼い実の娘であっても例外ではないのだ。


「お家事情は置いておいて。つまりフェミナさんはカドルさんの元で力の制御を習得したんですか?」

「いいえ。実はそうじゃないのよね。」

「と言うと?」

「カドルってなんでも知ってる仙人みたいな顔しておきながら超脳筋だから、何事も気合と根性で解決しようとするのよね。当然私の力の暴走は気合でどうにかできる問題ではなかったんだけど、しょうがないからしばらく山籠もりの修練に付き合っていたわ。」

「根性論ですか。当時の事は知りませんけど、何事にも確立されたトレーニング法が存在する現在では流行らないですねぇ。」

 魔王の元で一度は統一された経緯がある現代の魔族社会では高度に情報共有がなされており、あらゆる分野のスペシャリストによる秘奥とも呼べる訓練法が、公共の財産として誰でもアクセス可能なデータベースになっているのである。

「カドル爺は超武闘派で知られており、その筋の魔族達、要するに脳筋魔族どもの間では伝説の戦士と言われておったようだ。だが我が知る限り戦闘能力以外はからっきしの老人であるし、世間に噂される伝説の戦士像はいささか過大評価であるな。」

 魔王は血縁であり師でもあるカドルの事を誰よりもよく知っていたので、その評価は厳しいものだが正確であった。しかし同時に魔王が認める程の戦闘能力とは、すなわち魔族の中では最高位である事を意味するので、そう見くびったものではないのである。

「へー、そうなんですか。それじゃあフェミナさんはどうして力の制御ができる様になったんです?今は暴走していないんですよね?」

「私が誰かれ構わず魅了してしまう暴走した力の制御ができる様になった理由、それはずばりヤクサヤに恋をしたからよ。」

「え?なんですって?」

「だ・か・らー、恋をしたから力の制御ができる様になったのよ。」

「えー?本当ですか?」

 フェミナは自信満々に力説しているが、その主張は論理性を欠いておりシャイタンには信じがたい話だった。恋する気持ちが奇跡を起こしたとでもいうのだろうかと。

「私も見てたから知ってるけどフェミナの言ってる事は本当だニャー。」

「チャットさんがそう言うならそうなんですかね。」

 シャイタンはチャットが物知りであることを知っていたので、彼女の言葉は素直に信じるのだった。付き合いの長さが違うとはいえ、フェミナに対する扱いと明確な差が出ており若干失礼である。

「ニャー。風呂掃除をしていた時にもちょっと話したけど、魔力の状態は精神状態の影響を色濃く受けるニャー。だから大きく心情に変化が起きる様な恋愛をすることで、魔力に由来する能力が急速に成長する事は不思議ではないニャー。」

「なるほど。そう聞くとある程度納得できますね。」

 シャイタン自身はちゃんと恋をしたことが無かったので、実体験を伴う実感はなかったが、精神状態の影響から幼女化してしまっている魔王を目の当たりにしていたので、すんなりとチャットの話を信じる事ができたのだった。

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