第3話

 三日目のその日、私と男は最初に倒れていた場所にいた。

 三日が経つまでにいろいろなことがあったが、どれも現実世界では味わえないものばかりで、危険ではあったが楽しくもあった。

 メモ帳は一ページから真っ黒になりそうなくらいの密度で、とにかく殴り書きされていた。

 結局のところ私は何か特筆すべき様な能力も見当たらなかったが、男の方がその不足分を補うようにいつも隣でカバーしてくれていた。

 楽しそうで、かっこよくて、英雄かどうかは知らないが、人を引っ張っていく人というのはこういうやつなのかなと思っていた。

 向こうに帰っても仲良くしたい、できれば友達になりたいと考えていた。

 私がもし女だったら惚れていたに違いないと思った、だけどそう言った気持はなく、そのころにはもう良き友人として見ていた。


 見覚えのある穴がその場所にあった、それは現実世界からここへ来るときに通ってきた穴と全く同じものに見えた。

 入った瞬間の記憶はなかったが、間違いなくそこを通れば元の世界に帰れることだけはわかった。

 確かにこの世界は楽しかった、だけどこの世界で生きていくには私は弱い存在だろうし、何より、何故ここに来たのかを思い起こせば、私はすぐにでも帰りたかった。

 もちろん心残りがないというわけではなかったが、それよりは元の世界の方が大事に思っていた、そして私はしばらく穴を見ていた、だけどそこで異変に気付いた。













 どうして私の腕を引っ張っていかないのかと。











 振り向いてみると少し後ろで、いつも私の腕を引っ張っていた男は俯いていた。

 そして何かを考えているかのように立ち止まったままで、少し見ていると顔を上げた。


「おれさ、本当は作家になれるかどうかなんて、もうどうでもいいって思ってたんだ」


 そんな友人の独白が始まった。


「俺も小説を書いて楽しかった、もう何年もそういう道を目指して、何度も何度も挑戦した、だけど俺にはどうやら才能がなかったらしいんだ」


 そんなことはないと言おうと思った、だけど彼の言うことが、まさにここに来るまでの自分に重なってしまうと途端に口は開けなくなった。


「ここに来たのも自棄みたいなもんだった、どうせ誰でも言えるようなこと並べ立てて、何も得るものなく帰るんだろうなって思って、そして帰ったらもう、書くのやめようって思ってたんだ」


 似たような境遇だった、同じ楽しみを味わい、そして同じ苦しみを味わい、彼の過去は聞いたことがなかったが、その辿ってきた道は一緒だとわかる。そのことで更に親近感が湧いていた。


「ここに来る前、あの人言ってたよな」


 男の口調が少し変わった、不穏な気配だった。いままでに見せたことがないような、男の悲しそうな顔がそこにあった。聞きたくないと思った。


「三日を過ぎると元の世界には帰られなくなるって。なあ、それって、帰らなくてもいいんじゃないのか」


 確かに、帰って来いなんてことは一言も言ってなかった。

 だけどそれは帰ってくるなという意味でもない


「この世界って、お前にとってはどうだった」


 言われて振り返るそういえば私はペンを握ることの方が多かった。

 元々やりたいことがあるからこっちの世界に来たんじゃなかったのかと、私は暇さえあればメモ帳を開き、その日々をすべて書き写していた。

 それは彼が剣を握っているときにだ。


「書いても書いても無駄に終わるんじゃないかって気持ちでいた、あの地獄よりはおれはこっちの世界の方が楽しかった」


 ドラゴンを倒した、隠されたダンジョンを踏破した、

 この三日だけでも男が手に握った剣で成し遂げたものは、この世界では凄い事だったらしくもう既に男の名前や話題でギルドは持ち切りだった。


「だから、お前とはここでお別れだ」


 楽しい三日間だった、これまで感じたことがないような高揚感だった。

 私は、魔法も使えない戦闘もろくにできない、それでも楽しかったのはいつも腕を引っ張って、色々な違う世界を、可能性を見せてくれた彼のおかげではないのかと。

 もし自分ひとりだったらどうだったか、そう思うと私は彼と一緒に帰りたいという気持ちにさえなっていた。

 だけどその目を見たとき、私のこの考えは受け入れてもらえないのだとわかってしまった。

 メモを取り続けた日々が私の観察力を高めていた。

 そして彼の言葉がその場限りのものではない、一つの決心だと分かってしまった。


「俺の分もさ、いい作家になってくれよな」


 そう言って良い笑顔をした男と抱き合うと、そこで私の目から涙が溢れた。

 ああ、これは今生の別れなのだと、誰に言われるでもなく私はわかってしまった。もうどんな言葉も彼には届かないのだと。




 元の世界に帰るとき、私は自分の足で踏み込んだ。

 

 誰の腕も引いていなかったし、誰かに腕を引かれてもいなかった。

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