第22話 シェンの悔恨

 シェンが作った朝食をとった魔王とチャットならびにシャイタンは、なかなか現れない残りの幹部を待って客間でだらだらしていた。

 魔王はソファーに大股を開いて座り、その膝にはチャットが寝転がっている。猫だけに。魔王は幼女になる以前より、座り方ひとつとっても魔王らしさを演出する事を忘れない、意外とみみっちい性格をしていたため、どっしりと構えて大股を開く魔王スタイルの座り方はもはや癖になっていたのだ。

 対面に座っているシャイタンは魔王のパンツが丸見えだったのでガン見していたが、魔王はそれに気づきながらも姿勢を崩さず堂々としていた。元々男であり、齢数十万歳を数える魔王には、純情な乙女のような恥じらいは存在しないのだ。

 一方シャイタンの方は別にやましい気持ちでパンツを覗き見ていたわけではなく、いや一切ないとは言い切れないが、復活した魔王の服が幼女の姿にぴったりサイズに、しかも女児向けの意匠に変化しているのが気になったからだった。そして幼女の姿の魔王がサイズの合わないダボダボの服を着ているのを想像し、それもありだな、等と割とどうでもいい事を考えていた。

 また魔王の服が昨晩のいざこざで少々汚れている事も気になったため、彼女の着替えを用意しようかと思案していたのだ。そしてあわよくば一緒にお風呂に入ろうと画策していた。

 シャイタンにやましい気持ちはないと言ったな。あれは嘘だ。

「うふふ・・・。」

 シャイタンが不気味な笑みを浮かべながら魔王に微笑んだのを見て、魔王は総毛立つ様なおぞましい感覚に囚われ、思わず股を閉じてスカートを抑えてしまった。

「フギャッ!」

 魔王の膝に頭を乗せて寝ていたチャットは、急に魔王が動いたのでソファーから転げ落ちた。

「痛いニャー・・・。」

 猫精ケット・シーであるチャットはとても頑丈な身体をもつため、ソファーから落ちたくらいではかすり傷ひとつつかないのだが、リラックスしているところに突然衝撃を受けたため驚いたのである。痛いというのはついつい口をついて出た言葉であり、本当に痛みを感じたわけではない。


 魔王は他の魔族から敵意や悪意を向けられても脅威を感じる経験が無かった。それは別に魔王が鈍感だからではない。魔王が飛びぬけた力を持つ突然変異体であったため、圧倒的な実力差から他の魔族が魔王に危害を加える事が不可能だったからである。

 しかしシャイタンは魔王に匹敵する力を持っており、しかも魔王は現在幼女の姿に弱体化しているため、シャイタンが本気になれば魔王を害する事が可能である。それゆえ魔王はシャイタンの不敵な笑みと不純な企みを感じ取り、産まれて初めて同族に対し恐れを抱いたのだ。


 魔王とシャイタンの静かな攻防戦が続く中、食器洗いを済ませたシェンが戻ってきた。そしてスカートを抑える魔王の様子に気付いた。

「いかがなさいましたか魔王様?まるでスカートを覗かれた生娘が恥じらっているようですが。」

 シェンは隠れて見ていたのかと思うほど的確に状況を見抜き、わざわざ口に出して説明した。。

「いや、大事ない。」

 魔王はシェンに自身の仕草を指摘され、はっとして元の威厳溢れる魔王スタイルに戻った。

「そうですか。ならよいのですが。」


 魔王はゴホンとひとつ咳払いをして話始めた。

「シェンよ半ば予想はついておるが、先ほど名の上がった最高幹部五人衆以外の、他の幹部達はどうしている?」

「はい、おそらく魔王様のご推察の通りと存じます。我ら五人衆を除いた幹部達は魔王様がお隠れあそばされた後、君主を失い窮地に立った魔王軍を見捨てて出奔するか、あるいは自身のかつての領地を取り戻すべく孤軍にて人類に戦を挑みました。」

「やはりそうか。我の力と恐怖による支配では、我を失った時点で総崩れになるのは目に見えておったからな。」

「我ら最高幹部の力が及ばぬがゆえの失態です。面目次第もございません。」

 シェンは深々と頭を下げた。なお同じく最高幹部であるはずのチャットは呑気に魔王の隣に座っていた。完全に他人事である。

「いや、よいのだシェン。それを言うならば支配体制の問題点に気付いていながら、対策を講じていなかった我にこそ原因があろう。」

「そんな!魔王様のせいなどと誰も思っておりませぬぞ!」

 魔王は反論するシェンに手をかざして制止した。

「シェンよ、結果こそが重要だ。我らは失敗した。まずはそれを認めなくては、次に生かせるものも生かせんぞ。」

「失礼しました。魔王様は既に次を見据えておいでなのですね。私など魔王様の居ない長い間後悔のし通しで、魔王様復活のその先の事など考えてもおりませんでした。最高幹部等と大仰な肩書を宣っておきながらお恥ずかしい限りです。」

 あまり気に病むなと遠回しに伝えたかった魔王だが、シェンは魔王が感じているより遥かに長い時を後悔に費やしていたため、その自虐的な自己否定はなかなかに根深いもので、魔王の言葉の意図をくみ取れない程であった。

「まぁ正確には間に合わなかっただけで、何も考えていなかったわけではないのだがな。旧支配者層の頭の固い貴族共と折り合いが付かなくてな。そうこうしてるうちに血の気の多い若い連中が人類と勝手におっぱじめおったのだ。せめてあと100年あれば・・・いや過ぎたことを悔いても仕方ないな。次に生かすなどと貴様に諭しておいて、過去に固執しているのは我も同じか。ふふふ。」

