第23話 魔王の身体異常に関する考察

 シャイタンはシェンとチャットを風呂掃除という理由を付けて魔王から引き離し、現在魔王が抱えている記憶障害に付いて彼女なりの見解を話した。念のため改めて説明すると、クリムゾンとの戦いで精神的ダメージを負った魔王は、クリムゾンに関する記憶が消えている状態であり、シャイタンは魔王とのいくらかの会話からその事実に気付いていたのだった。


「お労しい魔王様・・・。」

 シャイタンの話を聞いたシェンは、一人で風呂掃除をしながら魔王の身に起きた災難に心を痛めた。ちなみにシャイタンとチャットは風呂掃除する気など毛頭なく、最初からサボっている。

「チャットさんはあまり驚いていないようですけど、もしかして魔王様の状態に気付いてたんですか?」

 シャイタンは呑気に水遊びをしているチャットに尋ねた。その様子はあからさまに暗い顔をしているシェンとは対照的であった。

「そうだニャー。にゃんとなく察しはついていたニャー。」

「私は魔王様と色々話す中で異常に気が付きましたけど、チャットさんはどうしてわかったんですか?」

「魔族が強烈な精神的苦痛を受けて肉体が幼児退行するケースは過去に何度か見たことがあるからニャー。魔王様が小さくなったのもその辺の精神状態が原因じゃニャいかと思っていたニャー。」

 チャットは見た目こそ少女であるが、その実年齢は魔王軍でも最高齢と言われており、その長い人生(猫生)に裏付けされた豊富な知識を有している。しかし自分から知識をひけらかすタイプではなく、何も考えていなさそうな普段の言動のせいもあり、魔王でさえもチャットの並外れた知識量に気づいていないのだった。


「そんな事があり得るんですか?聞いたこともないですけど。」

 シャイタンは魔王の幼女化の原因は、自身の魔力制御ミスによる魔法陣の暴発だと推測していたので、チャットの提示した仮説は少し意外な物であった。

「そうそう起こる事じゃニャいし私も数回しか遭遇してないニャ。魔族は種族の特徴として強力な魔力を持っているから、その分魔力の状態・・・言い換えれば精神状態の影響が身体に出やすいんだと思うニャー。詳しく調べたわけじゃニャいから確かな事は言えニャいけどニャー。」

「なるほど。・・・ん?小さくなった理由はそれで説明できるとして、どうして性別まで変わったんですかね?」

「それは知らないニャー。性別が変わったケースには私も出会ったことがないからニャー。それでも何か考えられる事があるとすれば、復活の儀式の最中に起きたシャイタンの魔力の暴発の影響かもしれないニャ。」

「あーやっぱりそうですかね。」

 シャイタンはチャットの話から、魔王に起きた異変が自分の責任ではないのではないかと一瞬期待したが、結局魔力の暴発に行きつくんだなと少々がっかりした。

「ただでさえクリムゾンとの戦闘で受けたダメージから抵抗力が落ちていたはずだし、それに加えて精神も弱っていたとしたら、シャイタンの暴走した魔力に中てられて何かしらの異常が起きてもおかしくはないニャ。」

「いやー強すぎる魔力も考え物ですねー。」

 シャイタンはどこか他人事のように言った。それは自分に責任の比重が偏るのは避けたかったシャイタンが、なんとかこの場の雰囲気だけでも有耶無耶にしようと画策しての事だった。

「別にシャイタンだけを責めるつもりはないから安心するニャ。でも途中までは上手く行ってたのにどうして急に魔力制御が乱れたんだニャ?」

 シャイタンの気持ちを察したチャットはフォローを入れつつ、昨晩の爆発事故に話題を変えた。

「あの時はなにか異常な魔力の波を感じて気が散ってしまい、結果として暴発が起きたんですよ。言い訳するわけではないですが、魔法陣の起動には緻密な魔力操作が必要ですからね。お二人は気付きませんでしたか?」

 言い訳するわけではないと言いつつ、ばっちり言い訳をするシャイタンだった。

「魔力の波?そんなのあったかニャー?」

「いや、私は何も感じなかったぞ。」

 チャットとシェンは互いに顔を見合わせてシャイタンの問いに応えた。

「そうなんですか?おかしいですねぇ、気のせいって事はないと思うんですが。」

「シャイタンは魔力操作や魔力感知能力が私達よりずっと優れているからニャー。だからこそ魔王様復活の儀式にも協力してもらったわけだしニャ。シャイタンにだけ感じ取れる微妙な異常だったのかもしれないニャー。」

 チャットは状況証拠からシャイタンが感じ取った魔力について分析した。

 繰り返しになるがこの異常な魔力の波とはクリムゾンが発した物である。魔族達の住む最果ての島には常に嵐のような魔力の渦が発生しているため、クリムゾンの魔力波を感じ取れたのは、チャットが推察した通り魔族の中でも特に魔力感知に長けたシャイタンだけだったのだ。