「ふふふ、お戯れを。」

 魔王とシェンはよくわからない笑いのツボを共有して自嘲気味に笑いあった。それは後悔に囚われているシェンと同じ目線に立つことで、その痛みを共有し和らげようと考えての魔王ジョークだった。


 魔王のジョークの是非はともかく、シェンはようやく魔王の気持ちを察して気持ちを切り替えたのだった。

「話を幹部達の件に戻しますが、我らは残った魔王軍の指揮、並びに民を守るために奔走していたため、彼奴等めのその後の消息は不明ですが、彼の悪龍が相手でもなければ死んではおりますまい。」

 悪龍という言葉に魔王の耳がピクリと反応した。ここで言う悪龍とはもちろんクリムゾンの事である。

「ちょーっといいですかー?」

 魔王の異変に気づいたシャイタンが咄嗟に話を遮った。これでもかというほどあからさまな話題逸らしである。

 魔王は一瞬固まっていたが、シャイタンの大声を聞いて我に返った。

「む?どうしたシャイタン?」

 魔王はまだ少しぼーっとしていたため、シャイタンの問いにはシェンが聞き返した。

「えーっとですね。・・・あっそうだ。魔王様は昨晩なぜか昏倒してしまったので、お風呂に入ってないんですよ。他の幹部の方達が集まる前に汚れを落としたらいかがですか?」

 シャイタンは何も考えずにとりあえず話を遮ったため、特に代替の話題を考えていなかった。そこで急遽思考を巡らせて、先ほど気になった魔王の衣服の汚れに言及したのだった。ちなみに魔王が気絶したのはシャイタンが当身を食らわせたからなのだが、咄嗟に話題を逸らしつつもしっかり自分の悪行は秘匿する抜け目ないシャイタンだった。

「むむ?たしかにお召し物が少々汚れておいでですね。気が周らず申し訳ございません魔王様。」

 犬精クー・シーは人型種族と違いあまり入浴が好きではないので、そもそも風呂に入る習慣がない。シェンは臭いと言われない程度に入浴する様にしているが、それは周囲の迷惑にならないようにするための配慮であり、本人はあまり汚れを気にしないのだ。なので魔王が多少埃っぽい姿をしていても気にならなかった。


「あっそうだ、ってシャイタンは何を思い付いたんだニャ?」

 シェンは特に気に留めなかったが、チャットは短いやり取りから何かを察したようで、ニヤニヤしながらシャイタンの奇妙な発言を指摘した。

「別になんでもないですよ。」

 なんでもない事はないが、魔王の目の前でトラウマの話をするわけにもいかないので白を切るシャイタンだった。

 いまさらだがシャイタンとチャットは魔王軍とは関係なく個人的な親交があり、シェンや他の幹部達よりはお互い知った仲である。と言っても、散歩中のチャットが時折シャイタンの家でお茶を飲む程度の間柄で、特別親しいというほどでもない微妙な関係である。もちろん二人は偶然知り合ったわけではなく、優れた才能を有するシャイタンと良好な関係を構築する事と、定期的に監視し成長を見守る事を目的とした、チャットの計略のために育まれた欺瞞の友人関係である。

 チャットは何も考えてなさそうな風貌と猫のような人懐っこさで、まったく知らない相手に警戒されずに取り入るのが得意であったのだが、小さい女の子が好きなシャイタンはちょろかったため、チャットの能力とは関係なく簡単に友好関係を構築できていた。また当初は計略のために近寄ったチャットであったが、シャイタンと話すうちにどこか魔王と似た雰囲気を持つ少女の事を気に入ったので、普通に仲良くなっていた。少しニュアンスが違うが、ある意味嘘から出た実である。


「湯浴みか。・・・悪くないかもしれんな。」

 魔王は自身の頭にかかった靄のようなすっきりしない感覚を、復活した直後の一時的な記憶の混乱だと考えたため、気分転換すれば記憶が整理されるかもしれないと思い、シャイタンの突然の提案を了承したのだった。

「それでは入浴の準備をしてきますので、魔王様は今しばらくここでお待ちくださいね。行きますよお二人とも。」

「うむ、よきに計らえ。」

 シャイタンはシェンとチャットに目配せし、魔王だけを残して風呂場に集まれるように自然な感じを演出しつつ促した。シャイタンの思惑とは裏腹に風呂掃除ごときに三人がかりというのは割と不自然だったのだが、魔王は自身の不調に気が向いていたため気が付かなかった。

「了解だニャー。」

 チャットはシャイタンに何か考えがある事を察していたため自ら立ち上がった。

「風呂の準備くらい私一人で十分だと思うが・・・。」

 しかしシェンはいまいち状況を汲んでいなかったため、断りを入れて一人で掃除しようとしていた。

「乙女の聖域を男一人に任せられるわけないでしょう?」

 風呂場に他人に見られて困る物はないし、本当はまったく気にしていないのだが、シェンを言いくるめるために適当な理由を付けるシャイタンだった。

「そうだニャー。シェンは気が周らないニャー。」

 すかさずチャットが援護射撃を敢行する。先ほどの魔王とシェンの会話から、シェンが魔王の気持ちを汲み取れず苦慮していた事をチャットは見抜いていたため、何気ない一言のようだが心の隙を利用した高度な精神攻撃である。

「む?そう言う事なら仕方がないか。」

 結局シェンはシャイタンとチャットに言いくるめられ、三人揃って風呂場へと向かったのだった。


 一人残された魔王はなんとなく感じている焦燥感の正体を探るべく、自身の内面と向き合うために静かに瞑想に入ったのだった。

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