「昨晩の事故に関しては他の幹部達の話も聞いた方がよいかもしれんが、今はこの辺にしておこう。ここで頭を悩ませていても答えは出ぬだろうしな。魔王様もおっしゃっていたが過去を後悔するより、前向きな話をしようではないか。」

 シェンは魔王の受け売りの言葉を早速使っていた。それは過去に囚われて視野が狭くなっていた自身への自戒の念を込めた言葉だった。

「魔王様は元に戻れると思うかチャットよ?過去に在ったという幼児退行した魔族達はその後どうなったのだ?」

 シェンはチャットに問いかけた。

「その魔族達は子供の姿からやり直して、普通に成長していったニャー。急に元に戻るなんてことはなかったニャ。」

「そうか。それなら魔王様が自然と元に戻る可能性は期待できんな。」

 シェンはふーっと溜息をこぼした。

「そうだと思うニャー。まぁ今の魔王様も可愛くて悪くないと思うけどニャー。」

「そうですねー。」

 チャットとシャイタンは魔王が幼女化したことをそれほど悲観的に考えていなかった。それどころか小さい女の子が好きなシャイタンはむしろ好意的に受け取ってさえいたのだった。

 しかし魔王亡き後(死んではいない)魔族の実質的なリーダー役を担っていたシェンは、呑気な二人とは少し事情が異なり、魔王の変化を重く受け止めていた。

「無論魔王様がどんなお姿になったとしても、我が忠誠に変わりはない。しかし魔族達を従える王として考えると、やはり今のお姿ではいささか威厳に欠けるというもの。気難しい魔族達が今の魔王様の命に大人しく従うとは思えんのだ。」

「たしかにニャー。今でこそそれなりに支持を得ているけど、シェンも随分人心を得るのに苦労してたしニャ。」

 シェンが抱いた懸念にチャットも同意した。


 シェンは眠りについた魔王に成り代わり、残された魔族をまとめたのは先述の通りだが、その過程は順風満帆とはいかず、紆余曲折を経てなんとかやりくりしたのが実情であった。というのも、犬精クー・シーであるシェンは魔族から見ればよそ者の異種族であり、魔王の最側近とは言えその能力を疑問視する声が多かったからだ。そして異種族であるシェンに従うのを嫌った事が、最高幹部の五人を除いた他の幹部達が魔王軍を離脱した一因でもあった。

 魔族は大別すると三種の魔族群に分けられ、各々が独自のコミュニティを形成している。三種の魔族群とは、人間に近い姿の魔人デーモン、動植物の特徴を有する獣魔人ビースティアン、悪魔のような姿の真魔人ディアボロスである。魔人デーモンは比較的温厚で異種族への偏見も少ないためさほど信頼を得るのに苦労はなかった。そして獣魔人ビースティアンは獣の特徴を持っている事もあり、獣そのものであるシェンへの印象はさほど悪くなかった。しかし真魔人ディアボロスは血統や家系を重視する選民意識と貴族気質を持っていたため、犬精クー・シーであるシェンの事を下等生物と見下していたのだ。そして多くの魔王軍幹部は、魔王が君臨する以前に各地で個々に領地を有し権力を持っていた真魔人ディアボロス出身の者であった。

 最高幹部の中には真魔人ディアボロスであるスペリアとフェミナ兄妹が居たため、彼らに協力を仰ぎ一般層の真魔人ディアボロスとの懸け橋になってもらう事で、長い期間を掛けて少しずつ信頼を勝ち取ったシェンだが、今の魔王にそのまま現在のシェンの立場を移譲する事は難しいと思われた。かつての威厳ある魔王であればそのような心配は不要だったが、今の魔王はどう好意的に見ても頼りない幼女なのだ。


 シェンは話をしながらも手を止めず、風呂掃除を結局一人で完遂していた。

 そしてちょうど湯を張り始めたところで、魔王の居る客間の方からドタバタと物音がするのが聞こえてきたのだった。

「むむ?何事だ?」

「魔王様に何かあったのかニャ?」

 異変を感じ取った幹部の2人はすぐさま客間へと駆け出した。

「今日は騒がしいですねぇ。」

 一方シャイタンは駆け出した二人を後目にのんびりと構えていた。それはシャイタンの魔力感知能力が優れていることに起因する余裕であり、魔王の元に誰が訪れたのかを把握していたからであった。


 魔王の身に起きた異常事態の秘密を、保身のためとはいえ一人で抱え込んでいたシャイタンだったが、幹部の2人と情報を共有した事でいくらか気が楽になっていた。かくして唯一の懸案に一応の解決を見たシャイタンは、退屈な日常に訪れた変化への期待だけを膨らませるのだった。

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